エピローグ 建国祭
──『暴食』との戦いは終わりをつげ、同時にシュウを苦しめていたループも終了した。
幸いと言うべきか、死者は最小限に抑えられた。『暴食』戦では少数精鋭にしたため、死者はゼロ。重傷者四人という戦いに赴いたほぼ全員が傷を負いながらも、なんとか生存したのだ。
──ただし、腕を失った者。血を流し過ぎた者。骨が何度も折れ、意識不明である者。あまりにも重傷すぎたためか、王都よりダークエルフを歓迎する使者と共に一切シュウの前に姿を現さなかった『賢者』が派遣されることが決定。
ものの数時間もかからずやってきた『賢者』はその場にいた負傷者、重傷者含め全ての者の傷を治しどこかに去っていき──使者と共に、シュウらは帰路につくのであった。
なお、『暴食』の体はなぜか消失しており、行方も不明。ただ、当初の予定であった時の精霊との会話、結界の綻び、世界樹の亡霊──これらの問題を解決したことにより、褒章が送られる運びになった。
とはいえ、『大罪』の脅威は去ったわけではないが……しかし、王国はこの状況下での『暴食』討伐、並びに八咫烏討伐を発表するとともに建国祭の開催を城下に知らせるのだった──。
「……すげえもんだな。こんな人いたっけ」
──『暴食』戦より一週間後。傷も癒え、安静にしているようには言われたものの、それでも歩くことを許可されたシュウは城下で開催されている建国祭を見に来ていた。
「私も見るのは初めてだけどね。いつも、屋敷に居るから」
「は……引きこもりも大概だな……!? ちょ、ちょっと待ってくださいミル様!? ねえ、俺怪我人なの、今また怪我したらベッドで寝たきりになるんだよ!?」
「ちょうどいいわ。そのまま永久に眠ると私も嬉しいし」
「辛辣すぎた!」
──そう。シュウの同僚にしてシルヴィアの従者。金髪を短く切り揃えた小柄な少女、ミルと共にだ。とはいえ、このお祭り騒ぎの状態でいつも通りの服であるわけではなく、なぜか浴衣姿で。
「てか、なんで浴衣あんだよ……」
「知らないの? 先々代『英雄』……シルヴィア様のお母様ね。確か、アリサ・アレクシア……だったかしら。そのお人がアイデアを出したって伝えられてるけど。これ、割と一般常識よ」
「お前も分かってるだろ……俺に一般常識がない事ぐらい」
「ええ。分かってるわよ。なんでそんな人間がシルヴィア様の屋敷で働いてるのかしら……やっぱり首を斬るしか」
「やめろ! ほんとにやめてください! ねえ、なんで!? なんでこんなに厳しいの!?」
なぜ、異世界にないはずの浴衣姿がここにあるのか──それを隣で歩いているミルに聞くが、いつも通り皮肉と罵倒で返されてしまった。
いや、いつもよりキレはないが……もしかしたらシュウの容態に気を使ってくれているのかもしれない。
『賢者』の魔法で治ったとはいえ、シュウにはそもそも治癒魔法が効かない。じゃあどうしたかと言えば、痛覚を麻痺させ、縫った。だからシュウの右腕は今も健在である。ただし、包帯をぐるぐる巻きで厳重に保管されているような形ではあるが。失くすよりはましだが。
(アリサ・アレクシア……ここまで来ると疑いようがないな、ほんとに俺達の世界の……)
ミルの言葉に戦々恐々しつつ、考えるのはアリサ・アレクシアだ。一体、どんな経緯でこの世界にやってきたのかは知れないが……一度会ってみたかったものである。
「ちょっと。どこまで行くつもり?」
「へ……? ミルのおごりで祭りを楽しむんじゃあ……?」
「お金なんて払わないわよ。自分のお金を使いなさい」
「ち……誘導尋問に引っかからんとはやりおる……!?」
「その程度の誘導尋問しかできないようじゃシルヴィア様の従者は名乗れないわね。シルヴィア様には私から言っておくから、一度修行にでも出たら?」
「相変わらずだなおい」
「なににやけてんの、変態」
