2話 見えない暗闇の中で
目を開けてみれば、シュウは先も見えないような暗闇にただ漂っていた。
そこがどこなのか、それとも死後の世界なのかはシュウには分からない。
ただひたすらに真っ暗。地面もなければ光明などあるはずもなく、立っているかすら判別できない程の空間。
いや、そもそもここは空間なのか。
だが、そこでようやく前に光が見えてくる。
あまりの眩しさに思わず目を細め、何かで遮ろうとするも何もないことに気づき結局は目は焦がれるだけだ。
そこで、見たものは。
──温かい光景だった。
目の前を遮るものは何一つなく、地平線の向こうまで見えるほどの緑豊かな大地。草原を駆ける緩やかな風が、地面に生えている草を撫でていく。
そこにいたのは、シュウと同じような黒髪と肩より少し伸ばした銀髪の少女の二人だ。後ろ姿しか見えないのだが、それでも彼らが笑いあっていることぐらいは理解できる。
銀髪の少女が太陽の光を受け光り輝く銀髪を揺らし、黒髪の少年は笑う少女に何かを言っている光景。だが、それをどこか懐かしく思うのはなぜか。
顔は見えないけど、それでもシュウはこの少女と少年を知っている。記憶にはないけど、心が知っているのだ。
そして、少女はひとしきり笑った後で。少年に向けて、言葉を放つ。
「必ず、貴方は私が守ります」
それだけが強く響いて。
気付けば、再びシュウは暗闇に戻ってきていた。
誰もいない空間。まるでシュウにはここがお似合いだとでも言うように。
ここがシュウの世界だとでも言っているように。
『役割を、忘れるな』
──、?
何かが聞こえた。暗闇の奥深くから怨念の籠った声が響いた。
そして同時に、先ほどの声までも聞こえてくる。
『お前は……お前に課された役割は、役割は……!』
『貴方は……私が……守ります!』
そうして、ここから弾き出されるように。
シュウは意識を手放した。
目を開けたとき、最初に飛び込んできたのは木材でできた天井だった。
所々傷んでいるのが見て分かるものの、しっかりと清掃が行き届いているところを見ればボロ屋敷ではないことぐらい素人でも感じれる。
「どこだ‥‥‥ここ」
どこかの部屋だということはわかるものの、情報が得られるようなものが置かれていない状況だ。
ただ、これでようやく一息つけた。
昨日──だとは思うのだが──からまともに考えられる暇すらなかった。
森にいたかと思えば、すぐに追いかけ回され、そのままダウン。
つまり、何もできなかったのと同じ。
現状を思い返し、嘆息する。
面倒な現実から逃げるように、体の上にかけてある布団を勢いよく引き剥がし立ち上がり、近くにあった窓を見やる。
「──」
思わず、絶句した。
その目の先には、石造りの家や木材の家が広がっており、下の道路を見れば日本では考えられないような髪の色をした人間たちが大勢歩いている。
さらに信じられないのは、その中に自然に溶け込んでいる獣人と思われる種族だ。
「ああ、これってつまり‥‥‥」
そして、遅まきながらようやくササキシュウは自分の身に何があったかを理解する。
つまり、ササキシュウは──。
「異世界に、来たってことかよ」
異世界に来てしまったのだ。
状況が分かったところで何かできるわけでもないので、とりあえずベッドのそばに置いてあった長年愛用の服──黒を基調とした服に早着替えし、近くのテーブルに視線を送る。
また、棚に置かれていたシュウの私物──スマホと財布──を手に取り、部屋の右端にあるドアを開けようとして躊躇する。
──勝手に出て行ってしまっていいのだろうか。
シュウが覚えているのは昨日森で意識を失ったことだけ。ならばなぜシュウは宿で寝かされていたのか。
それはつまり誰かにここまで運ばれたということに他ならない。
