11話 そして始まる
シュウは賢者の塔から抜き出すように早足で、飛び出していく。
もちろん、目指すべきはシルヴィアとミルがいるであろう村。そこにシュウも行く。
当然ながら、別にあの部屋で待っていても構わなかった。いや、そうするべきだったのだ。シュウが外出すればそれだけで行く先々で目をつけられる。それに取り繕ったところでいつかはボロが出る。
そんな可能性を消すために、シュウはあの部屋で待っているのが得策だった。
しかし、シュウはそれをしなかった。
理由は単純。あの賢者メリルと単に二人でいたくなかったのだ。あんなことをされ、平常心でいろ、という方が難しい。
それに。
「あれ以上、あの場に留まっていたら、何かやばかった気がする‥‥‥」
自身の額に伝う汗を拭い、呟くシュウ。
実際、あの場は何かがおかしかった。いるだけで頭が常に何かに脅かされているような気分にさせられる。
まるで、自分が自分でなくなる感覚。そう、ここに来る最大の理由となったあの忌まわしき悪夢。あの時と似ている気がする。
「くっそ‥‥‥思い出しただけで、気持ち悪くなる‥‥‥」
そんな気分を忘れるように、歩くスピードを速め、村へと急ぐ。
例え、優れない気分だったとしても、シルヴィアに会えば晴れる。そう考えて。
村に着いたとき、奇異、というより、殺意に近い何かを一斉にぶつけられていた。黒髪だ。これが、村の人々の恐怖を煽り、殺意を抱かせている。
シュウはまるで苦虫を噛み潰したような顔で、俯きながら村を歩いていく。一応、シルヴィアの居場所を聞いてみたのだが、取り合ってもらえないどころかものを投げられた。
「なんで‥‥‥わぶっ!」
シュウは俯きながら、自身の黒髪に恨みを抱きながら歩いていると、誰かに偶然ぶつかった。いや、偶然などではなく、いかついおっさん達がシュウを取り囲んでいる。
シュウがその意味を図り切れず、呆然としていると、一人の大人。この前、シュウが買い物をした主人が冷酷な目でシュウを見つめながら、話しかけてくる。
「おい‥‥‥黒髪が、何の用だ」
その声には、この前聞いたような柔和なものは何一つ含まれておらず、ただただ冷徹なだけだ。
「俺は、ただシルヴィアを探しに、来ただけ──があ!?」
シュウがシルヴィアの名前を出した途端、背中に鈍い衝撃が走る。それが、本気で殴られたのだと理解するのにたっぷり数秒使った。
「何を‥‥‥ふぐっ!」
もう一度、今度は腹に強烈な一撃が入る。それが肺に衝撃を与え、過呼吸に陥る。
それが口火となり、多方面から殴打がシュウを襲う。躊躇なく。まるで自分の家に入ってきた虫を潰すように、無感情のまま殴り続ける。
そのまま、どれだけ殴られ続けたのかすら分からず、もはや意識を保っているのも困難な状況になっている。
この袋叩きを見ている人は、ただ侮蔑の笑みだけを向けていく。
圧倒的なアウェー。味方なんてだれ一人いなくて、そのまま黒髪に対する報復は続いていく、はずだった。
そこに割り込む声と姿がなければ。
「やめて!」
そこに割り込む影は見覚えのある少女だ。桃色の髪、そしてサファイアのような輝きの瞳を持つ少女──シルヴィアだ。
「な──どうしてここに!?」
シュウに制裁を加えていた誰かが、シュウをかばうような姿を見せるシルヴィアに声を上げる。
「ごめんね。シュウ。気づくのが遅れて」
シルヴィアはその問いには答えず、ただ、シュウを労わるような声で謝罪する。
そして、シルヴィアは先ほどまでの少女の雰囲気を消し、完全に英雄としての顔つきへと変わる。
「どうして、こんなことを?」
場が一瞬にして張り詰める。
少女から発せられるにはあまりにも似合わない威圧は、さきほどまでのムードをぶち壊し、その場の全員の動きを止める力はあった。
