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19話 ミノタウロスの王

 目の前に立ちはだかるのは、鮮血を浴びたかのように全身を赤黒く染めている猛牛。


 その異様な威圧感と緊張感に、立っていることすら困難になるほどのプレッシャーに尻込みしてしまう。


 その存在を前にして、シュウとミルはその圧倒的な巨躯に声を失う。


「なあ……あれ、ミノタウロスなのか?」


「ええ、おそらく。だけど……普通のそれとは、違うみたいね」


 普通のミノタウロス──シュウが以前戦った、猛牛はこのようなどす黒い赤はしていなかった。


 あのミノタウロスの脅威を直に肌で感じ取ったシュウだからこそ分かるものがある。


 ミルが言ったように、あの時のミノタウロスとは文字通り格が違う。


 あの恐怖よりも一段と濃密な恐怖がシュウの体を貫いて、その場に釘つけにする。


「────ウオオオオオオオオオオォォォ!!!!」


 直近で発せられる咆哮。まるでそれは猛牛の感情を表しているかのようである。


 その咆哮により、ようやく我を取り戻した二人はすぐさま反旗を翻し、後退。


 数秒遅れて今までとは一線を画す威力の暴虐が、先ほどまで二人がいた地面を粉砕した。


「な──!?」


 いや、粉砕だけではとどまらない。そのまま地面を抉り続け、深く数メートルの地面を表出させる。


 その光景を目の当たりにし、隣にいたミルの表情が一瞬で変わった。


 先ほどまでのそれとはまったく違い、殺意が表面化しているような、そんな顔だ。


 その表情を前に、言葉をかけるはずだったのだが直前にして飲み込んでしまう。


「──シュウ。この銃を渡すから、ちょっと耐えて」


 そう言って乱雑にリボルバーのような銃──ミノタウロス戦で大いに活躍してくれたそれをシュウに渡す。


「いいのか──」


「躊躇している暇はない。私は今すぐ市場に行って使えそうな物を持ってくる。だから、それまで耐えて。それと、その銃は完全に私のだから、数回使えば壊れる使用になってる。──使いどころは間違えないで」


 それだけ言い残し、市場があったはずの場所へと駆けていく。


 そうして、ここにはシュウと、シュウを見据えている赤いミノタウロスだけが残っている。


「おいおい……何回クライマックス来れば気が済むんだよ……本格的に俺の事、嫌ってるだろ……」


 いつまでたっても安寧を与えてくれない世界や、運命とやらに愚痴をこぼし、覚悟を決めて猛牛の前に立つ。


「こいよ、猛牛。今回の相手も、俺だ」


 目の前に立ちはだかり、手招く仕草を見せる。


 何度目かも分からない修羅場に対して、挑戦するように。








 ミノタウロスの襲撃からおよそ三十分が経とうとしていた。


 既に村の状態は壊滅状態に近い。


 大人たちのほとんどはミノタウロスの足止めへと出払っており、外に逃げようとした者たちはあの赤いミノタウロスによって鮮やかな血の色を描き、生きている者はいないだろう。


