幕間 カストル・アルナイル
時はシルヴィア・ウォル・アレクシアが、周りの被害を抑えるためにカストル・アルナイルを倒したところまで巻き戻る。
町に甚大な被害をもたらしたカストルは、倒壊した建物の瓦礫の中でただ突っ伏していた。
傍らにあるのは、半ばから折れた剣だ。シルヴィアとの戦いの最中、力技で強引に叩き折られた。
確かに、剣と剣のスペックの差はあるだろう。シルヴィアが持っていたのは、とある名工が作ったとされる有名な剣だ。
片や通常の剣のスペックと大差ない代物だ。これはロスイ・アルナイルが死ぬときにカストルに託してくれたものであるとはいえ、別に優れた鍛冶屋が打ったわけでもないのだから。
(……と、言い訳を並べたところで、敗北したのには変わりない、か)
だが、結果的に負けたのは自明の理だ。全てに近い剣術を修めたにもかかわらず、しかし頂点に立つシルヴィア──『英雄』に勝てなかった。
復讐を果たすためにロスイの剣術の型を悪用し、ロスイの言いつけすら破って市民を危険に晒した。
──なんと、無駄な人生だったのか。復讐になど命を燃やし、無為な時間を過ごしてきた。
過ぎ行く人々が、カストルを見ては嫌悪の視線を送り、憤怒の視線を送ってくる。これが、選択の結果だ。
誰にだって分かるはずだ。ここで行動を起こせば、こんなことになるぐらい。全部分かっていて、それで手を染めたのだ。救いようのない人間だろう。
だと言うのに、子供は無邪気だ。例えそこで寝そべっているのが罪人であろうとなんであろうと関わらずに寄ってくる。言い換えれば、好奇心の塊とでも言えばいいか。
「どうしたの、お兄ちゃん? どうして、怪我を──」
「やめなさい……その人には、関わってはいけないのよ……!」
──近づく子供を制止する母親。その瞳に宿るのは、一体何だったか。
──知っているはずだ。誰よりも、その感情を知っているはずなのだ。
なぜなら、その感情とやらに付き合いながら生きてきたのだから。
(ああ……そう言えば、そうだったな……)
父ロスイ・アルナイルから言われた言葉。──戦うことの責務を忘れるな。我らが戦うのは、いつだって助けを求める者のためなのだから。
時間があればいつだってそんな風にカストルに言い聞かせていた。国から逃亡する中、まるでカストルが恨まないように。
(……そういや、あの日も、こんな風に惨めな気分だったっけな……)
◆◆◆◆◆
カストルと言う男の人生は、いつだって不幸に塗れていた。
カストル・アルナイルがその生を受けたのは今から20年も前の事になる。生まれた時のことなど覚えているはずもないのだが、何度もロスイより聞かされたので耳にこびりついている。
カストルの母とロスイがちょうど雪山で遭難していたときらしい。というか、妊娠している女性を傍らにしたまま雪山に入るなど常識人のすることなどではなかったのだが、そこは気にしないでほしい。元来、英雄と呼ばれる人間はどこかが抜けているのが常識なのだから。
とにかく、雪山で正規経路を見失い、路頭に迷っていた二人が運よく見つけたのが雪山にポツンと立っている小屋だったらしい。中には誰も住んでいる気配がないにも関わらず、なぜか出産について必要な道具が全て揃っていた。これを幸運と呼ぶか、それとも不気味がるかは当人の感性に任せる、が少なくともロスイは何の疑いもなくこれを幸いとして喜んだ。
──そうして、外で吹雪が舞う中生まれたのがカストルだ。
外は猛吹雪で、生きて帰れるかどうかも分からない状況で、しかしロスイと言う男は掛け値なしに飛び跳ねて喜んだとのことだ。これを聞いたときは、わが父のことながら流石に呆れたものだ。
『この子には運命がついている!』だのなんだの言っていたらしい。
──まあ、茶番は置いておくとして。
当時、魔族との戦争で国全体、というか人間領全体が貧困していた時期だ。そんな中で、そんな時代に憤りを感じ傭兵業を始めたのがロスイ・アルナイルだ。
魔族との抗争によって、永続的に戦力が足らない状況にどこもかしこも陥っている。それが顕著だったのがイリアル王国だ。魔族との戦争との最前線にあり、いつ決壊してもおかしくはない国。
──父は、常に怒っていた。なにに? それは勿論、戦争と言うものに。それを良しとする風潮に、そんな中で死んでいくのが名誉だと思っている連中に。だからこそ、戦場ではそんなやつらを出さないためにも獅子奮迅の活躍をした。これが後に『憤激』という二つ名の始まりなのだが。
