第四幕 七話 届かない
「『暴食』……っ! なんで、今更来やがったああああぁぁぁぁぁ!!!」
シュウの叫びが周りに落ちて──最悪の化け物が、降り立つ。それは嗤いを伴って、狂気を宿して、そいつは全てを崩しにかかって来た。
「いやぁ……ほんとはよぉ、静観してるつもりだったんだが……気が変わった。そんなの、つまんねぇよなぁ。こんなありきたりな登場の仕方はちょいとナンセンスだとは思ったんだが……でもまぁ、そういうお約束を外さないのってのは大事だろ? 期待を裏切ってつまんなくなるよりは期待に応えて面白くした方がいいだろ? ──ああ、ああ、言いたいことは分かってるさ。また面白いが基準かよ、ってなぁ。そうだ、そうだよ、そうなんだよ! 俺の基準は、面白いか否かだ! それ以外に、この世界に求めるものなんざありゃしねぇ! 面白いものだけが、俺の中の欲を満たせる! こんなくそったれの世界で、生きる希望になる! 分かんだろ!? 分かれよ、ササキシュウ!? 面白れぇじゃねぇか、想像してみろよ。誰かが頑張って、汗水たらして、死ぬほどつらい思いをして、それでもなお願いすら果たせない! くく、はははははは!! これ以上の娯楽があるかよ!? 絶望に歪んで、心が折れりゃ、最高の見世物だろ!? だから、俺はこんなくだらないことをしてやがんのさ! 納得いったろ? 納得してくれよ、そういうわけでゲームなのさ。単純明快なゲームを用意して、心折れるまでやり直すのさ! ──く、はは、あっはっはっは!?」
──狂っている。今までもそう思って行動してきたが、更なる嫌悪を抱かずにはいられない。
こんなくだらない遊びと称して、人の命を弄んでいるのか? 奴が称する遊びの中で、どれほどの苦痛が、どれほどの葛藤が、どれほどの辛さがあったのか。
「ふざ……けんなよ、フェクダぁ!」
「いいねぇ……いいねぇ! やっぱそうでないと面白くねぇよな!? ──っと、あぶねぇあぶねぇ」
それらの苦しみを遊びだと断言するフェクダに、シュウが怒りの籠った視線を向け、フェクダもまたその怒りこそがシュウの生きる意味だと言わんばかりに口を歪め──が、フェクダは突如として回避行動を取る。それも、後ろから来る攻撃を見もせずにだ。
「ガイウス……」
「シュウ。あまり話をしないほうがいい。ああいう手合いは、話をすればするほどこちらがおかしくなるだけ。得することなど、何一つないさ……ただし、実力だけは本物のようだがね」
「おいおい……今の俺とそのゴミが喋ってただろうが……親に聞かなかったんですかぁ!? 人の話は最期まで聞くってよぉ!」
自らの話を中断され頭に血が上っているのか──フェクダは目に見えない程の速度、それこそ手を動かしたかどうかすらも捉えられないほどの速度でもって剣を抜き去り、同時に斬撃。
それはガイウスがいた場所を正確に、寸分の狂いもなく斬り刻み、血が舞い上がって──。
「悪いが、君の話は聞くに堪えなかったのでね。言いつけを破らせてもらった次第さ」
「へぇ……ちったぁやるじゃねぇか。わりぃな……こっちも頭に血ぃ昇るとぶっ殺しちまうからよ。それだと、俺が楽しめねぇ。でもまぁ……楽しめる人材が居てくれたようで何よりだぜ」
ガイウスの一撃を至高と表現するなら、先ほどのフェクダの一撃はそれを軽く凌駕していた。のに、ガイウスはいとも簡単にいなす。まるでフェクダの攻撃など読み切っているかのように。
「なんでっ……なんでだよ!? なんで俺の攻撃をお前は躱せるんだよぉ!?」
「簡単な事だ──視線が教えてくれる。それに、抑えきれぬ殺気が、行動を教えてくれる……躱すのは誰にだって出来る芸当さ」
