多世界宇宙 6
それから一週間後。アトリエの寝室には柔らかい陽差しが差し込んでいた。美樹はベッドの上でここ数日の出来事を思い返す。
あの日、D852で、ローズとカザは、戦闘に勝利した。「酒場」に戻った二人は他のレジスタンスと連絡を取り合い、オフィスから出てくることはなかった。
そして美樹は美樹で、自らを鼓舞し、ジファに協力を願い出た。彼女は暗殺の現場にまで赴き、彼を止めるつもりだったのだ。
無謀な考え、無茶な覚悟。ジファには美樹の考えが手に取るように分かったが、彼女がジファを止めるのは、不可能であるのも知っていた。
だからジファはその願いを聞き入れた。彼は美樹を一人にする方が危険だと考えてもいたのだ。
「ついてきたいのならば、そうすればいい。君には選ぶ自由がある」
そう美樹を軽んじるように口にしたジファだったが、彼は暗殺のプランを美樹に話してもみせる。それは美樹が、ジファの足手まといになるのを避けるためだった。それでも美樹は美樹で、これ以上ジファが手を汚さないためにも、しっかりと本腰を据えて話を聞いた。
ジファの次の暗殺プラン。ターゲットは科学技術協会会長、ノマ・ゲルマノ。
ジファの話では、ゲルマノは研究所で隠遁生活を送っている。ゲルマノは三カ月に一度だけ自宅へ戻るという。総勢17名を誇る近親縁者と会食するためだ。ジファは目を鈍く光らせる。
「その時がチャンスだ」
ジファは自信に満ちている。自分のプランが破綻する可能性があるとは考えもしないようだ。
「決行は一週間後。美樹、約束通り君を連れて行く。そのためにメカの簡単な操作を覚えてくれ」
美樹はためらわず頷いた。それから一週間、美樹はメカの操作の方法を、ジファから手取り足取り教えてもらった。操作はジファのいう通り簡単だった。「AI」が操縦を手助けしてくれたからだ。これならば、覚えるのは車の運転くらいたやすい。
「楽勝ね」
ジファが教え、美樹が学ぶ。彼と彼女の奇妙な「コミュニケーション」は、美樹がしっかりと操縦を覚えるまで続いた。その「コミュニケーション」が終わったのはつい昨日のことだ。
そこまで思い返して、寝室のベッドに腰かける美樹は、思いっきり背伸びをする。そう、今日が、美樹とジファの決行の日だったからだ。美樹は寝室を出ると「アトリエ」のジファに挨拶する。
「おはよう。ジファ」
「おはよう。美樹。準備はいいか」
「もちろん。行きましょう。ジファ」
「ああ」
ジファはそう応えると、美樹を連れて格納庫へ向かう。ジファは当然のこと、美樹がメカに触れるのは、もう手慣れたものだ。二人がメカに乗り込み、一度軽いコンタクトを取ると、メカは格納庫を飛び出し、大空へ舞い上がって行く。
ジファは試しにハンドルを美樹に委ねてみる。美樹の実践を手助けするためでもある。ジファは彼女の手の甲に右手を乗せて、メカのバランスを取る手助けをする。
「そうだ。その調子だ。美樹。よく出来てる」
「ありがとう。ジファ」
そのぎこちもなくも、儚げなやり取りを目にして、温かな面影を残す時計塔は、二人の視界から消えて行った。
メカはやがてゲルマノの帰宅ルートの一角に着いた。ジファはメカをビルの屋上に移動させる。そこからは辺り一面の様子を見渡せる。
「ここから決行の場を一望出来る。準備は万端というわけだ」
そう得意げにジファは言い切った。ジファの言葉がたしかならば、あとはゲルマノの車が来るのを待つだけだ。ジファは気を引き締めて、計画を手短に美樹へ伝える。
「ゲルマノはいつも助手席に座る。俺はボンネットに飛び移り、ガラスを破って、目的を遂げる。邪魔だけはしてくれるなよ」
「いいえ。止めてみせるわ」
ジファは、この気丈な「美樹」という女性の眼差しを見て、軽く口元を緩ませる。ジファは美樹をやはり軽んじているようだ。ジファは美樹から視線をそらすと、屋上から遠くを見つめる。美樹は彼に口を開く。
「止めてみせるわ。どんな方法を使っても」
「無理だ。言っただろう? 止めるのは不可能だと」
ジファの答えに美樹は、何かを伝えようとしたが、口をつぐむ。またも美樹の頭をよぎる、自分の「非力」さ。それが情けなくて、悔しくて美樹は唇を噛む。
やがて時間は刻一刻と過ぎ、1:35。ゲルマノの公車が来る時間になった。現れたゲルマノの公車は、三台の警護車に護られている。
それを見咎めたジファは、一度大きく息を吸い込むと、コックピットから身を乗り出す。その瞬間、意を決した美樹は、彼の腕を引き留める。美樹の目は強い叱責の念で満ちていて、ジファに後悔を促すようでもある。
