54話 挑め
ダークエルフの長であるグリエル。その娘、エリシャの衝撃の宣言から一日が経ち──。
「要塞……が、正しいなこりゃ」
──密林都市ジュンゲルは最早一つの要塞と呼ぶにでも相応しい街並みへと変貌していた。至る所に魔法道具、魔導兵器を配置。また、魔法士部隊なども加わり、八咫烏を万全の状態で迎え撃つための作業を進めているのだ。
「シュウ。ここに居たんだ」
「シルヴィア……うん、まあ、俺が居たところで役に立つわけじゃない。八咫烏討伐戦じゃ、足手まといだよ。正直、次の『暴食』でも足手まといな気がしてならんけど」
どっちにせよ、シュウは攻撃できない側なのだ。守る側。ここまで点だった者たちを繋げ、線にしてきた。全ては、八咫烏と『暴食』を誰も失ず倒せるように。
──無論、夢物語であることは理解している。戦いである以上、誰が死んだっておかしくはない。シュウだって、シルヴィアだって、戦場に向かう以上死の可能性は付き纏う。
「そう言えば、非戦闘員……戦えない人達は、どうしたんだ?」
「一応、世界樹の方に避難させるって。八咫烏の脅威を誰も理解できていない以上、ジュンゲルに危なくない所はないから……いつ、戦線が瓦解してもいいようにって」
「そっか」
少しだけ顔を伏せながら言うシルヴィアに、シュウは何も言葉を掛けずただ頷く。
いつ戦線が瓦解しても言い様に──聞けば、確かに逃げ腰に聞こえるかもしれない。だが、仕方のない事だ。シュウが見た景色──八咫烏は恐らく一匹で王国を滅ぼせる。
ゆえに、警戒してもし足りないのは事実。
「八咫烏の能力……一応、考えてはいるんだ。けど、決め手がない。シルヴィアに言った通り、あいつは一度死んでも復活する。なら、復活の制限が一回だけって言うと……」
「違うよね。王都でも一度倒した。なら、一回だけじゃなく、二回三回かもしれない」
「……もしかすれば、無限もある。『暴食』と、あの銀髪の娘……あの二人が言っていたことが正しければ、八咫烏は正攻法じゃ倒せない」
ともかくだ。八咫烏はひとまず戦いにならなければ分からない。ここで言いあっても状況は変わらない。
「あ、そうだ。シルヴィア。一回、エリシャちゃんのとこに行って来るよ。一応、も一回だけ聞いてくる。ほんとに戦いに加わるかどうか」
「うん。そうしたほうがいいかも。昨日はなんだかんだうやむやになっちゃったし……ちゃんと聞いた方がいい。死んじゃうかも、しれないんだし」
「……だよなあ。ほんとは、戦いに加わってほしくないんだけど……でも」
去来するのは領域から帰る時に使った謎の力だ。……いや、待て。まさか、八咫烏も……?
「……シュウ。後で、ユキの所に行ってくれる?」
「ユキ……さんって、確か非戦闘員の方に居るんじゃ?」
僅かな可能性を見つけ考え込むシュウに、シルヴィアが切り出そうか切り出さまいか悩んでいるような声で、ユキと言う女性に会ってきてほしいと告げる。
だが、シュウの記憶が正しければ彼女は今回の戦いでは参戦しないはずだ。彼女が外に出たのがつい先日。今まで一切歩かず、筋力も使ってこなかった。全盛期と言うよりも、シルヴィアが知っていた頃とは大きくブランクが開き、且つ筋力もそれなりに低下しているはずだ。
だから、彼女は今回非戦闘員に加わってもらう、というのが意見だったのだが。
「うん。けど、ユキがシュウと話がしたいって言ってたから」
「話……なんだろうな。俺、ユキさんと会って二日程度の……いや、もっと短いけど。ちゃんと話せるかな……」
「大丈夫だよ。……たぶん」
「そこで絶対と言ってくれないのかよ……」
なんだかユキとの会話に一抹の不安を覚えながら。ひとまず、シュウはグリエル宅へエリシャの真意を確かめに行くのだった。
──はずだったのだが。
「問題ない」
「……」
八咫烏討伐戦に急遽参戦することが決定したエリシャ。その真意を、覚悟を確かめねばならないとシュウはグリエル宅に来た。のだが、門前払いだった。
玄関でたまたま出てきた──もしくは千里眼で見てたか──グリエルにより阻まれているのだ。
