12話 愚かなあなたに
ササキシュウはただ呆然としていた。
そう、ただ目の前の光景が受け入れられないのだ。
だって、そこでは。紫髪で琥珀色の瞳を持つ少女──メイアが泣き叫んでいた。
その両腕にかつての彼女の親友、オリシアだったものを抱えてだ。
抱えているとはいっても、あるのは上半身だけ。下半身は何かにもぎ取られたかのように、もしくはそこだけ爆発でもしたかのように消えている。
下半身の場所──それは、きっと誰もが分かっていることだろう。
彼女の周り、そこにはおびただしいほどの血がぶちまけられており、それがすべて彼女の血だということは明白だ。
「どうして‥‥‥? どうして、オリシアが‥‥‥?」
先ほどから涙が枯れ果てるまで泣き叫んでいたメイアはうわ言の様に何度もそれだけを呟き続けている。
それは、シュウだって聞きたい。
彼女は、なぜ死んだのだ?何に、殺されたのだ?
疑問が何度も頭に浮かんでは、しかしそれは言葉にはならず、心にぽっかりと空いた喪失感に吸い込まれていく。
会って一年するような親友でも、数か月過ごした友人でもなく、ただほんの少し面識があっただけの少女に。今心の底から、なぜと思っている。
こうなのか。少し面識があっただけの少女がいなくなっただけで、これほどの痛みが襲ってくるのか。ならば、メイアは?こうして今もオリシアを抱えて、泣いている少女の苦しみは?どれほどなのだ?
シュウにはそれすらも推し量ることは出来ない。
そして、何かメイアに声をかけようとして、ミルがそれを止める。
「シュウ。今すぐに、この場から離れなさい。誰にも気づかれず、誰にも悟られず、この場から去るのよ」
「な、に‥‥‥?」
小さな声でシュウに告げるミル。しかし、その意味を理解しかねる。
だけど、その答えはすぐにやってくる。
泣き叫ぶメイアの周りにやってきた野次馬達──その中の一人が突然しゃがみ、そばに転がっていた石ころを拾い上げる。
そして、あろうことか。それをシュウに投げつけてきたのだ。
「な────」
投げられた石はシュウから軌道を外し、違う方向へと落ちたので逃げる必要はなかったが、それとは別の。もっとほかの何かがぶつけられていた。
「黒髪の‥‥‥せいだ」
一人がそう呟く。
隣にいた女性──茶髪の女性でどこか死んでしまった少女の面影を残す女性は、しゃがみ、傍らにある手ごろな石を拾い。
「黒髪が‥‥‥あなたなんかが、関わるから‥‥‥娘は、死んだのよ」
それに便乗するかのように、一気に周りの人間たちがシュウに対して非難の声を上げる。
人はいつだって納得できる理由を探すものだ。それが真実でなくとも、構わない。要は安心できる材料が欲しいのだ。
それが、今回シュウだったように。
「────!?」
シルヴィアやミル、ほかにもソフィアが村人に対して何か言っているが、むしろ収まる気配はない。
それどころか、勢いは増していく。
「なんで‥‥‥こんな、どうして、俺だけが‥‥‥?」
この場にいたのが、もしもどこかの物語のような英雄だったら、きっと悪意に押しつぶされず、即座に行動に移していたのかもしれない。賢くて、頭が切れる人物だったら、一瞬で村人を説き伏せただろう。
でも、ここにいるのはそんな超人などではない。ここにいるのは、何もできない一人の少年だ。
だから。
「シュウ!?」
シュウが取った行動に、シルヴィアが驚愕の声を上げる。
単純に。逃げた。その場から。
それも、その場から離れた方が得策だとか、そんなことは考えずにただ悪意に押しつぶされて、みっともなく逃げた。
逃げて、逃げて、逃げていった。
村の人に捕まらないように。シルヴィアたちに追いつかれないように。
走って、走って、走りまくった。
どれだけ逃げただろうか。もはや、村なんて見える位置にないことぐらいわかっている。
それでも、なお足は止めない。
そして、森を抜け。見えてきたのはあの賢者の塔だった。
「はあ‥‥‥はあ‥‥‥」
シュウは賢者の塔には入らず、その前の一本道にてしゃがみ込んでいた。
そのまま、地面に背中をつけ、息を整える。
未だ、賢者の塔に一人で入る気が起こらない。きっと、怖いのだ。一人で賢者に会うことが。
