31話 倒すべき敵と対策すべき人
「…………」
シルヴィアによって地面に打ち付けられると言う結果を回避できたシュウは、しかし掌で顔を覆って体育座りしていた。
何とも言えない哀愁を漂わせているシュウに、一緒に投げ出されシルヴィアによって救い出されたアリスは何と声をかけていいのか分からずにおろおろしていた。
なんか、もう、あんまりではないか。
いや、確かにシルヴィアに救われたことに関しては素直に感謝すべきだろう。だが、素直に喜べない感情がシュウの中に渦巻いているのも事実だ。
シルヴィアはシュウなんかよりもよっぽど強い。分かっていた、分かっていたつもりだった。
だが、こんな日が来るとは思わなかった。いや、来ないようにと祈っていた。
思い返すのは──先ほどの光景。空中に投げ出されたシュウを、シルヴィアがお姫様抱っこで抱えるシーン。
「ああ……ちくしょう! 今考えるのは、そこじゃねえだろ……悔しがんのは全部終わってからだ。──。────よし」
思い返せば思い返すたびに、男としての尊厳が削られていく感じがするが、思い出せ。今はそんな感傷に浸っている場合ではないのだ。そう、浸っている場合はない。
自分の目を覚ますために何度も頬を叩き──改めて、桃髪の少女が立っている方を見る。
正直、話しづらい。あれだけ大声でケンカしたことなど初めてだ。どう話せばいいか悩むところではあるものの、今はそんなことに時間を割いている暇ではない。
誇張なしに、負ければ人類の敗北は必至なのだから。
「シルヴィア……あー、うん、えーと……」
「──取りあえず、話したいことはあるんだけど」
「あ、ああ……」
「先に、あっちを倒しちゃおう。話はその後、それでいい?」
結局、シルヴィアを前にして気まずさが勝ってしまい、何を言えばいいのかを悩んでいた所、シルヴィアから妥協案が提案され、仲直りは後に持ち越されることになった。
とはいえ、言いたいことはたくさんあるのだろう。実際、こちら側の事情を把握してはいるのだろうが、だからこそ感情の行き着く先を見つけられずに、自らのスカート──白一色のスカートの裾を思い切り掴んでいるのだ。それこそ、感情を抑制するために。
「ごめ──」
「わっ、と」
全てを察してくれるシルヴィアに、一言だけ言っておこうと口を開いた──と同時、後方でどたどたと音が鳴り、シュウの言葉と重なる。
「──」
「いてて……うーん、分かってはいたけど、精度があんまりだなあ……もう少し魔力練っていればちゃんと着地で来たんだけど……うん? なんだい、その目は?」
「──ほんとタイミング悪いぜ。神の意志かなんかで俺は一生謝ることが出来ないのか?」
「うーんと、あれだね。感動の再開とやらを邪魔しちゃったかな? だとしたら、断罪されるのはボクで間違いないんだけど……状況が状況でね。細かい設定なんかをする暇がなかったんだ」
「──。────。──────。うん、よし、今だけは悪口も何もかも飲み込もう。だから、取りあえず今の状況を説明してはくれないか。シルヴィアも、今来たばっかりだし、俺も何が起こってるのか把握できてない」
普段ならば文句の一つや二つでも言いたくなるのだろうが、あまり余裕がないメリルの姿を見て寸前のところで悪態をつくことを止め、代わりにメリルに今の状況の説明を求める。
正直、なぜ彼女が焦っているのかがシュウには理解できていないのだ。
メリルはシュウの言葉に頷いて。
「そうだね……あそこに居る戦力は『大罪』。これだけでも面倒なのに、ローズ・ウェルシアが敵の手に堕ちたっていうのがまずい事態だ。たぶん、呪いに付け込まれたんだろうけどね」
「ローズさんが……? メリル様。それは本当ですか? だとしたら、既に上は……」
「ああ、シルヴィア。間違いなく君の想像通りだ。上の階は既に楽園と化しているだろう。敵対する者を絡めとり、蟲毒でもって人を殺す、最悪の楽園に」
「なんか二人で納得してるけど、詳しい説明を! 楽園ってどういう……」
目の前で勝手に納得し合う二人だが、シュウにはローズの詳しい能力を知らないので彼らのような反応すら取れない。
そもそも、楽園とはなんだ。魔法、だろうか。だが、楽園を生み出す魔法など聞いたこともない。
「ごめんね、シュウ。勝手に話進めちゃって。──五人将、ローズ・ウェルシアが最強と言われているのには、色々理由があるからなの。楽園ていうのは、その一つに過ぎない」
「楽園、ていうのはとどのつまり、結界魔法の事だよ。心の中のイメージを現実に反映させる魔法……これによって、固有の空間を作り出す事が可能になる。──本来、これは人間には出来ない仕様なんだ。なぜなら、人の抱える魔力量では発動することすら叶わないからね」
──ならば、なぜ、ローズ・ウェルシアはその魔法を発動できているのか。答えはまず一つしかありえない。
──『オラリオン』。人の願いが集約し、具現化されるに至った力。魔法と異なり、殆ど無制限に使用可能な、いわゆるチート的な存在。
『オラリオン』ならば、人には発動できるはずのない魔法を使うことだって出来る。
「つまり、世界を作り出すのが、ローズさんの『オラリオン』、ってことか……」
「正解だ。頭の回りはどうやら衰えていないらしい」
シュウの口から出た単語──『オラリオン』という答えをメリルはなぜかどや顔で肯定する。どうやら、シュウの考えは間違っていなかったらしい。取りあえず置いてけぼりにされることはなくなったようでなによりだ。
