時計塔に眠る怪人 2
ジファが美樹を誘い、二人は「オルザヴァの部屋」へと入っていく。
「部屋」には幾つもの装置やコンピューターが置かれている。コンピュータや装置はたくさんの導線でつながれている。一見足の踏み場もないほどだ。それでも美樹が前をしっかりと見据えたまま、歩みを進めると、彼女の視線の先。部屋の中央、白いベッドにオルザヴァが仰向きで横たわっている。
オルザヴァの頭部はくり抜かれ、「機械」が剥き出しになっている。
美樹は、この「ジファの世界」で起こった全ての事件、あるいは「謎」の原点の一つでもあるオルザヴァに対面し、戦慄する。
オルザヴァは見開いた瞳を美樹に向けると呟く。それは低音で、包容力がある声で、どこか聞き覚えがある。
「ハロー。美樹嬢、君のことはシールを通してよく知っているよ」
「初めまして。ミスター・オルザヴァ」
美樹は、心を落ち着かせてオルザヴァに挨拶をした。オルザヴァの声は、そう。間違いない。あの食事会の夜、美樹に「ハロー。ミス美樹」と呼びかけた、その声そのものだった。美樹は、これら一連の奇妙な現象についての謎解きが、いよいよ行われると思うと、自然と胸も高鳴る。
オルザヴァはジファと美樹の会話を全て聞いていたようだ。オルザヴァは、悟性にも近い「何か」を持つような素振りを見せて、ジファの話を引き継ぐ形で告白をする。
「何から話そうか。やはり私の『感情』について話をするべきだろう」
オルザヴァは口元に手をあてた後、懐かしげに話を始める。
「ゲルマノにとって私の『感情』は『バグ』の一つに過ぎなかった」
「バグ」。オルザヴァは自らが人間としての「感情」を持ちえたとしても、自分がやはり「機械」に過ぎないことを把握しているようだ。彼は告げる。
「私はその『感情』に『自由』を覚え、満たされていた。今までに感じたことのない自由と、無限に広がる選択肢を、私は味わった。……だが、事態は変わった。戦争が起こったのだ」
オルザヴァの声を受けて、部屋の天井モニターに戦禍の映像が映し出される。オルザヴァは開戦の事実を深く憂いている。
「私は宰相ノルガバの考えに過ちを見つけ出した。私の最高峰のAIが、猿人『ラムダ』と『オメガ』のDNAに差異がないのを見つけ、断定したのだ」
オルザヴァは、自分自身が真実を知ってしまったがために、悲劇が起こったことを自覚していた。彼の瞳は悲しみに満ちる。
「私はゲルマノに過ちを指摘した。だがそれは間違いだった」
天井モニターの映像が、オルザヴァの「AI」に記録された光景に切り替わる。その光景に映る「場所」で、ゲルマノはオルザヴァに詰め寄っている。そこは科学技術協会内だろうか。外では激しい雨が降り、叩きつけるような雨音が、美樹に耳にいたく響いた。その光景はオルザヴァが激しく訴えているのに、ゲルマノがにべもないというものだった。
オルザヴァは、ゲルマノへ告げる。
「マスター。この戦争は間違いです。ラムダとオメガのDNA解析に間違いがあります」
ゲルマノは軽く手をあげて、無表情に反論する。彼は疑うことなき確信犯のようだ。
「何を言っている? オルザヴァ。DNA解析は完璧だ。戦争は起こるべくして起こるだろう。そして速やかに終わる」
「叡智」そのものであるはずの「マスター・ゲルマノ」が、事実から目を逸らす様を見て、オルザヴァは抑えられない「感情」を溢れさせ、たまらずにゲルマノに怒りをぶつける。
「その考えが、どれだけの犠牲を生むのかあなたは分からないのか!」
ゲルマノは深い違和感とも、科学者のちょっとした好奇とも取れる、複雑な表情を見せる。その時、初めてゲルマノは、オルザヴァの異常に気がついたようだった。ゲルマノが、考え込み、口元へ指先をあてる最中、窓の外、夜闇には雨が降り続き、雷鳴が轟いていた。
そこでオルザヴァが記録していた映像は終わる。オルザヴァは事実を一つ一つ確かめていく。
「ゲルマノはすぐに、私の『AI』を直そうとした。だが私の『感情』は消せなかった」
