65話 『暴食』フェクダ・プルート
──俺は、人間が大嫌いだ。
その下らねぇ雑種の血が入っていることも、度し難い現実。
そのせいで、俺がどれほど失ったか──貴様らには分かるまい。
憎い、憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い
だから、全部ぶっ壊してやる。何もかも。守りたいもの、守ろうとしているもの、存在するもの、全て──『暴食』の名において、喰らいつくしてやる。
◆◆◆◆◆
──フェクダは、魔族領における首都とも呼べる場所。その影……見捨てられた子供たちが集う場所に手生まれた。
とはいえ、別にそれ自体をどう思う事もなかった。
──なぜなら、皆いたからだ。同じように親に捨てられ、同じように行き場を失った哀れな子供たち。悲しみを忘れ、憎しみを捨て、絶望を失くした、愚かな者たち。
寄り添い、共に生きることで。自らの心に巣食う空虚を埋めるために日々を過ごしていた。
──フェクダの中で、あの日々だけはどうしようもなく素晴らしいものだった。何物にも代えがたい、失くせない、傷のなめ合いの日々。
けれど、フェクダは──。
「ウィルヘルムさん──見事でした」
地に伏し、立ち上がることもままならない男に向けて。『暴食』に傷を負わせた、認められた男に。賞賛の言葉と共に、人間最強が立ちはだかる。
「『暴食』は、必ず私が倒します」
その様を見て、『暴食』は少しだけ嗤い。
「お前に、その力があんのか? 託された想いを果たすだけの力が、お前にあるのか? 弱ぇやつは、何も出来ねぇ。誰かの想いを受け継ぐことも、何も」
「──」
「そうだ。弱ぇやつは、何も出来ねぇ。ただ黙って指くわえて、絶望するしかねぇ。下らねぇ世界を、ただただ……見つめているだけ。何の、面白味もねぇ生き方になる」
「あなたは」
「同情なんぞ要らねぇよ。俺が欲しいのは、強さと、楽しさだけだ。それだけが、俺を、満たしてくれる」
思わず。本当に思わず、シルヴィアは少しだけ剣を握る力を強くする。それは、気圧されたからか。それとも、別の何かからか。
だが、違う。傷を付けられたことによるものかは分からないが、先ほどまでとは一線を画す何かが、そこにある。
「負けるわけには、いかない」
気持ちを奮い立たせるために、シルヴィアは再度誓いを口にする。──先ほどの戦い、端から見ていたが……可能性を見つけた。
劣っているシルヴィアが、『暴食』に勝てるかもしれない唯一の力。意思の具現化。即ち、『オラリオン』。
同じように、発動させれば、まだ──。
「可能性が、あるとでも思ってんのかよ」
──戦慄が、駆け抜ける。頭のてっぺんからつま先までを伝い、衝撃をシルヴィアに与える。底冷えするような、圧倒的な威圧。見られた者は居竦むような、眼光。
禍々しいで済むものか。おぞましいを遥かに超えている。
「あるわけねぇだろ。負けだよ、お前ら人間の、敗北だ」
悪夢族としての姿が、これ以上にないぐらいシルヴィアの恐怖を呼び覚ます。
「想いを呼び覚まし、俺に立ち向かったところで無意味だ。負けてんだよ、恐怖してる時点で。敗北が脳裏をチラついている時点で、敗北は確定してるんだよ」
「っ……」
「憎悪だ。憎悪。これこそが、憎しみだけが、恨みだけが、俺を焦がす。この世で最も素晴らしいそれだけが、俺に力を与える」
「もう、人じゃ……!」
人の姿からは、逸脱した。なぜ、人型を取っていたかは知れないが、今ではもう人の名残はほとんどない。背中から巨大な翼を生やし、その頭にはミノタウロスをも上回る角。伝承上にしか存在しないドラゴンに似た尻尾。
──肥大する。人の原型を留めないほどに、肥大し、巨大化する。
