作られた体 6
そんな美樹の感傷に構うはずもなく、事態と時間は刻一刻と進む。メカが「時計塔の地下街」へ戻ると、二人は早速「美術館のアトリエ」へと足を運んだ。結果として、ここまで一方的に、ジファに連れられるままになっていた美樹だったが、少しだけでもジファを窮地から救う手助けが出来たと思っていた。それは美樹にとって居心地のいい感覚だった。
ジファも暗殺には手を染めなかったし、美樹も二人して何事かを成し遂げた充足感に満ちていた。そしてそのことにジファも決して悪い気持ちを抱いていなかった。
だが、「美術館のアトリエ」へ戻ったジファを待っていたのはローズの平手打ちだった。
三日に渡る不在、音信不通。ローズの表情はことのほか険しい。
ジファは身振り手振りで手術のことと、自分の無事をローズに伝えると笑みを浮かべる。ローズは余程、彼のことを心配していたのだろう。ローズは彼の屈託のない笑顔に戸惑ったのか、額に人差し指をあてる。
「とにかく、私は『掃討計画』の対応に追われているから」
そう言い残してローズはその場を立ち去る。ローズはジファの嬉しそうな顔を見て明らかに動揺していた。
ジファはジファで窓辺の椅子に腰掛けると、叩かれた右の頬をさすっている。彼は、ローズが自分のことを気遣ってくれていたのが嬉しかったようだ。そんな二人の関係、間柄を目にして、美樹は憧れに近い感情を抱いている。それはこの「ジファの世界」の人間が、痛ましいほど「真剣」に生きているのを感じたからかもしれない。
夕食時、美樹はジファに何気なく訊く。
「幸せがすぐ近くにあるの、分かってるんだ」
ローズの愛情。仲間に囲まれた暮らし。それは幸せの一つとして、充分であるようにも美樹には思える。だから美樹はそう尋ねた。
だがジファは口元を少し緩めただけで、何も答えない。彼は料理を心の底から楽しんでいるようだった。そんなジファを見て、美樹はやけに切なくて、胸が駆り立てられて、目を伏せるしかない。
身近な幸せの拒否。それはジファが背負った一つの十字架でもあった。
夜になり、ベッドに横になる美樹に呼び掛ける声が聞こえた。ジファの声だ。
「美樹、何が起きても、もう、悲しまないで」
その言葉は、ジファが「復讐」をやめないことを意味していた。と、同時に美樹を思いやるジファの心情を表わしてもいる。美樹はその言葉を手放したくなくて体を起こす。だがその途端、ジファが口にした言葉の余韻は、瞬く間に消えた。美樹に感傷などに浸る余裕さえ、少しも与えずに。
次の日、早朝に美樹は目覚めた。彼女はすぐに思い立ってベッドから飛び起きると、ジファの寝室の扉を開ける。
「ジファ!?」
美樹がそう呼びかけるも、ベッドは綺麗に整えられていて、ジファの姿はもうそこにはない。
「私にはジファはもう止められない」
美樹はそううなだれると椅子に腰掛ける。それは辛い現実だったが、受け入れるしかない。美樹に出来ること。それはジファの悲しみや痛みを和らげることだけだった。
美樹は、静かに瞳を閉じて、ジファの姿がイメージされるのを待つ。美樹はシールの効果がまだ残っているのを期待していた。
「お願い」
美樹がそう口にして、何度か瞬きをすると、うっすらと、とある光景が目に浮かびあがる。そこはジファのいる場所で間違いなさそうだ。
ジファは綺麗に刈り取られた芝生を歩いている。彼の足元にはなだらかな起伏がある。
「ここは、どこだろう」
美樹は、場所を特定するためにも、しっかりと情景を胸に刻み込む。美樹に見える、ジファの視線の先にはポールが立っている。そのポールから、美樹はそこが「ゴルフ場」だと朧げに分かった。
ジファはグリーン横のバンカーに歩み寄っていく。バンカーでは年老いた男がスイングしている。後ろに撫でつけた男の髪は白銀に染まっている。男は軽装で、何か武装しているという気配もない。何より、心からゴルフを楽しみ、有意義に余暇を過ごしているという印象だ。
ジファが、男に近づき、足を止めると男も手を休める。
白銀の髪を持つ男にはゆとりがあった。男はジファの訪問を喜んでいようでもある。男はジファに気さくに話しかける。
「ジファ。足はもう治ったのか」
