第百幕 一話 帰り着いた世界で
「──っ、ぁ」
声が、出るのに気づいた。
暗闇の中で、ただそれだけを確認できた。恐らく、戻ってきたのだろう。随分と前から、戻る場所は固定されていた。それがなぜかは分からないけれど、ここでずっと目覚めてきた。
今回もそれが崩れていないのであれば、また同じような場所だろう。
賑わう西ブロックで、ベンチに座って、シルヴィアを待っている所から。
──けど、その目を開けることは、できない。
開けたら、どうなる。開けて、どうする。何を、すればいい。
もう、戦う意味もなくなった。
最初から分かり切っていたではないか。
ササキシュウでは、運命を覆せない。覆せないのだ。たった一人の少女の死すら、捻じ曲げることが出来ない。
力がないから、どうしようもない。
だから、諦めればよかった。もっと早くに諦めていれば、もしかしたらシルヴィアはこんなに死なずに済んだかもしれない。
百回やって気づいたことがある。
それは『暴食』がなぜ時を奪ってまでシュウと戯れているかだ。──恐らく、遊びの部分が強い……が、確実にそれ以外の目的があるのを、今までの経験と言葉から予測できた。
その理由が何かは分からないけれど──第一、あちら側には何のメリットもないじゃないか。シュウと百回も繰り返して、その度に戦って。いつかは負けるかもしれないのに、勝ちを取り消し、何度だって勝負を求めた。
単に自信の表れかもしれないが、それ以外の理由があるのは確実だ。
そして、その理由にシュウが関わっていることも、たぶん分かる。
ならば、シュウがいなくなればひとまず今のところは救われるのではないのか。死ねば、あの男は退くかもしれない。
──全ては希望的観測でしかない。
そうなる確証はどこにもないし、もしかしたらさらに酷い状況になる可能性だって否定できない。
──けれど、それを知ったところで出来ることなど、何もない。
それを知れたところで、シュウに出来ることなど高が知れている。
何度繰り返しても出来ないのに、この一回で成功なんてできない。
確率論で言っても、可能性は0だ。なにせ百回もやって一度の偶然もなかったのだから。
詰み。
子供だって、まだマシじゃないか。誰だって失敗すればそこから学んで、成功につなげる。多くの人間はそうやって成功してる。
けれど、シュウにはそれすらもできていない。
「は──」
今更だなと、そう思った。
だって、今回だけじゃない。いつだってそうだったじゃないか。
シュウはいつだって変わらず失敗を繰り返して、誰かを不幸な目に遭わせてきた。
──先ほど、こう思った。
シュウが居なければ、シルヴィアは助かるのではないのかと。
──違う。そうじゃない。
今回だけじゃないのだ。
今まで、ずっとそうだった。
サジタハでのアリスを巡る事件。アリスを助けるために街中を奔走し、果てには守りたいと願った誰かと敵対し、『大罪』を討った忘れてはならない事件。
思い出せ。
『色欲』は、何を目的にしていた?
──ササキシュウだ。シュウを連れて帰るだのなんだの言っていた。
そうだ。あの惨劇を引き起こすに至った『色欲』、並びにカストルや数々の英雄の器たちは、全てシュウが集めたと言っても過言ではないのだ。
シュウがあの場に居なければ、『色欲』はそもそもサジタハに向かわず、国王もサジタハにシルヴィアを連れて行かず、カストルの騒ぎもなく、平穏を過ごしていたはずだ。
──その前の、『大罪』二人との激突。
『憤怒』の方はシュウに執着していなかったが、『嫉妬』は違った。
彼女だけはシュウを狙っていた。いや、執念を見せていた。
奇跡的に死者はゼロだった。けど、それは間違いなく綱渡り状態での選択を誤らなかったからだ。もし、どこかで選択を間違えていれば終わっていた。
『嫉妬』でもそうだ。『嫉妬』の権能は最早シュウの手に負えないほど強力かつ最悪だった。
一歩間違えれば、皆死んでいた。
選択を誤らなかった、などで済むものか。
薄氷の上を歩くような、そんな危険な賭けを全員にさせたのは誰だ。
一年前の王都決戦だってそうだ。
貧民街での反乱、魔獣騒ぎ、魔族の出現、『大罪』の復活、果てに『大英雄』ダンテの死──。
多くの人が死んだ。多くのものが壊された。精神的支柱が、失われた。
誰のせいだ。誰のせいで、そんな惨劇が起こされるに至った。
「全部、お前のせいじゃねえかよ」
どういう原理かは分からないけれど、『大罪』をこの世に解き放って。
しかも、魔族側の狙いはシュウで。
──間接的に、どれほどの人間を殺した?
どれほどの殺人を犯した? どれほどの幸せを奪ってきた?
──瞼の裏に、あの光景がよみがえる。
みんな笑っていた。みんな、幸せそうにしていた。
あの光景を奪えるのか? あの光景を失ってもいいのか?