だがジファは、一度顔を左右に振り、美樹の思いが通じないことを告げると、彼女の手をほどく。そして彼はゲルマノの車目がけて飛び降りていった。
美樹は、ジファをやはり止められなかった痛恨の想いにさいなまれ、ジファがまたも自らの手を汚すのを知り、両手で顔を覆うしかない。だが美樹はせめてもの勇気を振り絞り、ジファの行く先を見据える。
「ジファ」
そう美樹が呼びかけたジファは、凄まじい勢いで公車のボンネットに飛び乗る。その衝撃でボンネットは激しく窪む。車はバランスを失い走っていく。タイヤが掠れる音を激しく響かせる公車。アスファルトが焦げる匂いさえ立ち込めそうだ。
車に貼りついたジファが、フロントガラスに手を振り上げた瞬間、残っていた「シール」の作用だろうか。美樹は彼の目にする光景をイメージ出来た。
ジファはガラスを一突きで粉々にすると、助手席に目を向ける。そこにはゲルマノがいるはずだった。
その瞬間、小さな呟きがジファの口から零れる。
「いない!」
ゲルマノが座っているはずの、助手席には細身の黒服の男が、運転席には大柄な男が座っている。ゲルマノ、いや、彼らはジファの襲撃を予想していたのだ。
ジファが息つく間もなく、大柄な男がジファの胸ぐらをつかみ、車内に引きずり込む。そして細身の男が弾丸をジファ目がけて放つ。ジファはすかさず飛びのく。
だが狙われた胸元をかわしただけで、弾丸はジファの右足を貫通する。
「うがっ!」
その様子は美樹にもはっきりと見てとれた。
ジファはうめき声を上げて、二人の「刺客」を押しのける。続けざまボンネットから舞い上がる。細身の男が幾度も発射する弾丸を、ジファは軽やかにかわしていく。
それと交差するようにして、ジファと美樹が警護車だと思っていた車は、二足歩行型のマシンに変わる。
「ジファを! ジファを助けなきゃ!」
屋上で待つ美樹は、「暗殺を止める」という当初の目的さえ忘れて、ただただ無心にそう叫ぶ。すぐにコックピットを開ける彼女の動きは、無意識といえるほど、スムーズでスピーディだ。美樹はひたすらジファを助けたい。その一心だった。
ジファは、コックピットに乗り込むと美樹に指示を出す。
「美樹、後部座席に『細胞修復膜』がある。例の薄いフィルムだ。それを俺の右足にあててくれ! マシンの相手は俺がする。……早く!」
美樹は、急いで「修復膜」と書いてあるフィルムを、ジファの右足の傷にあてる。ジファはジファで冷静に敵機マシンに向かい合う。
ジファは敵機の放ったレーザーを軽やかにかわすと叫ぶ。
「マシンを一突きにする!」
敵機である二足歩行型のマシンにも、優れた操縦者が乗っているであろうことが、美樹にも分かったが、何らかの「手」をほどこされたジファの技能が、一枚も二枚も上だった。ジファがトリガーを引くとレーザーが放たれ、敵機を貫く。敵機はなすすべもなく炎上していく。
ジファはメカを遥か遠方に移動させ、呼吸を整えていく。彼は痛みで下唇を噛む。美樹の心は、暗殺へ向かうジファを止められなかった想いよりも、今はジファを気遣う気持ちで占められ、ジファの体をひたすら労り、思いやるばかりだ。美樹はジファにこう呼びかけるしかない。
「ジファ、きっと大丈夫だから! 足だって義足をつければ……! だから!」
狼狽し、激しく動揺する美樹を差し置き、ジファはコックピットに背をもたれると、ふっと笑みを浮かべる。彼の息は落ち着きを取り戻している。
「義足? 美樹、この時代で医療技術はどれだけ進歩してると思う? 行こうか。科学の一つの『到達点』へ」
美樹は、自信に満ち溢れたジファの表情を見て、畏敬にも近い感情を覚える。ジファはハンドルを握り、メカを北東へ向かわせる。それはジファと美樹の旅路が次なるステップを迎えた証でもあった。やがて気持ちも鎮まってきたジファは右足の傷に手を当て、一言美樹へこう感謝を口にした。
「美樹。ありがとう」
美樹は、彼のお礼に何も返せない。ジファはそんな美樹をしばらく見つめて、やがて視線を外すと、遠方の白い雲と青空に目を向ける。彼の瞳はとても穏やかだ。ジファは誰にいうでもなく口にする。
「こういうことも、たまにはあるさ」
自らの命が危険に晒されるほどの出来事だったのに、失敗を失敗とも捉えないかのような、余白のあるジファの独り言を背にして、メカは都市部から遠く離れ、とある「コミュニティ」へと向かっていった。




