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43話 ローズの願い

「は、ぁぁ、ぐ、ごぉぉお……」


 『色欲』の簒奪者は、サジタハの主要都市──昔、ここを支配していた王族が秘密裏に作り上げた地下迷路を這うようにして進んでいた。


 ──既に、『色欲』の権能は解けており、翼はおろか先ほどの神々しさを出すことも、光線を出す事すら叶わない。


 ──敗北だ。もはや、認めざるを得ない負け。『色欲』の権能すら破られ、決定的な敗北を刻み込まれた。


「くそ、が……」


 だが、それら全ては──彼にとってどうでもいい。


 彼は一度下を見て──彼の眼に映るのは、血が流れ出る生々しいほどの傷だ。むしろ、なぜ死んでいないのかが不思議なほどの出血量。恐らくは、最後の最後で手加減……もしくは、手心を付け加えたのだろう。


 でなければ、こんな風に這いずり回る暇もなく、即死だった。


「だが……生きて、いれば……」


 まだ、死ぬわけにはいかないのだ。死ぬのだとしても、まだやらなければならないことが残っている。


 体の大部分は破損し、内臓もまた無事ではない。どうせ、いずれ死にゆく運命だ。


 だけど──最後に会わなければならない奴が残っているのだ。


 這いずり、壁にもたれかかりながら進み、必死にその場所を目指して歩いていく。


 皮膚が抉られ、視界が徐々になくなり、聴覚が消えていく──まるで、死に際のそれだ。死人のような低風で、やっとのことで、何度もこけそうになりながらそれでも前へ──。


 ──そして、辿り着いた。


「お待ちしておりました。パトロクロス殿……我らが主が、この先にて貴方様を待っております」


「その名を……覚えている奴が、いたとはな……」


 白い診療所の前で──一人の老人が瞑目していた。そして、老人は彼が辿り着くと知ると──。


 彼が、名前のない彼が、呼ぶのに不憫だからと言って授かった名前──パトロクロス。その名を知っていると言うことは、アキレウス本人から聞かされていた人間だろう。恐らくは、アキレウスが信用していた側近……というところだろうか。


「忘れるわけにはいけませんよ。貴方様は、私の家族を救ってくださった……命の恩人です。貴方が例え、人類の大敵であろうと……私は、貴方に対する敬意を忘れません」


「それは、ありがたい……どうか、ここから先には誰も通さないでくれ。一時的に……この扉を封印する。その封印が解けた時こそが……お前の、真の主が目覚める時だ」


「……承知しました」

 

 敬意を払う老人を一瞥し──残り少ない命と、とっくに限界を超越してしまっている体を酷使し、何の装飾もされていない廊下をただ一人で進む。その先に、彼だけの救いがあると信じて──。


 永遠に続くかのように思われた廊下の最果てにして、彼──パトロクロスの物語の終末であり、彼を救ってくれた友がいる部屋の扉を開けて。


「随分と、老けたじゃねえか。アキレウス……」


 部屋の中央にあるベッド──そこに寝かされている茶髪の青年、アキレウスにそう呟いた。


 同時に、アキレウスが寝ているベッドに座る女性に──。


「ローズ……」


「パトロクロス……久しぶり」


「その様子だと、正気に戻ったようだな……いや、最初からかかってなかったか? ……ま、どうでもいいな、そんなことはよお」


 灰色の髪の女性で、イリアル王国五人将。パトロクロスとアキレウスが揃って好きになった、人。


 ──『灰色の魔女』、ローズ・ウェルシア。


「随分と、手酷くやられたのね……」


「ああ……あの女も、手加減ってもんを知らねえらしい。昔のお前のようにな」


 パトロクロスもまた、アキレウスの傍に寄った。ただ、座るなどと言う行為などではなく、寄り縋る、が正しいが。


「なあ、聞きてえ……なんで、俺に従った? 俺は……アキレウスじゃねえって、一目で分かってただろ? お前ほどの人間が、ああも簡単に呪いにかかるとは、思えねえんだよ」