この場で、ただ一人を除いて。
「いいんだ、シルヴィア。俺は‥‥‥なんとも、ないから」
「でも、シュウ‥‥‥」
シルヴィアはシュウの体に付けられた傷を改めて眺めて、さらに言葉を重ねようとするが、シュウがそれを止める。
「これ、以上‥‥‥問題を起こす必要はない、から」
さすがにシルヴィアもそれ以上は何も言わず、その場を離れようと立ち上がろうとするシュウに肩を貸し、そのまま歩いていく。
最後に、あのときのおっさんは。
「すまなかった」
力のない声でそう呟き、この場を後にしたのだった。
先ほどの場所からどれくらい離れただろうか。こうして歩いているのはシュウなのだから分からないはずはないのだが、朦朧とし視界が明滅しているので正確な距離を測るのが難しいのだ。
大体、こうして意識を保っていることがおかしい。シュウ自体、喧嘩慣れしているというわけではないので打たれ弱い感じはある。実際、シュウは数回でも殴られれば意識は闇の彼方へと消えるとさえ思っている。
それほどに弱いのだ。村人すら勝てないぐらいに。
力は欲しいと思う。だが、結局思うどまりなのだ。そこから飛び出すことはない。
あの時、シルヴィアを守ると誓って置きながら、このざまだ。守ると誓った誰かに守られ、所詮その程度だと思い知らされる。
笑えてくる。笑いがこみ上げてくる。自分の愚かさに対して。
そんなシュウの考えを見透かしたのかどうかは知らないが、シルヴィアはシュウに話しかける。
「ねえ、シュウ」
「どうした? シルヴィア」
「恨まないでね」
「‥‥‥?」
シルヴィアのその言葉の意味が分からず、ただ首をかしげる。
「何があっても、私は君の味方だから。それを、忘れないで」
それだけ伝えて、これ以上は喋ることはないと言わんばかりに目を逸らす。
そして、ようやくシュウはその意味を悟る。
心配してくれていたのだ。こんなやつを、心の底から。以前、シュウはシルヴィアを優しすぎると評した。それはあながち間違っていないと思っている。だからこそ、彼女が背負わなくいいはずのものまで背負おうとしてしまう。
だけど、今は。今だけは。彼女の優しさに縋らせてもらおう。
「ありがとう。シルヴィア」
「本当に、申し訳ありませんでした!」
紫髪の少女──以前、シュウ達が村の前の旅路で救った少女だ。ちなみにもう一人の茶髪の少女は、奥で腕を組んで、座っている。
「いや、大丈夫だから。ほんとに、もう気にしてないから‥‥‥だから、その頭をどうか上げてくれ‥‥‥」
シュウの懇願するような声に、しかし目の前の少女──トパーズのような琥珀色の瞳はまっすぐにシュウを見つめ、メイアは引き下がらない。
「いえ、その私たちを救ってくれた恩人さんに、まさかそんなことをしていたなんて‥‥‥謝罪してもしたりないぐらいです」
「なあ、メイア。もう謝るのはやめた方がいいんじゃないか?」
そのメイアの必死な姿に、奥にいた同じ色の瞳を持つ少女はメイアに引き下がるよう進言する。シュウとしてはあの行動には意味があったのだと理解しているゆえ、さほど根には持っていない。
だから、奥の少女──オリシアには頑張ってもらいたいのだが、いかんせん不可能なようだ。
「オリシア! 恩人さんになんてこと言うの!」
「うっ‥‥‥いや、それには感謝しているけども‥‥‥」
メイアの鬼気迫る表情にオリシアはたじたじだ。そんなやり取りを見て、思わずため息をつく。
「ああ、くそ! 確かにそれには感謝してる。だけど、それとこれとは話は別だ。メイアには指一本触れさせなからな!」
シュウに感謝を述べつつ、しかしメイアをかばうように立つオリシア。だが、メイアはオリシアをどかしまた謝る。