──シュウは何を見ているのだろうかと、呆然としながら彼らのやり取りを見ていた。やり取り、など生ぬるい言葉であることは間違いないが。
あれほどの脅威であった『暴食』が手玉に取られている。それだけでシュウには衝撃が大きかった。シルヴィアを出会い頭に指し、今まで何度もシルヴィアを殺してきたはずの『暴食』が、ガイウスに手玉に取られているなど、信じられないのだ。
フェクダの一撃は確かに鋭い。ガイウスとて当たれば一撃で絶命するほどに。だが──当たらなければ何の意味もないということを、今示している。
──要は、全ての攻撃を躱し続けているのだ。フェクダの軌道を読み、その軌道に触れないように立ち回っている。その言い分もまた、シュウには到底信じがたいことだ。
だが──結果を見ろ。押しているのは、ガイウスだ。あれほどの脅威であった『暴食』が歪んで、堕ちていく。その光景を見て、シュウの頭に思い浮かぶのは──歓喜ではなかった。むしろ、恐怖。
歓喜など一ミリも湧かず、代わりに頭の全部分を覆うのは底知れない恐怖だ。なにか、強烈な見落としをしているのではないか、もしくは『暴食』は本当にあの程度なのか、という恐怖が。
しかし、シュウの恐怖を余所に戦闘は苛烈を極める──どころか、一方的なまでに変質していた。そこにあるのは戦闘ではない、それ以下の喧嘩でしかない。『暴食』が一方的に掴みかかって、ガイウスがそれをいなしているという状況でしかない。
そして──ガイウスもまた避けるのに飽きたのか、それとも見るに堪えなくなったのか、腰から剣を抜き放ちフェクダの頭をかち割ろうとして。
「ダメ……っ!」
その寸前、振り絞ったかのような悲鳴がシュウの耳に届いた。それは、先ほど『暴食』に不意を突かれたはずの少女の、絶叫に近い声。
だが──止まらない。制止の声など、最早モーションに入ったガイウスの下には届かない。ガイウスの振り上げた右腕が掠れるほどの速度で下に移動し、そのまま手に握っている剣がフェクダの頭に突き刺さり、血をぶちまけて──。
「ま、この辺りが妥当かね」
声が落ちた。まるで、退屈を紛らわすための、本当に間抜けした声が、場に落ちシュウの耳がそれを拾って──。
次の瞬間。
「な──か、っ……」
くるくると、何かが宙を舞っていた。
それは、剣を握っており、五指がついた太い棒状のもので、白い袖もまた一緒に飛んでいく。
「ガイウス──っ!?」
腕。正しくは、ガイウスが斬り下ろしたはずの右腕が、空中に舞う。剣と共に、血しぶきが舞い上がりながら、くるくると、それこそおもちゃのように、舞って──。
「全く、ダメじゃないかぁ」
「──」
そして、右腕を斬られて混乱の坩堝にいるガイウス、その懐に一瞬で『暴食』が入り込んでくる。真剣勝負など程遠い、まるで遊びのような態度。
だが、腕は確か。ガイウスの評価通り、その剣の振りは極致に到達した者のそれだ。
知覚外の一撃がガイウスの左腕に叩き込まれ、再度舞う血しぶきに、今度は左腕。
「──、嘘、だろ……」
信じられない。あのガイウスが、赤子のように捻られているなど、シュウは自分の目が、見ている光景が疑わしく感じてしまう。
シュウをあれほど苦しめたはずの騎士──その男の両腕の消失など、見たくもないし信じたくもなかった。
だけど、事実はシュウに現実を突きつけてきて──。
