4話 お勉強
連れてこられたのは屋敷の広間だった。
この屋敷に入ったときにここは一度見たはずなのだが、それでも初めて見たようなそんな感慨を受けざるを得ない。
「で、ここを一人で掃除しろってか」
「そう。ざっと1時間かけないで」
「なあ‥‥‥それはお前の目安ではないのか?」
この広さの広間を1時間でというのは少々──いや、だいぶ鬼畜だ。おそらくは掃除の場所は床だけでなく、天井にぶらさがっているシャンデリアもだろう。そのほかにも棚とか、その他諸々を合わせて1時間だ。
これをミルは1時間でやりこなすのだ。それは人間の域を軽く超えている気がする。いや、シュウも慣れればその時間で終われるかもしれないが、なぜだろう。そのビジョンがまったく見えない。
シュウがそんなことを考え、掃除を始めずにいると、
「ねえ。御託はいいから、早くやってくれない?まだ、仕事はほかにもたくさんあるの。これに時間をかけられては間に合わなくなるから」
「だあああああ! わかったよ! やるよ、やればいいんだろ! ちくしょう、やってやるよおおおお!」
もっともらしい正論を吹っ掛けられ、シュウは半ば自棄になりながら叫ぶ。
その2時間後。
「はあ‥‥‥はあ‥‥‥くそ、どうだよ。やってやったぞ!」
シュウはピカピカになった床にへたり込みながら、ミルに向かって言う。
広間の床はもちろん、シャンデリアやその他の装飾品もとりあえずはきれいになっていて、この2時間の必死さが伝わってくる。
「うん。悪くはないわね。でも、2時間もかかったらほかの仕事が滞るから、もう少し頑張ってもらいたいところではあるんだけど」
「鬼かよ、お前は。これ以上どこをどうやってどう改善すればいいんだよ。これが俺の限界だよ」
「そうなの? じゃあ、限界突破でもしたら」
「くそう! なんか女の子の口から、ましてや異世界の人間に限界突破なんて言ってほしくなかった!!」
シュウは手で顔を覆い隠して、そう叫ぶ。本当に異世界のイメージが崩れるので、限界突破とか言わないでもらいたい。というか、この世界、どこまでシュウ達の世界の言葉が浸透しているのだろう。
「さて、それじゃ、次の仕事に行きましょ」
「ああ、わかった。じゃあ、掃除用具を‥‥‥あれ、なんでないんだ?」
「掃除用具の事ならさっき片付けておいたわよ」
「まじか‥‥‥お前、本当に人間かよ。いつ片付けたんだよ‥‥‥」
少なくともそういうアクションなら普通は気づくはずだ。もしかしたら、先ほどシュウが手で覆い隠したときに片付けたのかもしれない。だが、あれだってわずか数十秒だ。その間に片付けられるのなら、もはやほかの種族である。
「ほら。終わったことにいつまでも気をとられない。それとも、いつまでも気をとられてゴミだと思われたいの?」
「やめてくれ、人をゴミ扱いするのは。なんだ‥‥‥お前は俺に悪口でも言わなきゃ死ぬ病気なのか?」
初めて屋敷に来た時から、ミルには罵声を浴びせられてばかりだ。なんだか、納得がいかない。
ミルは一瞬だけシュウの方に振り返り、今までとは違う視線で見てくる。どこか、凍てつくような視線で、それでいて。
どこかおびえているような目で。
「ああ、悪かった。じゃあ、ミル。次の仕事に行こうぜ」
ミルはシュウがすぐに話題を切り替えたのが予想外だったのか、目を丸くしている。
「ええ‥‥‥そうね。行きましょう」
未だに納得のいかない顔でこちらを見ているが、シュウは素知らぬ態度をとり続ける。
分かるのは当然だ。だって、シュウもその感覚は痛いほど知っているのだから。
次の仕事場まで訝しむようなミルの視線が、ずっとシュウをとらえ続けていた。
「くっそ、疲れた。ああ~これ以上動きたくねえ」
シュウは自分に与えられた部屋のベッドに倒れこみながら、そうつぶやいた。
窓を見れば、すでに昼の明るさは失われており、魔法道具の光だけが外で光り続けている。シュウの世界換算で9時あたりだろうか。朝の6時から働き通しである。日本のブラック企業だってさすがにこれよりはましだ。‥‥‥たぶん。
「いやいや、これきつすぎだろ。だって明日もあるんだよ? 一日だけの体験とかじゃないんだよ? オーバーワーク過ぎない?」
あまりの仕事の多さに壊れたのか、聞いている人など誰もいないのにシュウは質問ともとれる独り言を重ねている。
「あー、これ絶対明日筋肉痛だ。うそだろ‥‥‥筋肉痛とか、何年ぶりだよ」
腰をさすりながら、そう呟く。
「つーか、明日も早いとか言ってた気がする。うん、そうだ。もう早く寝よ。遅くまで起きてたら、明日死んじゃう。というわけで、お休みなさい」
さっさと布団の中に潜りこみ、早々にランプのような魔法道具を消す。そして胸元まで布団をかぶせ、一人でお休みを言う始末。これは本当に頭がいかれてきているらしい。
そうして、目を瞑った数秒後。ドアの方でノックの音が聞こえた。
完全にもう少しで寝れるところだったため、脳や筋肉はお休みモードに入っており動かすのが困難だったが、仕方なく起き上がり、ドアの方へと向かう。
「これでミルとかだったら容赦はしない。玉砕覚悟で毎晩ミルの部屋に忍び込んでやる‥‥‥」
そこで、ふと。何かデジャヴな気がした。部屋にいるシュウ。そしてノックする音。
これ、王都の時と同じじゃあ‥‥‥?
