8話 王都での事件のおさらい
「うおおう‥‥‥やばい、これ。乗り物酔いの時よりもやばいかもしれない‥‥‥」
壁に手をつき、俯くシュウは気持ち悪さに苛まれながらそう呟いていた。
この酔いの原因は分かっている。賢者の塔──その最上階に来るために使った浮遊魔法のせいだ。
あまりにも慣れない感覚を味わい、一瞬で──正確には浮遊魔法でものすごい速度を味わってからものの二秒もかからず、酔った。
ただ、全員が全員そうなるわけではないらしく、ミルやあらかじめ浮遊魔法を使われると分かっていたシルヴィアはシュウとは対照的で、正常である。
「シュウ、大丈夫? もしも無理なら‥‥‥適当なところでしてもいいよ?」
シルヴィアの心優しい気遣いを受けるが、まだそこまでではないのでそれを拒否。ついでに言えば、勝手に賢者の家でやってしまえば、あとで何かをやられるかが分かったものではない、という個人的意見も含まれている。
ちなみにミルは。
「シュウ。情けない恰好ね。女子の前でそんな無様な姿をさらすなんて‥‥‥やはり、ゴミね。どうせなら、そこらへんでした方がいいじゃないの?」
「いやいや、人の部屋で勝手にそういうことをしないでほしいんだが‥‥‥。それと、一応は女子の部屋なんだ。きちんとした対応をしてほしいものだね‥‥‥」
ミルとシルヴィアのあんまりな提案に、メリルが呆れ声を上げながら螺旋階段の真ん中、何もない空間から登場する。
おそらくはシュウ達にかけた浮遊魔法だ。しかし、レイの魔法講座では浮遊魔法など魔力の消費が激しいため普通は使う者がいないらしいのだが、さすがは賢者。魔力は腐るほどあるのかもしれない。
だが、そんなメリルの反論は。
「いや‥‥‥これを部屋って呼ぶ方がおかしいんじゃないか‥‥‥?」
シュウがすぐさまばっさりと切り捨てる。
部屋は惨憺たる有様だ。いくつかの資料が他方に散らばっており、何に使うかもわからない魔法道具のようなものが床の大半を占めている。
一応、部屋の体裁は保ってしまっているので、棚とかもあるが埃まみれで触るのも億劫になるほどだ。
壁にも何らかの文字が書かれた紙がすべてを埋め尽くしており、その有様は漫画とかで出てくる天才科学者の称号をつけた者の散らかった研究室を連想させる。
「ま、まあ、そこは気にしないでくれ。ああ、えっと‥‥‥どこだったかな、テーブルは‥‥‥」
賢者は部屋に入っていくと、まるで地雷が仕掛けられている位置を踏まないように、大胆かつ慎重に歩いて、下の魔法道具を動かしながら、テーブルを探している。
「つーか、なんでテーブルが埋まるんだよ‥‥‥」
一般人からしたらありえない感覚だった。
結局、待つこと数十分。中々見つからないことに業を煮やしたミルが速攻で部屋の中を片付け、部屋本来の姿があらわになる。
ちなみに片付け中、ミルがうっかり踏んだ魔法道具が稼働し、ひどい目に──主に女子が──合ったのは、今回語らないでおこう。
ようやく落ち着ける雰囲気に戻った部屋を眺めながら、シュウはメリルが用意した椅子に座り、紅茶を飲んでいた。
「しかし、いろんなものがあるんだな。これは? なんかの文字‥‥‥か?」
壁に張り付いていた紙をミルがはがし、一か所に集めてくれた中から一枚の資料を取り出して見る。
紙に書かれている文字は、複雑でまるで象形文字のようなものだ。これは少なくともシュウがシルヴィアより習っている文字でないことぐらいすぐにわかる。
「ああ、それかい? それは昔の文明の文字だよ」
「昔の‥‥‥?」
不思議がっていたシュウにメリルは説明を入れる。いまいちこの世界の歴史について詳しくないシュウは首をかしげるが、ミルがかわりに入ってくる。
「3000年前までこの国の前に違う国があったのは分かるわね?」
「ああ。それは分かる。確か‥‥‥エルピス王国、だっけか。それが、どうかしたのか?」
「そう。エルピス王国。その成立は未だに明らかになっていないのよ。その頃の資料が軒並み大戦で焼失してしまったのだけれど、わずかに残っていた資料はすべて賢者へと渡された。そういうことよ」
「つまり、これって最重要資料じゃないのか!? こんな風にシミとかついてるけど大丈夫!?」
資料の大切さをミルに説かれ、その重大さにいまさら気づき驚くシュウ。しかし、メリルはさして気にする様子はなく、むしろ大して気にしてすらいないのか自分で出した紅茶を優雅に飲んでいる。
「まあ、そんなとこだね。気にする必要はないさ。どうせボク以外は読めないし、事実上ボクのものと言ってもいい」
あっけからんと国が渡した資料を自分のものだと言ってのけるメリル。物おじしない性格だ。
「まあ、ほかにも。太古に存在したかもわからない最古の種族──人間の先祖となった種族とかの種類もわずかながらあるよ。まあ、ほとんど穴が開いてたりするんだけど」
