64話 ウィルヘルムという男
──未だ、あの日の事を忘れたことはない。
燃えゆく景色の中で、自らただ一人だけが生き残ってしまった、無様なあの瞬間を。
その日から、私は憎悪に囚われた。定めを果たすために、私は──。
なおも、その身に刻み続ける。後悔も、悔恨も、憎悪も、傷も、その全てを──。
自らが内に留め、その日を待とう。必
──必ずや、『暴食』を討つために。
「ウィルヘルムさん、それは……」
ウィルヘルムが告げた言葉に、シルヴィアは困惑の表情で返す。当然だろう。今の油断をなくした、化け物を一人で相手にするなど、自殺行為でしかない。
分かっていて、それでもなお、ウィルヘルムは退けないのだ。
「シルヴィア様。どうか、一度お引きを。──この我が儘を、聞き届けてくだされば」
「でも、それじゃ……」
「構いません。既に、この身はあの日、死んだ。今ここにあるのは亡霊──あの日下された命を果たすだけの、亡霊。悲しむ必要は、ございませんな」
──ずっと囚われている。あの日の指令に、命令に。あの『暴食』を倒す、という事だけを目指して、この十年自らの腕を磨き続けてきた。
及ばないのであれ、ここでやらねばもうチャンスはない。
「ウィルヘルム殿──ご武運を」
「ええ、任せてください。──必ずや、一矢報いて見せましょうぞ」
──簡単だ。ウィルヘルムが気を引いている間に、レイの魔法によって隠れた彼らが一撃を加える。それだけ。ただ、懸念はウィルヘルムに『暴食』の気を引き続けるほどの実力が伴っているか。
『意思は。強烈なそれは、世界に影響を及ぼす。悪い形であれ、いい形であれ、だ。その想いを磨き続けろ、ウィルヘルム。──いつか、獣を食いつくす刃になるまで、ね』
いつか、『賢者』に与えられた言葉。抜け殻のようになっていた、この身に生きる意味を与えてくれた言葉。
「足りぬものは、意思で補う」
なんとも、苦しいものだ。今日まで身に着けたものが勝敗を左右するのではない。目に見えない、不定形の力がこの場を左右するのだ。
「覚えているか、『暴食』」
「あぁ……? 知らねぇよ、俺は興味のない事はすぐに忘れちまう質でな。なにか、やっちまったのか?」
「覚えていないのならば、それで構わない。──私は自らの使命を果たすのみ」
「……へえ。魂胆、すけすけ。奇襲、万歳。いいぜぇ、やってやるよ。どんな作戦であろうと、結局は力が必要だ。作戦を通すための、力が。搦手など、要らねえ。正攻法で……力で、押し通してこい」
──全てを見透かしておきながらなお、この期に及んで自らが絶対と言うスタイルを崩さない。ウィルヘルムは、その態度に呆れを超えて何の感想も出ない。
「征くぞ、『暴食』。あの日の借りを、返させてもらおう」
「ぬう……!」
一歩。踏み出す──全身のバネを駆使し、弾丸のように飛び出すウィルヘルム。上段からの振り抜き。速度も重なり、一撃はそれなりに達するであろう──が、『暴食』は知った事かと言わんばかりにその場から動かない。
「中々、だな」
全力。衰えた筋力で出せる最高にして至高の一撃は、しかし『暴食』の剣は押されない。一ミリも、動かすことは不可能。どころか、押し倒そうとしているはずのウィルヘルムが押されている始末。
レベルが違いすぎるの一言に尽きる。ウィルヘルムも、研鑽を積んできたつもりではあった。約50年以上──衰え続ける筋力を奮い立たせ、それでもなお憎悪を燃やし剣を振ってきた。
だが、それ以上。『暴食』にはそれ以上の重みが存在する。
「んー……どっかで覚えがあんなぁ、お前のその動き。どっかで……見た事あるようなないような」
次々と繰り出す一撃は、しかし『暴食』は考え事をしながら避け続ける。それはまるで記憶の焼き直し。あの時も、ウィルヘルムの斬撃は躱され、そして……
「あー……はいはい。思い出した! お前、あれだな? 十六……いや、二十年ぐらい前に一回戦った、それなりに強かった奴!」
「覚えていてくれたとは、光栄の至り。胸に刻んだまま、逝ね」
「いっやぁ……あんときの奴が、まさかここまで強くなってるとはねぇ……磨けば強くなるとは思ってたんだよ」
二十年だ。二十年、これまで以上に剣を磨いた。衰える力を叱咤し、届かせようと奮起した。届かないのは、理解できている。この手で、仇を討てないのも、理解はしている。