ジファの口調も落ち着いている。ジファも男との対面を嬉しく思っているようだ。二人の話し振りから、ジファと男が旧知の間柄でもあるのが美樹には分かる。ジファは男の問いに答えると、世間話をするような口振りも見せる。
「ええ、おかげさまで。ゴルフは老年期の趣味としては最適だ。頻繁に?」
男は楽しげに右手を軽くあげる。
「忙しくてここ十数年クラブは握ってない。人生の終わりくらい好きなスポーツに打ち込もうと思ってね」
男の穏やかな様子は変わらない。
「それにしても見事だった。君を貶める計画は完璧だった。それなのに、君へAMSOSIのエリートですら対抗出来なかった。素晴らしいよ」
その言葉から男性が、失敗に終わった「あの襲撃」に、何らかの関わりを持つ人物だと、美樹には分かる。ジファは素朴な疑問を口にする。
「先日と比べて、今日は行き過ぎるほど無防備だ。護衛どころか、キャディさえ付き添っていない」
男は身の危険を少しも感じていない。淡々としている。
「この年になると自分の引き際があらかじめ分かってね。役目が終わったと実感する時があるんだ」
加えて男は首を軽く横に振り、ジファに告げる。
「それに……、あの罠は私のアイデアではない」
ジファは、この老いてなお潔い男との会話に安らぎを感じているようだ。ジファは、本題に切り込むように、だが哀れむようにも彼へ訊く。
「ノマ・ゲルマノ。あなたは『AI』を使った陰謀に加わってしまった。あなたは変わってしまった。なぜだ?」
ノマ・ゲルマノ。ジファはたしかにそう口にした。そう。彼こそ、「あの時」、ジファが襲撃すべき人物、ノマ・ゲルマノだったのだ。彼は力の抜けたスイングで一度バンカーショットを決める。
ゴルフボールはグリーンを滑らかに転がり、ピンのそばに止まる。ゲルマノは深みのある声で、ジファに呼びかける。それは彼の諦念をも表しているようだ。
「ジファ、人間は変わるものだよ。変わらない人間などいない」
ジファは、ゲルマノの言葉に受けたショックを覆い隠し、冷たく言い放つ。
「それは悲しい考え方だ」
ゲルマノは、ジファの軽蔑にも構わず、持論を口にする。
「そう。私も悲しいよ。ジファ。私は変わってしまった。だが今はとても自由だ。年老いてこんな心境になれたのも何かの巡り合わせだろう」
ジファは、ゲルマノの今際の言葉をしっかりと聞き届けて、彼へ銃口を向ける。死に直面しながらも、ゲルマノは全く動じずに、自分の考えを披露する。
「それに君は科学と政治の関係について詳しくない。科学者でさえ政府に仕える蟻でしかない。役目を終えれば、死を迎える」
ジファの心は落胆で満ちている。ジファはゲルマノへの愛慕の念を滲ませる。
「あなたは素晴らしい思想家だった。だが『AI』、そして『怪人』があなたを無力にしてしまった。その凋落振りは痛ましい。残念だ!」
ゲルマノの瞳は穏やかなままだ。彼は静穏として応える。
「私もだよ。聡明な子、ジファよ」
ゲルマノはもう一度足元にゴルフボールを置く。
「この勝負……、君の勝ちだ。君は人生に勝利するだろう。さぁ、私に死の制裁を下すといい」
ジファは、ゲルマノの覚悟を見て取ったのか、最後にゲルマノへ訊く。
「私に科学の手解きをした、あなたは今どこへ?」
その問い掛けから、ジファとゲルマノがかつて教師と生徒であったこと、そしてジファが変わり果てたゲルマノに失望しきっていることが、美樹には伝わる。
ジファのひたむきな問いに、ゲルマノの顔へ一瞬だけ明るさが戻り、精気ある科学者としての姿が垣間見えた。だがそれは瞬時にして消える。
「今もって私の胸の内に息づいてるよ。決して消えはしない」
「それはせめてもの……、救いだ」
ジファはそう哀しげに口にして、ゲルマノへ引き金を引く。弾丸がゲルマノの体を貫き、彼は黄金色の砂に倒れ込んだ。バンカーの砂は赤い血で汚れていく。
その光景を目にしたのを最後に、美樹は目を開いた。
イメージから覚めた美樹の指先は冷えきっている。彼女は静かに両指先を絡め合わせ、祈りにも似たポーズを取ると、ジファが最後まで目的をやり遂げるのを今一度実感していた。
悲劇。それはまさに不可避的な悲劇そのものだった。




