冷たい血 4
美樹は駆け足で酒場に着くと、バーカウンターに身を乗り出す。美樹は、声高にウェイターに呼びかける。
「ローズ! ローズ・ジニーはどこ? 彼女に会わせて!」
ウェイターは、激しく感情を取り乱す美樹を見て、一瞬戸惑ったが、すぐにいつもの取り澄ました表情に戻り、職務に準じる。彼は口止めされているのだろう。美樹には一切取り合わない。そう。それがこの「酒場」のルールだ。
美樹が、そのルールに抗うように、何度も大きく声をあげていると、カウンターの奥から一人の男が現れる。年は三十くらいだろうか。男は軽装に身を包んでいる。
美樹は「その男」を目にすると、つい咄嗟にこう口に出してしまった。
「あなた、名前はカザ・ノルティね。ローズとジファのクラスメート。趣味は天体観測」
男は初対面の女性、しかもついさっきまで、甲高い声でウェイターへ喰らいついていた女性が、途端に冷静になって、スラスラと喋りだしたので、面食らいながらも返事をする。
「お、おお、大部分は外れだが、名前だけは合ってる。良く分かったな。お嬢さん」
美樹は名前がまたしても当たったことに嬉々として、カザに忠告をしていく。
「あなた、ローズに気があるからって、ジファに嫉妬しちゃダメよ。ローズとジファは固い絆で結ばれているんだから」
「俺がジファに嫉妬? まさか」
カザは会って間もなく、事情を知った様子で、見当はずれなことを口にする美樹に、苦笑いを浮かべるしかない。
美樹はある程度、自分の思いを吐き出して、我に帰ったのか、すぐに話をもとに戻すと、カザに訊く。
「そんなことより、カザさん。あなた知っているでしょう? ローズの居場所を。ローズはどこ? 私を彼女に会わせて」
カザは洒脱な男だが、一大事に対しては冷静な男だ。美樹から事情を一つ一つ聞くと、自分なりの考えを美樹に伝える。
「ジファが人を殺した? 彼には彼のプランがある。俺達には関係ない」
その冷淡にも取れる受け答えを耳にして、美樹は顔を真っ赤に晴らして、両腕を振り下ろす。
「関係ない? ローズとジファは親友、それにカザ、あなたも友達じゃないの? 親友が人を殺してるっていうのに。関係がないって言うの?」
美樹の反駁にもカザは平然としている。
「ああ、関係ない。俺達は反戦組織だ。個人的な復讐には関わらない」
美樹は思わず怒って大きな声をあげる。
「呆れたわ! 人殺しの一つも止められなくて何が反戦よ! 私をローズに会わせて!」
美樹の激情にもカザは困ったように応じるだけだ。
「そういわれてもね。慎重に事は運ばないといけないんだ」
美樹は身を乗り出し、せがむように、もう一度カザへ頼み込む。
「お願い。カザさん」
美樹のひたむきな瞳を、カザはしばらくじっと見つめている。カザに特別、感情の起伏はない。だがカザは直感的な男だ。人の性質を一目で見抜く特有の力をも持っている。カザは瞬時、考えたのち、美樹の人間性を認めたようだ。彼は口を開く。
「……分かった。君を信じて、ローズの『オフィス』に案内しよう。ただし、誰にも『その場所』を言ってはいけない。それに、知らせてもならない」
カザに自分の思いが通じたのを察したのか、美樹は息を飲んで、頷く。
「もちろん」
カザは、美樹を信頼したのか、彼女をバーカウンターの奥へ招き入れる。カザは美樹を連れて、隠し通路を通ると、ローズの「オフィス」へと向かう。ウェイターの「よろしいので? カザさん」という問い掛けには、カザは一言「ああ、大丈夫だ」と答えるだけだった。
やがて通路を長らく歩いたその先に、ローズのオフィスがあった。指紋照合で開くようになっているのか、センサーにカザが手を翳すと扉が開く。美樹はカザの案内で、初めてローズのオフィスに足を踏み入れた。
ローズのオフィス。そこは薄暗い電灯で照らされている。部屋の奥のデスクにはディスプレイが置かれていて、デスクの前の椅子にローズが腰掛けている。
ローズは人の気配をすぐさま感じたのか、振り返るとカザに尋ねる。眼鏡をかけた彼女は、美樹を目に留めるも、淡々としている。
「何? どうしたの? カザ。急に」
ローズは、カザが美樹を連れてきたことに、特段不満を感じてはいないようだ。カザは、いつもの調子のローズを見ると、事情を説明する。事と次第を知ったローズは頷いて、優しく美樹に語りかける。
「美樹。ジファと私達はお互い干渉しないように決めてるの。彼は私達に協力しないし、私達も彼に口を出さない。お互いイーブンな関係で心地よく過ごしているのよ。これで理解出来た?」