「これじゃ……剣技で」
剣術どうこうではない。単純な種族差。魔族であるか、人間であるか。その二つが彼我の差を如実に表してしまっていた。
勝てるのか。これほどの相手を前に、シルヴィアは──。
「最初は、幸福に暮らせていれば、それでよかった」
巨人──かつて、亜人と謳われた巨人族にも劣らぬ巨体を揺らし、前に進むのは『暴食』だ。一歩踏み進めるごとに、底知れぬ威圧がシルヴィアを襲って来る。
「そうだ。何も知らなければ、何も奪われなかった。何も知らなければ、俺は省かれなかった。何も知らなければ、見捨てられなかった」
振り上げる。巨体に見合わぬ俊敏さで振り上げられるその一撃に対し、シルヴィアは回避を選択するしかない。
あの一撃を真正面から受け止めれば、シルヴィアの体はバラバラになる。
「今でも蘇る。……俺を嘲笑する、声が。俺を、見下す声が。許さない。許す、はずがない。許して、なるものか」
苛烈──一撃だけで辺り一帯を吹き飛ばしてなお余りある衝撃がシルヴィアの体を打ち付け、回避と言う行動を狭めてくる。
強い。シルヴィアが戦った中で、圧倒的に。
剣技もさることながら、先程と違って力も加わった。速度だけでは飽き足らず、力までも。いよいよ、付け入る隙がなくなっていく。
「だから、嗤うのさ。見下してやるのさ。──相手の行動すべてを縛り、見透かし、絶望させたうえで。嗤って、愉しんで、喰らいつくしてやる!!」
地面が抉れる。木々が倒れる。風が裂かれる。止まらない。隙が無い。振るわれる一撃ごとに、剣が悲鳴を上げるのを聞く。
「さぁ! さぁ! 人の想いを束ねし、『英雄』よ! 戦え! 抗え! 死に絶望し、憎悪を見せよ! それで、終わりだッ!!」
憎悪がこれほどの。負の感情が、これほどまでの力を伴うのか。なんと、おぞましき事か。
──一撃ごとに、姿が変貌していく。さらに凶暴に、さらに巨大に、更に禍々しく。
「負けないよ」
追い詰められたシルヴィアが発するのは、それだけだった。
──今、負けたとして。次に殺されるのはガイウス、レイ、シュウ。その次はダークエルフの人達に、王国全土。
嫌だ。死なせたくない。死なせるなど、ありえない。
思い返すは、想いを馳せるは、今まで出会った大切な人達。彼らを血に沈めるのか。彼らを、殺させるのか。
──誓っただろう。もう誰も、失わせないと。
不甲斐ないけど。『英雄』として、まだまだだけれど。それでも、今、この瞬間だけは。
「あ、ぁぁぁぁ──!!」
咆哮。──同時、衝撃。剣と剣がぶつかり合うだけで、これほどの余波が生まれるなどと誰が想定できたか。何より──驚くべきは。
「防いだ」
「負け、ない……!!」
押し込まれてはいるものの、シルヴィアの剣が『暴食』の一撃を確かに止めていた。暴風は止む、嵐は、失墜した。
──互角。想いの丈が、世界を上書きした。
(何物にも負けない強さを……!)
輝く。剣が、意思を帯びたかのように光り出す。されど、その事について深く追求する暇などない。今は、倒すだけだ。今は、目の前の敵を──。
「な、ぜ……!?」
「もっと……もっと!」
誰かを守れる強さを。誰かを、守れるほどの力を。
守りたい。守らなければ、いけない。まだ、見たい景色がある。まだ、見ていたい未来がある。まだ、歩んでいきたい世界が、残っている。
終われるものか。終わらせてたまるものか。絶対に。
「せ、やぁぁぁぁぁ──!!」
弾き飛ばす。『暴食』の攻撃が、斬撃が、遂にはじき返された。それでは止まらない。連撃──今までとは格が違う速度でもって、連撃を叩き込む。
袈裟斬り、突き、斬り上げ、切り下げ──全てを、つぎ込め。
(速く……速く、もっと、速く……!!)
