7話 賢者メリル
馬車を降り、その人物──賢者と名乗った水色の髪の少女、メリルに近づいていく。
ちなみにシルヴィアとミルは近くの村に馬車を置きに行っている最中だ。シュウが黒髪なので問題を起こしたくはないのだろう。シュウだけがこの場に取り残されている。
「君が噂のササキシュウかい? 待っていたよ、さあさあ、早く中に入って」
シュウを見つけると、まるで思い人でも見つけたかのように顔を赤らめ、早口にそう切り出す。その仕草にシルヴィアははあ、と効果音でも出そうなほどのため息をつく。
「えっと‥‥‥君が、賢者なのか?」
何気にシュウのイメージしていた賢者──薄汚い外套を着て、ひげが伸び放題の仙人の印象だったのだが、目の前にいる賢者と名乗る少女はそんなイメージは何一つ浮かんでこない。
手入れされた水色の髪、まるで雪のような白さを持ったさらさらな肌。そして、来ている服は薄汚い外套などではなく、自らの髪の色に似た衣を羽織っている。
「ああ、そうさ。ボクが賢者。そう、いろいろと友人からは強欲まがいだのなんだの言われているのだけれど‥‥‥まあ、そこは置いておいて。ボクはね、君に興味があるんだよ。だって、そうだろ。特定の人物にしかできない魔法を放ち、また呪いの性質の一端に独学でたどり着いたその観察力、洞察力。そして、治癒魔法が効かないという特殊な体質。ああ、まったくもって興味がそそられる。賢者なんて言われているが、それでもこの世界にはまだ知らないことがある。だから、探求することはやめられないんだ」
なんかもう、むちゃくちゃだった。
先ほどよりもうっとりとした目をシュウに向け、早口で捲し立てていく。賢者、想像以上に狂っているのかもしれない。
「ああ、それと」
「うん?」
「君も同じだろう?いや、まだそうはならないのかな?」
賢者はシュウの思考を読んだかのように言ってくる。そして、その内容が指すものは。
「俺が、狂ってるって‥‥‥?」
賢者はそれになんとも言わず、ただ自分のペースで喋り続ける。
「ああ‥‥‥自覚がないことは、無知であることは時に罪になるのか。これはよかった。また一つ勉強になった」
「おい! 答えろよ」
思わず声を荒げ、叫んでしまう。しかし、そんなことは一切気にせず。
「いずれ分かるさ。賢くなる、というのは君が思っている以上に狂気の沙汰なんだ。そして、君はこのまま行けばボク以上の賢者になる。賢者という名の狂人にね。それは、確定事項だ」
一切の感情の起伏が含まれていない声で、そう告げる。いや、たった一つ。あった。それは、未知に遭遇した時の昂揚感。それが含まれている。
「さて、そろそろシルヴィアたちが戻ってきてしまうので、この話はおしまいにしよう」
そう言って、悪趣味な顔で微笑み、シルヴィアたちが来るのを待っていた。
「やあ、久しぶりだね。シルヴィア。壮健で何よりだ」
思いのほか早く帰ってきたシルヴィアたちに、賢者メリルは手をひらひらと振り、まるで旧知の友人に何年かぶりにでも会ったかのような、そんな顔で挨拶をする。
シルヴィアもそれに気づき、いつも通りの彼女ではなく、礼節をわきまえた英雄の後継者として賢者の挨拶を返す。
「そうですね、メリル様も何も変わらないご様子で」
「うーん、ボクとしては外見が変わらないのは普通なんだけど、それでも変化がないのはあまり好ましくはないんだよねえ。あと、ボクに対して敬語は使わないで接してくれた方が助かるんだけどなあ」
何やらシルヴィアの態度に不満でもあったのか、ぶつぶつと独り言をつぶやく。
シュウにはそれが先ほどまでの様子とは、まったく変わって見えて少し気味が悪い。果たしてどっちが本当の彼女なのか、などと考えていると。
「ああ、海が気になるのかい? まあ、普通じゃまずお目にかかることなんてないだろうしね。どうだい?よければ、ボクが説明してあげてもいいんだけど」
「いや、大丈夫だ。海についてなら知ってる」
賢者の誘いを首を振って一蹴する。しかし、賢者はそれでも食い下がり。
「じゃあ、この海を見て、何か感じることは?」
