12話 過去の過ち
「どう、して……?」
掠れた声が、青年に答えを求めていた。
「どうして、貴方が生きてるの……?」
瞳が揺れる。
揺らぐことのなかったシルヴィアの瞳は、意志はシュウが見たことのないほどに動揺していた。
自問するようにただ力のない呟きが何度もシュウの耳を打ってくる。
「だって、あの時……他の人達は……」
いるはずのない誰かを見たように、死人を見たように、顔を青ざめさせ呟く。
それに呆れたように。
目の前の青年はただ嘆息して。
「そう、皆死んだよ。生還者は僕以外にいないんじゃないかな」
シルヴィアが狼狽える事実を肯定する。
「だったら……貴方は」
「僕も実質的には生還者、とは言い難いかもしれない。もう、人間ではないからね」
そう言って、自らの外套を部分的にひけらかす。
そこにあったのは禍々しい異形の腕。
指は赤黒く染まっており、所々に血がこびりついている。
「その腕……まさか」
──見覚えがある。
シュウはその悪魔のような腕を知っている。
以前の村を襲撃した猛牛たちの群れ。
その中でも特に異彩を放ち、跳び抜けた力を持っていた赤黒いミノタウロス。
ミルが打倒した、あの天敵の腕が人間の腕に収まっている。
その事実に、戦慄を禁じ得ない。
「ああ、君が思っているとおり、ミノタウロスの死体から調達した。いやあ、中々制御が難しかったよ」
だが、当の本人はただ楽しそうに腕を見つめている。
「だけど、まあ、破壊力は折り紙付きだ。ここに来るまでに山をいくつか吹き飛ばしてきた」
「ここで、使うつもりか?」
「ああ。そのつもりで来たんだけど……」
青年は頭をガシガシと掻き毟り、シルヴィアを見据える。
「どうやら、僕の相手は今忙しそうだ。だから、今はやめておくよ。……それに、僕も元は騎士だ。無駄な犠牲を出したくはない」
「──」
シルヴィアはただ呆然としており、どう見ても戦える様子ではない。
「その言葉は、真実なんだな?」
「ああ、この国に誓って。……くくっ、はは。何がこの国に誓って、だ。こんな世界、滅びてしまえばいいのに……」
「──」
「──そんなに睨まないでくれよ。分かってる。精霊に誓って、今ここは矛を収めよう」
睨むシュウに呆れた青年は首を振り、そう言い切る。
「今から二日後。王都外れの場所。貧民街と、そう言った方がいいかな。そこに、僕は待っている。来るように伝えてくれ」
「──」
「最も、戦えるのなら、ね」
青年はそう言ってシルヴィアを見つめ、薄く笑いその場から去っていく。
シュウはただその背中を見送り、シルヴィアは先ほどの青年がいた場所を見つめ続けていた。
呆然とする二人の間を、冷たい風が吹き込んでいった。
「それで、俺に何の用ですか。ダンテさん」
先ほどの邂逅で体の震えが止まらないシルヴィアをミルに預け、シュウは指示された場所に来ていた。
「ああ。お前か。シルヴィアは……どうやら、過去の過ちとぶつかったみたいだな」
「なっ……なんで、知って……?」
シュウの隣にシルヴィアがいないことを知ると、的確にシルヴィアの身に起こったことを言い当てる。
「まさか、あんたが……?」
全てを見知ったようなダンテの顔に、シュウは最悪の可能性を聞き出す。
シルヴィアが過去に苦しみ過ちに悩んでいるのを知っていて、そのトラウマに遭遇させたのなら問い詰めるべきだ。
自らの子供を谷に突き落とすようなもので、それはたった一人の肉親がしていいようなことではない。
「答えろ……! あんたが、全部仕組んだのか?」
「なーにを勘違いしてるかは知らねえが……。あくまでも可能性の話をしたまでよ」
関与を否定し、偶然の賜物だと言い張るダンテ。
「じゃあ……今回の遭遇に、あんたは関与してないってことなのか?」
「だーから、そう言ってんだろって。そもそもなんで俺を疑い始めたのか……ああ、そういう」
真っ先にダンテを疑ったシュウに真意を正そうとして──。
なぜかいきなり納得した。
「な、なにが……?」
「いや、こっちの話よ。そうか、そうだよな。色々と事件に巻き込まれてるお前が、まず怪しい俺を疑わないはずがないよな」
