第三幕 六話 疑いは晴れず
メリルから世界樹付近を覆う結界の謎を聞き、原因である時の精霊が住まう世界樹へやって来たシュウは──そこで思わぬものを見つけた。
それは氷像。木々が生い茂り、熱帯に近い気候のこの場所に似つかわしくない巨大な氷が世界樹の中に飾られていた。
その中には人が入っており、まるでコールドスリープでも彷彿させるかのようだ。
「いつから、入ってるんだ……?」
シュウの前に広がる氷像を視界に写しながら、疑問を口にした。
そもそも、こんなものがあるだなんて分からなかった。世界樹と共に生きてきたはずのダークエルフですら、これを把握していなかった。仕掛けを知っていたグリエルですらも、このことは言っていなかった。
とすれば、最近か? つい最近こんなものが出来上がったのか?
いや、にわかには信じがたい。これがつい最近出来上がったなんて信じられない。
「くそ……なにが、どうなってるんだ」
時の精霊に会いに来たというのに、張本人は中にはおらず、あったのはこの氷像のみ。上に行けるような装置は一切存在せず、登る場所はない。
「一度、戻るか……?」
これ以上ここには何もないと決定づけて、早めにジュンゲルに戻るか。いくらメリルが説明してくれているからといって、あまり長居するのはよくない。そんな気がする。
ともかく。ひとまずここを後にして、密林都市ジュンゲルへと帰り、今後の事を話し合うのが最善──。そう結論付け、来た道を帰ろうとした瞬間。
来たときにはなかった光が右の端の方にあるのを見つけた。まるで迷い人を誘うかのような暖かな光。
「行く、か……?」
吸い込まれそうになる衝動を抑え、客観的に物事を見つめる。
ここは、どうするべきか。一人で行くのも構わないが……何が待ち受けているか知れない。万が一、この先に強敵でも居たりしたらシュウ一人では太刀打ちできない。
それに……懸念材料は幾つもある。
『暴食』の件や、エリシャの行方不明だ。これらは時期が不明なのだ。いつ『暴食』がやってきて蹂躙を果たすか、いつエリシャが行方不明になるか。
しかも後者に関してはどんな反応が起こるかが分からない。
「となれば、戻るのが先決か……」
よって、シュウは進むよりも戻ることを決定したのだった。
「……ん? なんか、騒がしいけど」
世界樹への道のりを再び何事もなく戻って来たシュウは、遠くで行われる喧騒を聞いてしまった。そう、まるで、エリシャが居なくなった時のような──。
しまった、と心の中で舌打ちする。まさか、ここで来るのか。ここで来てしまうのか。
──失念してしまっていた。忘れてしまっていた。可能性はあったはずじゃないか。考えられたじゃないか。
「てことは、今捜索してる最中か!?」
既にエリシャは行方不明になっており、今探している最中なのか。とすれば、早く戻らなければまずい。エリシャが行方不明になるタイミングで、シュウが居なかった場合シュウは間違いなく犯人だと断じられてしまう。前週も同じような状況はあったが、その時はアルベルトやシルヴィアなどが共にいてくれたことと、グリエルしかいなかったことが幸いし、どうにか事なきを得た。
だが、今回は? アリバイがない。いや、メリルが話してくれていれば多少は違うだろうが、それでも誰もシュウが世界樹に行ったところを見ていない以上、疑いは強くなるだけだ。
「くそ、急がないと……」
今ここで彼らに疑われたら、彼らを味方にする手立てがなくなる。猜疑はいずれ確信へと変わり、それは拒絶から恨みなどの悪感情へと直結する。
殺される……まではなくとも、投獄されるのは可能性として考えられる。
それは最悪の展開だ。今ここで動きを封じられるのは、まずい。
ともかく、するべきことはメリルの近くに行って、シュウが世界樹に行っていたと彼らに信じさせることだ。
そんな風にするべきことを決めつけて、騒ぎの中心──ジュンゲルの中心部である公園らしき場所へ向かっていく。
──が、事態はシュウが考えてるほど甘くはなかった。
「シュウ……!?」
最初にシュウの接近に気づいたのはシルヴィアだ。彼女はダークエルフたちが円形に並んでいる中で若干外れた位置にいた。恐らくはシュウの接近にいの一番に気づくためだろう。だが、シュウを呼ぶ声は限りなく小さい。それも、表情はどこか責めるようなものだ。ともすれば、どうしてこのタイミングで来てしまったのかと訴えているかのようで。しかし、シュウはそれに気づけなかった。なぜならば、それよりも優先させるべきことがあったから。
……が、これを後に後悔する事になる。なぜ、シルヴィアの眼を見て、この場に参じることを躊躇しなかったのかと。
(待て……メリルが、いない!?)
