5話 弟子同士の殺し合い
──場面は変わって。
アルベスタ教国とイリアル王国の境界線──グライアス峡谷へと転じる。
「シュウ──!!」
差し出す手は虚空だけを掴む。無情にも、その手に残ったのは何もない。
──落ちる。落ちて、落ちて、落ちて。その姿がシルヴィアの眼にすら捉えられなくなって。
「──ヒャハハ!! 第一目標排除成功だが、こいつもやっちまうか!?」
崖下を覗き込むシルヴィアの横──暗殺者の一人。ツンツン頭のイカれた瞳を宿す暗殺者が動く。
「いいや、止めておけ。我らでは敵わん。撤退するなら今のうちだ。だろう? ──ボス」
『──ああ、俺にも個人的な用があってな。すぐにでもメルザゾークに向かわなきゃいけない。殺せそうにない女を相手にしてる暇もないんだよなこれが』
シルヴィアが崖下を覗き込み、反応が遅れる最中。声に出して堂々と会議を行う暗殺者達──それも無理からぬこと。なにせ、今自らたちを脅かす者はここに居ないのだから。
──そう、彼を除いて。
「おい、お前らは死を前にして楽しむ余裕があるらしいな」
「ほう。凄まじい剣気だ……中々の剣士とお見受けする」
時間にして一分程度──その時間で参戦してくるのはカストルだ。
『セイロス──好きにしろ。そこで死ぬも生きるも、俺にとってはどうでもいいことでしかない。駒は、いくらでもいるからな』
「ほう? 舐められたものだな。俺が、お前ら三人をみすみす逃がすとでも? 実力を図れない凡愚が」
『別にお前を警戒してるわけじゃあないよ。うん、お前よりも厄介なのが後ろに居る。そいつと戦えば全滅は免れ得ないからさ。だから……相手ができるかもしれないやつに任せるだけなんだよ』
「……?」
訝しむもなく──爆音が峡谷全体に響き渡る。
それは先ほどのような爆発などではない。なにか飛来したものが、峡谷のどこかに現着した──その影響の余波。
「ち──この隙に逃げやがったか……!」
「カストルさん──危ない!?」
粉塵──巻き上がる塵に視界を奪われる。その際に敵──謎の者達は撤退し、残されたのはシルヴィアとカストルのみ。
だが、シルヴィアは──シルヴィアだけは、それに気づいた。
「全く──目ざといものですね」
立ち上がり、剣を抜くシルヴィアに投げかけられるのは、この場に合わぬ緩やかな言葉。
「あなたは……!」
「初めまして、というべきですかね」
粉塵を切り裂き、歩いてくるのは黒髪の女性だ。長い耳に褐色──最近、どこかで見かけたような身体的特徴に、銀の鎧をつけた者。
「魔族軍幹部『怠惰』セレス……これ以上の説明は、必要ですかね?」
「──あなた、は」
「同じ師を持った者として、若干の感慨もありますが……最早その感情は要らぬもの。ここで斬って捨てる。それが、私の使命ですので」
──殺気。あるいは殺意。
シルヴィアの身体、その各所を駆け巡るのは戦慄に似た何か。
その違和感の正体を掴めぬまま、シルヴィアは本能が継承するままに剣を上段に構え──。
直後、激突の余波が──火花が煙を引き裂き、耳を劈くような不快な高音が辺り一帯に響き渡る。
「ぐ、ぅ……!」
視界不明瞭。足元は最悪に近い状態。全力を振るう事すらもおぼつかない現状で、感覚のままに剣を振るい、狙いすまされた一撃を防いでいく。
「なるほど。あの御方の剣を受け継いでいることは確かですが……甘い」
それだけで収まるはずがない。布告の言葉通り、叩き込まれる斬撃がシルヴィアの身体を容赦なく攻め続ける。
信じられないことに──技の切れは、相手が上。条件はシルヴィアと何ら変わりがないはずなのに、それでも振るわれる剣の軌跡はシルヴィアのそれを上回る正確さと素早さ。
シルヴィアの比ではない。長年磨き続けた、辿り着くべき至高の場所。
しかし──。
「ふ──!!」
「……っ」
──タイミングが悪すぎた。
一か月以上前の『暴食』討伐戦。あれを超えて以降、シルヴィアは奇妙な感覚を覚えていたのだ。それは体がシルヴィアの思い描いた通りに動く感覚。
「悪いけど、負けないから」
「あの男……敵に塩を送ったとは……!」
