プロローグ お屋敷
「ま、待ってくれ。話せば、話せばわかるはずだ!」
シュウは手足を縛られ、身動きが一切取れない最悪の状況で、必死に訴えていた。
今、シュウがいるのは小さくて暗い部屋だ。シュウの近くにはいろんな道具や紙が散乱しており、足の踏み場もないとはまさにこのことを言うのかもしれない。
シュウだって引きこもりをやってはいたが、きちんと片付けてはいたし、こんなにも不健康な生活はしてないと思っていた。だが、他人の目で見てみればどうだろうか。もしかしたら、シュウもこんな自堕落な生活を送っていたのかもしれない。
「なあ!話をしよう!少しの意見のすれ違いでここまですることはないと思うんだ!?」
先ほどから部屋の持ち主に話しかけているものの、シュウの言葉に取り合うつもりはないらしい。
ちなみに、今のシュウの姿を一言で言うのならば、俗に言う『くっ、殺せ!』状態である。手足を頑丈な鎖で縛られ、椅子に括り付けられている。
幸いなのは目と口を防がれていないことだ。これならまだ、こちらの意思を伝えることが出来る。
とはいえ、成果は芳しくないが。
考えてみてほしいが、『くっ殺』状態は敵モンスターにヒロイン──もしくは、姫騎士が捕まるからいいものの、今そのポジションにいるのは、シュウ、ましてや男である。そんな絵面誰が見たいだろうか。少なくともシュウは見たくはない。
何度も話しかけ、しかし返事が来ないので、さしものシュウも諦めかけた時、音が聞こえた。
誰かがこちらに向かって歩いてくる音。
その音は規則的で、特に焦っている様子は見受けられない。
その向かってくる誰かに向けて、シュウは掠れた声を絞り出す。
「なあ、まだ、やる気かよ。この絵面、少々好きじゃないんだが‥‥‥」
ようやく、姿が見えてくる。
シュウをここに閉じ込めた張本人のご登場である。
顔は暗闇で見えない。だが、その顔に浮かべている表情は何となく察することが出来なくもない。
「ああ、ちょっと待ってくれ。もう少し耐えてくれ。ボクとしても君を長い時間ここにはいさせたくないんだ。ただ、検証に時間がかかってるだけでね」
女の声だ。声には何の感情も籠っておらず、まさに冷酷の一言に尽きるのだが、その表情には冷酷なんて言葉は当てはまらず、きっとその表情は喜々に染まっているだろう。
「次の検証に入りたいんだ。いいかな?ていうか、拒否権はないんだけどね」
そんなことを言って、魔法発動の準備をする。
大規模な魔力を素人のシュウですら感じ取れる。これはレイと魔法の訓練をしたときですら感じ取れなったものだ。
すでに相手は魔法を打てる段階に入っており、あれに当たればただでは済まないだろうことが予想できる。
シュウは死の恐怖で回らない頭を必死に動かして、どうしてこうなったのかを思い出していた。
乗り物酔いをするかどうかで言ったら、するかもしれないがたいしたことはないのだろうととシュウは思っていた。
だから、この世界の乗り物──馬車に乗っても大丈夫だろうと高をくくっていた。
現実は甘くなかった。乗って数秒、見事に酔いはシュウに牙を向いた。
今はグロッキー状態であるシュウを休ませるために休憩中だ。
あっちの世界では体験したことのないような吐き気と気持ち悪さがシュウに襲い掛かってくる。
そんな状態を慮ってか、シルヴィアは王都を出る前に買った水を差しだしてくる。
「大丈夫?」
「ああ、今んところは。てか、馬車でこんなに酔うとは思いもしなかったけど。シルヴィアこそ大丈夫なの?」
「私は大丈夫だよ。馬車に乗るのは慣れてるしね」
ということらしい。もしかしたら、シュウも何度も乗れば、時期に慣れる可能性はあるものの、出来れば馬車についてはあまり乗りたくない。
酔う原因として考えているのが、揺れの酷さである。王都近くの道については整備されており、でこぼこが目立つわけではなかったのだが、少し離れればガタガタである。
この道についてはなんとかしなければならないかもしれないが、如何せん一般人である──付け加えればシルヴィアの従者となった──シュウ如きには所詮何か出来るわけでもないので、早く何とかしてほしいところでもある。
「なあ、シルヴィア。あとどれくらいで着くんだ?」
シュウはそれが気になり、質問する。
現在、シュウは酔いが収まってきたので、馬車を走らせているとこだ。
そのシュウの質問にシルヴィアは考える素振りを見せ、
「うーん、ざっと15時間はかかるかな?」
「15時間!?」
シルヴィアの口から聞かされた推定の時間にシュウも驚かざるを得ない。馬車のスピードは車には劣るものの、それでもこの世界では速い部類に入る。そして、王都から出発してすでに3時間が経過している。
合計で18時間。一日の大半を馬車で過ごす計算だ。
「遠すぎやしないか?毎回王都に来るの面倒な気がするんだが」
毎回、王都に呼び出されたり、用事があって行くのに一日のほとんどを使ってしまうのだから非常に効率が悪い。シュウであればさっさと王都に引っ越してしまうだろう。
「私はそこまで苦でもないけど‥‥‥元々、今の家を建てたのは師匠だし」
「そっか。あー、シルヴィアの家ってどのくらいの大きさなの?」
