2話 使者
結局最低限のお金とスマホしか持ち出す時間がなく、致し方なくほかのものは置いてくる。
ただ、人前に行くということで、黒服は着てはいけないのでミルから渡してもらったローブを羽織ってだ。
「これ見る人が見たら完全に変態だよな……」
村でも一度着たことがあるのだが、如何せん人の視線が痛かった。
変人を見るような視線がシュウの心を何度も抉り、涙を流した思い出がある。
それ以来あまり着ていなかったのだが──原因として、村の人々と和解したことがあげられる──今回は不特定多数の人間がいるので、やむなく着たのだ。
「大丈夫よ。気にしないで、変人なんてそこら中にいるから」
「それさ、フォローしてるようで俺の心抉ってるよね!!?」
さりげないミルの罵倒に傷つくシュウ。
だが、そんなことを気にせずミルは使者がいるであろう庭に向かっていく。
まず見えてきたのはいかにも権力を誇示するために使われそうな、全体を金で覆った馬車だった。
もちろん、馬自体は金で覆われてはいないものの、一目で村の安上がりな馬と違うことが理解できる。
まさに王族の馬車、とでも言うべきか。
そこに立っているのは、肥え太った男性──いな、一度だけ面識がある宝石商の男性だ。
だが、その際、男性はここまで太ってはいなかったはずだ。
喋りかけたい気持ちはあったが、宝石商の男性もシュウを忘れている可能性があるので話しかけなかった。
何より、目の前の人間がそれを許さない。
馬車から一歩離れた位置に立って瞑目している青年。
藍色の髪の青年だった。
自分が知る青年──ソフィアとはまた異なる雰囲気を醸し出す青年だ。
その腰には細く、そして力強い剣が収められている。
目の前の青年からは、むしろミノタウロスのような恐怖も、ダンテのような圧倒的さも感じない。
むしろ、それが怖い。
青年はしばらく馬車に背中を預けていたが、シュウの視線に気づいたのか目を開け、シュウの方向を見る。
「──何か、用だろうか」
美丈夫の貫禄がシュウの心に突き刺さる。
「いや、その、えっと……なんでもない、です」
大した用もないのに見ていたなんていったら、間違いなく殺されそうだ。
というか、白い服を纏って、鎧を着ていることから推測するに間違いなく騎士だろう。
騎士──ラノベではよく頭の固い者として紹介されるものだ。
そして、会ったばかりで結構ひどいことかもしれないが、結構そんな雰囲気が出ている。
よく悪くも血統を大事にするような、そんな感じだ。
「ガイウスさん、お久しぶりです」
そこで桃色の少女、シルヴィアが割り込んでくる。
ガイウス、と呼ばれた青年はシルヴィアの声を聞くなり、跪く。
「シルヴィア様、お久し振りです。申し訳ございまん、本来なら本日の昼頃に到着する手はずだったのですが……手の込んだいたずらに遭い……遅れてしまいました。どうか、ご容赦を」
「いたずら……? 何かあったのですか」
最近は魔族達の活動が活発になってきているので、シルヴィアはそれを心配したのだが。
「いえ、心配には及ばないものです」
ガイウスは跪きながら、しかし心配することはないとシルヴィアに告げる。
「ああ……分かりました。あの方ですね……」
その説明にどこか呆れたように納得するシルヴィア。
「申し訳ございません。では、参りましょう、シルヴィア様」
そう言って、すくっと立ち上がる青年。
「ええ。分かりました」
「王都へ」
「いや、まじか……今回も、酔っちまった……」
王都へと急ぎで馬車を走らせていたのだが、シュウの酔いによって一時的に止まっていた。
そもそも、なぜそんなに早いスピードで王都へと向かっていたのかというと。
「夜は一部の魔獣に限られるけど、魔獣が凶暴化するやつもいるの」
魔獣──本来、魔族領にいるはずの魔獣は3000年前の戦争以降、人間の領に蔓延っている。