斬り払われる剣が巻き上がる粉塵を掻き消し、示し合わす剣が重奏を奏でていく。
ただの一度も外すことのない剣戟。繰り出す剣技は同等。同質の剣術が故に互いは決定打を欠く──。
「とはいえ……横着状態も面倒ですね」
ただし。剣の冴えで、キレで、上を行かれているこの状態で長く続くわけがない。
いずれ、綻びが生じる──その前に。
「な──動き、が……!?」
止まる。流麗な動き──脳が思い描く通りの動きをするシルヴィアの身体が突然、停止する。
脳とは別に。何かが、そこにあるように。停滞した。
「ちぃ──!!」
その穴を埋めるために割って入るのは視界を奪われ、置物と化していたカストルだ。突然動きを止めたシルヴィアに剣が振り下ろされる寸前に、カストルもまた剣を振るいはじき返したのだ。
「どうした、『英雄』!? 敵を前にして止まるなど、お前らしくもない!」
「動きが……勝手に止まったんです! 気を付けてください。たぶん、これは……!」
敵の権能である──その言葉は、しかしセレスの攻勢によって遮られてしまう。
「邪魔ですね、あなた」
「面と向かって言ってのけるお前の胆力にびっくりだよ、僕はな!!」
重なる三つの剣閃──最中、セレスが邪魔だと断ずるのは合間合間で絶妙な援護をするカストルだ。シルヴィアも、カストルの剣技には非常に助かっているのは事実だ。
(ただ……さっきから私の動きが鈍い……)
それだけが気がかりなのだ。別に苦戦していると言うわけでもない。むしろ、カストルと二人で優位に運べている。
──それが、引っかかっている。
あの『大罪』が、魔族の中でも上位に位置する化け物たちが、この程度のはずがないと。
かつて相対した『大罪』はいずれもめちゃくちゃな印象だった。たった一人で凄まじいまでの被害を弾き出す。
「なるほど……それなりに動きやすくなってきましたね……」
「──!?」
最中。シルヴィアはその声を、聴いた。
(まさか……!?)
成長──否、感触の確かめか。
まだ確証はない。だが、もしも。今までの『大罪』と違って。完成されていた強さを誇っていた彼らと違って。
この『大罪』は、発展途上なのだとしたら。未だその使い方を知らず、今ここでそのすり合わせを行っているのならば。
「カストルさん! この『大罪』は、まだ──」
「権能より──停滞を示します。対象を、設定。それでは、よい夢を」
シルヴィアが気づき、カストルに注意を飛ばそうとした折。その前に動いたのがセレスだった。上から寸断するように、上段斬りをセレスへと叩き込もうとするカストルの身体が──止まる。
致命的なまでの隙。敵を前にしてのこの停滞は、まずい。
「ぐ──」
カストルの呻き声──それを最後に。
カストルの身体に、致命傷が叩き込まれ……。
「──なに、あの光?」
寸前。
カストルの身体に剣閃が叩き込まれ。、血が谷を染める──はずだった。そのはずなのに、そうであるのが正しいはずなのに。
一本の光線が、空より降り注ぐ──!!
「ち──あの阿婆擦れ女、また邪魔を……!」
「カストルさん!」
空を仰ぎ見て、悔しそうに顔を歪ませるセレスを置いて。シルヴィアはこの好機を逃がさず、動きが止まるカストルを引き寄せる。
その際、一撃を叩き込もうかとも考えたが──。
(そんなことをしてる暇なんてない……あの、光! あんなのがここに落ちたら、一体が吹き飛ぶ……!)
その前に逃げることが優先事項だった。
今はまだ小さな点に過ぎないそれは、秒を経るごとに徐々にシルヴィア達では為すすべがない脅威へと移り変わっていく。
「『英雄』、こっちだ……!」
カストルを連れ、逃げるシルヴィアだが……その足取りはけして軽いものではない。そう、あの光の柱がここに降り注ぐ前にどこに逃げればいいのだと。
その時、動けるようになったカストルが声を発し、行動する。
どうやら当てがあるようで、シルヴィアも彼についていき──。
数十秒後。
天にも昇るような、一本の光線が。
大地を破壊し、暗闇蔓延る谷底に炸裂したのだった。