「はは、はははははははは!? いやぁ、中々いい線行ってると思ったんだがなぁ……やっぱ、相手にならねぇか。それでもまぁ、剣だけじゃなかったらもうちっとは楽しめたろうが……ま、過ぎた事よ。……そんで、どうします? ササキシュウ。これでお前を守るやつは……誰もいねぇぜ? 居んのは、両腕失った役立たずと、腹ぁ刺されて動きが鈍った『英雄』だけ。……くっく、いやぁ、いいねぇ? お前が考えた手を片っ端から折ってくのは。気持ちがいい。どんだけ渾身の策を打っても、通用しねぇ。次元が違いすぎるってこたぁ、絶望を突きつけられる。で、どうよ。折角かき集めた戦力が塵芥のようにやられる様はよ。俺は最高だが……お前は?」
「くそ、野郎が……!?」
「はっは! どうやら最悪って気分で間違いねぇらしい! そりゃそうだよなぁ!? 足りねぇ頭で考える策が、小細工がどんどん潰されんのは最悪の気分だろ!? いやぁ、そうじゃないと。やっぱ絶望ってのは、おいしいねぇ? 喰らうには最高過ぎる。……けどまぁ、お前は諦めてねぇ。なら、まだ続けるしかねぇ。どうする? また、やり直すかい? 俺は正直どっちでもいいんだ。この力を使うのもさして苦じゃねぇしな。ある意味じゃぁ、どっかの神様に怒られそうなもんだが……お咎めなしだし、存分に振るう機会が与えられてるってこたぁ、むしろいい兆候かねぇ? とすりゃ、まだまだやり直ししてもらわねぇとな」
「……くそ」
嗤う化け物の言葉は何一つ理解できない。だから、どうしても忌避感情が生まれる。理解できない怪物だからこそ、『暴食』は──。
「──へぇ。ちゃんと内臓損傷させたはずなのに……まだそのキレが残ってるとはねぇ……ちっとばかし驚いたよ、いやほんとに」
「はぁ……はぁ……っ、ぁ」
『暴食』が訳の分からないことをのたまう中──斬撃が『暴食』に向かって叩き込まれる。無論、最早人外の反射速度でそれを避け、愉快そうに嗤う。
シュウもまた瞠目するしかない。なぜなら、その斬撃を放ったのは一人しかここに居ないのだから。
──夥しいほどの血を剣の刺し傷から流しているはずの、シルヴィアだけだ。
「シルヴィア……」
いつものような足取りなどなく、そこにあるのは朦朧としたような足取りだ。それも当然だろう。なにせ、腹を刺され、それでもなお立ち上がり剣すら振り切ったのだから。
──普通は無理だ、絶対に、不可能でしかない。剣で指され、体に傷ができ、血が流れている以上──意識が朦朧とし、混濁する。前に歩くことすらおぼつかず、立っているのもやっとな状態……のはずなのだ。なのに、その状態で剣を振るなど、自殺行為でしかない。傷が塞がっていないのに、激しい動きなどを取れば血が流れ出て、死ぬのは分かり切っているのだから。
「シルヴィア……それじゃ、死……」
「シュウ……逃げ、て」
剣を握っていない左手で傷跡を抑えながら『暴食』を睨むシルヴィアは、シュウに一度も振り向かずにそう呟いた。息も絶え絶えに、命の灯が消える寸前のように。
「なんで……っ、どうしてっ……!?」
どうして、シュウにそこまでしてくれる? シュウなんかよりも、よっぽど自分の方が重症であるのに。治療をしなければ、最低止血しなければ、命が零れ出て死ぬという現実があるのにもかかわらず、なぜシルヴィアはなお立ち上がるのか。
自らの死を押して、なぜシュウ如きを守るのか。
──今までだってそうだった。シルヴィアは何度もシュウを助けようと、もしくは足止めしようとした結果、その命を凄絶に散らして──。
──分からない。分からないのだ。理解できない、理解できないのだ。
シルヴィアがシュウを守る意味を、その気持ちを一片たりとも理解できないのだ。なぜ、彼女はシュウを守る? 死に迫ってでも、シュウを守るのを止めない──?