その理由としては、簡単なものだ。
帰れないのだ、魔族領に。
これは最近聞いた話なのだが、以前シュウが見たあの天を衝く世界樹は人間領と魔族領を分かつものらしい。
あの右側が人間領、左側が魔族領だ。
3000年前の戦争以前、彼らは互いに不可侵条約を結んでいたのだが、その盟約を破り、人間が魔族領へと足を運んだゆえに、魔族戦争が起こったという。
その後、戦争が終結したものの、以降恨みを持つ魔族がたびたび侵攻してきたそうだ。
決定打になったのは15年前の戦争、ダンテが『大英雄』と称されるようになった泥沼の戦争だ。
なんでも大勢の国が援軍を起こり、しかしことごとくが敗れていった。
当時、最強と謳われた五人将の一人が率いる隊、それが一人を残して全滅したそうだ。
それを行ったのが、魔族の幹部に当たる最凶の軍勢。
たった六人によって王国は窮地に立たされたものの、英雄たちの活躍により事なきを得た。
今後、このような戦争を起こさないためにも精霊と契約し、それ以降こちら側には来れないようにした。
「ただ、その魔族領との国境には制御不能の魔獣がいるの。だから、あちらも迂闊には攻め込んでこれないっていうか」
最悪の魔獣。
全種の魔法を使う魔獣、空を飛ぶ災厄、呪いを無差別に世界に振りまく呪いの魔獣。
それらが、確認されている最悪の魔獣だ。
だが、その全貌は明かされていない。
それはなぜか──魔獣と遭遇し、生きて帰れるものがいなかったのだ。
ゆえに、3000年前より世界に蔓延る邪悪を正しく把握しきれていない。
今もなお、世界が待ち望む魔獣たちの討伐。
その期待を背負うのは──『英雄』だ。
かの存在こそがそれを倒す役割を担っている。
ようやく気持ち悪いのが収まってきたので、馬車に乗り込みながらシルヴィアの話に没入する。
だが、それに割り込むように。
「君は、ああ、ようやく察したよ。君がシモンたちが言っていたササキシュウだね」
「シモンが分かるのか?」
「ああ。もちろんだ。なにせ、私が剣を教えているからね」
王都で出会った知己の名前が思わぬ場所で飛び出し、話を中断しガイウスという青年に話しかける。
「そして、その黒髪、服は……改善されているようで何よりだ。むしろ聞いていた服で着ていたら、王都であっても騒ぎが起こるかもしれないしね」
そう言って、馬車の揺れで乱れた前髪を切れのある動作で掻き揚げる。
「ああ……それについては、もう体験してるよ」
脳裏に焼き付いている苦い思い出。
黒髪がゆえに粛清を受けたあの時の、感情の波をシュウは忘れない。
憎しみ、恐怖、嫌悪、その感情を忘れない、忘れてはならない。
全てを失い、だけど最後に救われたあの瞬間を、シュウはきっと一生の宝物になるだろう。
そんな風に村でのことに思いを馳せていると、その姿をどう思ったのかガイウスはそれきり何も言わなくなる。
シルヴィアは外を眺め、ミルは静かに瞑目している。
ガイウスも喋ることはないと言わんばかりに、馬の運転に没頭しており、事実上話す人物は誰もいない。
ちなみにダンテは今回の馬車に乗らず、用を済ませてから来るとのことだ。ということで、うるさい人物がいないため、そのまま沈黙の空間が出来上がる。
心地よい風を浴び、一定間隔に光る魔法道具を眺めながら王都へと向かうのであった。
酔いが収まり、道路の激しい凹凸がなくなったことで、眠気が一気に襲ってきたのかすぐに眠ってしまった。
そして、起きてみれば。
朝焼けの光が辺りを照らし、ようやく城塞が見えてくる。
それはシュウにとって始まりの場所。
シルヴィアと出会い、異世界での輪が広がる一因になったところ。
間違いなくそこはシュウにとって転換の場所だった。
「久しぶりだ……王都……!」
なんとも言えない感情に包まれながら、王都に挨拶をするのだった。