だが、諦められるはずがない。
「ぬ、ぁぁぁ──!!」
迸る気合。剣が、最大速で振り抜かれる。突き、斬り払い、薙ぎ払い──合わない。一度も、合わない。かすりもしない──ただ、体力が削られるだけ。
(あの時と、なんら変わらんな)
敗戦──ウィルヘルムの心を焦がす、憎悪の炎。その原因となった、戦い。
とはいえ、全てが『暴食』のせいではない。分かっているのだ。戦場において復讐など、無意味。ただ向かってくる敵を討ち果たすのが宿命であるのだから、責められる謂れはない。
それに、今、ウィルヘルムが最も憎んでいるのは──。
「いいねぇ、お前。いい匂いがする。味わい深い──憎悪だ」
「つ──」
「憎むのは、構わねぇよ。この世は憎悪の連鎖だ。誰かを恨んで、誰かを憎んで、誰かを敵にしなきゃいけねぇ。そうしなきゃ、生きる意味を失うからだ。剣を握る意味を、失くすからだ」
「ぬ、がぁぁぁ!!」
「誰かを守るために戦うのは、詭弁だ。そりゃ、俺からすりゃつまんねぇ生き方でしかねぇ。本能のままに生きようぜ? あるがままに、剣を握ろうぜ? 下らない、使命感なんてどうでもいい。獣になろう。本能のまま、抗おう。憎しみを燃やし、恨みを焦がせ。──意思を、掲げろ」
鍔迫り合い。
今度の今度こそ、ウィルヘルムの一撃が『暴食』の素朴な剣を捉えた。それは、どのように取ればいいのか。ウィルヘルムの想いが届き、『暴食』に届いたのか。それとも、『暴食』の気まぐれか。
いずれにせよ、追いついた。
「もっと、もっとだ」
──悪寒が。戦慄が、ウィルヘルムの背中を這いずり回る。
何か、違う。何かが、さっきまでと異なる。威圧が、絶望が、どうしようもなくウィルヘルムの剣圧を削ぎ──。
「憎しみこそが、この世で最も素晴らしい感情だ」
一撃。
ウィルヘルムの首を切り払わんと振るわれた一撃は、しかしすんでのところでウィルヘルムのガードが間に合う──否、吹き飛ぶ。相殺しきれないほどに、重い。
「表も裏も、関係ねぇ。誰かを想う心──それが、憎悪であることこそが、最も生き物らしい」
二撃。
神速。そう形容するに相応しい一撃が、ウィルヘルムの腕を貫く。
「当然のものだ。抱いて、普通の感情だ。自然に生きる者に、与えられる天恵だ」
三撃。
防御が間に合わない。正攻法では間に合わないことを瞬時に悟ったウィルヘルムの行動は、鞘を盾にすること。
無論、壊される。一撃だけで破砕され、塵へと変換されていく様を視ながら、特攻。
「憎め。恨め。──世界を、許すな」
黒い。どす黒い。
最早子供が見れば、否大人であれ震え上がるほどの形相でもって振るわれる一撃がウィルヘルムの腹を直撃。
血が。舞う。意識が。点滅する。
「ぬ、ぁ……」
遠のく。血が。失われていく。暗闇が。そこに。現れて。
「まだ、終わらねぇぞ」
今度は、反対に。クロス型に付けられた傷は、肉を見せるほどの重傷に達していた。ダメだ。失う、見えなくなる、剣が握れない、立つのが難しい、もう、ここは──。
◆◆◆◆◆
私の失態だった。私の、思い違いだった。憎むべきは、『暴食』ではないのだ。
『兄者。今日もまた、敵を全滅させたな』
二十年前──ウィルヘルムが、まだ20代の頃。自分達が最強などと、自惚れていた頃。後に、ユリウスらが引き継ぐ最強の部隊──その前身を担っていたのが、ウィルヘルム達だった。
『ああ、皆が居てくれたからだよ』
『何を言う。──一番、魔族を切り捨てたのは兄者ではないか』
ウィルヘルムの兄──ライリア。王国最強とまで謳われる剣士であり、ウィルヘルムの所属する隊の統率者。
『ありがとう、ウィルヘルム。お前が守ってくれたおかげで、俺は今日も生きてるよ』
──ウィルヘルムが剣を取ったのは、兄のためだった。誰よりも気高く、誰よりも強い兄に追いつきたかった。届かないことを知り、それでもなお兄と共に戦いたかった。
なんでも、できると思った。できないことなんて、ないと思った。
けれど、それが奢りだった。
──負けたのだ。部隊は壊滅。生き残りはウィルヘルムだけ。全ては──斬り刻まれた。人の形をした、化け物に。
『全滅とはね、流石に驚いたよ。君達には、期待していたからね』
こつ、と。佇むウィルヘルムに近づく声があった。
『メリル、様』