見捨てればいいではないか。見捨てて、自分の保身に走ればいい。元来、人とはそういう生き物だ。誰かのために生きるのではなく、自分のために生きる生き物だ。その過程で人を蹴落とし、誰かを貶める。
そうすればいいのに、なぜシルヴィアは──。
「シュウ……逃げるなら、世界樹へ行くといい……恐らくではあるが、時の精霊ならばあるいは」
シルヴィアの真意を読めず、混乱に陥るシュウの耳元で囁く声が聞こえた。
それは、先ほど両腕を失くし、倒れたはずの男。──ガイウスが、シュウの隣に立っていた。
「行け……行くんだ。シルヴィア様の想いを、無駄にしてはならない」
「お前こそ……なんで」
なぜ、立ち上がったのか。あのまま気を失っていれば、既に興味を失っている『暴食』から逃げおおせたかもしれないのに。自分が生き残る目があったはずなのに。
「逃げる……など、考えたことはない。もとより、ここで死ぬ命……ならば、ここで命を散らすだけだ」
「なんで……どいつも、こいつも」
確かに、ガイウスは両腕を失くしている。そこから溢れ出る血は、止まらないだろう。その時点で、彼の死は決定づけられているようなものだ。彼は長くない。
でも、だからって、こんな──。
「私は死の瞬間まで、騎士らしくあろう。それこそが、私の生きる意味であり、戦う意味だ。──あの男の真意を測れなかったのが、気がかりではあるがね」
「あの男──?」
ガイウスの最後に言った単語。それは、今目の前に存在しているような『暴食』という脅威を指しているのではないと言うことだけは、シュウにも分かった。ただし、対象までは分からないが。
「では、さよならだ。ササキシュウ。──友として、君を守る。どうやら、果たせるようだ」
「──おま、え……」
「剣よ、壁を」
短く、言葉を紡ぎ──直後、シュウとシルヴィアらの間に壁ができる。氷の壁だ。所詮は氷、『暴食』ならばすぐに突破することができるだろう。しかし、シュウは出来ない。できるほどの力はない。
ゆえに──さっさと行け、ということだ。
「くそ……くそ! くそ!!」
どうにもならない感情を声に出し、叫びながら世界樹に向かう。そこでしか、道は残っていないから。
ただし、生き残るためではない。シルヴィアも、ガイウスも、ダークエルフ達も死んでしまう可能性が高い以上、生き残る意味はない。事ここに至り──シュウは放棄を選択した。次に託すことを、巻き戻ることを決意した。
だが、ただでは戻ってやらない。まだ、解き明かすことが残っている。やらなければいけないことが、まだある。
「時の精霊……お前は、一体何を考えてるんだ……」
メリルの話を信じるのであれば、結界を張っているのは時の精霊と言うことになる。彼女の話を鵜呑みにするのも気が進まないが──しかし、そんな風に意地を張っている暇などない。
死ぬ前に、巻き戻る前に、時の精霊に会って、話しを聞いて──。
「つい、た……」
相変わらず魔獣も、獣や鳥、昆虫すらいない森を踏破し、辿り着いたのは天高くそびえる世界樹だ。時の精霊が住んでいるとされている、その場所にシュウはもう一度足を踏み入れる。
「……さむ、い?」
だが、その中で感じたのは異常なまでの冷たさだ。肌を刺すような、そんな寒さが世界樹の樹の中に蔓延していて──。
「ぁ……謎の、冷気……!?」
そして、思い出す。シュウを二度も殺した、謎の冷気を。
だから、か。手足が既に動かなくなっていることに、気付いてしまった。
「ぐ、がぁ……うご、かねぇ……!」
地面と接着してしまったように、石像と化してしまったように動かない手足を懸命に引っ張り、世界樹から逃げ出そうとして──。
かつん、と。何かが歩く音が聞こえた。
それは、シュウの後ろから。──正確には、出口に向かおうと思ったシュウの後ろ側から。つまりは、世界樹の中から。
そこから発生する音など、決まっている。足音だ。それも、人の。
そして──ここに居る人間は、シュウを除けば一人しかいない。
「──」
冷気を纏った女性だった。年齢は20歳ぐらい──要は、ローズ・ウェルシアと同じぐらいか。真っ白な騎士服もまた、その女性を夢想させる要因にもなっている。
髪は紫と水の混合。そう、氷の中にいた女性と一致する特徴を持っている。
「ぁ──」
しかし、叫ぶことはできなかった。お前は誰だと、質問すらもできなかった。
──だって、喉が凍っているのだから。発声器官が凍り、口が動かない。
女性の憂うような、そんな顔を視界に捉えながら──シュウはただ、死を待った。凍り付きながら、徐々に失われていく全ての感覚を待ち遠しく、祈って──。
意識は暗転した。




