幕間 シルヴィア・アレクシア
最初は憧れていた。
圧倒的な力で誰かを笑顔にする父に。
だからこそ、強くなりたいと願った。
◆◆◆◆◆◆
シルヴィアには家族と呼べる誰かはいなかった。
小さい頃のことはあまり覚えていないのだが、そこでもシルヴィアの記憶の中には両親は映っていなかった。
唯一覚えているのは世話をしてくれたおばさんと、桃色の髪の母親代わり。
料理を作ろうとして何度も調味料を間違え、男の人から怒られているのを見た。
茶髪の男性でお母さんと一緒にいた男の人。
それが覚えている限り、後に『大英雄』と呼ばれるダンテとの初めての邂逅だった。
ダンテはいつだってシルヴィアの家に入り浸り、家族の様に接していた。
それがいつからか、彼を父親と勘違いするようになっていった。
『ねー、お母さん』
『何? シルヴィア』
いつか聞いてみた事がある。あれは確か、朝食を食べているときのことで、ダンテが珍しく来なかった時のことだ。
『今日、お父さんは来ないの?』
今にしてみればかなりの爆弾発言だった。
実際、お母さんは飲んでいた飲み物を吹き出して顔を真っ赤にしながら否定を始めていたものだ。
『な、なななな何を言ってるの!? あ、ああ、あの人は父親なんかじゃなくてっ!」
『そうじゃないの? お母さんと、その、ダンテさんが仲良さそうにしてたから……』
『えっ……いや、だからね、シルヴィア。その、あの人とは別にそういう関係じゃ……』
『邪魔するぜ。アリサ……って、なんで顔が赤いんだ?』
『なっ!? た、タイミングが悪い……』
仲が良かった二人と、一緒に暮らせて幸せだった。
ずっと、この時間が続けばいいと思っていた。
だけど、唐突に終わりが来た。
お母さんが、帰ってこなかった。
後で知ったことではあるのだが、その最中は3000年前に次ぐ大規模戦争が起きていた。
それ故に『英雄』であったお母さんは戦争に度々行っており、いつも通りに家を出て行って、いつも通りに返ってくるものだと、そう思っていた。
だけど、その日帰ってきたのはダンテだけだった。
その日、初めてシルヴィアはダンテの泣いている顔を見た。
同時にダンテはシルヴィアを引き取り、本物の家族の様に接し始めるようになった。
ダンテに引き取られ、数年たった頃だったか。
たまたま屋敷を抜け出し、近くにあった村に行ってみた事があった。
その道中運悪く魔獣と遭遇してしまい、絶体絶命に陥ってしまった経験があったのだ。
その時颯爽とダンテは駆けつけ、魔獣を討伐。
その後村へと戻り、宴会に連れ出されたシルヴィアはダンテの隣に座らせられた。
様々な料理が出され陽気な雰囲気だったのだが、シルヴィアにはそれらは一切入ってこなかった。
シルヴィアの頭から離れなかったのだ。
ダンテの初めて見た剣技を。
『英雄』としての顔を。
ちょうどその時期は魔物の発情期に入っていた事から魔物の動きが活発だったそうで、ダンテが討伐に向かっていた。
何より、目に焼き付いたのは周りの人たちの笑顔だった。
ダンテを中心として、笑顔が広がっている。
その光景はとても眩しく、その背中に憧れた。
少女はその時願ってしまった。強くなりたいと。
だから、ダンテと共に帰ってきたその日に剣を教わりたいと志願したのだ。
結局言いつけを破った罰として説教されたが、それ以上にあんな風になってみたいという気持ちが先行していたゆえあまり効果はなかった。
その勢いに押されたのかダンテは陥落し、晴れて剣を教わることになった。
だが、待っていたのは地獄のような日々。
体力をつけるために走り、社会に出ても恥ずかしくないようとのことでダンテに勉強を教えてもらっていた。
自由時間はほとんどなく、空いている時間があれば修練に費やした。
一度言われたことがある。
詰め過ぎだと。それではいつか壊れると。
だが、止まらなかった。
だって、追いつきたかったのだ。
偉大過ぎるその背中に。
一生かけても辿り着けないような境地にダンテがいるから、幼いシルヴィアは危機感を持ったのだ。
これでは追いつけないと。
だから、今まで以上に頑張った。
剣の修練を始めたのが四歳のころ。
時間を重ねるほどにダンテの教えは厳しくなっていった。
だが、それで根を上げることなんてことはなかった。
楽しかった。
剣を教わるのが、ダンテと一緒にいるのが。自分が強くなっていくのが、嬉しかった。
そして、数年が経った。
その間特殊な経緯でミルがシルヴィア家に雇われ、使用人としての才能を発揮していた頃。
確か10歳の誕生日だったか。
その時、ダンテに言われた。
『シルヴィ。もし、シルヴィさえよければ、一緒に魔獣の鎮圧に行かないか?』
勿論、速攻で頷いた。
10歳にして、初めて実戦を体験した。
相手はよく覚えてはいないが、おそらく下級の魔獣だった。
ダンテに教わった事を発揮し、下級の魔獣たちを圧倒していった。
だが、止めを刺す直前。