「でもさ、結界魔法のメリットって何なんだ? 傍から聞いてるだけだと、あんまりメリットなさそうなんだが……」
結界魔法──『オラリオン』で再現出来る魔法に関して、メリットはあまり存在していないように思えるのだ。
まあ、ただ単にメリットを説明してもらっていないだけかもしれないが。
そのシュウの疑問に関しては、シルヴィアではなく先ほどから喋り続けているメリルが答える。
「メリットに関しては当然存在するよ。結界──固有の空間は、つまり自分が作り出した世界になる。世界を作り出した張本人の思うがままに操作できるということになる。これほどのメリットは存在しないさ。その世界では、どれだけ自分に有利な要素を詰め込んでも構わないんだから」
「──自分に有利な世界を作り出せるってことか。確かに、それ以上のメリットはないな……」
この世界の神が、世界の仕組みを作ったように。結界魔法も同じように出来る。疑似再現が可能だと言うことだ。
「それに、『オラリオン』であれば魔力切れなんて言う結果は起きない……まさに、最悪の組み合わせなんだよ。そして、彼女にはもう一つ面倒な能力があってね」
「その説明に関しては私が。──ローズさんには、攻撃が効かないの」
「──、は?」
ローズ・ウェルシアが最強と言われる真実がシルヴィアからもたらされ──その内容を聞いて、思わず思考に空白が生じてしまう。
シルヴィアも、その性質には大分苦渋を舐めさせられた経験があるのか、口をきつく結んで。
「正確には無効化ってわけじゃなくて、威力を返してるだけなんだけど」
「いや……いやいやいや、なんだその出鱈目な能力!」
「シュウも、見覚えあるでしょ? 去年の八咫烏戦。王城に向けて放たれたはずの攻撃で、なぜか八咫烏の方が致命傷を負っていた事」
──覚えている。覚えているとも。
八咫烏を直接落とす要因となった傷。あれを負わしたのは、他ならぬローズだ。そして、ようやくそのからくりが解けた。
──返していたのだ。八咫烏の攻撃を、そのまま八咫烏へと跳ね返した。
「そんなの……どうやって、倒すんだよ……」
出鱈目すぎる。結界魔法だけでも厄介なのに、攻撃を全て跳ね返すと言うおまけつき。これにどうやって勝てと言うのだ。
明かされた能力に項垂れてしまうシュウだが、そんな彼にメリルの力でここまで転送されたダリウス王が近づいてくる。
「さて、現状が確認できただろうか。かのローズ・ウェルシアが敵に回った事の恐ろしさも、何もかも。──だが、私は敢えてこう言おう。いや、こう言うしかない。この国に確認されている魔族の幹部、『色欲』を討ち果たし、アキレウスの目的を今一度潰せと」
「ダリウス……だが、それは」
「分かっているとも。これほどの難易度の任務、今まで誰も請け負ったことはないだろう。だが、考えてほしい。ここで私たちが撤退すれば、アキレウスの狙いは成りこの国は魔族に堕ちる。そうなれば、前線は崩壊だ。均衡していた戦争は一気に終結まで持っていかれる。無論、魔族側の勝利という形でな」
ダリウスから告げられた真実に、シルヴィアは苦虫を潰したような面持ちへと変化する。そして、ほかならぬシュウも、恐らくは同じような顔をしているだろう。
──ここで退けば、この国の人間がどれだけ死ぬだろうか。いや、この国一国の被害だけでは済まされない。全人間に等しく死が与えられる。
止めるしか、方法は残されていない。だが、絶望的だ。方法はほとんど残されていないのも、事実だ。
だが、諦めるわけにはいかない。
まだ、やれることは少しでも残っているのだから。
「やろう。まだ、手立てがなくなったわけじゃない。ガイウスだって、カストルだって、他の奴らだって残ってる」
ダリウスの策により、主な実力者はここに集まった。そのせいで、街中に溢れている魔獣に関しては対応できないでいるが、少なくとも彼らと戦えるだけの戦力は整っている。
「街に溢れている魔獣に関してだが、ボク……それと、街に置いてけぼりを食らっているシモン・サイネルに処理を一任してほしい。今から行って間に合うかどうかは疑問だが……そこはシモン・サイネルが魔獣を排除して回っていると期待しておく」
「そんで、俺とシルヴィア……コロシアムでやり合ってる奴らと共に、『色欲』とローズさんをどうにかしろってことか」
メリルにしては珍しく自らこの場を離れることを選んだ。いや、もしかすれば魔力が残っていないことが原因しているかもしれないが。
「では、幸運を祈るよ。まあ、不運ばっかりな君に幸運をと言うのも不思議な話だけど……あ、それと、一応だけどこの魔道具渡しておくね。ここぞと言うときに使ってくれ」
「ほっとけ、そんで、ありがとう。──じゃ、シルヴィア。行こう。アリスとダリウス王はどっか別の所で」
「ああ、私もアリスも非戦闘員なのでね。大人しく見守らせてもらうよ」
それぞれするべきことを確認し、離れていく。そして、今の今まで共に行動したアリスは──。
「シュウ。死なないように。まだ、お礼も何もしてないから……」
「──勿論、まだ死なない。大丈夫、絶対帰ってくるからさ」
若干気落ちしているような、どこか心配しているようなアリスを安心させるように、アリスの頭に手を置いて──わしゃわしゃと撫でまわす。
「それじゃ、やろうか」
短く、全ての計画を壊すための宣言をする。
難易度はこれまでと段違いで、何より勝てるかどうかなんて分からない。
──いつものことだ。だから、別に緊張なんてしないし、思う所もない。
さあ、始めよう。全てを壊しつくすための、戦いを。




