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59話 八咫烏

 ──八咫烏の優位性は最早掻き消えた。


 死を覆す、あったという現実をなかったことにするという、まるで子供が駄々こねているかのような出鱈目な能力はもうなくなった。


 正直、門外漢なため詳しいことは言えないが、今回の討伐戦に加わってくれたエリシャによって、無効化されたのだ。


 残るは、ありのままの八咫烏。


「まあ、俺の仕事はもうないんだが……」


 既に能力が暴かれている以上、することはほとんどない。ここから覆すには、八咫烏には知恵がない。考える力がない以上、出し抜くことは不可能。


 ゆえに勝利は確実……


「なんてこと言うと、ちょっと怖くなるんだけどな」


 フラグ、なんては言わないが、若干怖い。打倒した後でもひょっこり姿を見せたらそれこそやばい事態だ。あまり、余計な口出しはしたくないのだが……


「信じられないわね、今のシュウの余裕。さっきまでの絶望具合見せてあげたいぐらいだったわ」


「レイ……まあ、な。八咫烏は一応倒せてた。厄介なのはあの出鱈目な能力だ。だから、まあ、ちょっとぐらいは安心したいんだが……それも、無理だろうな、たぶん」


「ええ、あまり、今を度外視したこと言いたくないんだけど、次が本命でしょ。……それに、まだ八咫烏の目は死んでない」


 レイの言う通り、それだけがシュウの気がかりだった。生物としての生存本能……であればいいのだが、どうしても何かが違うと訴えてきている。


 杞憂に過ぎればいいではない。確実に、何か残している。


「──っ」


「どしたの、強張っちゃって。緊張でも?」


「いや、なんか寒気がな……根拠が一つもないし、忘れてくれ。今は、見届けるべきで……そんで、備えるべきだ。いつ、あの野郎がやってくるかも分からねえ」


「ええ。無論、そうするけど」


 魔導兵器の砲撃と、ダークエルフ達の弓での連撃に苦しむ姿を端で見届けながら、ふとシュウは違和感に襲われたのだ。ただし、一瞬。本当に一瞬、背中に何か戦慄のようなものが走っただけ。


 しかし、それをレイは見逃さなかったようでどうかしたのかと聞いてくるが問題ないと返す。そう、シュウ達にはまだやるべきことが残っているのだ。これが本命ではなく、本命は『暴食』。今もどこかで高みの見物を決め込んでいるあの野郎を倒して初めて勝利と言える。


『──!』


「……は?」


 見上げる空が煙の色で染まり、血が舞う空中で──見えないはずの八咫烏の目と、合ったような気がした。あるわけがないのに、八咫烏は正確無比にシュウを捉えて──。


「シュウ、逃げろ!」


 瞬間、飛び込んでくるのはガイウスの叫びだ。焦燥感に塗れた叫びは、瞬く間にシュウの耳に届き、それを咀嚼して──気づく。煙が、こちらに向かってきていることに。


「ちょ、嘘でしょ!?」


「な……」


 二人して──否、今ここに居るエリシャも含め、三人は驚愕を隠せない。最後の悪あがきと言うには、あまりにも最悪すぎる一手。


 八咫烏の落下──正確に言えば、墜落。自らの意思絵それを選んだ八咫烏は、シュウが居る辺り一体覆いつくそうと落ちてくる。


「待て待て……盾じゃ、これは防げねえって!?」


 圧倒的質量。人一人の腕と、途方もない圧力。当然、圧し負けるのは必定。しかも、逃げ出そうとしても絶妙に間に合わない範囲であり、このまま押しつぶされ肉の塊──内臓全てをぶちまけて死ぬ未来しか見えない。


『違う……違う、お前らじゃない。……見つけた』


 ふと、声が聞こえた。焦りを含んだ声が、嫌にシュウの耳に残り──否、まるで絡みつくように頭から離れない。そして、それは突然にやってくる。


 暗転。視界がブラックアウトし、意識が朦朧になり立っていることすらもままならない状態に陥り──シュウは、シュウはシュウは──。









 カタカタ。


『──憧れた。見上げた。羨ましがった。けれど、それには及ばなかった』


 カタカタカタカタ。


『それでも、甘い理想に追いすがっていたいから。縋って、頼って、ずぶずぶになっていく。それでいい。それでいいのに、理解出来ない。なにも、理解出来ない』


 カタカタカタカタカタカタ。


「お前は、なんだ?」


 ひどく、寂しい光景と寂しい音が混同し、荒野がシュウの目の前に広がる中──目の前の何かに、シュウは声を掛けた。


 ──それは靄だ。形もなく、そこにあるのかすらも怪しい残像──否、夢のようで。


『ずっと、こうだった。皆から嫌われるのが嫌だった。皆から信頼されなくなるのが嫌だった。誰も、ついてこなくなるのが嫌だった。だから、嘘で塗り固めた。幻想に、追いすがった。下らない、下らない結末だ。本当に』


「……八咫烏か」


『昔は何でも出来た。なんでも、皆よりも出来た。けど、いつしか出来なくなって、どうしようもなくなった。皆からの信頼が嬉しい。皆の注目の的でありたい。皆の中で、一番星でありたかった』


 話が、通じていない。目の前に居るのに、会話が成立しないほどの狂気、とでも言えばいいか。


『……時は残酷だ。出来ていたことが、出来なくなる。出来ていた事よりも、更にできる人が出てくる。一番星じゃなくなっていく。信頼が、掻き消えていく。耐えられなかった。許す事なんてしたくなかった。──怖かった。恐ろしかった。何の、価値もないんじゃないかって』