気づいた。なぜか、輪の中にメリルがいないことに。
そこで、どこかこの状況がおかしいことに気が付く。
──エリシャがいないのならば、なぜ捜索にいかない? あの時は、全員が捜索に向かったはずだった。なのに、今回はなぜか全員が円形に並んでいる。まるで、何かを慈しむように。まるで、何かの死に怒りを感じているかのように。
そして、ようやくシュウの目にも映った。そして、ようやく分かった。ここに来たのが悪手なのだと、ようやく理解できた。
だが、もう遅い。既に、シュウの姿は──彼らの憤怒を映した瞳に捉えられていた。
「見つけたぞ! ササキシュウ……罪人が、のこのこと出てきたぞ、グリエル!?」
「……あ」
ダークエルフの一言が起因となり、全員がシュウを見つめた。積年の敵を見つめるかのような瞳に見つめられ、思わず竦んでしまう。
怒りが、殺意が、死が、シュウの体をくまなく穿っていく。動けるはずの体を縫い留め、動けなくした。
「君に、尋ねたいことがある」
努めて冷静な声で、グリエルはシュウに尋ねた。どこか感情を抑えた声で、瞳で、シュウを真っすぐに見据えて。
「私の娘を……エリシャを殺したのは、君か? ササキシュウ」
同時に、死が視界に入った。体を斬り刻まれ、血を流し、絶命している少女の姿が──。銀髪は血に塗れ、真っ白な服は泥と地に汚れていた。
それは、グリエルの一人娘で、シュウが最も気を配らなければいけないはずの少女──エリシャの死。それをしたのかと、グリエルは尋ねてくる。
「違う……俺は、やってない!」
「ならば、なぜ部屋からいなくなっていたのだ? 誰にも何も言わずに」
静かなその声に、怒りを含んだその声に、シュウは動けない。
「そ、れは……世界樹、に」
「グリエル!? 聞いたか! この男はエリシャを殺しただけでは飽き足らず、我らの聖なる場所を犯したのだ! これは最早情状酌量の余地もない!」
「……待て。真偽は定かではない。問題なのは、誰にも知られずにどこに行っていたか、ということだ」
まさか。まさか。まさか。嫌な予感が、シュウの背中を伝う。
誰にも見られなかったのは、メリルの服によるものだ。これによって、誰にも見つからずに進むことが出来た。が、逆に考えればいい。これはつまり、シュウがどこに行っているかを誰も把握できなくなると言うことだ。
「そうだ……メリル。メリルはどこだ!? あいつなら、俺の事を証言してくれるはずで……!」
だが、認められないシュウは幻想に縋り付くように、メリルを探す。しかし……シルヴィアは何を言っているか分からないと言った表情を浮かべて。
「シュウ……何を、言ってるの? メリル様は、来てないよ?」
「……うそ、だろ」
信じたくなかった。信じられるはずがなかった。
あれほどまでに尽くしてくれたメリルの真意──それが今ここに現れているなんて、信じたくなかった。
「しかも、この男には理由がある! 我らを恨む理由がな!」
太っているダークエルフは、声高にそう主張した。そう、思い返すはここに運ばれてきたときの事。全身を枝やツタに刺された……これが、恨む原因だとそうダークエルフの一人は叫ぶ。
「そうだ、腹いせに殺したんだ!」
「いや、あれは全て演技だったんじゃないのか!? その証拠に、立てないほどの傷を負っていたはずなのに、この男は歩いているじゃないか!」
「そうだ、全部陰謀だったんだ! 俺達を根絶やしにするための、黒の陰謀だったんだ!」
流れが、変わっていく。覆せないほどに、周りが固まってしまっている。全ては、メリルの掌の上。ダークエルフ達の攻撃すら勘定に入れて、この状況を作り出した。認識阻害の服を持っていることも、怪我が治っていることも。全ては疑わせるため。