結論から言わせてもらうと、完全に同じだった。ドアの向こうには桃色の髪をまとめている天使がいた。
「し、シルヴィア? こんな夜遅くに一体何の用だ?」
「えっと‥‥‥この分だとこの前の約束の事覚えていないよね‥‥‥」
どこか呆れたように言うシルヴィアにシュウは首をかしげる。
約束、なんてあっただろうか。いや、シュウが忘れているだけかもしれない。なんだかんだ言って記憶力はいい方なのだが、何かに集中すると忘れてしまうことが多々あるのでもしかしたら今回もそうなのかもしれない。
「ごめん、シルヴィア。まったく覚えてない。何かあった‥‥‥ああ、字とかのことか」
シュウの言葉に頷き、中に入ってくる。
シルヴィアはベッドにはわき目もくれず、ただテーブルの方へと向かっていき、消したはずのランプを付け直す。
「じゃあ、始めよっか」
そう言って、本日二度目のお仕事タイムが幕を開けた。
と言っても、初日ゆえかは分からないが、まずはどんな字が使われているかのレクチャーが主であり書く練習には入らなかった。
一通りの説明を終え、一息ついたシュウにシルヴィアは、
「それで、次は歴史についてなんだけど‥‥‥大丈夫?きついなら言ってね」
シルヴィアの気遣いに、しかし甘えることなく手をひらひらと振って大丈夫なことを知らせ、続きを促す。
「そうだね‥‥‥この国のことは言ったし‥‥‥何か聞きたいことはある?」
「何か聞きたいことって言われてもな‥‥‥」
シュウは頭に手を置き、知りたいことを脳内から検索する。知りたいこと、と言ってもこの世界の知識がないため、どれについても詳しく聞くことが出来ない。
だから、前シルヴィアに聞いた単語の中から、最も気になったものを精一杯検索していると、
「大戦‥‥‥ああ、大戦のことが知りたい。例えばどんなやつがいて、どんな活躍をしただとか。そういうやつで」
「そんなことでいいの? でも、これって、ほとんどの人が知ってることだよ?」
「ああ、それでいい。男ってやつは英雄譚にあこがれるんだよ」
シュウの言い分に若干シルヴィアは首をかしげるが、それでも話してくれる。
英雄譚──男なら魔法とともに一度は誰だって心は躍らせたことがあるだろう。英雄譚とはそういうものなのだ。
「そうだね。15年前に活躍した英雄は師匠含めて四人。一人は『大英雄』ダンテ・ウォル・アルタイテ。『憤激』のロスイ・アルナイル」
「憤激って‥‥‥そんなに怒ってばかりの人だったのか?」
「ううん。そんなことはなかったみたい。でも、そういう風に見えたから、ということでそう呼ばれてる」
「飛んだ風評被害じゃねえか‥‥‥」
ただ、気になるのは、どうして『憤怒』ではなく、『憤激』なのだろうか。そこが一番気になるところだ。
「ほかにも、『冷酷』ミアプラ・フェンリル。『剣神』シェダル・テュール、とかが伝えられてるね」
「すっげえ‥‥‥剣神とかどんだけ大仰なんだよ」
「『剣神』さんとは何度かあったことがあるよ。師匠といっしょに来ることが多いし」
「まじか‥‥‥俺も出来ることなら会ってみたいな」
「きっと、いい人だから、すぐに打ち解けられるはずだよ」
「そっか‥‥‥それで? ほかの人たちは?」
シュウは子供のように目を輝かせながら、シルヴィアに続きを催促する。
そうやって、シルヴィアの屋敷での一日は過ぎていった。