別ににやけているわけではない。ただ、嬉しいだけだ。などとは絶対に言えないので甘んじて変態のし称号を受け入れるしかないシュウは悔しそうに臍を噛む。
「……すごいな、改めて」
「ええ。すごい熱気に、人。こんなに人がいるだなんて、思いもしてなかったわよ」
「だろうな……俺も、こんなのは初めてだ。あっちでは花火大会が最大の催しだったからな」
仕切り直し、再度人だかりを見るシュウにミルも同様に視線を動かす。──建国祭。いわば、お祭り。一年に一回だけのお祭りは、しかし去年は復興の関係でできなかったためか例年よりも盛り上がっているらしい。
どこへ行っても人だかりができており、この時だけはブロックなど関係ない。ちなみに、以前貧民街ブロックであった北ブロックだが今では通常の市街地となっている。復興のついでに、貧民街も立て直したそうだ。
「そういや、なんで俺はこんなとこに居るんだっけか。ミル」
「馬鹿ね。そのぐらい言わないでも分かりなさいよ。……シルヴィア様を待ってるんでしょ。今、浴衣に着替えてるから」
「そっかそっか……は!? 浴衣!? シルヴィアが!?」
「興奮しないで。それ以上近づいたら屋台の手伝いでもしてもらうわよ」
土下座であった。いや、正確には人混みの中に居るので土下座などしようもないのだが心の中で土下座した。ともかく、シュウは一度空を見上げて──。
「そう言えば。王都の……どこだったか。なんか、貧民街の近く? のお墓が荒らされてたんだってな」
「……言ってたわね。犯人は見つかってないとか。もうどうせここにはいないでしょうし、気にしないでいいんじゃないの?」
「気を紛らわせようとしたのに粉砕された」
「残念ね。もうちょっと女を楽しませる会話術を身につけないと」
勝ち誇ったような顔で笑うミル。その意味が分からぬままではあるが、ひとまずシュウは辺りを見回して。
「シルヴィア遅いし……先に何か食べてようぜ。まともな食事にありつけるのは久しぶりでな。そろそろお腹がやばい」
「はあ……仕方ないわね。シルヴィア様と一緒に食べたかったけど、シルヴィア様の従者として変な評判が立つのも面倒だし、なによりシュウが今のうちに満腹になっておけばシルヴィア様と……」
「心の声が駄々洩れですねミルさん。俺の胃袋は二人前できつくなる程度ですから充分に期待できますけど、そこまでお金が足らないです」
「……何に使ってんのよ」
「色々ね……ふふ、村の奴らによって使わせられた我がお金……ミルさん、お金を恵んで」
「仕方ないわね……今日だけ特別よ」
遠い目をして語るシュウにミルは溜息一つ。もはやツンデレか? とも思えるような仕草ではあったが、残念ながらシルヴィアに好意を抱いているのでそんな勘違いは犯さない。
「なにがいいの?」
「そうだな……あそこの屋台なんてどうよ。こっちじゃ見かけないだろうし……もしかしたら他国のかもな」
「……ええ。あれは、北の国ノールランドの特産品を使った料理だもの。こっちではそもそも作られないわよ」
「へえ……詳しいんだな、ミルは。もしかして行ったことあるのか?」
ミルの説明に感心し素直に感謝を述べたつもりだったのだが……なぜか、ミルが目を伏せていることにシュウは気づく。なにか、地雷を踏んでしまったのかと早急に理解したシュウは話題を逸らすために。
「ん、んー……あー、そうだな。ミル、やっぱ食べ歩きはシルヴィアが来てからにしようぜ。ええっと……広場! そう、広場に行こう! そこでシルヴィア待とう!」
「……そうね。全く、シュウ如きに誘われて主より先に楽しもうとするなど……従者失格だわ」
「遠回しに俺が従者失格だって言いたいのかなー……いや、まあ失格ではあるんだけどね、実際」
どうやらシュウの作戦は成功したらしい。とはいえ、察しのいいミルのことであるから見抜かれていただろうがそこはご愛敬。人混みを縫うように歩き、ミルとシュウは広場を目指していく。
その道中。
