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ファントム 3

 美樹はジファの誘いに応じるまま、赤煉瓦の寂びれた様子の建物へと入り、通路を歩いていく。やがてジファは赤褐色の扉の前で足を止める。これまでずっと、ジファに引っ張られてきただけだった美樹が訊く。


「ここが……、あなたの拠点?」


 だが美樹の質問にもジファは何も答えない。美樹は不安もあったが、身を挺して自分の危機を救ってくれたジファに感謝もしていた。だから美樹はジファの招き、または「案内」とでもいうべきものに従った。

 相も変わらず愛想のない様子のジファは、美樹を連れて部屋へと入ると、一言こう告げてキッチンへ向かう。


「コーヒー煎れるよ」


 たった一人、リビングに取り残された美樹は、部屋を見回す。すると部屋の片隅にある水槽が彼女の目に入る。水槽の中では小さな「モノ」がくっついたり離れたりしている。


「なんだろう。これ。微生物か何か? にしてもキレイね」


 美樹が、奇妙なインテリアデザインに見惚れていると、やがてコーヒーを持ったジファが戻ってくる。彼は美樹に話しかける。


「それは人間の『脳の動き』をシミュレートしてるんだ」

「脳の?」


 美樹がそう応じると、ジファは意味深な話をしてみせる。


「そう。『脳の動き』。それを調べることを皮切りに『AI・人工知能』の研究が始まったんだよ」


 美樹はカップを受け取り、コーヒーを口に含む。彼女はジファの話の意図がよく分からなかったが、何かそれが大切なことだというのは、朧げに把握出来た。

 ジファもコーヒーを口にする。彼の口調は警告めいた趣きさえある。


「AIは工夫次第で心さえ持つことが出来る」


 ジファの声質には、仄かな悲しみも滲んでいる。彼は水槽に手を触れて話を締める。


「だが、その考え方が全ての悲劇の始まりだった」


 そこまで話を終えると、ジファは一転陽気な笑顔を見せる。彼は美樹の素性に、ようやく興味を持ったようだ。ジファは右掌を軽くあげて美樹に訊く。


「ところで君は、なぜあんな場所にいたんだ?」


 美樹は口ごもった。ジファはその様子を見て、淡泊に返すだけだ。


「答えたくないのならそれでいい」


 だがジファは美樹を気遣いながらも、大切なポイントをおさえる。


「いぜれにせよ君は政府に狙われるだろう。誰かの保護が必要だ。俺としばらく一緒になるが、いいか?」


 ジファの言葉は、余りにスケールが大き過ぎて、「平和な国・21世紀の日本」に住む美樹には、全容を掴むのは難しい。だが事実、ジファは嘘をついているのでもなさそうだ。それにジファは美樹に嘘をつく理由もない。だから美樹は、小さく頷く。

 美樹が自分の提案を受け入れたのを、ジファは確かめると、もう一つだけ美樹に尋ねる。その言い方には彼特有のユーモアが含まれる。


「君、名前は? まさかAさん、Bさんと呼び合うわけにもいかないだろう。名前くらい答えられるだろう?」


 美樹は自分の名前を伏せる理由も、つもりもないので、素直に答える。


「美樹。七瀬美樹よ」

「ナナセ・ミキか。良く覚えておくよ」


 ふと、美樹が自分の手の甲に視線をやると、手の甲には切り傷が入っている。それも決して浅くはない。軍から逃亡する最中に怪我をしたのだろう。その傷にジファも気づいたのか、彼は薄い膜を持ってきて、彼女の手の甲にあてる。


「『細胞修復膜』だ。ものの数分もしない内に傷は癒える」


 「細胞修復膜」。ジファがそう呼んだ膜を美樹が切り傷にあてると、ものの数分もしないうちに、彼女の手の傷はみるみる内に消え、痛みもなくなった。

 「細胞修復膜」は細胞の回復を手助けし、傷や怪我を瞬く間に治す効果があるらしい。美樹は、「ジファの世界」のテクノロジーがとても進んでいることが分かった。美樹は、怪我の痛みよりも素直な感想が口をついて出る。


「スゴイ」


 美樹の怪我が治ったのを確かめたジファは、軽く微笑む。彼は棘や毒を多く含む人間であるにも関わらず、人の心身を気遣う優しさも持ち合わせているようだ。その両極に揺れるパーソナリティ、個性を前にして、美樹はジファに惹かれていた。

 危うげだがどこか心優しい。それは美樹の寓話「時計塔に眠る怪人」に出てくるジファ・セラヴィナも同じだった。だから余計に美樹はジファにシンパシーを抱いていた。

 話がひと段落つくと、不意に美樹の口から一つの質問がついて出た。


「……怪人。『時計塔に眠る怪人』について何か知らない? あなたの知り合いか何か」


 ジファは「怪人」という言葉に鋭く反応した。彼はゆったりとした口調で、警戒しながら答える。


「そう呼ばれる男のことは良く知っている。なぜ君がそれを?」


 美樹は体が痺れた。彼女はどこまで自分の寓話と、この世界に同じところがあるのか、無性に興味がわき、自分の思っていることをジファに話してみせる。


「私、『怪人』をよく知ってる。あなたと怪人の関係も。なぜって全部私が作ったものだから」


 それを聞いたジファの視線は鋭くなる。彼は当然だが驚く。


「知っている? 何を言ってる。もし君が俺と彼の関係に詳しいのなら、君は俺の敵である可能性がある」

「敵!」


 ジファの棘をも含む指摘に、美樹は声を裏返す。彼は左腕を広げる。


「美樹、君は一体何をどこまで知っている? 返事次第では……」


 自分が「ジファの敵かもしれない」。そう言われた美樹は、意を決して口を開く。


「『怪人』、彼は人々に追われて時計塔に逃げ込んだ。なぜなら彼がらい病患者だったから」


 「らい病患者」。そのキーワードを耳にしたジファの頬は、瞬く間にゆるんだ。ジファは心の底から安堵しているようだ。


「美樹。君の話は良く出来てる。だが事実じゃない。安心したよ。君は本当のことを知らない」


 そう聞いて美樹は自分の肩の力が抜けるのを感じた。「時計塔に眠る怪人」とこの「ジファの世界」の一致はたまたまのたまたま。偶然が幾つも重なったに過ぎない。彼女はそう思ったからだ。

 安心しきった美樹は、なめらかに「時計塔に眠る怪人」の登場人物の名前をあげていく。


「じゃあ処刑された王カルツァも、司祭ステファリも、ここにはいないのね。『怪人』の名前もオルザヴァじゃないんだ。良かった、良かった」


 そうせきを切って喋り、笑う美樹をジファがじっと見つめている。彼は厳しく、険しい顔つきだ。


「カルツァも、ステファリも……、いる。カルツァは暗殺された科学者。ステファリは諜報機関『AMSOSI』の幹部だ。どうして彼らの名前を知っている?」

「ちょ、ちょうほうきかん『AMSOSI』?」


 間の抜けた顔と声で尋ね直す美樹に、ジファは辛辣な口振りで答える。


「諜報機関『AMSOSI』は国家直属で、宰相の意思のままに、また、難事には時に独立して動きもする組織だ」


 美樹はジファの答えを耳にして息を飲む。さらにジファは重要なポイントを付け加える。


「それに、『怪人』の名前はまさしく……、オルザヴァだ。美樹。君は一体?」


 やはり彼女の寓話「時計塔に眠る怪人」と、「ジファの世界」は何らかの関係がある。そうと分かった美樹は、顔を引きつらせて笑うしかない。


「どうなってるの?」



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