「はあ? 海を見て感じることなんて、青いなあ‥‥‥ぐらいしか‥‥‥」
割と本気な感想を述べたのだが、賢者は頷かない。ということは、ただ感想を述べろと言っているのではないのだ。
シュウは面倒くさがりながらも海の方向を見やる。賢者の塔の周りは基本海で三方向囲まれており、がけの方向に行けば、かなりの荒れ模様となっていて、今落ちでもしてしまえばまず助からないだろう。
だが、そんなことを賢者が聞くはずがない。その程度の知識ではなく、もっと根本的なものだ。
「まったく分からん」
しかし、考えたところで分かるわけもなく、あっさりと負けを主張する。その態度に賢者は一瞬、ぽかんとして、数秒後何かが決壊したように笑いだす。
「おい‥‥‥なんか変なことでも言ったか?」
そんなシュウの焦ったかのような言葉に、しかし賢者はその可能性を否定する。
「いやいや、別におかしなことは一切ないさ。ただ、ずいぶんあっさり認めるものだと思ってね」
「そうか。分からないことは分からないって普通に言うタイプなんだがな」
「また、それも答えだね」
賢者は突如として歩き始め、シュウの目の前がけの端に来て、両手を広げる。
「簡単だよ。水位が低いのさ」
「は? 水位が低い?」
賢者の発言に首をかしげるシュウ。その姿が面白かったのか若干の含み笑いをしつつ、そうだよ、と返す。
「なんていうのかな。本当はもっと水位があったんだ。このがけのぎりぎりのところまで。だけど、こうなった。理由は、分かるかな?」
わざとらしく質問を重ね、シュウを混乱へと引きずり落としていく賢者。
「あー、つまりは減ったってことか?いやでも海なんだ。水は死ぬほど多いはず。ちょっとやそっとのことじゃ水位なんて下がらない。‥‥‥てことは、消えたようにごっそり減ったってことか?」
シュウの結論にメリルは満足そうにうなずく。どうやらこれで正解だったようだ。
「まあ、正確には減ったっていうよりかは、飲み込まれた、とでもいうべきなんだろうね」
「どういうことだ?」
メリルは両手をいっぱいに広げ、
「だから。ここらへんは昔は大陸だったんだ。海はもっと遠かった。だけど、3000年前の戦争で大陸の端、果ては水がごっそりと飲み込まれた。ゆえに、今のこの大陸は昔の全体図よりかは小さいね」
伊達に3000年生きてはいないようだ。何気に役に立つ‥‥‥かどうかは分からないが、覚えておいて損はないはずだ。たぶん。
「さて、そろそろ入ろうか」
メリルも外で喋り続けるのは飽きたのか中に入るように促す。
シルヴィアやミルもそれに従うように、ついていき、シュウも仕方なく最後尾に並びながら中へと入っていく。
中に入って見えたのは石でできた像だった。全長は優に3メートルを超しており、その姿はまるで阿修羅のように三つの顔がついている。
「阿修羅‥‥‥じゃ、ないよな」
その石像に触り、しかしそうでないことを知る。阿修羅というのは腕がかなりあったはずだ──腕の本数についてはさすがに覚えてはいないのでスルーさせてもらう──だが、この石像には腕は三本しかない。
もしかしたら、元からあって欠けた可能性、というのも捨てがたいがここは賢者の塔だ。そこまで衛星は悪くないはず。
そして、石像の前を通り過ぎ、階段部分へと差し掛かる。
螺旋階段だ。それもかなり上まであるのか終着点すら見えない。
賢者は上を向いているシュウに杖で触れる。同じく、ミルやシルヴィアにも。
その場の全員が──シルヴィアを除いて──不思議な顔を取る、その寸前。いきなり体が重力を忘れたかのように浮き上がる。
「な────浮遊魔法、か?」
とっさにそう叫んだシュウに、ただメリルは笑って。
「今回は特別だ。連れて行ってあげるよ。──さあ、いい空の旅を」
メリルがその言葉とともに杖を上に振りぬく。それだけで落下の速度が加わり早くなっていくように加速していく。
「なにが、空の旅を、だああああああああ!! これ、まじで死ぬ!!??」
最後にそんな怒りの声が聞こえて、最上階への旅が始まった。