ゆえに、ロスイが母とカストルの下に帰ってくることはあまりなかった。貴重な戦力として、戦線を駆け巡っていたからだ。
だが、別にそれを寂しいとは思わなかった。むしろ、嬉しいとすら思えた。自分の父親が、認められることが嬉しかった。
とはいえ、何事も長くは続かないものだ。16年前──カストルが4歳の時、戦争は突然終わりを迎えた。ダンテと言う英雄が、魔族側の幹部たちを全員仕留めたことにからの停戦条約ということらしい。
それからは平穏な日々が続いた。ロスイの傭兵業も当然そんな平和な時代にあっては続かず、廃業を余儀なくされる。元々、ロスイ・アルナイルと言う人間は戦う以外の事が出来なかった。
戦時であれば輝くのかもしれないが、仮初の平和の時代では最早お荷物でしかない。しかも、イリアル王国からの褒賞を受け取らず、あまつさえ国王の呼びかけにも応じなかった。
ロスイ・アルナイルは何度も言うが、義憤に駆られた傭兵であった。ゆえに、損得勘定に興味はあらず、お金に関しても執着はない。
それを、カストルの母も理解しており、特に文句を言うことはなかった。
──だが、イリアル王国の重鎮たちはそれを許さなかった。王直々の呼びかけにもかかわらず応じず、あまつさえ褒賞すら受け取らずに帰っていった。
これ以来、イリアル王国の貴族たちがロスイ・アルナイルに関してあらぬ噂を流し始め──結局は広まらずじまいだったが──ロスイ・アルナイルとその家族は、イリアル王国に入ることを禁止された。
これが、不運の始まりだった。
イリアル王国からそのような扱いを受けたことが全体に広まり、ロスイ・アルナイルと言う男を密かに狙う人物が増えたのだ。つまりはイリアル王国の貴族に取り入り、報酬を得ようと言う輩だ。
それからというもの、カストル一家は狙われ続けた。裏の暗殺者、表の兵士、その他諸々。いついかなる状況であろうと狙われ、精神的疲労は溜まっていった。
そんな中、サジタハで行われている非人道的な実験を聞きつけたロスイがサジタハの主要都市へと潜入し、たった一人で壊滅させた。だが、国家からすればロスイの行動はあまりにも邪魔だった。
正しい事をしたにもかかわらず、ロスイは国を追われる身となったのだ。裏だけでなく、正式に指名手配が下され、最早行き着く先はどこにもない。
飲み食いもままならぬ中、元の正義感から盗みも働かず身分を隠して働く父を見て、カストルは不憫だと思った。父は英雄だった。誰よりも、何よりも。
カストルが平凡に、密かに過ごしていれば、イリアル王国の状況が伝わってくる。『大英雄』とまで称されるダンテ。その実態が。
知れば知るほどに、恨みが湧いてくる。なぜ自分たちがこんな思いをしているのに──と。恨みは止まらなく、いつか爆発するためにそのなりを潜める。
だから、それが弾けるのはそう遠くはなかった。
追われる身となってしまったことによる、精神的疲労からの病気。母はそれで亡くなった。父の選択に何も言わず、ただ取り残されるカストルとロスイを心配して、いなくなってしまった。
そして、次は当然ロスイで。
『カストル。恨むなよ。この世の全てを、弱き者たちを、運命を。これは、仕方のない運命なのだ』
聞き入れなかった。耳には届かなかった。運命など、ねじ伏せればいいのに、なぜ父はそれをしない。
『剣を振るうべきは、守るべき人ではないぞ。我らが戦うのは、守るべき人間を守るためだ』
言い聞かせるような言葉は、しかしカストルには聞こえない。何も、届かない。
病気で弱まっていく父。それを見て、自分の瞳はどんなふうに腐っていっただろうか。想像したくない。
『カストルよ。誰も恨むんじゃない。誰も悪くはないんだ。──人間は、弱い。何か理由を付けなければ、前に進めない生き物なのだ。だから、そんな人たちを守るために私たちのような者がいる』
それは最期の言葉。消えゆく灯の最期の抗い。
『──戦え。弱き者のために。剣を振るうべき相手を間違えるな。私たちは、悪を討つために剣を握ったのだ』
そうして、父は果てた。
だが、許せなかった。だって、父が怒っていたのはそんな運命に対してじゃなかったのか!?
誰もが運命にすり潰され、死を待つしかない現状を恨んだのではなかったのか!?
そんな運命に抗うことこそが、ロスイ・アルナイルの生きざまじゃないのか!?
──討つべき敵。守るべき対象。それらは果たして、本当に人なのか? むしろ、人こそがそんな運命を生み出しているのではないのか?