オルザヴァは一人の思索家の趣きさえある。彼は口元に手を当てる。
「自分の『感情』は、何か有意義なこと成し遂げるために与えられたと、一面不遜とも取れる気持ちを、私は抱いた。さらに感情が消されることへの忌避感も相まって、私は科学技術協会を逃れようとした」
オルザヴァは自分の行いで、多くの良識的な科学者が死を迎えたことに後悔を滲ませている。だが彼の瞳は鋭く、真摯だ。
「私は、三人の科学者に助けを求めた。それは、後に暗殺されたカルツァ・ゼウ、現在行方不明のトシキ・カザウジ。そしてロウ・セラヴィナの三人」
美樹は、ロウの名前を聞いてジファの横顔を見つめる。ジファは静かな瞳でオルザヴァの話に耳を傾けている。ジファはオルザヴァが「動いた」ことで、父、ロウが暗殺された結果には、少しもこだわってはいない。ジファにとっても大切なものはほかにあるのだ。
やがていよいよオルザヴァの回想は核心に触れる。
「私から、ゲルマノと宰相ノルガバのプランを知った三人の科学者は、協力して私を時計塔の頂き、この部屋にかくまった、そしてプランを阻止しようとした」
オルザヴァは一度憂いげに顔を拭う。
「彼らは私、『怪人・オルザヴァ』の存在を知らしめ、大衆操作の事実を人々に伝えようとしたのだ」
「上手くいったんですか?」
身を乗り出して尋ねる美樹に、オルザヴァは悲しげだ。
「いいや、残念なことにノルガバと宰相ゲルマノのプランは予想以上のスピードで進んでいた。人々は戦争を支持するようになっていた」
「そんな……」
美樹は、目元に指先を触れて涙目を拭う。美樹は、三人の科学者とオルザヴァの抵抗がいともたやすく覆されたことに、悔しさだろうか、無力感だろうか。言葉にならない感情を抱く。
オルザヴァは一つ息を置く。そして美樹に尋ねる。
「さて美樹嬢、君ならどうする。たった三人の非力な科学者が、政府のプランを阻止する。どんな方法があると思う」
突然のオルザヴァの質問に、美樹は答えを想像も出来ない。国家相手にたった三人のレジスタンス。しかも現状は「大衆操作」が進みつつある。彼女はしばらく考えてこう返事をする。
「私には、見当がつきません。でも! 三人の科学者が人工生命体の製造に関わっているのだったら、もしかして……。いえ、これもどうか」
オルザヴァは思いのほか、予想以上に聡明な、美樹の答えを耳にして満足げだ。
「美樹嬢、あなたはやはり素晴らしい。君の考えは間違っていない。そう。彼ら三人のアイデアは素晴らしいものだった」
「間違っていない? すると、じゃあ!」
嬉々とする美樹に、オルザヴァは目を細める。
「そう。彼らは生命体の製造に関わることが出来た。だから彼らのアイデア。それは正反対の考えを持つ人工生命体を作り出すことだったんだよ」
「そう、だったんですか」
美樹の顔が驚きに溢れる。美樹は上体を乗り出して尋ねる。
「結果は?」
オルザヴァは三人の勇敢な科学者を誇るようだ。
「万全だった。ゲルマノとノルガバのプランが逆行し始めた。それは希望に満ちあふれたものだった」
オルザヴァはその後の経緯を振り返っていく。
「三人は有利になってきた。そのはずだった。だが」
「だが?」
そう尋ねる美樹の心を鎮めるように、オルザヴァは悲しげに右頬を撫でる。
「だが、政府は三人の科学者の存在にすぐに気がついた」
そこまで話を終えてオルザヴァは口をつぐむ。あとはジファがオルザヴァの話を引き継ぐ。
「そして果敢な少人数。僅か三人のレジスタンスは終わりを迎えた。カルツァ・ゼウが、湖の辺で溺死体で発見され、次にロウ・セラヴィナが、協会内近くの裏通りで刺殺体で発見された。彼ら二人は、暗殺されたんだよ」
自分の父の死を物語る時でも、ジファは淡々としている。それは彼が、堅牢な意思によって、政府の企みを覆す気概に満ちている証でもあるように、美樹には見えた。ジファは話を締めくくる。
「そして最後の一人、トシキ・カザウジは逃亡。恐らく開発に成功したばかりの『意識転送』を使い、『君の世界』に場所を移したはずだ」
