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2話 初めましての告白

 外に出ることは一度も許されたことがなかった。


 往来を歩くことも許されない。誰かと言葉を交わすのも許されない。ただ、普通に生きることでさえ許されることなどない。


 その事を、恨んだことがないと言えば──ないわけじゃない。


 それでも。今では仕方のない事なのだと、そう思っている。


 『黒』は──この世の悪だから。あるいは、必要悪だから。


 『黒』は人々に恐怖を生じさせ、戦慄を煽る。要は、人々の敵として最も都合がよかったのだ。


 だから、私は幽閉されている。一度も日を浴びることなく、恋をすることなく、『黒』に生まれてしまったことが罪だと言われて。


 ──とはいえ、その地獄ももうすぐ終わりを迎える。


 私が『黒』であるにも関わらず、生かされている理由は恩情──などという生易しいものではない。ただ、この国の最高権力者である枢機卿と最高司祭の二人にとって、都合のいい存在であるから。


 本来であれば、生まれた瞬間にその命を散らす『黒』が今もなお生き永らえているのは、ただそれだけだ。


 しかし、一年前。最高司祭は神を降臨させると言った。そのために何年も費やし、失敗しないために何人も犠牲にしてきたのだろう。そして、結論が出たのだ。あるいは、算段が付いたのだ。


 ──神を。アルベスタ教国が、アルベスタ教国であるが所以の宗教。信ずるのは『慈愛の女神』、であればその女神を再臨させるために、私を。



 別に構わない。それでも、問題ない。


 それは、この世から解放されるという事を指すのだから。


 生まれによって差別され、生きた証すらどこにも残せず、普通の生活を送ることも許されない。そんな地獄に、さようならを告げられる。


 ああ、でも。


 許されるなら。


 私は──。




 最後に。燃えるような恋をしてみたかった。









「結局、ミルやエリシャちゃんに何も言わずに来ちゃったなあ……」


 三日後。あっという間に時間が経ち、アルベスタ教国へと向かう馬車に乗っている最中。シュウはシルヴィアと何度も話し合った議論について少しだけ思い返していた。


「うーん……でも仕方なかったんじゃないかな。戻るにしても、時間的な余裕もなかったし……手紙も出したし、怒られることもないんじゃない?」


「だといいんだがなあ……俺そろそろミルに殺されそうな気がするんだよなあ」


 直感ではあるが、そんな気がして止まないのはシュウだけである。


 と言うのも、ミルはシルヴィアを尊敬しているのだ。だと言うのに、今まで彼女は一度もシルヴィアとどこかに行ったことはなく、どころかあまり一緒に居る時間が少ないと来ている。


 しかも、その代わりにシルヴィアと言うのがシュウと知れれば……もう殺害される気しかしないのだ。


「そういや、この谷? ってまだ抜けないけど……それなりに広いの?」


「グライアス峡谷。アルベスタ教国とイリアル王国の境界線にある、峡谷だね。基本的にはそんなに長くないんだけど……ほら、足場が悪いから速度が必然的に遅くなっちゃうんだろうね」


「なるほど」


 窓から顔を出してみても、続くのは変わらない光景。大地を分断させる、あまりにも大きな谷が顔を覗かせている。


 落ちれば、まず助からない深さであることは間違いないだろう。なにせ、こうしてみても谷底が見えないのだから。とはいえ、シルヴィアがいる以上落ちることを気にすることもさほどないのだろうが──。


「あまり揺らすな。ダリウス陛下が谷に落ちれば、言いつくろう事もできないぞ」


 ──顔を出し、谷底を見つめている最中。前より降ってくる注意の声が、シュウの耳に刺さる。


「てか、お前なんでここに居るんだよ……カストル」


「決まっている。ダリウス陛下に頼まれたんだ。護衛をしてほしいとな。断る必要もないし、生きていくにも金が必要だから受けた。要は傭兵だ」


 ──カストル・アルナイル。ロスイ・アルナイルの息子にして、サジタハにおいてシュウ達を引っ掻き回してくれた張本人だ。


 なにか評価があれだが、今は真っ当に生きているらしい。とはいえ、サジタハ以前の噂のせいであまり仕事が舞い込んでこず、生きるのに苦労しているらしいが。


「ササキシュウ。言っておくが、僕は今回君にほとんど関与しない。自分の身は自分で守るようにしろよ。……アルベスタ教国は、きな臭いからな」


「きな臭い?」


「ああ。お前達はあの国に行ったことがないだろうから、忠告しておいてやろう。──最高司祭には気を許すな。あれは、人ならぬ気配がする」


「会ったことがあるのか?」


「一応、な。とはいえ、さほど喋らなかったのが功を奏したのかもしれない。口を開けば、奴の言葉には言霊が乗る。真実は定かではないが、教徒を洗脳し増やしていると言う噂もないわけではない」