『「暴食」か。存外、今代の奴は化け物らしい。それほどまでに、強かったのだね?』
『はい。恐ろしいまでの、使い手でした。繰り出す悉くが、読まれているかのように当たらず、逆にこちらは……まるで、赤子の手をひねるよう』
亡骸を見て、ウィルヘルムはただ回顧する。あの化け物の嗤いを、身の毛もよだつほどの恐ろしさを。おぞましい、などで済むものか。
あれは、悪魔だ。それに準する、何か。
『憎いか。あの化け物が』
『──』
『騎士らしくないか? 誰かを守るために剣を磨き続けてきた、己が、憎しみに囚われるのは認めがたいか?』
『メリル、様。あなたは──』
的確に。恐るべきほどにウィルヘルムの心境を当ててのける『賢者』に、ウィルヘルムは驚きの目を向ける。が、当の本人は決してウィルヘルムを視ようとせずに。
『確かに、君の想いは素晴らしい。この上ないよ、騎士らしい。──でもね、綺麗ごとだけじゃこの世界どうにもならないのさ。本能のままにあるがいい。──その時こそが、最も美しい』
『──』
『意思は。強烈なそれは、世界に影響を及ぼす。悪い形であれ、いい形であれ、だ。その想いを磨き続けろ、ウィルヘルム。──いつか、獣を食いつくす刃になるまで、ね』
そうだ、だから、私は──。
守れなかった自らが憎かった。
助けられなかった自らを恨んだ。
勝つことも出来ない、己を──。無様に、生き恥を晒すこの身こそが、最も。
「づ、あああああぁぁぁぁ──!!!」
朦朧とする意識が、覚醒する。無理やりに体を動かした弊害か、痛みによる覚醒。
──動かない。血が、足りていない。青ざめる顔で、色を失う世界で。されど、指に力が籠る──。
「な──」
さしもの『暴食』もこれだけは予想できなかったのか、振り終わり──行動の全てが終わる寸前。驚愕を露にした。
「てめぇ、なんで動け──」
確かに、斬り刻まれた。死が、近づいてくる。死が、迫っている。
だが、なお、それでも──燃えるものが、まだ残っていた。憎悪が、後悔が、体を突き動かす原動力。
意思が──世界を変えた、一瞬。この時だけは、ウィルヘルムの一撃は──『英雄』を凌駕した。人間が出せる一撃を、遥かに上回る斬撃。
衝突。軋む音を拾いながら、しかし優勢はウィルヘルム。音を上げる体を無視し、ウィルヘルムはなおも力を籠め続ける。
──くべろ。薪を、くべろ。燃やせ。燃やせ、燃やせ。熱く、熱く、熱く。
火を絶やすな。生命の炎を、途切れさせるな。
「一体、なんなんだ、これは……!?」
『暴食』の悲鳴が、地面に押し込まれる。身に覚えのない、過去最大級の一撃。さしもの『暴食』も、防戦一方。
憎め、恨め、憎悪し、悔恨し、後悔しろ。──かつての想いを、顕現させろ。
「ぁぁぁぁぁ──!!」
憎らしいのは、己だ。恨めしいのは、己だ。悔しいのは、なおも届かない己だ。
乗せろ、乗せろ、乗せろ。震える腕に、しわがれた腕に、全てを。後悔も、憎悪も、悔恨も。全てを、乗せて──凌駕せよ。獣を食い破る、一撃となれ。
軋む音を置き去りにして、滴る血を無視して──押し切るのは、ウィルヘルム。『暴食』の剣を弾き飛ばし、執念でもってこじ開けた。
絶対無敵の壁は、ここで終わりを告げる。始まるのは──同格の戦い。蹂躙など、もうさせない。
「見事だ。人よ」
──だが、同格に迫れるほど。ウィルヘルムの体は持たなかった。
手負いのウィルヘルムに、『暴食』は倒せない。
「ここまで、ここまで、練り上げたか。俺に、一撃を与えるほどに」
修復は効かない。悪夢族としての力に、治癒力は備わってはいる。だが、執念が。妄念が、それを許さないのだ。流れ続ける血は蟲毒。ウィルヘルムと言う男の、生きた証。
ようやっと、『暴食』は目の前で尽きる男を認めた。
「惜しかった。後、百年……人間でなければ、俺を倒すに至っただろうに」
だが、終わらない。
忘れるな。ここに、いない者の想いを。
「──!?」
埒外。意識外。蚊帳の外からの一撃に、しかし『暴食』は反応すら出来ない。
それは、『暴食』が鈍ったからか。それとも、執念が鈍らせたからか。
「ウィルヘルムさん──見事でした」
そこに立つは、人の力の具現者。想いを束ねた、人の英雄。
想いを受け継ぎ、最強を穿つ。
「『暴食』は、必ず私が倒します」
人の英雄──シルヴィア・アレクシアが、立ちはだかる。