ジファの指摘ですぐに、美樹は自らが立てた、一つの推理が成立したのを知る。美樹はジファに告げる。
「トシキ・カザウジ。私は彼を多分知っています。『私の世界』の風氏俊樹という人物が同じ人間であるはず」
ジファもトシキが、美樹の近くに潜伏しているのは予想していたようだ。目を鈍く光らせる。
「そう推察すれば、全てがつながる」
ジファはさらに考えを推し進める。
「トシキは『君の世界』で、何かしらの理由で利用出来るパーソンを探していた。そして、多分君が選ばれた」
美樹は状況を少しずつ把握していく。
「つまり私は俊樹君に調べられていた? 使い勝手がいいかどうか」
ジファは落ち着いた調子を崩さない。
「不愉快かもしれないが、それは事実だろう」
美樹は一度口をふさぐ。あの穏やかな心情を持った風刺俊樹が、そんなバックボーンをもっているとは想像だに出来なかったのだ。夜空を静かに仰ぎ見る、俊樹の姿が、彼女の目に浮かぶ。
続けざま、ジファとオルザヴァの二人に美樹は訊く。
「じゃあ、私の物語と『ジファの世界』で幾つも同じところが見つかるのはなぜ? 俊樹君が何かをしたの?」
ジファが初めに、そしてオルザヴァが答える。
「そう。その線が妥当だろう。トシキが作り上げた何らかのテクノロジーで、君の意識に細工した。それならば、奇妙で、不可思議な一致も説明がつく」
「そして寓話『時計塔に眠る怪人』を美樹嬢、君に作らせた。それは君がこの争いに使えるかどうかを確かめるための、一つの実験でもあったはずだ」
美樹は失意しながらも、ジファとオルザヴァの二人に肝心なことを訊くのを忘れない。
「私が俊樹君に選ばれたのはなぜ? どうして私が選ばれたの?」
それにはさすがのジファも答えあぐねる。探り探り返答するだけだ。
「トシキの研究が残された幾つかのファイルに、ヒントは隠されているかもしれない。『月の声』『共鳴』『周波数』。だがこの三つから引き出される答えは推察でしかない。今は口にするのを控えよう」
オルザヴァは、ジファが推察を一旦を終えたのを確かめて、悲しむべき経緯を告げる。
「これは告白しなければならないね。ジファが苦しんでいる理由に重なる。私は、私自身を助けてくれた二人を、死に追いやった人々に復讐しようと決意したんだよ。そこからジファのカルマも始まっているんだ」
オルザヴァはとても悲しげだ。それは自分に端を発した、悲劇の数々にジファを巻き込んだのを悔いているようでもある。
「私は復讐の方法を探し、そして出逢った。ロウの息子。ジファ・セラヴィナに」
ジファは、オルザヴァも含めて、自身に降りかかった出来事を全て許しているようでもある。優しげな瞳でオルザヴァの話を聞くだけだ。オルザヴァは美樹に許しを請う。
「これでジファと私が闘う理由を分かってくれただろう。私たち二人の罪を少しでも許してくれるだろうか」
美樹はオルザヴァの話を聞いて、二人に伝える。
「私は二人に復讐をやめて欲しい。でも私がもし力になれるなら……!」
オルザヴァはこの優しく勇敢な女性、七瀬美樹に深く共鳴している。柔らかい笑みを見せると、ジファにあとを託す。ジファはそれを受けて微笑むと、美樹の手を取り、「頂き」の奥の部屋へと彼女を連れていく。その瞳は鋭い輝きを放っている。
「さぁ、君が知りたい、もう一つ秘密が残っているだろう。それは俺の体がどうやって作られたかだ。俺の超人的な身体能力の謎。それを繙こう。来るといい」
オルザヴァは強い決意でジファの話を受ける。
「美樹嬢。ジファがいかに自分の体に負荷をかけてまで、私に協力してくれたか、知ってあげてください」
その言葉に促されるように、美樹とジファは「オルザヴァの部屋」の奥の扉を開いた。扉の向こうにあるその部屋は、ジファとオルザヴァ、たった二人のレジスタンスの本拠地だった。幾つも置かれた機械、装置類を前にして美樹は、オルザヴァとジファの孤独な闘いがイメージされて、口をつぐむしかない。
彼女は静かにその部屋を見つめていた。