 かくいうメイアも村中を歩き回ったせいか、走っている足がもつれ転びそうになりながらも村の中心にある役場へと進んでいた。


 幸い、洞窟から漏れ出たミノタウロスには会うことなく、順調に進めている。


 勢いよく役場の扉を開け、たどり着いた先にいたのは意気消沈した村の人々だった。


 顔には生気がなく、もはや生きることに絶望したかのような雰囲気が漂っている。


 その事実を飲み込めず、呆然と立ち尽くしている彼女に、市場にて何度も顔を合わせたことのある男性が話しかける。


「よお、嬢ちゃん。無事だったか……そっちの子は?」


「あ、えっと、怪我をしていて……それで、その手当とか、してもらえればと思って……」


 男性はそうか、とだけ答えその子供を引き寄せ、慣れたような手つきで応急手当をしていく。


 だが、その行為に口を挟むように誰かが声を上げる。


「なあ、クレモント。そんなことをしても意味はないんじゃないか?」


「そんなわけ、ねえだろ。まさか諦めたってわけじゃあねえだろうな?」


「諦める? 何をだよ。なんだ、生きることをかよ。悪かったな、それについてはミノタウロスが村を襲った時から諦めてるよ」


 吐き捨てるように、奥の柱に寄りかかっている男性が言った。


 それに賛同するかのように、周りの人も顔を上げていく。


「なあ、クレモント。もう、やめようぜ。こんなことしたって、生き残れるわけじゃ、ねえんだ」


 未だ諦めずに前を向いているクレモントと呼ばれた男性に向かって、諦めるように催促する。


 当然だ。外の状況は最悪そのものだ。誰がここから逃げだせると、生き残れると思うだろうか。


 その言葉に、クレモントという男性も唇を噛み締め否定することはない。


 つまりは、みんながみんなもう生存は不可能だと、そう思ってしまっているのだ。


 そして、メイアにとってそれはつい先日に経験したことでもあった。


 ガーゴイルの襲撃。あの時は諦めてしまっていた。もう助からない、勝手にそう決めつけていた。


 でも、あの黒髪の少年が、希望を与えてくれた。あの場で魔獣を倒したのは英雄様だったかもしれない。


 だが、自分を救ってくれたのはあの少年だとそう思っている。


 あの少年が希望を与えてくれたから、今ここに立っている。


 そんな風に考え、いつしか口が自然と動いていた。


「逃げましょう……! ここから、逃げるんです。生き残るために!」


 救ってもらった時、確かにこう思ったのだ。次は自分がそうありたいと。


 そして、その次は今しかない。


 メイアのその大声に、奥にいた男性が反論を返すべく立ち上がる。


「逃げる……? どこへだよ、今逃げたって、結局はミノタウロスに殺されるだけだ! 俺は見たんだ。先に逃げたやつらが赤いミノタウロスに殺されたところを! あんな化け物がいて、どうやって逃げるんだよ!」


 男性の口から飛び出た事実にメイアは目を見張る。


 見ていたのだ。あの一方的な残虐を。


「あのミノタウロスは……恩人さんが、英雄さんたちがなんとかしてくれます! だから……」


「だから何だよ!!」


 メイアのめげない態度に、いきなり怒鳴り出す男性。思わず、メイアは肩を振るわせ驚く。


「英雄……? それって、あの黒髪かよ。あいつがどうにかするだって……? 出来るわけがない、そもそも俺たちにやられるような人間が! 立てるはずがないだろ! それに……そうだよ、そうじゃないか。あいつが……あいつが悪いんだ。あいつが全部、悪いんだよ……」


