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5話 憤怒で嫉妬で色欲で暴食で強欲で傲慢なあなたに

 シルヴィア邸──と言っても家主はダンテなのだが──に来てから早一週間が過ぎようとしている。ついでに異世界召喚からも一週間だ。


 この一週間。非常なまでに濃かった。


 王都での一件を超えるような濃密さはきっと訪れない、そう確信していた。シュウは不幸が来たら幸運が来るという何の根拠もない話を信じている。ゆえに王都での一件は全体を顧みれば、不幸と言えるだろう。


 シュウの仮説が正しいならば、今回は幸福に恵まれるはずだった。しかし、ふたを開けてみれば、5時から9時までの労働、そしてその後2時間のお勉強タイム。自由時間はかつてないほど削られ、もはや気を抜くことすら許されない状況。


 これを不幸と呼ばずして何と呼ぶだろうか。


「まあ、別に俺もそんなにいやいややってるわけじゃないからいいんだけどな‥‥‥」


 シュウはベッドに仰向けになりながらそう呟いた。現在時刻は13時であり、いつもなら汗水たらして、必死に仕事をやっている時間だ。


 だが、今回は使用人という名の社畜先輩──ミルにより温情が与えられ、1時間ほど休憩しているところだ。


「ああ‥‥‥だらだらするってこんなにもいいんだな‥‥‥」


 ベッドの上をごろごろ転がり、久しぶりに与えられた休憩時間を噛み締める。


「あと弱50分ぐらいか‥‥‥寝とくか」


 久しぶりにごろごろしたせいか急にまぶたが重くなる。そのまま逆らわず、まぶたを閉じ、睡眠へと向かっていく。


 そして、また。


 シュウは暗闇の中に立っていた。


 ──何が‥‥‥?


 この感覚は王都以来だが、以前とは何かが違う。以前はこうもっと優しい感じだった。しかし、今回は何かを包み込むような安堵感は全くない。


 それどころか、おぞましい何かがこちらを覗いている気がする。


 ──逃げ、なきゃ。だめだ、ここは‥‥‥危険だ。


 なぜか一瞬でそんな決断に至り、今シュウが見ている反対の方に振り向き、逃げようとする。


 しかし。


 ──んで。なんで、逃げられない!?


 どれだけ足を動かそうとしても、石像のように固まっていて、逃げることはおろか動かすことさえ敵わない。


 いや、そもそもの話。シュウはここに立っているのだろうか。だって、足を動かすには脳が信号を送り、それを受け取った器官などが動かす。だけど、今は動かない。


 それは信号が届いていないからではないのか。端的に言えば。


 ──足が、ない‥‥‥!?


 いや、おそらくは。腕も手もない。それだけでなく。


 ──これ‥‥‥俺が、いや、俺の体が存在してない‥‥‥のか?


 先ほどからシュウは叫んでいた。足がない、だとかなんで逃げられないんだ、とか。叫んでいたつもりだった。だけど、おかしな話だ。そもそも何もない空間で、自分の声が聞こえないなどあるはずがない。


 つまりは。ここでは、ササキシュウは存在していない‥‥‥!?


 矛盾だ。自分はここにいると理解しているのに、だけどその結論に何度もたどり着く。どこからどう見ても正常な思考回路ではない。


 ただ、変化はあった。尋常じゃないほどに怖い。それを自覚してから震えが止まらない。そのまま負の感情が流れ込んで。


 ──あがっ!? や、やめ‥‥‥ろ。痛い‥‥‥あ、ああ、ああああああああああああああああああああああああああ!!?


 無意識に叫んでいた。叫ぶ、その表現は正しくないかもしれないが、とにかく絶叫した。そうしていなければ、自分が自分でなくなっていく感覚には抗えないと思ったから。


 しかし、自分の中で暴れている何かは一向に収まる気配がない。そのままシュウの、すべてというすべてを貪っていく。


 ただ、ひたすらに叫んでいた。おぞましい感情から逃げるように。しかし、何もできず、ついにその場に倒れ伏す。


 そして、声が聞こえた。悪魔の囁きのような、そんな声が。


『憤怒で嫉妬で色欲で暴食で強欲で傲慢なあなたに、罰を与えましょう』


 先ほどまでシュウを喰らっていた何かが、より一層深く入り込んでいく。


『未完成である器に、あなたに大罪を与えましょう』


 もう、考えるのを放棄した。意味が分からない。なぜ?なぜ、シュウだけがこんな目に遭わなければならない。一体、シュウが何をしたというのだ。


『強欲は、罪です。裁かれなければなりません。怠惰は、罪です。裁かれなければなりません』


 ──が、あああああああああああああああああああああああああああああ!!?痛い、痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!!???