「なあ、メイア‥‥‥さん、だったか?俺の黒髪を見て、なんとも思わないのか?」
ふと先ほどから謝意を向けてくる少女に対して、シュウは思った疑問をぶつける。メイアは少しだけ首をかしげ、
「いえ、私はなんとも‥‥‥」
「おま、お前、正気か‥‥‥!? 黒髪だぞ!」
どうやら、ソフィアと同じでなんとも思わないらしい。やはり、黒は危険だと思うものと、そうでないものがいるということが分かった。その詳しい条件は知らないが、シルヴィアももしかしたら、黒髪を危険だとは思っていないのかもしれない。
「やあ、シュウ。さっきぶりだね」
「ソフィアか‥‥‥ありがとう。お前がシルヴィアを呼んでくれたんだってな」
奥になぜか平然といる銀髪の青年──ソフィアはシュウに向けて軽く手を振る。シュウもそれに応じ、またあの場を収める一番の方法を用意してくれた青年に感謝を伝える。
「いや、本当は僕が止められれば良かったんだけどね。あいにく、力はなくて」
自身の至らないところを恥じるように頭を掻くソフィア。さすがは好青年だ。何をしても様になる。
「ところで、ミルは?」
「ああ、ミルなら。さっきメリルさんのところに行ったよ。なんでもシュウの治療のために部屋を使っていいかの許可を取るために」
ミルがいないことを不思議に思ったシュウだったが、行き先が分かりほっとする。いや、まあ彼女の性格からしたらシュウをからかわずにはいられないだろうが。
「さて。そろそろ、ここに居続けるのは得策じゃないと思うよ、シュウ」
「ああ、わかってる。じゃあ、シルヴィア行くか」
ソフィアの提案に乗り、さっさとこの場から離れることを決断する。奥のテーブルにはまだ大量の品が残っており、捨てるのは勿体ないが今はすぐに消えた方がいいだろう。もし、シュウ達と一緒にいるとわかったら、彼女たちも危ないのだから。
「えっと‥‥‥もう、いかれるのですか? 恩人さん」
「ああ、そうなるな」
その話を聞いていたメイアが、おずおずと言った調子で尋ねてくる。シュウはあっさりとそれを認める。
だが、別段止めるようなことはせず、
「そうですか。なら、いつでも来てください。待ってますから」
「ああ‥‥‥また、来るよ」
それだけ言い残し、シュウとシルヴィアは村から去っていった。
英雄が帰ってから、約数十分。
辺りはすっかり暗くなってきているため、早く帰らなけらばいけないとオリシアは思いながら、急ぎ足で歩いていた。
普段であればこんな遅くまで遊んでいるわけではないのだが、今回ばかりは仕方がないだろう。
そこを話せば、きっと母も納得してくれるはずだと、そんな風に言い訳を考えて、それをやめた。
だって、黒髪と接していただなんて知れ渡ったら今後なにされるか分かったものじゃない。
ここは、怒られるのは覚悟して、黒髪の事は秘密にしておくのが得策だと思ったのだ。
でも、そこで。
革新的な。今までのすべてを否定するような何かが浮かび上がる。
「────あれ? そもそも、なんで私、黒を嫌って‥‥‥?」
おかしい。おかしくなければならない。だって、自分は黒が好きだったではないか‥‥‥?
自分の意見の違いに気づき、歩みを止める。
──そもそも。自分はこんな格好をしていたか?
あの時、自分は。どんな格好をしていた?少なくとも、こんなおんぼろのような服は着ていなかったはずだ。
「待って‥‥‥何かが、おかしい‥‥‥?」
そしてそのことをメイアに伝えるべく、振り返った瞬間。
影がいた。それはオリシアの数倍のでかさはあって。つかの間、オリシアは呼吸することすら忘れていた。
そして、影が持つ何かが少女に向かって振り下ろされる。
次の瞬間。
オリシアは粉々に砕け散った。