「────」


「あいつなんだよ。俺たちの日常を壊したのは。だって、あいつが来てから悪いことばっかり起きる。くそっ! あのくそ野郎!! あいつが……あいつさえいなければ……」


 頭を掻きむしりながら、必死に黒髪の少年への罵詈雑言を吐く男性。


 その姿に気おされ、後ろに下がろうとしたのを、何かに支えられる。


「無様ね。それで……言いたいことは済んだかしら。なら、さっさと奥へ行って」


「え?」


 後ろから発せられた罵声に、疑問の声を上げる。


 だって、先ほどまであの少年といたはずの少女だ。


 その少女の態度に、男性の怒りの矛先が向けられる。


「なんだよ……何をしに来たんだよ! 元はと言えばあんたらが悪いんだろう! ちくしょう……お前らさえ来なければ……」


「言いたいとこはそれだけ? ならさっさとどいて。こっちも忙しいの」


 男性の恨みをばっさりと切り捨て、クレモントへと歩いていくミル。しかし、男性は止まらない。


「何をする気だよ! まさか……ミノタウロスを倒すっていうんじゃないだろうな。はっ、無理に決まってる」


「そのまさかよ。今、そのための準備でここにいるの。早くしないと、あの大馬鹿、死ぬかもしれないからね」


 クレモントから護身用に携帯していた短剣を貸し受けると、ミルは出口を向き足を動かす。


「あいつが……? あの黒髪がか!? おい、嘘に決まってんだろう! あんなやつがそんなこと……」


「出来るわよ。あの大馬鹿は貴方と違って、まだ諦めてないもの」


 それだけ言い残し、足早に去っていくミル。


 それを静観していたクレモントは、ここにいるすべての人に聞こえるように、大声を出す。


「おい、さっさと準備しろ! 出るんだ、ここから。それともなんだ、おまえら。まさか、黒髪が命張ってるってのに、怖気るやつなんざ、いねえよな?」


 どす黒い笑みを見せながら、そう言って煽る。


 その一言でスイッチが入ったように、まだ諦めてはいられない、そんな風に立ち上がる。


 ようやく、住民の避難が始まるのだった。












「いやいやいや、これ無理だろどうすんだよどうしろってんだよまじで!」


 自分のあずかり知らぬところで英雄などと呼ばれていたものの、当の本人は全力疾走で暴虐の嵐から逃げていた。


 後ろからは赤いミノタウロス──便宜上、ミノタウロスの王と呼んでおこう──が追従してきており、まさに洞窟での囮作戦の再来である。


 今回の囮作戦も、結局あの猛牛の王と渡り合えるミルの到着まで持たせることが絶対条件である。


「おいおい……ミル早く来てくれよ……まじで死ぬぞ……」


 必死に走り続けるシュウだが、まったくと言っていいほどに解決の糸口は見えない。


 そのことを恨みつつも、もう何度目かも分からない村の入り口を通り過ぎる。


 ちなみにシュウは猛牛と追いかけっこに際し、すでに村を何周もしている。


 そして追いかけっこによる度重なる疲労、それらが一気に出たのか、足が言うことを聞かなくなってくる。


 猛牛との距離は数メートル、そのことを相手も理解し、速度を若干落としつつこん棒を振り上げる。


 それは確実にシュウの命を奪うもので。


 これまで何度も死を覚悟してきたシュウも、今回ばかりは死の足音が近づいてくるのが分かった。


 それが振り下ろされ、ついにシュウの命は潰える──その前に。


 鈍い音が鳴り、地面に轟音が叩きつけられる。


 それは何より、猛牛の攻撃が外れたことの証明に他ならない。


 目の前に立っていたのは、金髪の少女だった。


 ミル。シュウが今回待っていた人物であり、その右手には短剣が握られている。


「よく持たせたわね、シュウ。ここからは私が何とかするわ」


 金髪をなびかせ、圧倒的な鬼気を出しながら、ミノタウロスと対峙するのであった。







 そして、洞窟の入り口付近では。


 何十体もの猛牛に囲まれ、追い詰められている桃色の少女がいた。


「はあ……はあ……」


 その姿は満身創痍と呼ぶにふさわしいものだ。


 肩で息をしながら、それでも未だ諦めようとはしない。


 もしも、彼女が完全な英雄であったならば、この場は容易に退けられたかもしれない。


 だが、彼女はまだ完全には至っていない。


 ゆえに、人の力よりも少し強い程度でしかない。


 今の彼女にはこの窮地を切り抜ける力はないのだ。


 その事実に悔しそうに唇を噛み締め、剣を強く握りしめる。


 それをミノタウロス達も理解しており、じわじわとその差を詰めてきて──。


 その直後、一閃が猛牛を縦に割る。


「さあて、それじゃあ始めるとしますか」


 本物の英雄が、不敵に笑いそう謳う。


 その存在感に思わず、ミノタウロス達も顔を向けて。


「よくも、人の娘に手え出してくれやがったな。その代償は高くつくぜ!!」


 いつものおどけた口調で、しかしそこには一切のおふざけなど入っていない声がその場に響く。


 ミノタウロスとの決戦は、佳境に入っていく。

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