音が、置き去りにされる。
『暴食』が、遅い。スローモーション。コマ送りのような世界の中で、しかしシルヴィアだけは確かに動いていた。
──翔ける。もっと、速く。
──誰も、失わぬよう。誰も、失くさぬよう。速く、速く、速く。疾く、疾く、疾く、疾く。
「ぬ、お、おおお──!!」
斬撃。傷がつかないはずの『暴食』の体に、浅い傷がつけられていく。浅い、本当に浅い、けれど──確かな傷。
『暴食』ですら届かない速度。今、この瞬間だけは、シルヴィアは師を超越した。
「なぜ、だ。なぜ、なぜ──憎悪すら抱かぬ小娘風情に、俺が──負ける? ありえない、あってはならない、これは、間違いだ──!!」
されど、『暴食』も負けてはいない。師を超越したはずの速度に、ついてくる。噛み合う、噛み合わない、噛み合う、噛み合わない。それでも、上回っているのはシルヴィアの斬撃だ。
迎撃し、攻撃し──確実に、速度はシルヴィアが上。
「ふざけるな……憎い、憎い、憎いのだ……! 全部、ぶっ壊すと、決めた!! 人も、俺も、全部──!!」
更なる、加速。更なる、強化。互いに一歩も引かぬ剣戟。最早、誰も付いてこれぬ領域。
「私は……負ける、わけにはいかないの!!」
脳裏に思い描くは、シュウの顔。泣いて、悔やんで、シルヴィアに本心を打ち明けてくれた、大切な人。まだ、笑っていたいから。あの人と、一緒に生きたいから。まだ、この気持ちに答えは出ていないけれど。それでも──。
「──!!」
決戦する。圧倒的な力が、圧倒的な速度が。踏み出す一歩が、振りだす剣が。合わせ、合わせられ、神速の斬撃を重ねていく。
「暗い……夜、が」
──斬撃を合わせる中、『暴食』が何かに気づいたように声を上げた。
『暴食』の言葉通り、夜だ。太陽はその姿を隠し、星が輝く夜空に変化していたのだ。満天に咲く、星の花びら。幻想的な風景の中で、切り結ぶは最強同士。
最中、剣が。シルヴィアが操る剣に、星が纏わりつく。正確には、星の輝きが。
「ぁぁぁぁ──!!」
加速。人間の限界を遥かに超えた斬撃が、『暴食』の体を斬り刻んでいく。
「無駄、だ……!」
シルヴィアが加速すれば、『暴食』も呼応するように加速する。譲らない剣での勝負に──しかし、終わりは唐突に訪れた。
「ぬ、がぁ……!?」
大地を踏みしめる音──次の瞬間、『暴食』の巨体に拳が撃ち込まれていた。しかも威力は──『暴食』を揺らせるほどに、恐ろしく。
体術──ダンテが教えた、技術全て。ここに、叩き込む。
揺らぐ。ここに来ての、新手の攻撃手段に。『暴食』の意識が、僅かに逸れたのだ。その一瞬を、シルヴィアは見逃さない。
「流星光底」
光速。『暴食』の捉えられぬ斬撃。シルヴィアの『オラリオン』と、自らの剣術が合わさった果ての剣技。『暴食』が知らない、ダンテの技ではない、シルヴィア独自の一撃。
当然、反応が遅れ──届いた。肩から一閃。素朴な剣を叩き折り、叩き込まれるのは全力の一撃。
「が、ぁぁぁぁ──!!」
だが、止まらない。忘れるな。攻撃を振り切ったという事は、一連の流れが終わり、一瞬の硬直が現われる瞬間。まさに捨て身。全てをかなぐり捨てた、『暴食』の一撃がシルヴィアを捉え──。
「それは、もう知ってるよ」
すんでのところで、回避。紙一重、とでも言えばいいか。
「それ、師匠の技だもん」
──既に、知っていた。故に、避けられた。勝敗を分けた、僅かな差。想いでは同等、分けたのは──道程。誰を想うか、その一点に過ぎなかった。
「さよなら──兄弟子」
崩れ落ちる『暴食』の体を掴み、背負い投げ。だが、一連の戦いの中で強化されたシルヴィアの動きは、叩きつけるだけでは終わらない。
──投擲。オーガに届こうかと言う巨体を、投げつける。
背負い投げ。完璧すぎる一撃でもって、『暴食』を倒す。
「が、ぁ……」
「岩よ」
そこに畳みかけられるのはレイの魔法だ。倒された『暴食』の体を狙い、レイの魔法が容赦なく打ち付けられ──果てには、その場だけの空気を奪う魔法まで放たれた。
──勝利。人族の英雄と、魔族の『暴食』……互いに、最強同士の決着はシルヴィアに軍配が上がったのだった──。