「……」


 パトロクロスの問いかけに──ややあって、ローズは口を開いた。


「……私は、正しさを選んで、全てを犠牲にした。その過程で、あなたを殺し、アキレウスをも傷つけてしまった……これは、私の、罪滅ぼし」


「け……くだら、ねえな……」


「そう、でも、私にはこれしかなかった。これしか、返せるものがなかった。だから、あなたの言うことを聞いた。例え、世界を敵に回したとしても」


「はは……感動の、言葉じゃねえか……」


 ──ああ、ようやく、理解できた。


『賢者』の言っていることが何も理解できなかった。いや、理解したくないと心の中で思っていた。


 ──人間を殺そうとしていたのではない。救おうと、足掻いていたのだ。ただ、救われてほしかった。


 戦争で死んでいく命、踏み台にされていく命、戦場で死ぬことすらままならず餓死する命。たくさんの死を見てきた。たくさんの命の散り際を見てきた。ならば、何ができるのだと。未だ至らぬこの身に、何ができるのかと。


 彼らが救われるには、どうしたらいい。くそみたいな運命に逆らうには、どうすればいい。


 ──人間では、救われないのではないのか? 人間と言う種族では、いつまで経っても抗えないのではないのか? ならば、変えるしかない。人と言う種族を、別の種族に変えて、戦う術を持たせる。


 そうすれば──きっと、救われる。その果てに、何が残るかは分からないけど、救われるはずなのだ。


 そうすれば、アキレウスが望んだ未来がやってくる。ローズが肯定した夢がやってくる。魔族と、人間族の和解。運命に阻まれ、達成できるはずのない未来が。


 そう思って、自分自身を偽って、今日まで──否、この瞬間までやってきた。だけど、ふと思う。それで、本当に正しかったのかと。


「なんだ……大丈夫、だったじゃねえか……」


 今日の、戦いを見たか。


 あれだけいがみ合って、理解して来ようとしてこなかった人間どもが、一時的にとはいえ手を組んで、強大な敵を前に立ちはだかろうとした。過程を飲み下し、結果を望んだ。


 ──素晴らしいものではないか。敵対していて、それでもなお、手を組む。


「なあ……アキレウス……やっぱ、お前の命令、聞けそうにねえわ……」


「……パトロ、クロス……」


 ローズも、理解しているだろう。もう、体がもたないのだ。治癒魔法ならまだ再起の方法はあるが──ただし、強力な魔法士でなければ回復させることは出来ない。それこそ、『賢者』のような魔法士でなければ。


 だから、最後は──パトロクロスが望んだ結末で、終わりたかった。


「ローズ、俺を……殺してくれ。三度目の正直だ……」


「サジタハの主要都市にまで辿り着く道中……襲って来たのは、やっぱりあなた、なのね……」


「何度も、無様に生き残っちまった……だが、もう、この世に未練はねえよ」


 一度目は、運悪くローズに遭遇し、魂を傷つけられた時。二度目は、サジタハの主要都市内。彼女に罪を背負わせたくないため、永遠の業を背負わせた時。もう、二度も助けられた。ならば、もういいだろう。今度は、自分がアキレウスを助けたいのだ。そうしなければ、死んでも死にきれない。