家の大きさは聞いてみたかったことの一つである。実際、この世界の人たちの建築の感覚が分からない。王都で見た限りでは、シュウの世界とほぼ同じであること分かっているのだが、シルヴィアの家となるとちょっと想像できない。
可能性としては豪邸であることが高いのだが。
「えーと、王都の人たちの家よりちょっと大きいかな」
とのことだ。あえて期待しないでおこう。
そんな風に他愛もない会話をしていれば、少しずつ辺りが暗くなってきていた。
王都を出たのが、地球の時間で換算して昼の2時だ。シルヴィアの話では、暗くなり始めるのは18時ごろらしい。はや、4時間が経とうとしている。
そこでシュウが気になったのは、一定間隔を開けて道に設置されている街灯のようなものだ。そこからは光が漏れ出しており、予想するに光源としての役割を果たしているものと思われる。
「なあ、シルヴィア。あの光って‥‥‥」
「うん。魔法道具だよ。もしかしたら、初めて見るかもしれないけど」
やはり、魔法道具というのはあるらしい。異世界ファンタジーではほぼ必ずお目にかかるものだ。ただ、初めて見るかもしれない、というのが気になる。
「ああ、初めてだけど……さっきのどういうことだ?」
「魔法道具って結構高いし、出回ってる数少ないから重宝して使われるんだよ。だから、道での光源として使われるなんてここしかないからね」
「ああ、そのものの数が少ないのか。でも、さっきまでの道を見れば、百は軽くあったぞ」
「そうだよ。だって魔法道具の製造方法はこの国しか知らないから」
魔法道具。その利便性から誰もが欲しがるのだが、その製造方法は一切明かされてないらしくほかの国では作ることはできないのだ。その魔法道具の製造に賢者、という存在が噛んでくるらしいのだが、またそれは別の話だ。
「でもさ、それって危なくないか?」
「うん、そうだね。王族とかからしたらと公開しないで他国と溝を作りたくはないから公開したいんだけど、賢者が納得しない」
一つの、ましてや、世界中が欲しがる道具の製造方法を独占することの危険度は、国家間同士の事情に疎いシュウでも理解できる。
「それでもこの国が戦争状態にないのは、たぶん英雄という存在が抑止力になってるから、だと思う」
英雄──シルヴィアの話によればこの国の最高戦力であり、各国との話し合いの末、戦争に加担すること禁止されたと聞く。だが、結局はその取り決め自体大した力はないだろう。この国が他国と戦争を始めてしまえば、いつ破ってもおかしくはないのだから。
だから、迂闊に手が出せないのだ。
一つ間違えば、戦争。そんな危ない橋を渡っている。
まあ、だからと言って部外者であるシュウに口を出す権利はないが。
「あー、寝ちゃってたか……」
馬車の中、横になっていたシュウは目を覚ます。
外を見れば、若干、太陽の日差しが辺りを照らし出している。最後に覚えている外の景色は暗闇だったことを吟味すれば、今は4時ぐらいといったところか。
隣にはシルヴィアが窓に寄りかかりながら、寝息を立てているのが分かる。
明るい──などといっても全体的に見ればまだ暗いほうに入る。今はまだ夜明けといったところだ。だから、無理にこの時間に起こす必要はないと思い、反対の窓を見やる。
若干、陽が差しているので周りの様子が見て取れる。森だ。見たこともない木々が生い茂っており、至る所になんかの実や、花がなっている。そこに動物たちが群れをなして、行動している。
さすがに舗装された道付近には来ないが。
「すっげえ‥‥‥でかすぎだろ、あの木」
木々が生い茂るこの中で、シュウの目を一番に引いたと言えば、木の梢からわずかに見える巨大な木だろう。
あれだけ大きければ、どのくらいの長さだろうか、などと測る気すら失せてくる。
「いつか行ってみたいもんだな‥‥‥」
それがいつになるのかはシュウにも分からないけど。それでも、いつか行ってみて下から木を眺めてみたい──という勝手な計画を立てていたシュウを現実に引き戻したのは、シルヴィアの声だった。
「そろそろ着くよ?」
「いつの間に起きて‥‥‥いや、それよりもうすぐ着くってどういう‥‥‥」
シュウが言い終わる前に、それは来た。
それまで途切れることなく続いていた木は、しかし、ここで途切れる。
変わらない光景の代わりに飛び込んできたのは、目を疑うようなものだった。
でかい家だった。いや、ここまで来たら家、などという表現は正しくない。屋敷だ。
庭と思しき場所にはたくさんの花々が植えられ、しかし、枯れることなく咲いている。それは一日もかかさず世話をし続けた、という証明だ。
また、その真ん中には噴水らしきものが見え、そこにも目立った汚れはない。
そして、その奥、屋敷の入り口には金髪の一人の少女が立っていた。
服装はメイド服ではないが、充分きれいな服だった。白が基本のベースになっており、そこに紫や紺といった色が混ざっている。また、髪の色が太陽の光を受けてさらに素晴らしい色に見立てている。
少女は馬車に──正確にはその中に乗るシルヴィアに向けて恭しく礼をし、
「お帰りなさいませ、シルヴィア様」
そう言って、微笑んだのだった。