4話 怪物
爆音が鳴り響いた所──王都に存在する商人区へと向かったシュウが見た光景は、あまりにも悲惨なものだった。
後しばらくすれば店を開く準備が整い、通りが埋められるほどに繁盛するはずだったそこは、商品が爆発によって形を変えていたり、けが人などの血で道路が赤色に染め上げられている。
幸い、なのは見る限りでは死人が出ていないことか。流石は異世界、怪我をした人間を死なせまいとこの国では心よく思われていない──とはいえ、生活において必要な魔法は容認されている──治癒魔法を、一般人が使っている。
なら、取りあえずは大丈夫だろう。だから、シュウは彼らから目を逸らし、奥へと進んでいった桃髪の少女──シルヴィアの下へと駆けよる。
肝心のシルヴィアは、果たしてシュウが近づいてきたことに気が付いているのか否か。彼に気も止めず、被害を被った男性に詰め寄って。
「なにがあったんですか?」
商人は一度、シルヴィアを見て目を白黒させ──まるで神に縋るでもするように、シルヴィアへと泣きつく。
「た、助けてくれ……黒い、外套を着た男がいきなり……襲ってきて」
「辛いことを聞くようですが……その外套を着た……」
この惨劇を引き起こした張本人の情報を聞き出そうと、シルヴィアが口を開こうとした時だった。彼女の声を遮る代わりに投げ込まれたのは道に転がっていた果物。
それ自体に殺傷用途はない。ただ、視線をこちら側に向けるためだけのものだ。シルヴィアは今までにないほど目つきを鋭くして、後ろへと振り返りシュウも同じように振り向く。
そこに居たのは、腰を抜かした商人が話した犯人と同じ格好をしていた。彼は、視線が集まるのを確認し、旧友にあったかのように手を上げて桃髪の少女へと挨拶を投げかける。
「やあ。久しいね」
そのたった一言で、全身の毛が逆立つようなそんな錯覚に陥る。全身が硬直し、逃げることすらもままならない状況へと一瞬で変貌する。
生物は本当の恐怖に当てられたとき、動くことすらままならないというが、今のシュウはその状態に近い。
こんな感覚は初めてだった。昨日魔獣とやらに追い立てられた時ですら、体が動かないわけではなかったのだから。
シルヴィアはいつでも剣を抜けるよう、腰に手を持っていったまま男と対峙する形で立ち上がった。
「おいおい、最強のお前が何を警戒する必要がある? お前にとって私など虫けらのごとき存在であろう?」
シルヴィアは答えない。男の挑発に乗らず、ただ沈黙を選び続けた。
だが、男はまるでその反応が予想通りであったかのように淡々と語り続ける。
「まあ、だがお前が警戒する理由がわからんでもない。‥‥‥私は、力を得たのだ」
僅かに、嗤って。次の瞬間に自らが来ている外套を乱雑に脱ぎ捨て──シュウが感じていた違和感、それがようやく明らかになる。
目に入ったのは腕だった。この感覚を引き起こしているのは腕だと一瞬で理解できる。
禍々しいまでの腕。人間の腕とは比べ物にならないほど肥大しており、見るものすべてに何かしらの悪感情をもたらす。それは既に人間としての腕の機能を失っており、ただ破壊するためだけに特化した部位。そう呼ばざるを得ない、それ。
「ふ、ふはははははは!!! どうだ! この腕は! 素晴らしいまでの力だろう!!」
男はその腕をシルヴィアに見せ、哄笑する。
シルヴィアはその腕を見て、シュウのすぐ前へと移動し、庇うような立ち位置で剣を抜き去った。
「ああ、そうだ。そうでなくては面白くない。本気で殺しあわねば、一体何のために私は力を得たのか‥‥‥。さあ! 始めよう。『英雄』!」
シルヴィアの行動に、歓喜を示し──同時に、瞬間シュウの視界から男が消える。
いや、消えたのではない。圧倒的なスピードにより目で完全に捉えきることが不可能なのだ。おそらく今この場で男の姿を見切れるのはシルヴィアを置いて他にいるはずがない。
対するシルヴィアはその場から微動だにせず待ち構えている。
次の瞬間、空気が揺らいだ。剣と腕がぶつかり、すさまじい風圧が発生する。
男は防がれたと知るや、すぐさま後退。シルヴィアも後追いはせずに睨みつけるにとどまる。
「その動き‥‥‥体に何かしたの?」
「当然だろう。でなければ、先ほどの一合で私は斬り刻まれていた」
「何を‥‥‥したの?」
「なに、簡単なことですよ。ただ、魔族の力を取り込んだだけ」
その答えを聞いたシルヴィアの目が一瞬見開かれる。今この瞬間、シルヴィアと言う少女がどんな感慨を抱いているかは分からないが、複雑なことぐらいは容易に想像がついた。
それに、シュウも魔族と言う単語には馴染みはないまでも、聞き覚えはあった。魔族──人間に仇なすものであり、長いこと戦争を続けてきた敵であることを先ほど聞き及んではいた。だが、直感的に悟る。
あれは一端でしかない。ほんの一端だ。それだけで、圧倒的なまでな戦力アップを果たしている。
一瞬、考えてしまった。あの力があれば、と。
「誰でも出来る。才能なんてものに依存せず、ただ平等にこの力を扱える。資格など要らない。だから、そこの君も遠慮などする必要はない」
そんな風に考えていたシュウの耳に男の言葉が届く。さながら思考を読んだかのように。
「君も強くなりたいのであれば、私は秘術を教えるのを厭わないさ。手札はいくらでも増やしたほうがいい」
悪魔の囁きが。甘い妄言が。シュウの耳に届く。
それはシュウの全身を縛り、退路を塞ぎシュウを取り込もうと暴れまわろうとして、しかし、シュウの脳に辿り着くことは出来ずに、圧力に耐えかねるように途中で霧散した。
「なに?」
男はどこか納得のいかない顔をこちらに向けて。
「なぜ私の魔法──呪術を跳ね返すことができた?」
「魔法‥‥‥? 今のがか?」
「まさか、君が? だとすれば、今回の件は無駄ではなかった。ああ‥‥‥我らが王よ。ようやく見つけることができました‥‥‥」
こちらに届かない声量で何かを呟いた後、シルヴィアのほうを見る。
「『英雄』よ。私にはやらなければならない事が出来てしまいました。これから私は撤退するがどうします?」
「逃がさない」
どこまでも自分勝手な敵を剣呑な表情で見据え、剣を握りしめる。これ以上、こんなやつを野放しにしておけば、いつどこで牙を振るうか分かったもんじゃない。
しかし、シルヴィアは何かに気づいたのか、上空を一度だけ仰ぎ──剣を鞘へと戻した。
「ほう。ご賢明な判断です。では‥‥‥」
「おい、シルヴィア、いいのかよ!? あれじゃ、逃げられて──」
「大丈夫」
確信を持って、シルヴィアはそう言い切る。
そして、シュウもそれに気づく。
部屋を渡り、こちらにやってきている二つの影に。
「──?」
敵も気づいたのか、眉を細め。
そして屋根を伝っていた影が、地上に降り立つ。
「それじゃあ、始めるとするか」
燃えるような赤髪を晒す騎士のような服装をした少年は呆れたように呟き、続く青髪の少女──派手で悪趣味な服を着た──は、嘆息して。
男を見定める。
敵を排除するために。
「さて、楽しませてくれよ?」
赤髪の少年は言葉足らずに獰猛に笑い、戦いはクライマックスを迎えていく。