「……分かった」


 一度ローズは俯いて──決心したかのように、短刀を懐から取り出す。そして──パトロクロスに傷跡にあてがって──。


「それでいいんだ。ローズ……」


 パトロクロスは、瞳を閉じた。

























「どうしたのだ。今日は、遅かったではないか」


「ねえ……質問、いい?」


「あ、ああ……いいが……どうしたんだ」


「もしも、私が……多くの人の命を奪ってきた、殺人犯だったら……どうする?」


 昔の事を、思い出していた。何度も邂逅を果たし、仲良くなった場所で──仮定の話として、そんな風に問うていた。


「う、うむ? 仮定……の話であるのだな?」


「え、あ、うん……そう、仮定の、話……」


 実は、アキレウスに対してローズは自分が今まで多くの人間を殺してきたことを明かしていなかった。


 理由は至極単純。嫌われたくなかったから。そして、この心地のよい空間が終わってほしくなかったから。


「そうだな……もしも、そうであったなら……俺は、お前を許さないだろうな」


「……そう」


「当然だろう。殺人犯は、許すわけにはいかない。人の命を、容易く奪うなど……俺には理解出来ないからな」


「……」


「罪は償ってもらうし、誓ってもらう」


「なに、を……?」


「決まっている。罪を、償うことを。そして……もう、誰も殺さないと」


「……そんな、ことでいいの……?」


「少なくとも俺はな。まあ、当事者の家族はそれで許さんだろうが……それより、そんなこととはないだろう! 俺なりに考えて言ったのだ!」


「あ、ごめん……」


 思い出す。思い出した。思い出せた。ギリギリで、思い出した。


 ──視界に映るのは、パトロクロスの傷に短刀を刺しこんで、止めを刺そうとしている光景だ。


「──っ」


 ──本当に、この道で間違っていないのか。


 誓いを、破っていいのか。罰を、受けるのではなかったのか。罪を、償うのではなかったのか。


「ぐ──っ」


「早く、やれ……ッ!」


「私は……」


 ──想起する。


 ──生きろよ! そんで、笑え! それが、輝かしい人生を奪ってきたあんたの罰なんだ!


 ──ササキシュウが、ローズに語った想いであり、ローズが悩んだ年数をかけても辿りえなかった答え。


 分かっている。理解できている。だけど、どうすればいい。これ以外に、彼を救う方法など分からない。ローズが、誰かを救う方法なんて知っているはずがないのだ。


 だから──これでいい。彼が望むなら、私は手を汚す。


「違う……!」


 甘えを許そうとする心に、振り絞った声でそう呟いた。


「これじゃ、あの時と何も変わらない……!」


 かつて、数年前の事件で、パトロクロスを刺した時のように。これでは、変わらない。誰も、救われない道。


「嫌……こんなの、私は望んでない……!」


「ローズ……っ」


 ──だから、一歩を踏み出せよ、歩めよ。誰かのために生きるんじゃなく、自分のために幸せになる一歩を。


 黒髪の少年の言葉が、頭で弾けた。


 ──分からない。分からない。分からない。


 この手で何人も殺してきて、今更自分が救われていいのか分からない。


 でも、それでも、許されると言うなら──。


「私は……もう、誰も殺さない……ッ!」


 アキレウスとの誓いがあった。約束があった。黒髪の少年の言葉があった。胸にしみこんだ。


 だから、目を背けない。自らの罰から、目を背けたくない。絶対に。


「ローズ……変わったな」


「パトロクロス……?」


 だけど──パトロクロスは、ただ手を振るって。


「な──」


(引き、寄せられる……ッ!?)


 魔法。それも、人の体を強制的に操る、魔法。


「そんなもの……ッ」


「悪いな……俺は、お前の手で殺されたいんだ……」


「誰か……」


 ──まずい。


 このままでは、ローズの想いも何もかも無視して、殺してしまう──!


「誰か……助け、て……!」


 誰か、助けてほしい。この状況を、打破してほしい──!


 誰にも心を開かず、誰とも仲良くなろうとしてこなかったがゆえの、ツケ。誰も、助けになんか来ない。だって、誰もローズの心の内を知らないから。誰も、ローズと言う少女を知ろうとしてこなかったから。


 だから、きっと、彼女が助けを呼んでも、誰も──。


「この、大馬鹿野郎があああああああ!!」


「な、ちょ、待て、死ぬ──!」


 そこで、何者かがローズの叫びを聞いたように割り込み──手に持った魔道具か何かで、ベッドに背を預けているパトロクロスをぶん殴った。


 その行為に、パトロクロスが思わずと言った調子で叫び──ローズが、その行動に唖然とする。


 そして、この部屋への乱入者は──。


「誰も、お前の願いなんて聞いてやらねえよ……生きろ! このくそ野郎が!!」


 ──ササキシュウ。きっと、ローズの想いを知っている、唯一の少年が全てを終わらせるために乱入してきたのだった。

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