15話 守り抜くために
最上階に上る寸前、彼女と最後の打ち合わせをしていた時の事。
その最後に、シルヴィアはどこか遠い目をして、こう言った。
「もしかしたら、私は呪いにかかってるかもしれない」
「は‥‥‥?ちょっと待て。だって、呪いは発動してないし、顔だって‥‥‥」
その力のない反論にシルヴィアは首を振り、
「ううん、私が敵ならもうかけてる。大体、目で見たらかけられるんだから、とっくにかかってもおかしくはない。でも、敵はおそらく戦闘中、追い詰められた時に使ってくるはず」
「どうして?」
「だって、この方法はまだ誰も知らない。二人だって、きっと時間差で呪いを発動なんて考えたこともなかったと思う。とすれば、自然と切り札として使う可能性が高くなる」
「そんな‥‥‥シルヴィアがかかったら、どうやって敵を倒すんだよ?」
シュウのすがるような声にシルヴィアは、だから、と前置きして、
「君の魔法でなんとかして。一瞬でも行動できれば、私が倒すから」
シルヴィアはシュウを見据えて、そう言ってくる。
「ちょっと、待ってくれ。なんで、俺に頼る? 君からすれば俺は怪しい人物だろう?」
最初から前提が違う。なんにせよ、シュウはシルヴィアたちにとってもっとも怪しい人物であり、油断のならない相手。そんなやつに信頼なんて預けていいはずがない。
「確かにそうだった。でも、もう違う。私は君のことを信じてる」
彼女の口から飛び出た、信じてる、という言葉。だが、それがシュウには受け入れられない。
「どうして‥‥‥俺なんかを信じる?」
シルヴィアは言うことを聞かない子供に言い聞かせるように、
「簡単だよ。シュウが信じてくれたから、私も信じるの」
そう言って、微笑んだ。
おかしな話だ。俺は、一切そんな話をした覚えも、言ったこともない。だというのに、その理由はすんなり受け入れられた。
彼女の笑顔を見た瞬間、心が弾んだ気がした。
その時は気のせいだろうと、ずっと思っていた。
だけど、認めよう。
俺は、ササキシュウは。
──彼女のことが好きなのだと。
そして、同時に。かつて父から言われた言葉が不思議と耳を打った。
やりたいことを見つけろ、と。
ようやく、シュウは理解する。
ずっと、やりたいことなど見つからないと思っていたけれど、それでも見つかった。
今、ここに誓おう。ササキシュウは、必ず。
──どんなことがあっても、彼女を守ると。
だから、そのために。まずはその一歩を踏み出そう。
シュウには力なんてないけど、何かを守ることなんてまだできないし、シルヴィアには遠く及ばないけれど。
それでも、今出来ることをしよう。
シュウはレイに見せた、今、この場をひっくり返すことのできる魔法を発動させようとする。
レイ曰く魔力消費が極端に多いため、一日に二回限度らしい。すでに一回は使った。残るは一回のみ。ここで成功させられなければ、彼女は死ぬ。
そんなことはさせない。イメージしろ。魔法の生み出す結果を。信じろ。
シュウはシュウ自身を信じることはできないけど、信じると言って、すべてを託してくれたシルヴィアを。
「——アフェクシオン」
きっと、何か意味のある言葉なのだろうが、シュウには分からない。
ただ、その言葉を口にして。心が震える。あの暗闇の世界での声と同等の効果を、それはもたらしてくれる。
男はシュウの魔法を聞いて、焦りを見せ、中断しようと迫ってくる。
その魔法を止めようと、足掻いても、もう間に合わない。なぜなら、もう完成しているから。
男の腕がシュウの顔に迫ってくる。
きっとそれは致命傷で、一撃でシュウの命を吹き飛ばす強力な一撃。
しかし、それがシュウに届くことはなかった。振り上げられた拳は空中で力を失い、その顔は反対側を見ている。
『英雄』が、シルヴィアが。呪いを受けて立ち上がることすら困難だったはずの彼女が立っていた。
シュウの魔法の効果。それは今、シュウが見ている光景を脳に流すことが出来るというものだ。
これにより、シルヴィアは奪われた視界を回復させた。
