38話 楽園の庭にて
「お母さん……」
「大丈夫よ、大丈夫だから……!」
魔獣の存在が主要都市内で確認されてから、一時間が経つ頃。
サジタハ内に住んでいた住人や商人たちは、衛士などの指示に従って、避難し──避難箇所に設定されている場所に、何千人もの人間が外の惨状を思い出し、悲しみに明け暮れるか、はたまた早く終わってほしいと願っている中。
──それは起きた。
そう、避難所の中で──異変が起きる。
一人の男性の顔が、異様に膨らんで、爪が伸びて、牙が生えてきて──まるで、異形の怪物、魔獣のようなそれに──。
「い、いやああああああああ!!?」
それを傍目で見ていた女性が悲鳴を上げ──同時に、血が空中に迸った。と同時に、避難所の中が混乱に包まれて──。
「こんな場所にまで、現れるのか……」
「ああ、全くだ。しかし、人混みが邪魔だな……なら、どかすしかないか……座標指定、空間移動開始」
だが、そこに入り込む影があった。
避難所が血祭りに上げられそうになる中、水色の髪の少女──メリルとメリルによって強制的に傷を回復させられた、シモンが割って入っていく。
が、いかんせん人が多すぎた。どれだけ早く走っても、そこに辿り着くのに一体どれほどの人間が斬り刻まれるか──。
そんな懸念がシモンの頭をよぎり──しかし、隣のメリルはそれを嫌い、魔力がない状態と言っているにもかかわらず、魔力の消費が多い空間転移を使い、直線状に居る人間を一時的に避難させた。
そして、捉える。
爪を出鱈目に振り払い、牙をそこら中に突き立てている魔獣を。
シモンはすぐさま剣を抜き、一瞬で細切れにしようと──。
「……待て、シモン・サイネル!」
──が、何かを悟った様子のメリルは斬りかかろうとするシモンを制し、自ら杖を振るって対象を捕縛するバインドで魔獣の動きを止めた。
「どういう、ことすか……?」
「……なにか、おかしい。考えてもみてほしいんだが……こんな避難所に、こんな人がぎゅうぎゅう詰めになるまでに、魔獣が潜んでいるのに誰も気づかないなんて、そんなことありえるかな?」
「確かに、ですけど……」
確かに、メリルの言っていることは正しい。
普通に考えれば、こんな状況になるまで魔獣が気づかれないのが不思議だし、そもそも魔獣が今このタイミングで暴れ出したのも理解出来ない。
「……最悪の予想だけど、もしかしたら──」
「──なにか、来るッ!」
メリルが最悪の予想を立てる中──お得意の直感で何かが来ることを察したシモンが叫び。
──直後、光線が、街を貫いた。容赦ない一撃が、街の外観を変貌させ、怯える住人達を血の祭典にしようと──。
「ああ……危ないな。これ、ほんとうに」
「なんだッ……今の」
しかし、メリルがそれをさせなかった。
防壁魔法。メリルが編み出した、最高級の鉱石に匹敵する──否、それすら容易く超えるほどの障壁でもって、完全防御を果たしていた。
そして、それを見計らったように。化け物が下りてくる。自らの欲望のために、『色欲』を食らいつくした、真の『大罪』が。
「へえ……それを防ぐか、流石は『賢者』と言われるだけがあるな」
「君は……アキレウスか」
「いいや……その名は捨てた。やはり、俺にはあいつの名は似合わん。あいつのように、何かを導けるような男ではない。だが……しなければいけないことができた。例え、それが矛盾していようと、なさなければいけないことがな」
「随分、皮が剥けたようだね……これは、少し厳しいかな……?」
「いくぞ、『賢者』。貴様が俺の邪魔をするというなら──ねじ伏せる。完膚無きにまで」
殺気が溢れだし──そして、激突する。
『色欲』と『賢者』。この世に名を残し、今日まで生き永らえた大罪人同士の戦争が、遂に始まった。
「シルヴィア……! 大丈夫か?」
「うん……私は、大丈夫だけど……」
姿の変わったアキレウスの放った光線を防ぎきれず、後ろに吹き飛ばされたシュウとシルヴィアは──瓦礫の中で、ようやく目を覚ました。
シュウの方は直接地面にぶつからなかっただけましだが……シルヴィアはその限りではない。なにせ、彼女はシュウを庇うようにして自ら地面に叩きつけられた。傷ならば、彼女の方が上だろう。
だが、シルヴィアはなんともなさそうに、シュウよりも一足先に立ち上がって──手を差し伸べてくる。
「立てる? シュウ」
「あ……ああ」
気丈に振舞う彼女に思わずなんと返答していいのか、迷った挙句、気の利いたことの一つも言えないまま、差し出された手に掴まって立ち上がり──その惨状を目の当たりにした。
「これ……全部、あいつが……」
「うん……そう、だろうね。シュウの盾でも防ぎきれなかったってことは……相当、勢いがあるのか、それとも威力がすごかったのかだけど……」
「いや、なんていうか……威力は、そこまでじゃなかった気がする」
静かに、シュウは自分の右手──そこから作り出される盾を見た。
シュウが作り出せる盾は、つぎ込む盾によってその防御力が変化する。先ほどは咄嗟だったとはいえ、それなりの魔力量を費やして出した盾だ。それに──曲がりなりにも八岐大蛇の魔法を防いだのだ。あれしきの攻撃でやられるはずがない、と信じたい。
(なんていうか……盾が小さくなっていったような……気が、した)
何らかの予感がよぎったため、シュウはシルヴィアの剣と光線がぶつかり合う間際に、盾を割り込ませたが──どうやら間違っていなかったらしい。光線と盾が凌ぎ合う中──盾が、徐々に削り取られていくように小さくなっていったのを、確かに見ていた。
つまり、あれこそが『色欲』の奥の手。メラク・ウェヌスが使おうとしていた秘儀。
だが──同時に、引っかかる。あれほどの手がありながら、奥の手としていた理由は何だ。それこそ、最初から使っていれば、少なくとも戦闘は有利に運べていたはずなのに。
「シュウ……さっきの人……どこに行ったと思う?」
「記憶が正しければ、まず間違いなく街の方に。復讐するなら、そこが一番だからな」
人間に復讐を。
それこそが、アキレウス──否、あの男が望むもの。『大罪』という人智を超えた罪にすら頼らざるを得ない、最後の願い。
「行こう……そんなこと、絶対にさせちゃだめだ……」
「うん。そんなことが終わる前に、決着をつけないと……」
あの男なら、全ての人間を殺すということをやりかねない。
だが、それだけはさせない。それをさせてはいけない。
──違和感があった。あいつが、それを叫ぶのに。それを、宣言するのに。猛烈な違和感が、シュウを襲っている。
──本当に、彼が望むのは復讐なのか。それを問いたださなければいけない。
だが、何事もそんな簡単にはいかなくて──。
ガラ、と。瓦礫が落ちる音がした。
その音に気が付き、上を見てみれば──。
「見つけた」
──そこに居たのは、イリアル王国五人将にして、最強の冠を乗せられた、灰色の魔女。この都市で出会った強者たちがとどめていたはずの、絶対の強敵。
「ローズ、さん、かよ……!」
──ローズ・ウェルシア。シュウ達にとって、最も最悪の敵にして、最強の敵。
『英雄』と『灰色の魔女』。その戦いの火蓋が、数年の時を経て──今、切って落とされた。




