30話 無邪気の悪意
「『色欲』……!」
「なんだよー、そんなに怒ったような目で見られてもさ、まだ何もしてないから居心地が悪いんだけどー」
「なにもしてない、だって……?」
自分はまだ何もしてないから関係ないと言わんばかりの言い方に、驚愕せざるを得ない。まるで子供のような言いぶりに、二の句が継げない。
これが、こんなものが、『大罪』幹部なのか。人の敵対者なのか。
──理解できない。理解し合うことが出来ない。
「ま、安心していいぞ。大丈夫だよ、ササキシュウ。お前はまだ殺さないからさー」
「は……?」
「これでもさ、『傲慢』とか、『強欲』から制限受けてるんだよ。なんだったかなあ……ああ、そうそう。ササキシュウはあとで使うから、残しておけって」
よほど思い通りにならなかったことがつまらないのか、口をへの字に曲げて文句を垂れる『色欲』。その姿は年相応だ。自分の要求が通らないから拗ねると言う、子供の癇癪と同レベル。
──何より恐ろしいのが、そんな少女が『大罪』の力を持っているという事実だ。
『憤怒』や『嫉妬』とは違う。歯止めが効かない。ただただ無邪気にその力を振り撒き、世界をあるがままに変えていく。
「──悪いけど、それより先はこちらに踏み込まないほうがいい。さもなくば、君の体が焼かれて消失するだけだが」
「──くそ、拘泥している暇はねえか! メリル! 奥の手は!?」
他の人間がそうこうしている間にも、メラクは止まらない。彼女は気分の赴くままに力を振るい、サジタハを地獄へと変えていく。
そうなる前に、止めなければならない。だから、もうなりふり構っている暇などなかった。ダリウス王の付近に待機していたメリルへと声をかける。
「──全く、今ここで頼る存在がいないからって、ボクの扱いが……うん、なんでもない。取りあえずなけなしの魔力をつぎ込んで……?」
「どうした!?」
「──まずい。こちらが想定している以上に、事態は最悪だ!」
「具体的に!」
「──街中に魔獣を確認! 規模は捉えきれない。とにかく膨大だ!」
「な──」
メリルから聞かされた情報。それはシュウの思考を空白に染めるには充分だった。
想定していなかった魔獣の出現。これだけでもまずいのに、魔獣に対抗できる人間がほぼ全員ここに集まってしまっていると言う最悪の事実。
『色欲』を率先して倒さねばならないのに、その間にも住民は殺されていく。
「想定外すぎたな……『色欲』! これは、全てお前が図ったのか!?」
「うん? そんなわけないだろー。あたしは考えるのが苦手なんだ。だから面倒なのは全部丸投げしたよ」
誰に? と聞く暇すらなかった。メラクはダリウス王の方向へ向いて──否、その隣に居る人物へ視線をやる。
そう、ダリウス王の隣に居る存在へと。
「く……やっぱり、信用するんじゃなかった。君は、以前もこんなことをしていたね、アキレウス!」
「以前ってどういう……? それに、そいつは一体誰なんだ!?」
「私もよく分からないんだけど……でも、少しは聞いたことある」
全てを悟ったような声で叫ぶメリルだが、正直シュウからすれば情報遅れもいい所なので彼女が驚愕している理由が分からない。
このままでは話についていけないと勝手に危惧していたシュウに、アリスから補足のための声が上がる。
「八年前だか九年前に、サジタハで魔族がらみの事件が起こったの。その時はたまたま居合わせたローズ・ウェルシアが鎮圧したけど……甚大な被害をサジタハにもたらした」
「まさか……」
「事件を起こし、裏で暗躍していたのが、アキレウスと言う名の人間……でも、公だと死んだって言われてたはず、なんだけど」
「ま、正解だよ、お嬢ちゃん。俺はあんとき、魔族を手引きし、サジタハを魔族の国家にするつもりだったんだ。……ま、ローズに防がれたけどな」