「洗……!? ちょ、ちょっと待て、そんなことできんのか!?」


 顔を出しながら喋るのも何なので、ひとまずシルヴィアに断りを入れ、カストルの所へ。ちなみにシルヴィアだが、カストルに微妙に避けられていることを身をもって知っているらしく普通に喋ることを諦めているとの事。故にシュウだけがここに来た。


 その理由に関しては、彼がアルベスタ教国の内情に詳しそうだから、だ。少しでも知っておこうと思って聞いたのだが、予想以上の闇の部分を聞いてしまう。


「普通は不可能だろうな。一体どうやっているのか……元々教徒である人間を使って、デモンストレーションでもしているのか。あるいは『オラリオン』などの類か」


「『オラリオン』なら、確かにできないわけじゃないだろうが……なんか途端に胡散臭くなってきたな。えと、確かアルベスタ教国で祀られてる神はなんだったか?」


「『慈愛の女神』、と言うらしい。だが、少なくとも僕はその存在に懐疑的だが。どの歴史書を読み解いても、そんな神の名前など出てこないからな」


「でっち上げてるってことか? 居もしない神を。それ、バレたらまずいんじゃ……」


「無論、そんなことがバレたらまずいどころの話ではないだろう。そもそも、宗教自体がでっち上げという事になれば国が瓦解する。同じ神を信ずる者が集まって共同体を作り出しているんだ。柱がなくなれば、その時点で国は崩壊の一途を辿るだろうよ」


 アルベスタ教国に人種の垣根は存在しない。『黒』と呼ばれ、蔑まれている者以外は、という前置きが入るが基本は差別がないとされている。


 ──だが、それらは全て。中心である神の存在が居るからこそだ。その中心が取り除かれれば、瓦解する可能性は非常に高いという事。


「気を付けろよ。何を考えているか分からんあの男には出来るだけ近づくな。なにか、呼ばれた場合は充分警戒することを忘れるな。洗脳されても、後味が悪い」


「なんだかんだあんたいいやつだな……」


「金を積まれた以上、教えるしかないだろう。お前も金を積めば、これ以上教えてやらんでもないが……止めておこう。さほど金のない奴に集る趣味はないしな」


「金がないやつで悪かったな……!?」


 最後の最後に嫌みを言ってくる辺り、カストルと言う男はこういう性格なのかもしれない。とはいえ、サジタハの頃に比べれば随分とマシになったが。


「じゃ、馬の手綱頑張って取ってくれよ。落ちたら末代まで恨む」


「放っておけ。お前はさっさとあの女の下に戻るんだな。何かあれば、僕は陛下を優先する。お前は、あの女にでも守ってもらえ」


 そんなこんなでシュウは馬車の中に戻り、シルヴィアと共にアルベスタ教国につくまで休んでいようと──。


「ち──ササキシュウ! 今すぐ馬車から飛び降りろ!?」


 別れたはずのカストルより、焦燥を伴った怒声のような大声がシュウの耳朶を震わせた。


 何かあったのかと振り返ろうとした──それが、間違いだった。


 違ったのだ。そうするべきではなかった。カストルに言われた通り、脇目もふらずに馬車から飛び降りるべきだった。直進し、後ろへ。そうすれば、助かるはずだったのに──。


「ふん──!!」


 数瞬──爆裂。


 馬車の床が衝撃を受け、真っ二つに割れる。跡形もなく吹き飛ぶ壁を捉えながら空中に放り出されるシュウは──それを見る。


 全身に拘束具を巻いた、謎の男を。


「てめえ──あの時の!!」


「借りを──返しに来た」


 セイロス──一年前の王都決戦。その数日前にシュウの前に現れた、暗殺者が一人。


 今まで現れることなく、牙を磨き続けてきた暗殺者が、シュウを屠らんと牙を鳴らす。


「くそ、──!?」


 空中というステージに強制的に移行させられたシュウに、しかし本物の暗殺者に適う道理はなかった。勝敗の前に、死がある。


「さらば。今日まで生き残った、幸運な者よ」


「っ──!?」


 瓦礫を除け、迫るのは巨漢の拳。メリケンサックもかくやというほどの武器を拳に嵌め、確実に殺さんと腕を振るい──。


「させる、わけないでしょう!!」


 寸前、割り込むのはシルヴィアの剣だ。間一髪のところで間に合った桃髪の少女はマフラーをたなびかせ、離脱。壊れ、谷底に落ちていく瓦礫と馬を見届けながら、シュウはシルヴィアに抱えられながら大地に着地。


「ヒャハハ!! そう来るのはお見通しってネェ!?」


 それを見越していたのか。もう一人、頭が爆発したようにツンツンしている何者かが、その隙を狙い突貫してくる。


 まさかの挟み撃ち。万全を期した計画に、後手後手に回らざるを得ない状況。


(なによりまずいのは、ここじゃシルヴィアが本気で戦えない!)