「おや、お久し振りですね、ササキシュウ殿」
「ああ、いつぞやの宝石商さんじゃないですか」
──再会したのはサジタハで偶然にも出会った宝石商だった。ただなぜか瞳の下には隈ができていたが。
「なにやら、大変なことを成し遂げたようで。噂はかねがね聞いておりましたよ」
「いや、俺の功績じゃないですし……皆が頑張ってくれたおかげですよ。いやほんとに」
彼もまたこの国を襲おうとしていた未曽有の脅威の事を掴んでいたらしく、シュウに賛辞ともつかぬお世辞を送ってくれるが、正直シュウにそれを受け取る資格はない。シュウだけではなく、皆だ。誰かが欠けていたら、どうしようもなかった。それほどの激闘。
「ああ……そうでした。ササキシュウ殿、サジタハで言われた通りの品、用意出来ましたよ。ただ……合計で20個ほどですが。それでも、夜空に満開の花を咲かせられそうです」
「ほんとですか! いやあ……すいません。ほんとは提案者である俺が口添えしたかったんですけど、生憎今日まで外に出ることを禁止されてて……」
「それは災難でしたね……おっと、お話はここまでのようです。これから責任者と会議を行い、後に行動に移しますのでこれで。楽しみにしていてください」
「了解です!」
「……なんの話だったの?」
話終え、これからの事に期待を膨らませている中──今の今まではなさなかったミルがシュウに耳打ちするような格好で囁いてくる。
「あー……えっと、それは後でな。こればっかりはサプライズだから何とも言えない。見てのお楽しみだ」
「楽しめなかったらどうするつもりなのよ」
「俺そこまで面倒見なきゃいけないの……? そんなの人それぞれだから何とも言えねえよ」
などと、お互いに口を動かしつつ、唯一噴水がある広場にシュウとミルはやってきて──。
「やっぱ人結構いるな。まあ、人混みに疲れて休むのはここが一番だしな」
──先客が多数存在していた。いや、この人数だからどこへ行っても関係ないのだが、それでもそう言うしかない。
「……シュウ。シルヴィア様からの伝言よ。貧民……北ブロックの塔に行きなさい。シルヴィア様が待ってるわ」
「え? 北の……え、でもここ南ブロック……」
ふと、空を見上げたミルは何かを感じ取ったようでシュウにそんなことを言ってくる。のだが、ここは南ブロックの中心だ。辿り着くにはそれ相応の時間が必要になる。
「ごちゃごちゃうるさいわね。人混みが邪魔で行けないって言うなら……」
「え? ちょ、ちょっと待って、ミルさん!? なんで俺の体掴むの……待って! 持ち上げないで! ねえ、振りかぶって何する気──」
「せ、やああああああああ!!」
渾身の一撃──それに匹敵する気合と共に、ミルが思い切りシュウをぶん投げた。そう、空中に。
道理ではある。地上がダメなら空。分かるが……それでもこの扱いはないだろう。なんだかんだミルの力は圧倒的で早くも北ブロックの塔付近につきそうなのだが。
「盾出せねえ……」
右手が吊り上げられる形で包帯を巻かれているので盾が出せなかった。つまり、無事に着地する方法がシュウにはないと言うわけで──。
「もう、ミルったら……こんな方法で連れてきてほしいわけじゃなかったのに……」
「死……なない。よかった、セーフ」
「シュウ? 怪我に問題はない?」
──よぎる死の予感。間違いなく迫る命の危機を救ったのはいつもと変わらぬ桃髪の少女だった。いつも通りお姫様抱っこで。
もうこの形に慣れ切ってしまったシュウはその事について言及しない。悲しいだけなので触れてはいけないのだ。心に戒めをし、シュウは感謝を伝えるためシルヴィアの方を──。
「……? どうしたの、シュウ。固まっちゃって」
──天使が居た、は大袈裟だろうが、少なくともシュウにはそれに近い類のものに見えた。シルヴィアのイメージに合うピンク一色の着物。所々に白い花の飾りがあるのがまたなんとも言えない素晴らしさを醸し出している。