「どういう……?」
「ああ。別にこっちの話よ。気にすんな」
それで、と続けて。
「シルヴィアは宿に戻って、唯一手持無沙汰となったお前が俺のとこに来たってことか。まあ、ミルよりはいいか」
「ミル? なんでミルの名前が出てくるんだ」
「そりゃ、簡単だよ。この話は一片の信頼もない奴に聞かせるわけにゃ、いかねえ」
「は──?」
今、ダンテは何と言った。
信頼がない奴には話せない、そう言った。
それを裏返せば、つまりダンテはミルを信用していないことになる。
「ミルを、信用してないのか……?」
「いや、別に信用はしてるぜ? あいつほど、シルヴィアを崇拝してるやつもそうそういねえ。だが、そこだけだ。信頼できる要素なんざ一つもねえ」
あっさりと言い切るダンテ。
頭の中を駆け巡るはこの世界で過ごしてきた一か月間。
その間三人で交わした笑みは全ては嘘だったと、そう言っているのだ。
微笑みの光景は突如としてひび割れ、シュウの頬には汗が伝っていた。
「いや、俺はあいつを使用人にした経緯を知っちゃいるが……どうにもきな臭い」
屋敷の主たるダンテはミルが働くこととなった経緯を知っていると話す。
だが、それでもダンテはミルを信頼できていない。
その理由は──。
「簡単だよ。自分の事を一切話さない奴を、どう信じろってんだ」
吐き捨てるように、何かに怒りをぶつけるように、言い捨てるダンテ。
シュウに関しても自分の事は何も話していないが、結局彼らとシュウの関係は所詮数か月程度のもの。
未だ腹を割って話す段階ではないとダンテはそう考えているのかもしれない。
だが、ミルは違う。
彼らとミルの間には積み重ねられた幾年の歳月がある。
にも関わらず誰にも身の上を語ることなく、自らに関する情報を意図的に封鎖している。
信じる要素がどこにもない。
まさにその通りだ。
「ま、シルヴィアは話してくれるんじゃないかってそんな風に信じてるみてーだが、正直確率は低い」
「──」
「あとは……お前次第だ」
シュウの肩を叩きミルの事を託すように呟くダンテだが、それはまだシュウには分からない事柄だ。
「ま、そんなことより、今日は特別サービスだ。聞きたいことを答えられる範囲で教えてやる」
「聞きたいこと……?」
「ああ。たくさんあるだろ。例えば、『英雄』とは何なのか。魔族とは一体何なのか。……さすがに失われた記録までは無理だが、教えられる範囲なら教えてやる」
つまり。
「俺の疑問を解消してくれるってことですか?」
「そういうことだ」
シュウの物言いにダンテは頷く。
この世界に来てからまともな情報源もなく、右往左往していたがあの世界の裏側に行く前にチャンスを掴めた。
まさに千載一遇の好機を前に、シュウの表情が弛緩しかけて──。
「だが、一個だけ。条件がある」
餌に噛り付いた動物を窘めるように、指を一本立てて交換を突きつけるダンテ。
「やっぱ、ただじゃいかないよな……」
「当然だ。人間ってのは、常に自分に都合のいいようにことを運ぶ生き物だ。であれば、こんな好機を生かさない道理はないってことよ」
利己心。
それがどんなものより先に来ると、そうシュウに説く。
誰かによく見てもらいたい、それもまた立派な利己心だ。
であれば、シュウもその例にはまっている。
「俺からの提案は一つだ。今後、俺の頼みを一個、聞いてほしい」
「え──?」
「簡単だろ。一回だけでいい。俺の言うとおりに動いてくれりゃいい。勿論、その時は連絡する」
あまりの簡単な内容に、思わず呆然とするシュウ。
「それで、いいのか?」
「ああ、それが俺からの条件だ」
手を差し伸べる。
これは、契約の履行だ。
ダンテの条件を呑むか、それを確認するための儀式。
罠の可能性もある。
ああは言っていたが、とんでもない事を押し付けられる可能性だって無きにしも非ずだ。
だが──。
「ああ。分かった」
迷わず、その手を取る。
その行動に、ダンテは満足そうに笑い。
「そんじゃ、なんでも聞いてこいや」