 シルヴィアならば、まず問題ないのは明らかだ。人類最強と言うお墨付きである以上、このような奴らに後れを取ることがない。例え、足場が少ししかなくとも。


 だが、まずいのはシュウの位置だ。シルヴィアの隣に居る以上、シルヴィアが本気で戦えないのは明白。


(ここまで織り込み済みかよ……!?)


 緻密に。綿密に。


 シルヴィアと言う障害を取り除くために、全てを整える。


「では、最後に三つ目を加えてみよう」


「──!?」


 まさかの三人目。この細い通路で、まさかまだ増えると言うのか──。


「シュウ! 伏せ──!?」


 いち早く気づいたのはシルヴィア。気づけないのは、シュウ。隣に居ながら、けれどシルヴィアは過ちを犯し、シュウもまたそれを大事と捉えていなかった。


 ──シュウを隣に控えさせるなら。崖側でなく、反対にするべきだった。


 その間違いが、シュウを──。


「ちょ、待て──!?」


 爆発。


 崖の反対にあった壁が、突如として風穴を開ける。そこより吹かれるのは、強風。ともすれば、人を簡単に空中に舞いあげることのできるほどの。


 そう、つまり──。


「わ、あ……!?」


 浮かぶ。


 想定外の攻撃に、今度こそシュウの思考は空白に染まり──空へ。シルヴィアが手を掴み、させまいとするも、二人の暗殺者がそれを阻むために突貫してくる。


 要は、無駄。


 ここに来た時点で。ここに居る時点で。こうなったら、覆しようがない。


「シュウ──!!」


 落ちる。落ちる。落ちる。落ちていく。


 光の見えない、谷底に。光など差し込まぬ、闇に。


 何も見えず、何も見えない暗闇に──為すすべもなく、吸い込まれていくのだった。









 ──衝撃は、来ない。


 いくら待っても。この体を破壊せしめる衝撃は、訪れない。


 代わりに。


「嗚呼……! なんということでしょう! こんな、こんなことが……」


 聞こえるのは、大人びた声だ。トーンが低く、落ち着いた、理知的な印象を与えるそれは──しかし、この瞬間だけは、どこか喜びに満ちている気がした。


「気が付いていますでしょうか。目を開けてくださいませ、私の大切な御人」


 受け止めてくれていたのか、体を支えていた感覚が失われ。代わりに伝わるのは自らの足で地面に立っていると言う感覚。


 シュウは目を開け、その女性を見て──。


「誰……?」


「あら、傷つきますわ。私はこんなにも、貴方を思っていたと言うのに……」


「い、いや! その、見覚えがないと言うか、いやでもどこかに面影があるかもしれないかな!?」


 ──そこに居たのは、一度も出会ったことのない女性だった。


 暗闇でもなお輝く銀の髪に、見惚れるほどきれいな碧眼。あるいは全体を見れば、すぐにでも溺れてしまいそうな、可憐さを引き立たせる小顔。全てにとって、シュウの心を鷲掴みにして止まない体のバランスに、息を呑んでしまう。


「申し訳ありません。こんなこと、どうでもいいといいますのに……」


「こ、こんなことって……」


 柔和な笑みを浮かべ、目尻に宝石のような雫を溜める女性に、シュウは今度こそ記憶を思い返す。引っ張り出しては仕舞うを繰り返し、しかし一度もシュウの記憶に引っかかることはない。


「些細なことは、どうでもいいのです。貴方様が見たことがあるのは、偽りの私。ですが、ここにあるのは、私と言う魂ですもの」


「た、魂……?」


 長髪。それさえもシュウの好みに合わせたかのような、そんなことを思うくらいにはシュウの理想を突き抜けていた女性は、シュウの胸に顔を埋め。


「ずっと、お待ちしておりました。貴方様と、こうして触れ合える時間を。言葉を交わし、想いを述べる瞬間を」


 そして。女性は微笑みを。


 首を傾かせ、はにかむ。シュウのために、シュウのためだけにしつらえた、その顔を──。


(っ……!? な、なんだ……! この、違和感は……!?)


 違和感。付き纏う謎のそれに首元を抉られながら、それでもシュウはその顔に縫い付けられてしまい……。


「初めまして、ササキシュウ様。私は、貴方様に、恋をするためにやってまいりました──」


 ──初めましての告白を、シュウに告げるのだった。


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