冷淡にも聞こえるローズの言い分。それは、生き死にをかけた「闘い」に身を委ねる者同士。その距離感が最適かもしれない。だが美樹は、その冷たさにたまらず反論する。
「あなた達、友だちじゃないの? 彼を助けてあげないの?」
ローズは美樹の主張に耳を傾ける。美樹は口を尖らせて、ローズを咎める。
「イーブンな関係? 何言ってるの? ローズ。あなたの心はまるで機械みたい。軽蔑するわ。正直」
ローズは口元に指先をあてると返答する。それは彼女が反戦運動のリーダー格であるのを表わしていた。
「美樹。私の心は機械じゃないわ。何より私は組織の模範でなければならないの。私情に流されて、勝手気ままな行動を取ることは許されていない。そこは分かって」
美樹は、理にはかなっているが、ローズの格式張った答えに、ついには痺れを切らす。美樹は覚悟を決めたように両の拳を握りしめる。
「分かった。私一人でもジファを助けに行く。彼、優しい人なのに人を殺してる。これはきっと何かの間違い、過ちだわ。私が彼を止めてみせる」
意気軒昂となった美樹は、感情を露わにする子供のように、ローズへ畳みかける。
「私のイメージしてるローズは、もっと優しくて友達想いだった。がっかりだわ! 組織の模範がどうこう。そんなことをいう人じゃなかった。もっと情熱的な人だったのに!」
ローズは、軽く罵声を浴びせる美樹を、静かに見ているだけだ。まるで駄々っ子のように駆け出し、オフィスを出ようとする美樹の手を、カザが当然のように引き留める。カザは美樹の思いやりに感銘はしているようだ。カザは美樹に訊く。
「どこへ行く!?」
「決まってる。私だけでもジファを助け出す」
カザは手を広げて呆れるというより、当惑さえしてみせる。
「何を言ってる? 武器も持たない。ジファの居場所も分からない。君一人で何が出来るっていうんだ」
感情的になった美樹はもう止められない。彼女はカザの手を振りほどいて大声をあげる。
「離してよ!」
するとここまで無言を通していたローズが、ついに口を開き、美樹に呼びかける。それは先のローズの態度とは違うものだった。
「いいわ。いらっしゃい。あなたの気持ちは分かったわ」
「分かった……、って?」
美樹がそう問うと、ローズは軽やかな笑みを浮かべる。
「あなたの気持ちに応えよう、ということよ。私も、ジファを助けるのを手伝うわ」
「ローズ!」
美樹はそう大声をあげて、ローズが心ある女性であるのを、今一度感じ取り喜ぶ。彼女の「時計塔に眠る怪人」のローズもそういう女性だったからだ。ローズの決意した眼差しを見て、美樹の気持ちは徐々に鎮まっていく。美樹は感謝の言葉を口にする。
「ありがとう。ローズ」
ローズは感傷に浸る女性ではない。一瞬だけにっこりと微笑むと、美樹をすぐさまデスクに招き寄せる。ローズは美樹の話を引き出し、それをヒントにコンピューターで調べ始める。ローズは美樹に再度訊く。
「あなたの話は切れ切れね。手掛かりは?」
「ジファは、相手の名前をドージと呼んでいた」
「それで充分。ドージ。ドージ・カルメロね。彼は科学技術協会のスポークスマンよ。他には?」
ローズはキーボードのキーを叩き、美樹は記憶を辿っていく。
「湖が部屋の真ん中に。それと紺碧色の光が灯っていた。あと植物がたくさん……」
その話を聞いてローズは返す。
「湖が部屋の中央に。大体見当がついたわ。場所は科学技術協会内ね」
ローズは幾つもの部屋をモニターに映し出していく。すると美樹に見覚えのある部屋が見つかった。美樹は思わず叫ぶ。
「ここ! ここだ!」
ローズは、話をまとめながら説明する。
「ドージの第三執務室ね。リラクゼーションルームの一つ。植物があるのは、彼がエコロジストだからよ」
場所が特定できたローズは、無駄な動きなど見せはしない。彼女は急いで立ち上がり銃器庫の扉を開く。ローズは武器を装備し、美樹にはレイ・ガンを手渡した。ローズは息を潜めて、ひっそりと美樹に伝える。
「武器の一つや二つは必要よ。それにあなた、彼のこと、好きなんでしょう?」
突然、そう訊かれて、美樹は当惑し、しどろもどろになった。美樹はもちろんジファのことが嫌いではない。好きといえば好きだが、ローズのいう「好き」とはまた違うような気もしていたからだ。
「えっ、いや。そんなんじゃ……」
取り繕う美樹を見て、ローズは微笑ましげた。ローズはこの感情豊かな女性、七瀬美樹に好意を持ち始めているようだ。ローズは武器を装着すると、意を決する。
「行くわよ。彼を助けに」
「はい!」
美樹はそう応えて頷いた。その返事に満足したようにローズは、カザと美樹を連れて酒場の地下へ、とある「フロア」へと向かった。