幕間 ガイウス・ユーフォル
少年の叫ぶが、悲痛な声が、耳に届く。
理不尽に怒り狂った声が、ガイウスに届いてくる。
そして、思い出す。彼が、強くあろうとした時の事を。
誰のために強くなろうとしたのかを。
◆◆◆◆◆
英雄はいつだって戦時に生まれる。
民衆の心を満たし、不安をかき消すための存在として生まれ落ちる。
名声が国全体に回り、人はそこに安心材料を求めようとする。そうすることで、英雄と言う存在、概念は生まれるのだ。
──その理論が正しいのならば、ガイウスの父はまさしく英雄だっただろう。
当時の戦争において、不敗の部隊を率いた偉大なる英雄。
それが、ガイウスの父であるユリウス・ユーフォルだった。
人々の心を安心させ、いつだって勝利をもたらしてくる父はガイウスにとっても偉大なる英雄だ。
ガイウスはそんなユリウスと母から生まれた、いわば英雄となることを期待された人間だ。
順風満帆だった、と言うべきだろう。何事も上手くいき、暗雲など何一つ立ち込めず、成功に満ちた人生だった。
──はずだった。
だが、それはいつの日か終わりを告げた。
──父、ユリウス・ユーフォルの戦死。部隊は一人を除き、全滅。その責任を取らされ、ユリウスの地位は地に堕ちた。
当然、戦場で死んだのだから名誉が貶められることはないはずなのだが、しかしユリウスと言う人間を気にくわない者がいたのだろう。
何者かの差し金によって、名声は地に堕ちた。母は既に他界しており、もう頼る者はいなかった。
その時の自分の顔を見てみたら、どう反応するか。
とにかく世界に絶望していた。ガイウスの中での英雄があっけなく死んだことに対して、絶望した。どれだけ強くなっても、死ぬことには変わりないと。
ダリウス国王の計らいによって、王城に留まることを許可されたものの──もう、全てがどうでもよかった。
強くなろうが、研鑽を積もうが些細な事だと達観するようになった。
──ある、出会いをするまでは。
その日は、五人将であるマーリンに連れられパーティーに参加した時の事だ。当時12歳であったガイウスは、まるで貴族の息子のような恰好をさせられたのだ。
なんだか面倒になって、部屋から飛び出し、ベランダで夜風に当たっていた時のことだ。
「そこで何してるの? 危ないわよ」
そんな声が投げかけられた。当時のお目付け役でもあったマーリンかと思って慌てふためきながら後ろを向けば──そこに居たのは、小さな少女だった。
外見年齢は、3歳ぐらいだろうか。一般の子供がどのような人生を送っているかは分からないが、少なくともその少女は他よりも優秀だったのだろう。
豪奢なドレスを身に纏い、しかしそれに着せられているような感覚が一切見えない少女。肩まで切り揃えられた金髪に、碧眼の瞳で黄昏ているガイウスを見つめてくる。
金髪に碧眼──心当たりはあった。なにせ、当時ガイウスの面倒を見ていたダリウスの王の外見と一緒だったからだ。
それで分かった。この少女は、ダリウス王の娘なのだと。
「ご、ご忠告ありがとうございます。アリス様」
慣れない作法を使い、深々とお辞儀をして──。
「えいっ」
「──なっ……」
なぜか叩かれた。アリスに叩かれた場所に手を回し、抑えながら上を向く。
「あなた、どうして、悲しそうにしてたの?」
「──っ」
ダリウス王は聡明であり、二人の子供も当然ながらに聡明であった。特に、アリスと言う少女は他人の機微を読むのが得意だったのだ。
だからこそ、読まれた。たった一度だけの会話で、たった一度の邂逅で、全てを見抜かれた。
「もしかして、さいきんお父様が話していた……ゆりうす、さんって人の、むすこさん?」
「──」
よくわかったものだと、今になって振り返れば思う。ユリウスとガイウスの共通点など、外見ぐらいしかなかったというのに。ましてや、相手は初対面だ。なのに一瞬でそう悟るとは、聡明にもほどがある。
出自を言い当てられ、何をどう返していいのか分からず狼狽えていたガイウス。そんな彼を見かねてか、一人の女性がこの場に馳せ参じる。
ガイウスの保護者兼武術指導──五人将のマーリンだ。彼女はアリスと視線を合わせ。
「アリス様。それ以上はおやめになってください。彼にも、思う所はあり、誰にでも向き合いたくない過去があるのですから」
「ふーん……」
マーリンの言葉に、アリスは多少興味なさげに頷き──だが、ガイウスから目を離すことはしなかった。
マーリンに手を繋がれ、会場に戻ろうと言われても彼女はずっとガイウスを見つめて。
「ねえ、がいうす。──なんで、悲しんでるの?」
──再度、聞く。聞いてくる。さっきとは少しだけ違う意味を含んでいて。
「生きる意味が、ないからです」
恥じ入るように、答える。
だって、そうだろう。この世で一番憧れた誰かは死んだ。どれだけ強くても、必ず終わりはやってくる。ならば、生きる価値とは何だろうか。
ならば、この世で前へと進む意味はあるのだろうか。
失うと知っていて、別れると分かっていて、そこに意味はあるのかと。悲しいだけの別れに、特別な意味などあるのだろうか。
「私の、父は死にました。なんの物語もなく、ただただ死にました。別れも出来ず、いなくなりました。別れが必然であるのならば、果たして物語を紡ぐ必要はあるのかと」
「うーん、よくわかんないけど……」
ガイウスの言い訳に、アリスは難しそうに顔を歪ませて。だけど、アリスはおじぎをするガイウスの前に立ち、精一杯背伸びしてどうにか手をガイウスの頭に置いて。
「いきるいみがないのなら、あたらしくみつければいいんじゃないの?」
「──見つかるはずが……」
「ならさ! 私の、あそびあいてになってよ!」
無邪気にそう言って来る。瞳を輝かせて、まるで喜々として少女は言ってきた。
「ぷっ、あっはっはっはっは!」
マーリンなどは人目もはばからずにひとしきり笑った後、目元に浮かぶ涙を拭いながら。
「いいんじゃないかな、ガイウス。どうせ、することもないんだからさ」
そんなこんなで、ガイウスはアリスの遊び相手にさせられるのだった。
それから、いろんなことがあって。いつしか思うようになっていった。
こんな人生も悪くはないと。アリスと遊ぶようになってから、ガイウスは毎日が楽しくなっていったのを覚えている。
我ながらおかしな人物だとは思っている。もはや生きる意味もなくしたとか言っていた子供が、アリスと遊ぶようになってから生きる意味を見つけたなどと。
だから、その時決めたはずだ。
アリスから与えられたものを返すために。生きる意味を与えてくれたアリスに、恩返しするために。
一度は放棄した剣を持ち、強くなろうと決めた。今まで以上に鍛錬を積み、研鑽を重ねた。
アリスからすれば、なんでもない一日に過ぎないその日は、しかしガイウスにとっては分岐点だった。
こんな面白みのない人生こそが、ガイウス・ユーフォルと言う男の人生だった。
なのに、だと言うのに。誰かを守るために培ってきた技は、今やその誰かを殺すためのものに変貌してしまっていた。
──間違っているのは、分かっている。
だが、止まらない。止まれない。もう、既に、止まることは出来ない。主君に剣を向け、あまつさえ殺そうとしてしまったガイウスに、許される道は存在しない。
だからこそ、ガイウスもまた走り出す。少年に、その心に、殉じるために。