封じたはずの最高戦力、その復活。
あり得ないはずの光景に、男の顔が引きつるのが見て取れた。
しかし、疑問が生じる。
なぜ、シルヴィアは呪いの発動化においても彼の言いなりにならなかったのか。
あの男も馬鹿ではない。
当然。命令は出し続けていただろう。
だが、シルヴィアはそれを撥ね退け続けていたのだ。
何らかの方法によって。
しかし、今それを知る必要はない。
目の前の敵に集中することが先決だ。
わずか、数瞬。
シュウが知覚できるギリギリの速度で、男を数回斬りつける。
元より、呪いという魔法に頼っていた。
だからと言って、戦闘能力が低いわけではないはずだ。
少なくともシュウよりは確実にある。
が、シルヴィアの速度には及ばない。
防御する時間すら与えず、為すすべなく斬り伏せられる。
圧倒的な一撃。
神速が如き速度から放たれた一撃は、容易く高台の手すりを壊し、男を外へ放り出す。
その間際、男の顔が不気味に笑った。
そう、まるで、まだ策があるかのように。
そして、男は腕を振るう。
それだけで。
大気が震える。
場に満ちる空気が震撼し、どうしようもない絶望感がシュウを襲う。
空間を引き裂きながら、その一撃はシルヴィアへと狙いを定め、一直線に進んでくる。
思いつめた表情をしていたシルヴィアは、ゆえに反応が遅れる。
超常的な速度を持つシルヴィアですら、対応しきれない。
あの攻撃に吞まれれば、きっとシルヴィアは助からない。
瞬時に動けるのは、シュウのみ。
何の力のない少年に少女の命運が委ねられた。
「くそ!」
男に対して怒りをぶつけ、シルヴィアを庇うように前に立つ。
今、シュウにはこの場を覆せる力はない。
魔法も、剣も、何もない少年に出来るのは、体を張ることだけ。
少女を守るため、シュウは死地に自ら飛び込んだ。
直前に迫る死。
後ろからはシルヴィアの声が聞こえるが、発音までは聞き取れない。
きっと、シュウを心配するものなのだろう。
感謝を感じるとともに申し訳なさを覚える。
だから、その少女の尊さを、輝きを消すわけにはいかない。
──守れ。
体の奥が、熱くなる。
──守れ、彼女を。
救い出すと、そう決めたのだから。
──守り抜いてみせる!
「うおおおおおおお!!!」
体が尋常なく熱い。
燃え上がり、何かが収束していくのが分かる。
腕に、何らかの力が宿る。
そして、腕をかざす。
後ろにいる少女を守り抜くために。
願いを貫き通すために。
少年のちっぽけな願いが、世界を動かした。
遠く離れた王城にて。
一つの光が立ち上るのを、鉄格子の中から覗く少女がいた。
黒髪で黒瞳。
忌み嫌われる少女が、立ち上がる奇跡を見ていた。
「あら、あの光は……?」
時を同じくして、世界の果てにて。
湧き上がる奇跡を静観する女神がいた。
世界に逆らった下手人として、この地に幽閉された女神は。
目をそばめて、その願いを聞き届けていた。
少年の、愚直なまでの想い。
それを感じ取り、女神は不敵に笑う。
「あの少年なら、もしかすれば……」
爆音。
右手からはあり得ないほどの光が漏れ出している。
まるで魔法のような奇跡を、シュウは体感していた。
凄まじい爆風と轟音がシュウの肌を撫でる。
やがて、辺りを覆っていた煙は晴れ、そこから姿を現すのは腕がボロボロになったシュウの姿だった。
「シ、シュウ!? 大丈夫!? ケガはない!?」
「あ、ああ……何とか」
傷ついた腕とは逆の方を上げ、シルヴィアに答える。
ようやく終わった。
シュウは魔力の枯渇で歩くのもしたくない気分だったが、それをおして、シルヴィアに向かい合う。
互いに何も言わない。
そんな空間をじれったく思ったシュウは、シルヴィアの前に拳を突き出す。
シルヴィアはそれを見て、屈託のない笑みを向け、拳を突き合わせる。
空はそんな二人の胸中を察したのか、雲一つない快晴であった。
これにて、王都での激戦は幕を閉じる。
しかしこの後、世界中を揺るがす事件が王都で起こることを今は誰も知らない。