一瞬だけ躊躇した。生き物を殺す。その事実が、シルヴィアの手を僅かな躊躇が止めてしまったのだ。倒さなければならない敵だということも、倒さなければ自分が死ぬと分かっていても。
それでも手が動くことはなかった。金縛りにでもあったかのように体は動かず、死を待つのみとなった。
やがて、危なかったところをダンテに救われ、言われた。
『どうした、シルヴィア。倒さなくてよかったのか』
『わ、私は……』
『──お前は確かに強い。きっと俺なんかより才能に溢れてる。きっとこのまま行けば強くなれるさ。でも、それだけ求めるのは筋違いだ。強くなることより、大切なことがこの世界にはある』
『──』
『今日、お前が魔獣を殺すことに躊躇ってくれて、よかった。もしかしたら、俺は育て方を間違えたかもって思ってたからな』
少女の未熟な心を支えてきた強くなりたいと願う想い。
しかし、この時からシルヴィアは力を過剰に求めるのは止めた。
それからというものダンテにくっつき、王国の全土を周り魔獣の進行を度々抑えてきた。
その途中でいろんな人に出会い、今までの輝いていた世界はそれ以上に彩られ輝きを増していった。
少女の運命は不備もなく回り続けていた。
だが、ある日を境に少しずつ運命の歯車は不調を訴えていった。
シルヴィアが14歳の時。
シルヴィアはダンテとともに王国中を駆け回り、魔獣の脅威から人々を守った功績を認められ、騎士に任ぜられた。
少女の追い求め続けてきた強さの象徴。騎士という尊き称号。
それを機にシルヴィアの名は王都全体に広まり、『英雄』の後継者として期待されていった。
騎士の中でも一目置かれ、特に騎士ラクロスには可愛がってもらった思い出がある。
気晴らしに商い通りに出かければ、桃色の髪──『英雄』の象徴だったため──騒ぎになったことだってあった。(その後、ラクロスに説教された)
正にシルヴィアの人生は軌道に乗り始めていたはずだったのだ。だが、この時のシルヴィアは気づけなかったのだ。運命の歯車が徐々に狂い始めてきたことに。
第143期の見習い騎士が入ってきたとき、一人の青年が話しかけてきた。
優しそうな青年で、とてもではないが戦いになんて向いていなさそうな面持ち。
だが、意外と体格はしっかりとしており、聞いてみれば農業をやっていたが親と喧嘩してまで故郷を飛び出して王都にやってきたとか。
『あの、初めまして。僕は──と言います』
いきなり話しかけられ、対人関係が得意でなかったシルヴィアが慌てるのはまた一つの語り草である。
騎士全体から見ても、第143期はくせ者ぞろいだったようで受け持つことになったシルヴィア。だが、シルヴィアがその筆頭になっていたことにも驚きを隠せず暫く落ち込み、部屋から出なかったこともある。
正式な手順を踏まず騎士になったシルヴィアだが、その能力は高く買われており受け持つことになったのだが、人に教えた経験が全くないので母親譲りの天然を発揮していったのもまだ新しい記憶だ。
『えっと、ここはこうして……あれ、なんかおかしいな……』
『シルヴィア様。間違えてますよ!』
誰かが親切心か、それともわざとやったのか、それを皮切りに笑いが伝染していく。
『えっ、やだ、嘘!? みんな、ストップ! 笑わないで!?』
しかし、笑いは収まることなく一層増していく。
そんなことがいつも続き、いつの日にかシルヴィアはそれが楽しいと感じているようになった。
輝きが最高潮に達し、彩りはかつてないほどになった。
ここが、居場所なんだと。
そう実感することが出来たのだ。
だけど、何にも終わりはやってきて──。
そして、初の任務がやってきた。
任務内容は簡単な調査。
近頃、活発になっている魔獣の討伐及びその原因の調査だ。
だが、この任務は全く違う方向に転ぶことになる。
『やあやあ、初めまして。さあ、わが愛の前に沈んでください』
全身に包帯を巻きつけた奇妙な男と、外套を被った二人の人間。
それは圧倒的な力でもって、第143期を血祭りに上げていく。
シルヴィアの尽力と第143期のくせ者揃いのその本領を発揮し、辛くも退けることに成功するも戦況は最悪だった。
半数以上が呪いをその身に受け、傷を負っている。
本来であればシルヴィアが報告しなければならない事柄だったのだが、彼らを置いて一人だけ安全地帯に戻ることが出来なかった彼女はやむなくたまたま同行していたナルシアに報告をさせた。
だが、その夜。
地獄に遭遇した。
彼らを退けた第143期の全員が呪いにより、ダウン。それはシルヴィアも例外でなく、呪いは彼女を蝕んでいった。
その好機を狙って、昼間戦った魔族が再び姿を表した。
本調子でないシルヴィアと包帯男との戦い。
激しい切り結びが闇を斬り裂く中、唐突にそれは訪れた。
辺りを照らす光──炎。
そして、あそこは確か──。
第143期がいるはずの小屋で──。