そこまで考えて、自嘲の笑みが自然と出てくる。
結局、その程度の人間なのだ。何も出来ないくせに、誰かしてくれるからと期待する。
ふと、音がした。
規則的な音だ。つまり、人の足音だというのが分かる。顔を上げてみれば、水色の髪と、衣を纏った少女──メリルがいた。
「そもそも、黒自体が忌避されているのにはいろいろと理由があるんだ」
しかし、シュウに何があったのか尋ねることはない。おそらくは知っているのだろう。
「この世界の人間には、あらかじめ黒への恐怖が植え付けられている。これは魔獣も同じだ」
賢者は続ける。
「そして、君はこの万物からは逃れられない。だって、世界がそうしているんだから」
世界が、黒への恐怖を植え付けた。ゆえに、黒への恐怖はあってしかるべきなのだと、賢者は言う。
「なあ、こんなくそったれの世界が許せるかい?」
どこか、怒りのようなものが混じった問いが、愚者に投げかけられる。それから、彼女はいたわるような視線でシュウを見つめ。
「みんな、君の外見だけを見て、こいつは悪い奴だ、そう決定する。君の内面なんか、優しさなんか関係ない。みんながみんな君の外見だけを、上っ面だけを見て勝手にそう判断する」
「──────」
「そうだ。そんなやつばっかなんだよ、この世界は。君が思ってるほど、聡明でなく、むしろ一つの迷信を愚直なまでに信じる、そんな愚者しかいないんだ」
「──────」
「でもね、その点、君は違う。一つの固定概念に囚われず、広い目で世界を見ている」
「──────」
「いつの時代だって、そういう者は忌避されるものだ。だが、忘れないでほしい。君は、愚者の中に埋まっていい人じゃない」
「──────」
「なあ、ササキシュウ。もういい加減疲れただろう? 自分のことを上っ面だけで判断し、何一つ自分の頭で考えようとしないやつらと一緒に過ごすのは」
「──────」
「つらいし、苦しいし、そんなのばっかりだろう? それとも、君はそれがいいとか言う本物の狂人なのかな?それとも、自分が何もせずとも誰かが勝手に評価を変えてくるのを待っている楽観主義者? ──違うはずだ。君は人間だ。誰よりも、人間だ」
「──────」
「だから、苦しいことから逃げる。つらいことがあれば傷つく。そんな思いをしてまで、君は彼らと、愚者といたいのかな?」
「──────」
「賢者になってしまえばいい、ササキシュウ。そうすれば、そんな苦しみから抜け出せるはずだ。ボクが、約束しよう」
シュウは、ゆるゆると首を振る。だけど、そこには以前のような勢いは何一つない。
「ここまでしても、まだ拒むんだね。そうまでして、世界の可能性にかけているのかな? ひょっとしたら、自分をそう思わない人物がいるんじゃないのか、そんな風に縋っているのかな?」
図星だった。完全に、シュウの青い考えなど賢者には見透かされている。
そして、賢者メリルは。シュウの顔からそれが正解だと悟ったのか、少し、ほんの少しだけ。悲哀の目でシュウを眺める。
「だとすれば、それは早計だ。ああ、愚者なんかといるとここまで腐ってしまうのか‥‥‥? いや、違うな。‥‥‥そうか。君は、こう言いたいんだな。自分は、普通の人間だって。そして、シルヴィアを信じていると。なら、一つずつ崩していこう」
まず、賢者メリルは人差し指を立てて。
「まず、一つ。そもそも、君はまだ、自分が普通だと思っているのかな?」
「あ───?」
「だって、当然だろう?普通ならば、まず魔獣を目にして動くことが出来るだろうか? 思い出してほしい。君が、最初に王都での事件を目にしたとき、君は動けなかったはずだ。だが、今は? 何日かの前のガーゴイルの件。君は何をした? 自分を囮にしただろう?」
「──────」
「確かに。普通なら、周りを気にするかもしれない。助けようとするかもしれない。だけど、普通は固まって出来ないものさ。だけど君は意識するまでもなく、助けている。これを、狂っていると評さずしてなんといえばいい?」
ようやく。ようやくあの時の賢者の意味が分かった気がする。初対面でシュウの内面を見透かされていた。
「まあ、そこはいいんだ。別にそこはいつか誰かが気づく。それよりも」