「……」


『だから、嘘をついた。嘘をついて、出来ない事でも見栄を張って、そうやって、誰かの一番星であろうとあり続けた。──自分が、生きていいんだって確信が欲しかったから。ずっと、ずっとだ。けれど……嘘は、いつか暴かれるものだ』


「どうなったんだ?」


『誰からも優秀だって褒められて……そうであることが、自分のアイデンティティだった。崩れれば、早い。自我すらもなくなり、いつしか壊れ、暗い、暗い場所に居た。自分を偽って、誰からも本当の心を見せなくなった。苦しい感情から抜け出したかった。悲しい感情から、目を背けたかった。どこまで行っても、それは呪いか何かのようにしつこく追って来る。──幻想に浸っていたい僕を、容赦なく焦がす。だから、手に入れた。都合の悪い現実から目を背けるための、力を……あの人が、くれたんだ。忘れない。忘れてない。あの、二人が僕にしてくれたことを……二度と、忘れない』


「……」


『お前は、似ている。あの人に……匂いが、その格好が、容姿が。正確な部分を論じれば違うけれど、それでも大雑把に見るなら、そっくりだ』


「……待て。それは、どういうことだ!?」


 八咫烏の告白を聞いていたシュウは、しかしとある部分に反応する。いや、反応するしかあるまい。シュウと、が意見が似ているとはどういうことか。流石に匂いの部分は理解できないが……それでも、なにか重要な事を言っている感じは少なからずする。


 だが、それを聞く前に。歪んだ。視界が、直接いじくられるかのような不快感が背中を這い──。


『都合の悪い現実が好きなんだろ? 甘い世界が、大好きなんだろ? 楽しいだけの世界に、行こうよ』


 ──八咫烏が本来の意思を取り戻したかのように、シュウに甘言を囁いてくる。


けれど、遅すぎたのだ。その問いは、その勧誘はあまりにも、遅すぎてしまった。もう、シュウにそれは効かない。


 楽しいだけの、都合のいい世界は素晴らしいだろう。けど、違う。シュウは決めたのだ。どれだけ辛くても、目を背けず、前に進むのだと。


『……なんで』


「とっくに、進む道は決めた。歩く先は、決めた。どんだけ辛くても、苦しくても、目を背けるのは止めにした。──八咫烏、お前が何だかは知らん。ただ……お前に、手を差し伸べてくれる人がいれば、また違ったかもな」


『……どうして』


 悔しがる声に、シュウはそれだけ返し背中を向ける。これ以上、語るべき言葉はないと。


「じゃあな、八咫烏。──今度は、目を逸らすなよ」


 ──世界は、音を立てて崩れ去った。











「……んだ、ありゃ」


 目を覚ましたシュウの目の前に入ってきたのは、氷だった。あまりにも巨大すぎる氷──それは、八咫烏の大きさと同じぐらいのもので。


「まさか、あの中に……!?」


「そうよ……えーっと、ユキ、さん? がやってくれたの。おかげで死なずにすんだわ」


「あんだけの氷を生成って、やべえな……」


 ──氷の彫像と化した八咫烏。それをやってのけたのが、ユキ。視界の端でおじぎするユキに、畏敬の念を抱かずにはいられない。


 もし、彼女が居なければ今頃ぺしゃんこだ。臓物ぶちまけて、紙のようになってしまっていただろう。最悪の展開を避けさせてもらった彼女に後で感謝しなければなるまい。


「あれ……倒したってことで、いいのか?」


「どう、なんでしょうね。……首取ったわけでもないし、ただ氷の中で生きてるって言うのも、信じがたい話だけど」


「溶かしたら……動き出しそうだし、且つ落ちてくるもんな。だったら、このまま……か?」


「……いや、証は残すべきだ。八岐大蛇では鱗を持って、討伐の証としたが……これは恐らく頭部になるだろう。羽根など持って行って、不幸になったらたまらないからね」


 今後、八咫烏の凍死体? をどうするべきか、悩んでいた所、ガイウスが近くに降り立ち、八咫烏を分解もしくは解体し、人々を安心させる証が必要だと論じてくる。


 実際、間違ってはいないだろう。確固たる証拠があってこそ、人は信じられる。であれば、その頭部を斬り落とし持ち帰るのが最善なのだろうが……。


「あの氷ごといけんのか?」


「そこは……彼女がやってくれるだろう」


 氷ごと斬り落とすのかとガイウスに問いかけるが、流石の彼でも無理だと目線で語る。──そう、八咫烏を氷漬けにしたユキという女性に。


「じゃ、これで討伐完了、ってことで問題なさそうだな。……大丈夫だよな、いきなり動き出すとかないよな」


「少々気の抜けた決着だがね。……だが、ここまで世界を破滅に導いて来た元凶、その最後に相応しき終わりだ。自滅も、巻き込む破滅も、仰々しい戦闘も、何も要らない。……何の意味すらも残さず、その身朽ちるのがお似合いの最後だ」


 あまりにも拍子抜け。間違いなく、その通りだ。だが、そのくらいでいいだろう。次に控えるのは、八咫烏よりも圧倒的で、今でも勝てるかどうかすらも分からないほどの化け物、傑物なのだから。


「んじゃ、準備しよう。これからの──『暴食』に向けて」


 八咫烏は、あっけなく終わった。とはいえ、苦戦したことにも変わりない。


 そして、『暴食』においてはもっと苦戦する。権能ではない、純粋な身体能力がずば抜けているためか、八咫烏よりも遥かな脅威だと認識して。


「あとは、お前だけだ。お前倒して、ハッピーエンド拝んでやるから覚悟しやがれ」


 未だ姿を現さず、且つ八咫烏と共闘すらしなかった愚か者に向けて、宣戦布告するのであった。

 


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