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ファントム 1

 美樹の自宅は、マンションの小ぶりな一室だ。帰宅してベッドに横になった宙夜は、眠たげな目をこすり、美樹にせがむ。


「時計塔のお話をしてよ」


 離婚して以来、美樹は毎晩、自作の寓話を宙夜に話して聞かせていた。美樹は宙夜の頭を撫でると、「時計塔のお話」。「時計塔に眠る怪人」を話して聞かせていく。

 それは「オルザヴァ」という名の怪人と、少年「ジファ・セラヴィナ」の物語だ。美樹はその時、ふと気づいた。「ジファ」。その名前は、今夜、美樹の声が胸の内で呼びかけた名前と同じだったことに。

 美樹は奇妙な既視感を覚えながらも、その気持ちを振り払い、物語を始める。


「少年、ジファは今日も闇夜に紛れて時計塔に忍び込みます」


 美樹は宙夜を惹き付けていく。宙夜は、多感な男の子のそれ、そのものの眼差しで話を聞いている。


「時計塔の一室から男の声が響いてくる。『少年、澄みきる魂。お前は誰だ?』と」


 宙夜は息を飲む。美樹は一拍置いて、言葉に力を込める。


「そう問いかけた彼こそ、時計塔の主、『怪人・オルザヴァ』だったのです」


 美樹が、視線をやると、疲れからだろうか宙夜はもう眠っている。美樹は宙夜に毛布をかけて、今日自分の身に起こった不思議な経験に思いを巡らせる。「不思議」。そう形容するに相応しい出来事だった。だけどそれがなぜ起こったのか考えても答えは出ない。美樹はそう納得すると、彼女自身も深い眠りに就いた。

 翌朝、美樹の執筆オフィスでは、編集者の芳賀が資料を集めている。執筆する美樹だが、昨晩からの体の変調からか、その時彼女は、不意に視界がぼやけた気がした。


「あれ? なんだ、これ」


 そして美樹が頭を抱えた瞬間、ガラスの割れる音が彼女の胸に響き、彼女の耳をつんざいた。美樹は耳をふさいでうつむくしかない。次の瞬間、彼女が瞳を閉じると、「執筆オフィスの光景」は彼女から遠く離れていく。


 ……気がつくと、美樹は見たこともない景色、見覚えのない光景の、見知らぬ街に放り出されていた。街路に人影はほとんどなく、人の気配すら感じられない。

 彼女は戸惑い口から零す。


「ど、どういうこと? ここは?」


 美樹は何が起こったのか全く分からない。彼女は動揺しながらも、足を自然と動かし、前へと進む。とりあえず動く。美樹はそういう女性だ。

 街をしばらく歩いた美樹は、前方の大きな交差点に白いシャツ、黒いジーンズ姿の青年がいるのを見つけた。気が動転して、意識が朧になりながらも、美樹は素早く記憶を辿っていく。


「彼。あの人、どこかで見た覚えが」


 黒いジーンズの青年は、人差し指を立てて、誰かを挑発している。青年の近くからは鉄のきしむ音もする。美樹は独り言のように口にする。


「とりあえずこの街がどこなのか。彼に訊いてみよう」


 危機感の薄い美樹は、考えなしに青年へと駆け寄っていく。だがその次の瞬間、青年の表情が一気に硬くなり、顔つきが一変する。

 美樹は自分の軽率さに気づき、少し落ち着いて辺りを見渡した。

 すると青年の周囲、交差点周辺には、戦車や機動隊が並んでいるのが見える。軍隊と思しき彼らは、青年をターゲットにしているようだ。美樹はたまらずに声をあげる。


「ちょっ! 何これ!」


 美樹の声と交差して、大砲の音が響く。21世紀初頭の日本ではあり得ないシチュエーション。美樹が地鳴りで体のバランスを崩し、耳を塞いでいると、青年は美樹に駆け寄り、彼女の体を抱きあげた。美樹は叫ぶ。


「ちょっと!」


 美樹を抱きかかえた青年の体は、地面すれすれを飛んでいく。「滑空」。まさにその描写が相応しい。青年は砲弾をかわしていくと、空に舞い上がった。

 空を軽々と飛ぶ青年。抱き抱えられた自分。ファンタジックでもある情景に美樹は戸惑う。彼女は風にあおられながら、青年に視線をやる。青年の黒髪には銀髪が交じり、右目は赤い色をしている。

 美樹自身、どこか見覚えのある風貌の青年を見ていると、青年は美樹に語りかける。


「避難勧告が出ていたはずだ。君は自分の身を守る気がないのか。君も例にもれずシステマティックピープルの一人か?」


 青年の瞳は厳しい。美樹は心を鎮めて、眉をひそめて彼へ尋ねる。


「ここ……、どこ? あなたは? 命でも狙われてるの?」


 青年は、美樹の素性には関心なさそうに早口で答えていく。


「ここは第七新都だ。戦争のまっ只中にある。俺はレジスタンスとして政府に登録されている。暴徒の一人というわけだ。これで理解出来たか?」


 青年の答えは、相手を配慮しない紋切型のものだ。美樹は美樹で、不安や動揺よりも好奇心が先に立つ女性だ。当然彼女の疑問は収まらない。美樹は立て続けに青年に訊く。


「あなた、名前は? 今は西暦何年? 東京はどこ? あなた、もちろん東京は知ってるわよね?」


 空に舞い上がる青年は、涼しげに遠くを見つめる。


「西暦? それはいつの時代の話だ。今は……、OLG167年だ」


 美樹は手で口元を塞ぎ、思わず耳を疑った。「OLG」。それは彼女が以前自作の小説で使った年号だったからだ。訝しむ美樹をよそに青年は答える。


「東京。東京は知らないな。ただ自分の名前は知ってる」


 透き通る風が吹き抜けて、美樹と青年を包み込む。


「俺の名はジファ。ジファ・セラヴィナ」


 青年の言葉を耳にして美樹は声を失う。鳥たちが翼を羽ばたかせて、遠のいていくのが、美樹の目に映る。

 美樹は自分の寓話、「時計塔に眠る怪人」と、「この世界」の不思議な一致を前にして、目を丸くするしかない。


「同じ名前。一体なんなの、これ?」


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