32話 少女の最期
貧民街での決戦。王都で起こった反乱。それを引き起こした首謀者に繋がる敵の一人。
魔族の力を取り込み狂人と成り果てた少女に追い立てられ、行き詰った先に彼らが見出したのはたった一つの賭けだった。
もしも失敗すればシュウとミルは必ず殺される。
綱渡り状態だ。
だが、シュウに恐れはあっても臆することはない。
なぜなら、何度だって経験してきたではないか。
今まで勝算のあった戦いなど、数えるどころかほんの数回だ。
だから、これはいつもの通り。いつものように勝算のない戦いに挑み、賭けに命を懸ける大馬鹿者の叫びが上がる。
「さあ、世界一危険な賭けを始めようぜ」
残虐の咆哮を謳う少女に、勝負を挑むのだった。
「貴方一人だけ?」
貧民街を歩き回り、若干だが疲労の色が見え始めている少女はつまらなさそうに呟いた。
「ああ。ミルは今頃他の協力者を呼びに行ってるよ」
「嘘。私の精霊達が教えてくれるの。あのお姉ちゃんは今貧民街のどこかでとどまっている」
シュウの嘘を一瞬で見抜き、淡々と語る。
「ねえ、何を企んでるの?」
「言うとでも?」
「──取りあえず喋れないようにするね?」
イラついたように声を上げ、精霊達がにわかに動き始めた。
彼らの体が閃光を帯び、大量の魔力を収束していく。
「じゃ、行動開始といくか」
それを見届け、シュウは少女の前から背を向けた。
勿論逃げるためだ。この場に残ったシュウでは、所詮精霊の魔法に対抗する術はない。
では、なぜここに残ったか。
シュウが戦場に残ることなど、一つしかない。
囮。ミルが作戦を実行するまでの時間稼ぎが主だ。
恐らくではあるが、子供の扱いであればシュウの方が上手い。
「──逃がさないから」
冷たい声音が背後で響き、同時に暴虐の風が横を吹き抜けていく。
風は横を抜け周りにあるものを飛ばし、シュウに小細工が出来ないような環境を作り上げていった。
様々なものが空中に舞い、路地裏に立て掛けてあった板がシュウの頭上を覆う。
「うおおおっ!?」
上を見上げ、危険を悟ったシュウは躓くように前転。
結果体の各所を地面に打つ事態となったが、押しつぶされるよりはマシだ。
「──お兄さん、逃げるの上手いね。どこかで練習でもしてきた?」
「したよ、命がけのな!」
少女の感嘆する声に、シュウは叫んで答えを返した。
思い返すはミノタウロスとの地獄の追いかけっこ。生か死の文字通り命を懸けた戦いだ。
その時の感覚が、肌を打った緊張感が、自然とシュウの足を動かしていく。
「でも、残念」
「──っ!?」
貧民街の大通りを目指し進むシュウだったが、少女の精霊の魔法が建物の上層を崩し通路を塞ぐ。
頭上から降り注ぐ瓦礫に気づき退路が塞がれたことを知り、方向転換──思い切り横に転がった。
シュウが横へ飛び退いた数秒後、凄まじい爆音を響かせながら瓦礫が落下する。
「──くそ!」
退路は塞がれた。
ミルとの合流地点までへの一つ目の通路は消えてなくなった。
このままでは、全部同じだ。
シュウが大通りに行こうとするたびに建物を壊され、通路を阻害する。
「さあ! もっと遊んで!」
狂気を瞳に宿し、顔を歓喜に歪めながら嗤う少女。
「一人で遊んでろよ、チクショウ!」
その場に留まり続けても意味はない。
そう判断し、奥へと続く路地へ向けて走っていく。
だが、根本的な解決にはならない。
そもそも大通りに繋がる路地など限られている。このまま行けば、大通りに繋がる道は何もかも潰され、袋小路になるだけだ。
解決策はないか。
どこかに、抜け道はないか。
精霊の攻撃を必死に躱し続け、脳をフル回転させる。
──この道、どこかで?