誰かに責任を擦り付けなければ生きていけないような人種こそが、誰かを貶めることでしか生きられないような人種こそが、この世の悪そのものなのだ。
ならば、討つべき敵は、決まっている。
ロスイ・アルナイルを英雄から貶めた人間こそ、討たれるべき敵。復讐をしよう。全てに、この世の悪に。人と言う悪の生き物に。
彼らこそが、恨むべき敵なのだ。
そう考えれば、後は行動は早かった。ロスイを母の下に埋葬し、カストルを追う暗殺者どもを倒していく。使えそうな技術があれば盗み、使えない技術しか持たない人間は即座に殺した。
生きるために何度も手を汚し、イリアル王国へと戻る算段を付けていた頃。とある情報を聞いたのだ。
──ダンテ・アルタイテが魔族との抗争の末に死んだ。
復讐を誓っていた男が死んだ。復讐と言う感情に全てを支配されていたカストルは、そこで初めて振り返ったのだ。
だが、決して戻ることはしなかった。もう、戻ることは出来ない。
英雄となるには、手が汚れ過ぎた。弱者の味方になるためには、復讐に手を染め過ぎた。班英雄とも呼ばれている自分に、最早留まれる道はないと言い聞かせた。
──結果は、どうだっただろうか。
復讐に手を染め、父の言いつけを破ってまで進んだ道は、果たしてどうだったか。
関係のない住民を巻き込み、新たな火種だけを生み出していくカストルは、彼らにとって恨むべき対象ではないのか。
悪を討つべきことに執着し、自分が悪になっていることに気づいていただろうか。
自問自答を何度も繰り返し、しかし戻れる世界はないと自らの可能性を狭め、辿り着いた先は──サジタハ。
ダリウス王とシルヴィア・ウォル・アレクシアがこの場に来ていると知ったとき、もうここしかチャンスは残されていないと思った。
自らが推し進めていく計画の全てを放棄し、ここで全てを起こす。長かった人生に区切りをつけるために、行動を起こす。
ダリウス王の動向に詳しい商人に問い詰め、逃亡中であったアリス王女を捕まえるために奔走した。
途中、赤髪の剣士との激闘もあったが、計画に支障が出るほどではなかった。しかし、決定的だったのは、何よりも『英雄』、シルヴィア・ウォル・アレクシアとの戦闘だろう。
足元にも及ばなかったわけだ。届くと思っていた刃は、まるで通りはしなかった。
──だからこそ、振り返っていた。今まで、振り返ることもろくにせず、妄信的に進んできた道のりを。
「ササキシュウ、とやらか……」
その存在は聞いていた。『英雄』の近くに居る、まるで腰ぎんちゃくみたいな人間。だが、その本質はカストルが思っていたものとは全く違かった。
「きっと、父が言う英雄像とは、あの男の事を言うのだろうな……」
自らを非力だと認め、しかし守るべき存在を守るために戦った少年。あれこそが、ロスイが求めた英雄像であり、カストルにはなることの出来ない英雄像だ。
一人の少女を守るために戦う少年。片や、復讐に目が眩み破壊をもたらすしか出来なかった青年。どちらが英雄に相応しいかなど、明白ではないか。
「ササキシュウよ。──お前はなぜ戦う?」
ここにはいない少年に向けて、問う。当然、答える声はない。だって、それは独り言であって答えを求めるものではないのだから。
「いや、案外、簡単な事なのかもしれないな。最初から戦う理由は決まっていて、それを貫き通したわけか。……どうも、間違っているのは、正しくないのは、僕のようだ」
とはいえ、分かっていた事だ。自分が間違っていることなど、分かり切っていること。
だから。
「では、すべきことは決まっているわけだ。今更、英雄のようなことをしようとしても、誰も信じないだろう。今更、民を守ると言っても、誰も耳など傾けないだろう」
なぜなら、それだけのことをしてきたから。守るべきはずの民に剣を振り上げ、間違ってきたのだから。
「だが、僕も──憧れた。誰もを、平等に助ける英雄とやらに」
ならば、するべきことは一つしかない。例えこれがどれだけ独善的な行為だと言われようと、止まることはあり得ない。
だって、カストル・アルナイルと言う男は、どれだけ悪ぶろうとも、どれほど人を恨もうとも。根っこは変わらないのだから。
さあ、始めよう。英雄になり損ねた青年は、英雄になれたかもしれない青年は、初心に帰る。救われない者のために、動く。
──今なお、救われない少女を救い出す。これだけは、曲げない。
そして、時は巻き戻る。カストルが、この場に舞い降りるところまで。
「困っているようだが……なら、僕が力を貸そう」
折れぬ意志を持って、そいつは下りる。
「さて、無駄な戦闘は終わらせよう。そのために、僕はここに来たのだから」
「お前……カストル!」
シュウの声と共に、カストルが地面に降り立ち、彼らを庇うように立つ。
「じゃあ、始めようか。──救われない者に、救いを与えるために。終わらない悲劇に、終止符を討つために」
心強い仲間が加わり、戦闘は幕を開ける。
サジタハ──主要都市での戦いは、始まりを告げようとしていた。