「で、ですけど……ほら。やっぱり、危ないし……ちゃんと言っておかないとな……って」
「だから、問題ないと言っている。あの娘は、聡明だ。少なくとも君よりはね」
「余計な一言!」
「……理解している。八咫烏討伐戦に挑むことの、恐ろしさを。もしかすれば、死んでしまうことを。──その上で、エリシャはこの道を選んだ。なら、それでいいではないか。これ以上、大人が何を言っても無駄にしかならないよ」
それは家族であるからだろうか。もしくは、付き合いが長いからか。グリエルの言い分に思わず納得させられるシュウ。
確かに、彼女は頭がいい。少なくとも、その場その場で賭けを挑むようなシュウよりかはずっと賢い。ゆえに、グリエルが言うことも理解できないではないのだ。
死ぬ怖さが分かっていて。下手をすれば死ぬことも分かっていて。
くじけそうになる心を奮い立たせて。あの日、あの瞬間に彼女は戦うと宣言した。
「それでいいか」
問う必要性は消えた。……いや、本当は心のどこかで思っていたのかもしれない。エリシャは守らなければいけない存在だと。守ってあげなければいけないのだと。
──そうやって彼女を庇護対象に見立てるのは、止めよう。彼女は自分の力で何かの役に立ちたいと、そう思ったのだから。
なれば、これ以上は野暮だ。覚悟は見た。宣言も聞いた。故に、後は八咫烏討伐戦で共に戦うのみ。
「ササキシュウ……娘を、頼む」
だけだったのだが、シュウが立ち去る直前。後ろから聞こえたのは、どこか弱々しい声だ。いや、あるいは最も強い言葉だったかもしれない。
「……縁起の悪い事言わないでくださいよ。エリシャちゃんが、悲しむじゃないですか」
「……そうだな。なに、世迷言だと、戯言だと捨ててくれ。私も、あの娘の未来を、見たいからな」
「それじゃ」
──できる限りは尽くさねばならない。誰も悲しむことのないように。二度と、失わせないように。
想いを背負い、来る八咫烏討伐戦に向けて──シュウは覚悟を決めていくのだった。
──夜。
八咫烏を迎える準備が何事もなく整い、いつでも臨戦態勢に入れる状態に入ったジュンゲル。昼はあれほど賑わっていたと言うのに、夜は不気味なほどに静かだった。
起きているのは、見張りに数十人ぐらいか。とはいえ、ここからが辛いものでもある。あちらがいつ来るかは未だ分かっていない。百を超えるループを繰り返したシュウでも、八咫烏の来るタイミングは掴めていない。
だから、いつ来ても言い様に緊張の糸は途切れさせないようにしなければいけないのだ。言い換えれば、いつでも気を張っていなければならない。
──これは大変な事だ。有限の集中力を常に張り付けていなければいけないのは、心身ともに疲労が溜まっていく。
「……お眠りにならなくても、いいんですか?」
できれば、早いうちに来てほしい……などと思いながら、夜空を眺めていれば。ふと、声が聞こえた。
「ユキさん……」
ユキ。シルヴィアの友人的存在であり──少なくともシルヴィアはそのつもりで接している──世界樹にて眠りについていた、優しそうな目つきをした女性だ。
ちなみに、今の彼女の服はジュンゲルにあったものを拝借しているらしい。なにせ、前の服はサイズが色々とあれで、且つ血まみれだったので仕方なく。灰色のタイツにショートパンツ、太ももに迫るぐらい長い白服を着ているという感じだ。間違いなく、戦闘する者の服ではないがそれはさておき。
「ずっと、聞きたいことがありました。……ずっと、とは言い難い短い期間ですけど」
ユキと言う女性は、シュウの正面に少しだけ距離を取って問いかけてくる。真っすぐに、真っすぐに見つめていて。
「貴方は、何のために戦うのですか?」
一切表情を崩さず、毅然とした雰囲気を漂わせるユキの凛然とした声に、少しだけ驚いてしまう。
とはいえ、こちらが常なのだろう。シルヴィアの前では見せない、この表情こそが、彼女を騎士──剣を振るう者としての顔。
「──失礼ながら、シルヴィア様から貴方の事は聞き及んでいます。貴方が、一人では戦えないぐらいに弱い事も。その上で、どうして前線に立つのでしょうか」