「……いや、似合ってるなって、そう思っただけだよ」
「そう? ミルが用意してくれたから不安だったんだけど……似合ってるならよかった」
シュウに似合っていると言われたことが嬉しかったのか、シルヴィアは微笑む。──そこに居るのは、戦場を駆ける『英雄』ではなく、どこにでもいるようなただの少女。
この時だけは、彼女は普通であれるのだ。
「……終わったね。全部」
「ああ……長かったし、疲れたし、死にかけたけど……ようやく、終わったんだ」
立って喋るのもなんなので、塔の屋上に座って二人は話す。平穏を見つめ、祭りをただ楽しそうに聞いて──。
苦しい事もあった。悲しい事も、あった。辛い事だって、勿論。何度もダメだって思った。何度も、諦めた。でも、よかった。
諦めていたら、きっとこの光景は見れなかっただろうから。
「──あ。なにか、打ちあがって……」
何も言わず、平和を噛み締めていた二人──その静寂を破ったのは空に撃ちあがる光だ。それは高いところに居るシュウ達よりも高い場所に登っていき──破裂するように咲き誇る。
「わあ……」
「あれ、花火って言うんだ。俺の故郷だと、祭りには定番なんだよ」
「へえ……うん、綺麗だね。すごく」
「ああ……綺麗だ」
次々に撃ちあがる光弾──空に咲く花火に二人は酔いしれるように魅入ってしまう。シルヴィアからすれば、それは一種の幻想的な光景なのだろう。シュウも特段見慣れているわけでもないので、珍しいとは思う。
ただ、今はそれ以上にシルヴィアを見ていたくて──。
「……なあ、シルヴィア」
「うん? どしたの、シュウ」
今ならば。普段なら絶対言えないような事でも言えるような気がして──シュウは覚悟を決める。
今回の件を通して……シュウは自分の気持ちを再確認できた。できてしまった。やはり、シュウはシルヴィアが好きなのだ。どうしようもなく、狂いそうなほどに。好きで仕方がない。
だから──か。シュウはここでなら。ここでなら、シルヴィアに想いを告げられるのではないのかと……そう思ったのだ。
小首をかしげるシルヴィアの顔を視界に捉えながら──早鐘のように打つ心臓を抑えるため、一度深呼吸を挟む。
異様な空気。何物も邪魔に入ってこれないような、神聖な空間。まるで、何かが味方するかのように何も音が入ってこない世界で、シュウは渇いた口を動かし。
「俺……実は、シルヴィアが……」
「シルヴィア様~~! この私がいくつかシルヴィア様に合いそうな料理を買ってまいりました!! 共に食べましょう!!」
なんか横合いから入ってきた。そう、まるでタイミングを計ったかのように。
「あ、ミル! もう、ダメでしょ。シュウは怪我人なんだから丁重に扱わないと!」
「え……いや、その。シルヴィア様とのお話に一分一秒でも遅れるなど従者として言語道断なわけで」
「それでも!!」
「……承知しました」
目の前で繰り広げられるものに、シュウは信じられないように口を開けたまま固まってしまい──その様子に気づいたミルは、一度だけウィンクして。
(させるわけないでしょ、この野郎)
「確信犯かよ、この野郎ぉぉぉぉおおおおおお!!」
策士ぶりを発揮するミルに、もうシュウは叫ぶしかないのであった。
「もう……あ、でもおいしそうなのばっかり。シュウ? 一緒に食べましょう?」
「え……で、ですがシルヴィア様これは……」
「みんなで食べた方がおいしいでしょ?」
「……確かに」
「ははっ……ま。焦ることはないか」
日常が。守りたかった日常が、確かにここにあった。
(告白は、また来年にでも……)
来年を迎えられる保証はどこにもなかった。『大罪』との決着もついてないし、魔族の件も残っている。決して、安心できる要素はない。
けれど。シュウがそう信じたいから──みんなと共に、また来年を迎えたいから。
シュウは彼女らと共に建国祭の夜を過ごすのだった──。