恐らくはあの森で意識を失う直前に見た桃髪の少女。恐らくは彼女が運んで来たに違いない。
このまま出て行ったところで大した情報もなければ、そもそもお金もない。
ならば、今シュウが取るべき行動は外へ出ることではないだろう。このまま部屋に留まり、少女が来るのを待つのが今選ぶことの出来る最善だ。
そんなシュウの他力本願の想いが届いたのか、控えめなノックオンが聞こえて。それに続いて鈴の音のような声が響いてくる。
「あの、入っても大丈夫?」
続けて投げかけられた問い。それに答えるために口を開く。
「だ、大丈夫です」
親しい人以外と話すなど久しぶりの体験すぎて、声が裏返ってないことに感謝しつつドアを開ける。
そこにいたのは、昨日シュウを助けてくれた桃色の髪の美少女だった。
とりあえず、少女を部屋に入れ──さすがに床に座ってもらうのはどうかと思うので──ベッドに腰かけさせ、シュウは床に腰を下ろす。
それはまるで神の美貌──否、それすら霞むほどの美形だった。なにやら派手な桃色のスカートに桃色のキャミソール、その上から羽織るのは貴族の婦人がよく来ているような布を巻いたような感じのもの。ソックスは膝上まで上げられているが、それが逆に太ももを際立たせているような感じがしないでもない。
まあ、簡単に言えば全身ピンク一色だ。
そんな風に、初対面の少女の全身像を見ていると。
「えっと‥‥‥それで話って何?」
「君、名前は?」
桃色の髪の少女は、そのサファイアの瞳でシュウを射貫きながら質問する。
どこか警戒しているような雰囲気が見受けられるものの、シュウには正直心当たりなどない──確かに変な身なりなのは認めるが──。そもそもこの世界に来てまだ間もないのだ。
ここは悪印象を与えないように普通に自己紹介するのが妥当だ。
「あ、えっと俺は、ササキシュウ。よろしく」
「じゃあ、シュウ。君はどこから来たの? その髪を見る限り‥‥‥えーと、その、王都の近くではないことは分かるんだけど……」
なぜか言葉を選んで慎重に発言してくる目の前の少女。シュウにはなぜそんなに気まずそうにしているかは知らないのだが、何か気を使っているのだろうか。
「ええと、どこっていうか、気付いたら森に居たんだけど……」
今ここで出身を偽るのは簡単だが、いずれバレるような嘘はつかないほうがいい。この世界の国の名前や詳しい場所を知らない現状では偽ることすら出来ない。
ゆえに、選択肢に残っているのは正直に話す事しかない。理解してくれるかは甚だ疑問だが。
「え‥‥‥も、森? その、からかってるわけじゃ……ないよね」
シュウの答えを聞いて、からかっているのかと疑いの目を向けてくる少女だが、シュウの真剣な目を見てからかっていないと理解したようだ。
「なんで森に居たのかは……正直、分からないよ。目を開けたら、いきなり森の中だ……」
「つまりは……うん、早とちりだったかな……ごめんね。疑っちゃって」
「いやいや、別にいいよ。それにいきなり森に居た人間を疑うなって方が難しいだろうから」
ある意味では少女が正しい。だって初対面の人間を信用っていうのが間違っているのだ。人間関係で、最初から誰かを信用するなんてことの方が愚かで間違っている。
だが、桃髪の少女は疑ってしまったことに罪悪感でも感じているのかそれで終わらせる気はない。
「お詫びって言ったらなんだけど……私に出来る範囲だったら何かするよ?」
「あー、じゃあさ、俺ここの事あんまり知らないからさ……教えてくれないかな?」
そんな言葉に彼女は一瞬だけ目を見開き、わずかに笑みを浮かべる。
「そうだね。じゃあ、とりあえず食堂にいってから話そうか」
彼女は立ち上がり、床に座っているシュウに手を差し伸べる。
「私はシルヴィア・アレクシア。よろしくね」