「へえ‥‥‥。最古の種族、か。そんなのがいんのか」
「そうだね。今のところは架空だって言われてるけど‥‥‥ああ、そういえば、さっき解読が進んで一つの名前が出てきたんだった。確か‥‥‥そう、エルシャ・エメラルド・アルンタ―ヴだ」
資料の中から一枚の紙を取り出し、解読の結果を喜々として伝える。そして、王族の名前であることも先ほど分かったらしい。その顔は赤く染まっており、まさに歴史狂い──いや、自分が知らないことを知れたことの嬉しさからだろう。
「それよりも。メリル様。王都での一件なのですが‥‥‥」
話が知らず知らずのうちに脱線していき、止められないところまで行く前にシルヴィアが王都での一件を持ち出し、話をもとに戻す。
「そうだったね。王都での一件だが‥‥‥呪いか」
賢者の顔も引き締まったものになり、雰囲気ががらりと変わり、胃を締め付けるような緊張感が場を満たしていく。
ミルもこの話には介入する気がないのか、先ほどまで身を乗り出して話に混ざっていたが今は椅子に座り、瞑目しながら話を聞いている。
「そもそも、魔法の詠唱というのはね。世界に干渉し、作用させるものなんだ。それにより、世界という媒体を通して、魔法を発動させる」
メリルはそもそも、魔法とは一体何なのかをシュウ達に語り始める。メリルはまず杖でなく、自分の指を立てて炎を出す。
「そもそも、詠唱という概念がなかったころは魔法陣が採用されていた。だが、最近の魔法研究により魔法陣をせずに発動することが出来る詠唱が出来たんだ。つまりは、世界に魔法を手伝ってもらうんだね。対して、呪いの方は?」
「世界の力を借りて発動しない‥‥‥つまりは、自分の力だけで発動させるってことか」
賢者に投げかけられた質問をシュウが答えを返す。その答えに満足したようにうなずき、次に杖で床をなぞり始め、そこに魔法陣を描く。
「そうだね。まあ、魔法陣に関しては地面に描かなくても、頭の中で思い浮かべればいいだけなんだ。ただ、あまりにも高位の魔法の場合は頭の中だけでは構築しきれず、頭がパンクしてしまうからね」
メリルは自身の頭を指さしながら、そう説明する。
「ということは、呪いに関しては頭で魔法陣を構築しなければならない‥‥‥そういうことですか?」
今まで話に関わって来なかったシルヴィアが、メリルにそう尋ねる。
「ああ、そうなる。これは治癒魔法も同じさ。治癒魔法を使うとき、自動的に、それこそ気づかないほどスムーズに構築されている。これは人間の性なんだ」
「もしかして、呪いは対象に触れなきゃいけないのって‥‥‥それが理由なのか?」
「どういうこと?」
メリルの説明を受けたシュウがどこか納得したように呟き、ミルが今の発言についての説明を求める。しかし答えたのはシュウではなく、メリルだ。
「簡単な話、呪いと治癒魔法の本質は同じさ。そしてそれは魔法陣で構築するという意味でも、対象に触れる必要があるにしてもね」
「要は、魔法陣を組んだだけじゃダメなんだ。いくらものすごい魔法陣を描いたって発動させられなければただの落書きだ。だからこそ、魔法陣独特の詠唱のようなプロセスが必要で、それが対象に触れるってことなんだろうさ」
「今の説明を聞いただけでそこまでたどり着くとは‥‥‥やっぱり君は賢者にふさわしい。その頭の回転と言い‥‥‥何から何まで賢者向けだよ」
メリルに二度目の勧誘を受けるが、スルーすることでそれを拒否する。
「まあ、大まかはそういうことさ。だけど、王都での一件は、触れることなく発動した。その起動条件は目で見ること‥‥‥だったかな」
メリルの確認を取るような視線にシルヴィアとシュウは頷く。
「手で触れることにより、膨大な魔法陣を発動させる。だが、王都ではその魔法陣を極限に減らし、ほかの条件をつけたんだ」
「そんなことできるのか?」
「というか、そもそも魔法を編み出したのが人間の先祖なんだ。条件を変えることだって出来るだろう。ただ、まあどうして手が鍵なのかは分からないけどね」
肩をすくめるメリル。その仕草を見るに、この話はおしまい、と言いたいのだろう。それをシルヴィアも感じ取ったのか、別の話題へと切りかえる。
「そろそろ、本題に‥‥‥?」
「ああ、おしゃべりがちょっとすぎたかな。でも、ちゃんと検証はするから安心してくれ」
二人はなぜかシュウの方を見ながら、会話をする。シルヴィアの方はその顔に不安のようなものが垣間見えるが、しかし賢者メリルにはそんなものはなく、昂揚感がある。
「さて、ボクにもいろいろと準備があるから。その間に食料とか買ってきてくれないかい?」
そんな風に門前払いのような感じで、部屋から追い出され、仕方なく近くの村まで買い出しをすることとなった。