何かが、崩れていく音がした。だが、それ以上に怒号が飛び交った。
「殺せ! 惨たらしく殺せ!」
「そうだ、もう一度串刺しにしろ!」
「いや、地中に埋めるべきだ! 生きたまま埋められる地獄を味わうべきだ!」
止まらない。止まらない止まらない止まらない。憎悪が、憎しみが、飽きることのない負の感情が。シュウを追い詰めていく。
だが、間に割って入ってくるのはシルヴィアだ。敵意を剥き出しに吠えるダークエルフ達をけん制しながら、シュウを庇う。
「シルヴィア様……なぜ、その男を庇われるのです?」
惑う間も見せずシュウを庇うシルヴィアに、ダークエルフ達のリーダー的存在であるグリエルは周りとは打って変わって、冷静に尋ねた。
なぜ、疑いがあるこの男を信じるのかと、そう疑問を投げかける。
「シルヴィア様……我らは黒に対し、不信感……いえ、敵意を抱いています。それは、貴女様も同じではないのですか? 人もまた同じように、黒を嫌悪していた」
「最初は、そうです。でも……今は違う。私は……どれだけ嫌悪を抱かれようと、シュウを信じたい」
黒だなんて差別など関係ない。嫌悪も、敵意も、何も生まないからと、シルヴィアは言外にそう訴える。要は冷静に物事を見ろと言っているのだ。
怒りは判断を鈍らせる。敵意は決断を誤認させる。あくまで冷静に務めるべきだと、周りのダークエルフ達に諭しているのだ。
「……貴女様は、慈悲深いお方だ。本来であれば、情けをかけるべきではない相手にさえ、その慈愛を向けてしまう。……確かに、貴女様の意見は間違っておりません。私達は、確たる証拠を持たない。黒と言う相手だからこそ、私達は決めつけている」
「グリエル!? 何を言っているのだ!?」
「平行線だと言うことだ、諸君。結局、私達が彼を吊るし上げるのであれば、確たる証拠を持ち出さなければいけない」
「そんなまどろっこしいことが必要か!? あいつは悪魔の申し子だ。あいつがやったに決まっているだろう!?」
グリエルの意見に、しかし小太りの男性は納得がいかないのか怒鳴り散らす。
「……少なくとも、私は疑ってやまない。君がやったのではないのかとね。彼らが言った通り、君には充分な動機が存在している。ゆえに、君を一度投獄させてもらう」
「──」
「君の言っていることに関し、裏が取れない以上私達の目が届く場所に置いておくのは当然の義務だ。でなければ、不安が増す限りだ」
「……くそ」
先ほどまで想定していた、そして今考えていた二番目の最悪の展開だった。投獄──要は監獄に入れて、シュウの行動を制限するのが狙いだ。
だが、それはこの場合において悪手だ。結界の解除方法を探さなければいけないのに、『暴食』を倒す術を見つけなければいけないと言うのに、やらなければいけないことが山積していると言うのに。
「無論、シルヴィア様……貴女は彼の投獄を許さないでしょう。ですが、安心していただきたい。ただ彼を縛るだけです。我らが神に誓って、殺害することだけはしない。あくまで、貴方達が押す真犯人を探し出すまでの間と言うことで納得していただきたい」
「……分かり、ました」
シュウの待遇に納得がいかないシルヴィアはグリエルに詰め寄るが、彼の案に苦渋の決断を下した。彼女も分かっているのだ。シュウを何もしないまま放置しておけば、ダークエルフ達が黙っていないことを。
つまり、これはシュウを守る決断だと言うことを。
「……ごめんね、シュウ。何もできなくて……」
「いや、いいんだ……俺が間違ってただけだから」
気落ちしたような声で謝罪が投げかけられ、シュウは大丈夫だと返す。