「……シルヴィアが、嬉々として?」
「はい。それはもう我がことのように」
若干話が逸れたが、気にせず。
「……最初は勿論、戦いたくなんかなかったよ」
思い出すのは王都──否、最初にシルヴィアと知り合った時。あの頃のシュウは未熟で、どうしたらいいかもわからなくて。裏に潜む陰謀にも気づけなくて。
とにかく、弱かった。今でもそれは何ら変わりはないだろうけど。
「シルヴィアから聞いてるかどうか分かんないですけど、俺は争いなんて無関係な所から来ました。……正直、死体なんてものを見たのは、あれが初めてだった。怖い。帰りたい。……ずっと、根底にあった」
臆病だから。心が弱いから。
「けど、そんなやつを信じてくれた人がいたから。戦うんです」
「……そうですか。道理で、シルヴィア様が気に掛けるはずですね」
「……?」
シュウの答えを聞き、どこか納得するような声音で返すユキ。だが、詳しくは教えてくれないのだろう。その証拠に、既に彼女は背を向けてどこかへ行こうとしている。
「お時間、取らせて申し訳ありませんでした。……いつになるか、分かりませんけど。共に頑張りましょう」
「……勿論」
「……あ。最後に一つだけ」
ユキはシュウから目を切り、今度こそ帰ろうと歩み始める──寸前。何かを思い出したように足を止め、少しだけトーンを落とした声で、シュウを一切見ないままに再度問いかけてくる。
「……シルヴィア様と、殺し合われたことは?」
「……はい?」
問いかけ──それは戦闘に関するものだと思っていたシュウの予想を完全に上回っていた。突拍子もなく、唐突で、出鱈目な問いかけ。けれど、それが冗談でない事ぐらい雰囲気で察せられる。
だが、生憎とそんな記憶はない。敵対したことは成り行き上あるものの、殺し合ったことは一度もないはずだ。
「いや、殺し合う……なんてことは、したことないですけど。というか、シルヴィアと殺し合ったら数秒でぶっ殺されますよ、俺が」
「……憎み合ったことも? それこそ……いいえ。ごめんなさい。今、聞くべき内容じゃないですね。今の言葉は、お忘れください。……では良い夜を」
ほんの少しだけ茶化しながら返した答えは、しかしユキにとって納得のいかない答えだったのかもしれない。一瞬だけ肩を震わせ、激情に呑まれそうになったかと思えば、その逆で一瞬で冷静さを取り戻し、今度こそこの場からいなくなる。まるで、逃げ帰るように早々と。
「……憎み合ったこと、か」
ユキが言おうとした言葉……憎み合ったことは、ないのか。その先に何を言おうとしたかは知らないが、少なくともその言葉に対する答えはノーのはずだ。けれど、なぜ──。
「どうして、こんなにも俺は嬉しいんだろうな」
──心が奮い立つ。なぜか、関係のない事なのに、体が熱を帯びる。まるで、見つけてもらえてうれしいとでも言わんばかりに。
「ま……後で、じっくり考えればいいさ。今は、すべきことをするだけだ」
──夜は更ける。同時に、それは決戦の夜明けとなり。
『──アアアアアアアア!!』
耳を劈く奇声が、都市全て──否、森林の全てに鳴り響く。それは不快感をもたらす、呪いの歌だ。一字一句は理解できないのに、しかし脳に精神的なダメージをもたらしてやまない、禁忌の鳴き声。
「呪いの鳥の、面目躍如ってか……!」
朝を告げる鶏のような役割を果たした声──同時に、影が出現する。朝焼けに染まる空を覆い隠し、絶望の色で染め上げる巨大な影。それはまるで、希望すらもこの世から打ち消してしまわんかと言うほどの、もの。
しかして、見上げればあるのは輝く黄金だ。光に当てられ、神々しく輝き放つ黄金の体躯。一つの体に相反する二つを兼ね備えた化け物は、ただ一つ。
「八咫烏、出現! 迎撃用意!!」
──黒く、黒く染まっていく。大地も、森も、空も、太陽も、全て。等しく、死がもたらされる。灰色に染まり、次第に死に陰る世界の中でそれはなおも凛然たる輝きを放ち続けて──。
「総員、準備完了。これより──八咫烏を討伐する!!」
──さあ、挑め。
悪逆司る怪鳥を、今度こそ倒しきれ。