 また、新たに二つの何かが表面化し、シュウを喰らっていく。


 そして、と一拍置いて


『──────、大罪です。大罪を犯したあなたに罰を、与えましょう』


 ──え? 今、何と言ったのだ?その部分だけ欠落し、こちらに伝わってくる。


『人間は、自分にとって本当に都合の悪いことは、そして自己が崩壊をしてしまうような事実は脳が遮断してしまうのです。そうして自分を偽り、虚栄の殻を作り出す。そうして────が完成する』


 よく、分からない。何を言ってるか、これっぽちも理解できない。シュウを喰らっていた何かはついにシュウの魂に、記憶に、心にたどり着き、それに喜々として噛り付いていく。もはや、ここまで来れば痛みなど感じやしない。


 ──ああ、消えていく。すべてが。この世界の記憶も、シュウ自身も。


 全てが喰らわれ、自分が誰かも分からなくなっていく。そんな中、光が見えた。


 ただ、必死に呼びかけている。誰かの声。それを聞くだけで愛おしい気持ちになれるのに、しかし、誰の声かはまったく思い出せない。


『ねえ、大丈夫!? ねえ、シュウ!!』


『大罪を‥‥‥あなたを、罰するために‥‥‥』


 もう、嫌だ。どうしてこんな思いをしなきゃ、ならない。


 だから、二つの声には反応しない。だって、どちらも自分には分からないし、生きている限り、この苦痛を味わなければならないのなら、もう、助けなんていらない。


 ──必ず。


「あ‥‥‥?」


 ごくかすかな声で何かが聞こえた。


 ──必ず、俺が。


 ──守って見せる。


 それが頭の奥ではじけ、なぜかシュウの体に力が宿る。今までなかったはずの体が形成され、ようやく動けるようになる。とはいえ、もう満身創痍だ。戦うことなどできやしない。


 だけど、声の方向に進むことぐらいは出来るはずだから。声には従わず、ただ、優しい声の方へと進む。


 そうして、手を伸ばし。


 光を掴んで。












「うわっ!?」


 シュウは叫びながら、目を覚まし仰向けの状態から起き上がる。


「はあ‥‥‥はあ‥‥‥戻って、これたのか?」


 額に伝っている汗を乱暴に拭い去り、深呼吸をする。


 窓を見れば、すっかり日は落ちており、今が夜だということがはっきり見て取れる。体は倦怠感や汗がひどいことになっていたが、それも気にせず、ただ自分の手を見つめる。


「何‥‥‥だったんだ、さっきのは」


 先ほどの悪夢。知らない声が聞こえて、自分を喰らっていく夢。今、振り返っても恐ろしい。シルヴィアの声が聞こえなければ、今頃あの世界でシュウは息絶えていただろう。


「また‥‥‥助けてもらったのか‥‥‥」


 天井を仰ぎ、独り呟く。隣を見れば、シルヴィアが伏しており、やすらかな寝息をたてている。


「ようやく起きたのね」


「ああ、ミルか。ごめん、迷惑かけてさ」


 シュウはミルに頭を下げる。ミルはシルヴィアの方に視線を変え、


「シュウ。シルヴィア様に感謝してね。シルヴィア様がずっと看病してたんだから。じゃあ、そろそろ行くわね。それと明日はやらなくていいわ」


「なんでだ?」


「シルヴィア様に原因は仕事のしすぎじゃないかって言われてね。仕方がないから休みにしてあげたの」


 仕方がない、の部分を強調し、早々に部屋を去っていく。平常運転のミルに顔を苦笑し、改めてシルヴィアを見る。


「つーか、どんだけシルヴィアに助けてもらってるんだよ。あれか? 俺もシルヴィアを様付けして‥‥‥いや、それじゃ感謝の度が低い気がするな‥‥‥てことは、女王様って呼ぶしかないか?」


「お願いだから普通に呼んで」


 またしょうもないことを考え始めたシュウに釘をさすかの如く、ツッコミを入れたシルヴィア。その目は完全にダンテを見る目へと早変わりしつつあった。


「いや、待ってくれ。違うんだ、まさか起きてるなんて思わなかったんだ。‥‥‥だから、ええと。いや、すいません、もう二度と言わないです」


 下手な弁明を述べていくシュウにシルヴィアの視線が突き刺さり、さっさと謝る。


「もう、ほんとにやめてね。‥‥‥それで、大丈夫?」


「問題ない‥‥‥はずだ。特におかしいところもないし」


「そう、ならよかった」


「ちなみにどうなってたのか聞いても?」


「えーと、屋敷に響くぐらい叫んで、部屋は散らかってて、シュウはもがき苦しんでた」


「予想以上の被害だな。そうか、だからさっきから手がひりひりしてたのか」


 自分が夢を見ていた間のことを聞き、顔を引きつらせる。聞けば、もがき苦しんでいるというよりは、部屋のありとあらゆるものに体をぶつけまくっていたらしい。


「それで直そうと思って、治癒魔法を使えるミルを呼んだんだけど、なんだかシュウには効かなくて‥‥‥」


 だから、まさかの包帯を巻かれていたりしたのか。包帯の謎に一区切り付き、納得する。


「それでなんだけど」


「うん?」


「これから、賢者のところに行こうと思うんだ」


「え?」


「だから、今回のことを調べてもらうの」


 こうして、賢者に会うことが決まった。

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