そう、間違っていたのだ。最初から、間違っていた。仲間を信用し、信頼することが間違っていた。結局、理解なんてされるわけがなかった。
信頼なんてするべきではなかった。あの女を、味方などと思うのが間違っていたのだ。
──そして、場面は最初に戻る。
「くそ……なにが、悪いようにはしないだよ。これじゃ、死刑執行を待つ立場じゃねえか……」
鎖に繋がれ、一人じゃ満足に食べることすら出来ない現状だ。今頃、地上では真犯人とやらを探し回っているかもしれないが……しかし、結界が今世界樹付近を覆っている以上、恐らくジュンゲルから出ることは出来ないはずだ。
つまり──。
「結局死ぬだけかよ」
薄暗い部屋で、静寂の世界でそんな風に呟いた。
「外が今どうなってるかも分からない……くそ、これじゃ次につなげることも出来ないじゃねえか……」
しかも最悪なのは、『暴食』と会うことが出来ない事だ。『暴食』の言葉の真偽は分からないものの、最終的には変わらない。あいつを倒さなければ、変わらない。
「そういや、結界ってどうなんだ……?」
シュウが起点として張られる結界は、今まで発動していたのだろう。だが、発動しているにもかかわらず『暴食』は何度も入ってきていた。
つまりは……あの結界の性質は、入る者は拒まず、出て行こうとする者のみに反応すると言うのか。
「どうにかして、抜け出さないと……」
繋がれている鎖をほどこうと暴れるも、無駄だった。頑丈にできているがため、壊れるなど想定できない。それに、この鎖を取ったとしても檻はどうすると言うのだ。錠は外側に設置されているし、そもそもシュウは鍵を持っていない。
──というか、見張りがいないのはどういうことだろうか。最初の方は見張りが居たのだが、暫くして血相を抱えて出て行った。ゆえに、今はシュウ一人だった。
「どっちにせよ、万事休す……ってか」
のに──。
なぜか、外れた。何の脈絡もなく、いきなり外れてしまった。
「は……?」
足も、手も。全てが勝手に外れた。ようやく外れた枷に……しかし、疑問しか抱けない。
「まさか、檻も……?」
満足に飯を食えていないから、かなりフラフラしながら檻に辿り着くと──。
「光が……」
目の前に光が溢れて、檻が粉々に砕け散った。まるで、この行動を待っていたかのように。
「地雷式……結界の構造を真似たもん、みたいなやつか……?」
ひとまず目の前で起きた現象を自分の知識で補ってみたが……これができるのは中々いない。何らかの行動をキーにして発動する地雷式の魔法……と言ったところか。
「こんなの出来るのメリルぐらいか……」
こんな小細工を出来るのはここでは誰もいない。シルヴィアは魔法が使えないし、ダークエルフ達の中にこんなことをするやつがいるとは思えない。これでは脱走しろと言っているようなものだ。
全ては、彼女の掌の上。あの場で結界の構造を説明したのも、今ここで彼女の仕業だと分かるようにするため。
取り敢えずここに留まっているのも良くはない。働かない頭を必死に動かし、階段を上っていく。
──ちなみに今の今までシュウが閉じ込められていたのは地下の牢獄だ。地下50メートル……よりは浅いか。ともかく、拷問をするみたいな場所だ。
「なんか起こってるのは、確かだよな」
見張りが居なくなったのも、飯が届かないのも、何かあったと仮定するのが妥当だ。
階段を一つずつ踏みしめて上へ登っていき、ようやく見えてきた光に進むと──。
「……なんだよ、これ」
外に広がっていたのは、惨状だった。森がなぎ倒され、建物が壊されるという最悪の状況が。外に、どこまでも、どこまでも広がっていたのだった──。