シュウが居なくなるだけであの光景に行かないまでも、誰かが死なないのであれば。
「もう、いいよ」
立ち上がる。
立ち上がって、歩く。
当てがあるわけではない。けれど、この場から立ち去るのが、必要だ。
居てはいけない。居ちゃいけない。ここに、ササキシュウの居場所はどこまで行ってもない。
分かっていた事じゃないか。シュウには、ない。居場所が、ない。この世界にも、元の世界にも。どの世界にも。
シュウに居場所がある世界なんてどこにもなくて。
どれほど焦がれても、どれほど希っても、それはやってこない。シュウの後ろを過ぎて、永遠にどこかに消えていく。
「……どこに行けば、いいかな」
辺りを見回し、どこに行くべきかを今更ながらに考える。
今居るのは中心に近い西ブロックだ。であれば、西門から王都を出るのがいいだろうか。
「自殺する、勇気もねえくせに」
自分が居てはならないと分かっていても、シュウには死ぬ勇気がない。
想像するだけで足がすくんで動けなくなる。だから、死ぬことはしないまでもここから去る。
そうすれば、ひとまずの危機は去る。
「王都を出て、そのまま歩いて……いや、それだと、世界樹に行っちまうな」
イリアル王国の王都をそのまま西に行けば、今までシュウが何度も足を運んだ第一戦線基地に到着してしまい、いずれ世界樹へと辿り着いてしまう。
それは避けたい。
とすれば、どこだろうか。
「北……は、寒いな。南は宗教国家だし、行くなら東か」
北はノールランドという水上国家がある。こちらは魔族領と接しているわけではなく、比較的穏健であるのには間違いない。が、行ったこともないし、第一寒さで凍死の危険性がある。
死ねる以上なんでもいいのだが、流石に凍死は嫌だ。
「は……こんな時まで嫌ばっかりかよ。ほんと、クソだな、お前」
居場所がないと分かって、それでもなお死を求められない。そんな愚かな自分に、反吐が出る。
ともかく。南はアルベスタ教国だ。だが、この国に関しては流石に行くことは出来ない。
──なにせ、あの国は黒を嫌いすぎている。黒だけでその場で斬り刻まれても咎められもせず、むしろ褒賞を与えられるぐらいだ。
あんな国に行くなど、自殺行為でしかない。いや、死を求める以上そこが最も適切なのだが、追い立てられて死ぬのは嫌だ。
憎悪を向けられ、誰からも死ぬことを求められながら死ぬのは嫌だから、そこにはいかない。
ひっそりと死ねばいい。どうせ誰も心配する誰かなんていない。誰も、シュウを心配などしない。
居場所なんてないのだから、居なくなっても誰も心配なんてしないし、誰も探しになんか来ない。
とすれば、東に行くのが正解だ。最果ての国であるイーリエラ帝国に向かうのが一番だろう。
いや、実際人間の足である以上、飲まず食わずで歩き続けることは出来ないのだろうから、たぶん辿り着く前に餓死か何かかするだろうが。
「飢え死ぬ……って、どんな感覚なんだろうな」
百回も繰り返した中で、シュウは何度も死を経験した。凍死、焼死、斬殺、とにかく色々。
痛みで狂うかと思った。体が動かなくなり、声も出せなくなって体の芯から震える感覚など、味わいたくなかった。。体が焼かれながら、終わらぬ痛みに苛まれ続ける感覚など、もう嫌だ。
とはいえ、餓死の感覚も経験したくない体験であるのは分かる。
「……行くか」
方針が決まった以上、ここに居る必要なんてない。
最後にシュウは賑わう西ブロックを眺めて──その場を後にするのだった。
「……」
ふらふらと歩いているのは、シュウにだって分かっていることだ。
すれ違う人には奇怪な視線を向けられ、心優しい誰かには大丈夫かと声を掛けられる。
だが、そんなことに構っていられるほど、シュウには余裕はない。
今シュウの中にあるのは、この国を離れて死ぬことだけだ。それ以外に、何もない。
だから、何を言われても無視し続けた。無視続けて、そのまま歩き続けて──。
「あそこから、出れば……」
西ブロックの一番西にある検問所をくぐって、外に出る。その後は壁沿いに東に向かって歩いていて、そのまま餓死を迎える。
完璧だ。誰にも見つからずに、ひっそりと。
誰にも見つからずにここまで来れた事に少しだけ安堵し、これから訪れるであろう死にほんの少しだけ違和感を感じつつ、そこに入っていって──。
「シュウ……?」
その声が投げかけられてしまったことに、シュウは喜びを感じてしまった。
「どこに、行こうとしてるの……?」
そして、振り向く。無視して、そのまま歩くべきだったのに、わざわざ。
振り向いて、その顔を見た。
予想通り、困惑に駆られていて──。
「シュウ──答えて」
前とは違って、強い口調で。そう問い詰めるのだった。
ちなみにシュウが逃げてイーリエラ帝国に流れ着いちゃったのifルートはいつかやります