アリスの説明を自ら肯定し、昔の計画を誇らしげに──そして、どこか懐かし気に語るアキレウスだが、シュウには彼の感情が納得できない。
つまり、サジタハの住人を殺し、人間族を倒すための拠点にしようとしたのだ。その時はたまたまローズが居たから助かったが、いなかったら大惨事は免れ得ない。
サジタハを拠点にすると言うことは、前線であるイリアル王国が魔族に挟まれる形となり、前線が押し上げられることになる。イリアル王国以外で、魔族と対等に戦いあえる国があるとは思えない。
総崩れだ。アキレウスの計画が成った場合、魔族と人間族の抗争は魔族側の勝利となっていた。
「とまあ、色々説明臭くなったけどさ。お前らは一つ、肝心なことを忘れてるってことに気づけよ」
「──?」
「やれ、ローズ。楽園を見せてやれ。ま、この場合は地獄と言っても差し支えないだろうがな」
アキレウスに逆らう素振りを見せないローズは、言われるがままに手を前へと突き出し──口を開き、歌を紡ぐ。
「まずいか……!」
「果てなき理想は塵となり、抱いた幻想は露と消える。私が視た世界、感じた世界は果ての楽園である」
「なんだ、何が起こってる……!?」
ローズの呪文が進む中、唯一結果を知っているであろう『賢者』が杖に魔力を籠め始め、もたらされる結果について何一つ知らないシュウはただ狼狽えるしか出来ない。
「シュウ! 早くこっちへ! じゃないと死ぬぞ!」
「ちょ、っと待ってって……何が、起こるんだよこれ……?」
珍しく目に見えて狼狽えるメリルに、事の重大さをようやく理解し、傍らで慄いていたアリスの腕をひっつかみ、メリルの下へと駆けだし──。
「よっ、と」
だが、メラクがそれを許さない。彼女は涼しい顔でシュウ達の前に降り立つと、拳を地面に押し付け──ゆっくりとひびが入り、破砕された。
「な──うっそ、だろ!」
「はははは!! 安心しろ! 死にはしないからさ!」
「なんもかも予想外過ぎるんだよ、こいつらあ!!」
足場を失い、体が重力に従い落下を始める。二階から一階への高さだ。彼女の言うとおり、死ぬことはないだろう。ただ、暫く行動不能になるだけで。
「アリス……!」
同じように空中を漂っている──否、落下しているアリスの手を掴み、抱き寄せる。無論、アリスを地面に打ち付けさせないためだ。犠牲になるのはシュウだけでいい。
ここまで来て、何かの拍子でアリスが死んでしまっては意味がないのだから。
アリスを抱きしめながら、ただ待つ。その時を、待つ。地面に打ち付けられ、呼吸が出来なくなるのは想定済み。そこで意識を失わないのが最高の結果だ。
目を瞑り、襲ってくる恐怖から目を逸らす。意味のない行為だが、こうでもしなければ耐えきれるとは思えない。
──だが、やってこない。地面に打ち付けられ、体中が痛む未来が、いつまで経ってもやってこない。
それどころか、落下と言う事象すらなくなったように感じれて──。
何が起きたのかを把握するために、恐る恐る目を開けてみれば──シュウは空を飛んでいた。否、飛んでいるとは言えない。何せ、シュウは抱えられているのだから。
そして、落下するアリスとシュウを空中で掴み、尚且つ着地できる──こんな超人的な行動を出来る人物など、シュウには一人しか思い当たらない。
──シュウがここで敵対してしまった少女であり、行方が知れなかった少女。
「しる、ヴィア……」
「ごめん、喋るのは着地してからにして」
そして、気付く。そう、確か、シュウは抱えられていると今の自分の姿を想像していた。──甘かった。俵のように抱えられているわけではなかった。
そう、例えばお伽話に出てくる王子様がお姫様を抱えるときの格好。まさにそれだった。
つまり──。
「また、これかよ──!」
お姫様抱っこ。本来であれば、男性が女性にするはずの行為。
だと言うのに、まさかの立場逆転してのお姫様抱っこに、シュウは最早頭を抱えて叫ぶしかなかった。