少女から逃げながら、どこか既視感の強い路地に入っていた。
そう、確か、あの時は──。
「まさか……! だったら、こっちだ……」
既に限界を通り越した膝を更に酷使し、記憶にある道のりを辿る。
かつて、シュウが王城へ行く前の一日前。
今はもういないアスハという少女と追いかけっこに興じた路地。
そして、彼女は言っていた。
自分は大人達にすら知りえない細い道を通り、貧民街を移動していると。
恐らくではあるが、シュウを追いかけてきている少女は路地を詳しく知らない。
又聞きなのだ。
反乱を起こした大人達に聞いたものを精霊達がインプットし、少女を導いている。
であれば、大人達の知らない道は知らないはずだ。
結局、これも勘だ。
直感でしかない。
だが、これに身を委ねるしかない。
自らの狙いを悟らせないように、入り組んだ路地をでたらめに走り抜けていく。
「? どこに行くの──?」
狙いが読めないシュウの動きに、少女は思わず疑問の声を上げた。
一度しか通っていない道だ。
未だ王都の道すら覚えていないくせに、それでもこの局面だけは頭に思い浮かんでくる。
「うおおおおッッ!」
一人の少女との追いかけっこで学んだ知識を総動員させ、思い切り駆け抜ける。
「──させないよ?」
再び、ドンッッ!! と上空の建物が音を立てて崩れ、飛来物がシュウめがけて落ちてくる。
だが、シュウも引き下がらない。
「くそったれがあああ!!」
滑り込むように瓦礫の下を潜り抜ける。
シュウが落ちてくる場所を僅かに潜り抜け──。
数秒後、大きな落下音を響かせながら道を封鎖した。
「はあ……はあ……。死ぬかと思った……」
膝に手を付け、瓦礫を眺めながらシュウはそう呟いた。
ギリギリだった。
後一歩、判断が遅れていればシュウは確実に死んでいた。
だが、ここで立ち止まるわけにはいかない。
作戦実行の場所までは少し距離がある。
そこまで誘導することがシュウの目的だ。
震える膝を叩き、前に向き直る。
そして指定の場所へと走ろうと地を蹴った次の瞬間。瓦礫が全て吹き飛ばされ、あちこちに破片が飛んでいく。
そこから這い出てくるは、精霊を従わせる少女だった。
「こんな道があったんだね……。知らなかった。でも、次は逃がさないから」
手を無造作に振り上げ──シュウへ向ける。
それと同時に、精霊に魔力が集まっていき──。
「──っ!!」
事前にこれから起こる現象に気づき、少女の指す延長上から外れた。
直後。
大気を割る砲弾──魔法の矢がシュウの黒髪を何本か持っていき、後方では魔法が炸裂。
その一帯の地形が抉り取られる。
「な──!?」
絶句するしかない。
微精霊だけでこの威力だ。
これが上位の精霊であれば、恐らく王都など一撃で沈む。
「ねえ、お兄さん。逃げられると思う?」
「いや、思わねえ」
少女のしてやったり顔に、シュウは引きつった笑みを返すしかない。
「じゃ、そろそろ飽きてきたし──終わらせよっか」
少女は背筋を伸ばし口を大きく開けて──欠伸をしながら、そう言った。
シュウにとって命を懸けたそれでも少女にとってはゲームでしかない。
遊びなのだ。どれだけシュウで遊べるか。
確かに少女はシュウを殺す気がないかもしれない。だが、信用できる要素など何一つない。
今この場をシュウを捉えただけで収まるか、いいやそんなことはあり得ない。
彼らは暴虐の限り人々を傷つけ、悲しみに沈ませていく。
ここで捕まるわけにはいかない。
だから。
「──まだ、するの? 飽きてきたって言ったよね?」
少女から背を向けて逃げ出すシュウの姿を見て、呆れたように呟いた。
何と言われようと構わない。弱虫と罵られようと知ったことではない。