「──────?」
「シルヴィアを信じている、だったかな? それは、何に対してだい? もしかして、黒への感情のことかな?」
賢者はシュウが縋っている希望をあっさりと看破し、それを崩すために口を開く。
「先ほど、ボクはこう言った。黒への恐怖は心に刻み込まれている、と。そしてそれから誰も逃げられないんだ。だから」
「──────」
「シルヴィアも例外じゃないんだよ」
思考が、とんだ。シュウは今、賢者が何を言っても言い返せるように身構えていた。しかしどうだ?実際にそれを聞き、すべてが折れた。
シュウの最後の頼みが、こうもあっさりと。
それ以上は聞きたくないと言わんばかりに、シュウは耳を覆う。
しかし、賢者は気にも留めない。
「シルヴィアは君に会った時から、ずっと心のうちに湧いてくる恐怖心を、敵愾心を押さえ続けてきた。なあ、ここまで言えば分かるだろう?」
──うるさい。
「シルヴィアは、そのうち君を裏切る。結局はそんなものなんだよ」
賢者メリルは、これから起こりうるであろう未来をシュウに告げる。
だけど、シュウは子供みたいに駄々をこね、それを否定する。
「‥‥‥そんな、わけが‥‥‥」
「あるんだよ。結局彼女もほかのクズどもと変わらないだけさ」
──うるさい。うるさい、うるさい!
誰を信じようと、究極的にはシュウの勝手のはずだ。シュウはシルヴィアを信じているし、そんなことをするはずがないと今でも思っている。
だけど、考えてしまった。もしかしたら、シルヴィアはずっと抗い続けてきて、何かの拍子に、その均衡が崩れ、シルヴィアがシュウを殺す光景を。
「さあ、ササキシュウ。賢者になるんだ。それが、君にとって、そしてボクにとっての最善の道だ」
まるで、シュウの考えを読んだかのように、疑問を抱いたところを攻めてくる。
だが、そこには本物の慈愛があって、ひどく縋ってしまいたい気分になる。
賢者が、メリルが、手を差し出す。
きっと、この手を取れば、シュウは戻れなくなる。それがはっきりと分かる。でも。
この手は止まらない。差し伸べられた手を取るべく、体が進んでいく。
それを見て、メリルはうっすらと微笑んだ。
「仕方のないことなんだ。誰かが悪いわけじゃない。世界が、こんな風にした世界ってやつが悪いんだから」
そして。
──忘れないで。
誰かの声が耳を打つ。
それは、かつて彼女に言われたもので。
──何があっても、私は君の味方だから。
頭の奥で何かが、はじけた。
「そんなこと‥‥‥するはずが、ないだろうが‥‥‥」
「な、に?」
メリルの手を弾き、シュウは声を絞り出す。その行為に賢者メリルは驚きを隠せない。
「シルヴィアが、そんなことするはずがない!!」
確かに、黒という色に対しての恐怖は、負の感情はあるのかもしれない。でも、彼女はそんななかで何と言った?
味方だからとそう言ったのだ。シュウに対して、本心から。
それを信じなくてどうする。それを疑ってどうするのだ。
王都での一件の時、シルヴィアは信じてくれた。
ならば。
「今度は、俺が信じる番だ!!」
自分に言い聞かせるように、大声でそう叫ぶ。
対して、自らの目論見が破綻した賢者は、ひどく哀れな目でシュウを見ている。
「ここまで来て‥‥‥それでも、まだ、シルヴィアのために動くのか‥‥‥」
「ああ、そうだ。それが俺のやるべきことだ」
メリルの恨めがましい声に、シュウはそう応じ、メリルに背中を向ける。
「本当に、厄介な呪いを掛けていったものだ‥‥‥でも、忘れないほうがいい」
「なんだ?」
「そっちは地獄だ。誰も君の言うことなんて信じず、君を追い立てる」
「知ってる。それでも、俺はシルヴィアの手助けをするんだ」
それが、ササキシュウに与えられた役割なのだ。役割は全うするためにあるものだ。決して放り投げるものではない。
最後に。
「行くといいさ。ボクとしても見ものだよ。どこまでシルヴィアに縋って生きていけるか。もし、彼女が死んだときにどんな顔をするのか。見守らせてもらうよ」
「言ってろ。そんなことには、絶対させない」
それだけ言い残し、シュウは再び村へと走っていく。
ここに、愚者と賢者は決裂した。