『おやおや、まさかの事態ですねえ? どうします? このまま私と踊ってくださっても構わないのですが……貴方の大事な者たちが零れていきますよ?』
燃え盛る炎を見て、嘲笑うかのように聞いてくる包帯男。
だが、シルヴィアにはその嗤いは届いていなかった。
思い出されるのは、彼らと過ごしたかけがえのない時間。
きっと、それはシルヴィアの中で最も輝いていたもので──。
『まさか……駄目。やめて、やめてええええ!!!』
目の前の脅威すら忘れ、咆哮し、小屋へと向かう。
『ええ。それがあなたの選ぶ道ですよね。当然です。誰もが大事なものを守ろうとする。──それでも零れ落ちるものは助けられないんですよ』
後ろで、狂人がせせら嗤っていた。
──失ってはいけない。
森の枝を潜り抜け、草を掻き分け、圧倒的な速度でそこに向かっていた。
失ってはいけないのだ。
シルヴィアの宝物を守らなければならない。
焦る気持ちを足に込め、爆走する。
その手前。もう少しで辿り着けるというところで、シルヴィアの足は止まっていた。
強者の予感。
ダンテとの修行で培った勘がこの場で遺憾なく発揮される。
『シルヴィア様。ここで、退いてください』
シルヴィアの勘を肯定するように、草むらから灰色の髪の女性が出てきた。
五人将の一人、ローズだ。
癖のある五人将の中で最も最強と謳われる一人。
『どう、して。どうしてですか!? まだ、あの中に人が……』
シルヴィアにとって大切な者たちがまだ取り残されている。
『王より勅命です。シルヴィア様を救え、と』
『え……?』
聞き間違いだ。そうでなければ困る。
だって、それは他の者たちを見殺しにするということで──。
それは当初の少女の願いに反するものだった。
『既に状況は詰んでいる。よしんば救ったとしても最早呪いが発動している。もう、助かりません。ですから、貴方だけでも』
『そんな……』
突きつけられた選択肢。もう、彼らを救う手段は残されていない。
その事実にシルヴィアは項垂れる。
──それでも、シルヴィアの中の何かがそれを許さなかった。
『私は。それでも行きます!』
『そうですか……。少々手荒ですが、ご許し下さい』
それがシルヴィアの最悪の日の最後の記憶だった。
シルヴィアが目覚めたのは王城のベッドの上。
既に事は終わった後。
犠牲者は第143期の騎士全員。その中で唯一、──の遺体が見つからなかったようだが、呪いの発動と状況を鑑みて、死亡と判定。
誰も救えなかったのだ。
大英雄の背中に憧れ、全てを救いたいと願った。
だが、それはシルヴィアにはとても出来ない事だった。
知らず知らずにシルヴィアの頬を冷たいものが伝う。
それは彼女が初めて流した涙で──。
溢れ出る涙は少女に残酷な現実を突きつけ、止まらない涙は少女の願いを洗い去っていく。
そうして、輝いていた色彩は色を失い白黒へと変化してしまった。
その日以来、シルヴィアを取り巻く環境は一変した。
浴びせられていた期待の視線は、その日を境に失意の視線に変わり、シルヴィアの心を傷つけてくる。
それが、痛かった。
怖かった。
辛かった。
いつしかそれを避けるようになり、過去の事も忘れるように目を背けていった。
やがて、歳月が経ち16歳になったある日のこと。
その日はいつも通りに魔獣の討伐に行った帰り道だった。
夜空を一筋の光が翔けた。
そして、出会った。
シルヴィアの止まっていた時を動かす誰かを。
この日を境にシルヴィアの運命は激しく音を立てて動き始め、白黒の絵は色彩を取り戻した。
少年は自分の事をササキシュウと名乗った。
世界において忌み嫌われる色である黒髪をしている少年。
少年は無知だった。
王国中に広まっているはずのシルヴィアの名を知らない。
だからこそ、少年は彼女をあの視線で見ない。
この世界で誰もがシルヴィアに期待して、失望して。
だけど、この少年は自分を『英雄』とは見ずに一人の人間として見てくれている。
シルヴィアを普通の少女として見てくれる。きっと、シュウにはそれがどれだけ少女の心を救ったことか分からないだろう。
いつだって困難に立ち向かうシュウのその背中を見て。
いつか思うようになった。
見て見ぬふりをしてきた過去に立ち向かわなければならないと。
諦めないその姿にシルヴィアは救われ続けてきた。
だから、今一度勇気を貸してほしい。
過去に向きあう勇気を。
もう一度だけ、救ってほしい。
手助けをしてほしい。
シルヴィアが逃げ出さないように。
年端も行かない少女が願った祈りは、願いは。
まるで夜空に浮かぶ星空を掴むように、ただすり抜けて。
現実に叩きのめされ、前を向くことの出来なかった少女は。
今、立ち上がる。
出来てしまった大切な者達を守り抜くために。
一歩を歩みだす。
準備は出来た。
覚悟は決めた。
では、始めよう。
届かせよう。
掴めるはずのない星をこの手で掴んで見せよう。
向き合うと決めた意志を貫くために。
さあ、決着の時だ。