この戦況で大事なのは、生き残ることだ。
どこかであった黒髪の少女もそう言っていた。
少女が失望した瞳でシュウを追いかけ、路地に入ろうとした時。
「──え?」
一瞬だった。ドンッッ!! と。
瓦礫が少女に降り注ぎ、潰された。
血が周りに飛び散り、肉片が舞った。
誰もが分かる。絶命した。
これで駄目なら、もう脳筋的な作戦しかない。
そんなことを考えつつ、上空から降りてくる金髪の少女──ミルの傍に歩いていく。
「とりあえずは、何とかなった?」
「ああ。流石にこれで生きててたら……正直、きつい」
だが、そんな彼らの期待を裏切るように。
ごとり、と。瓦礫の一部が動く。
「ふふ」
くぐもった声がシュウとミルの耳を打つ。
「あははははははは!!!」
全身から血を垂らし──未だ再生が追いついていない状態で、少女は確かに笑った。
「もっと! もっと頂戴! 刺激を、私が求める強くて激しい刺激を!!!!?」
シュウを見つめ、狂気に捻じ曲がった誰かは叫んだ。
「狂っていやがる……」
「──シュウ。次の作戦に」
焦点の合っていない虚ろな目で、こちらに向かって来る少女を前に二人はもう一つの策を実行しようとする。
シュウが練った作戦はこうだ。
まず、全身を怪我状態にする。つまりは回復が容易でない状況に陥れるのだ。
そして、もう一つ。
前の作戦で駄目なら、回復に専念している間に少女の弱点であろう胸を打ち抜くことだ。
これがもしも外れているのなら、もう手はない。
全ての希望を乗せて、ミルの手に握られている銃口──その直線上に、少女の胸が入った。
閃光が銃口から発せられ、爆音が二人の耳朶を打ち──。
「──あ、ああ……?」
銃弾がめり込んだ。
貫かれた胸から大量の血が零れ落ち、遅れて少女は自らの胸を手で触れる。
ぐらり、と。
少女の体が、揺れた。
「まだ……終わらな、い……。まだ……」
だが、倒れない。
風に揺らされる木の枝の様にか細い体は、足に力を込め倒れることはなかった。
全身から血を滴らせ片目を失い、それでもなお折れない。
その姿に、思わずシュウは後ろへ下がってしまった。
「あは……は、はは……ははははははは‼‼‼‼」
狂気を宿した少女は傷ついた痛みなど気にせず、ただ嗤う。
ミルがその姿に顔を歪ませ、シュウの顔が恐怖に染まる。
一歩ずつ近づき、その手をシュウに触れようとして──。
「あ、ああ……?」
ドスッ、と。
鈍い音が目の前の少女の胸辺りから響いた。
壊れたロボットの様にギチギチと首を動かし、音源を見て──。
剣が突き刺さっていた。
それを、シュウは見た事がある。
『大英雄』が使っていた剣。圧倒的な切れ味を誇る業物であり、澄み切った刀身が見えていた。
たっぷり数秒、時間をかけ少女の瞳から光が失われる寸前。剣が抜かれた。
穿たれた穴から夥しい量の血が流れだし──地面へと落ちていく。
今まで倒れることのなかった少女が、栗色の髪を揺らし──倒れた。
その後ろにいたのは、やはりダンテだった。
ダンテは剣を振り回し、こびりついた血を払い落とす。
ダンテと少女、その間を何度も繰り返し眺めながら、最終的にシュウは少女の最後を見た。
惹きつけられたのだ。自分を苦しめた敵の最後に。
少女はただ何かを求めるように手を上空に伸ばして。
掠れた声で、呟いた。
「お兄、ちゃん。どこ……? 暗くて、何も見えないよ……」
それだけで、終わった。
伸ばした手はただ虚空を掴み、地へと伏す。
シュウを苦しめた敵の末路。だが、その心には快感も、爽快感もない。
ただシュウの心に寂寥感だけを残して、反乱を収めるための戦いは終わったのだった。




