13話 相対する敵
今、シュウはシルヴィアとともに最上階へと続く階段を上っていた。
その背中にバッグを背負ってだが。
高台は先ほどレイ達といっしょに来たのだが、その際階段が多く、東京タワーを上っている気分になってしまい、一気にナーバスになってしまったゆえ、もう二度と上りたくないと思っていた。
が、運命は過酷である。
そんな風に決意していても、結局上ることになってしまうとは。
そんなシュウのやる気のなさを見かねた──かどうかは知らないが、シュウに向けて、慈愛の目を向けながら、
「少し、休む? シュウはサポートとして動くし、ちょっとでも体力はあったほうがいいから」
シルヴィアの提案に、シュウは首を振る。
なんだろう。なんかもう、目の前の少女が天使、いや、女神に見えてきた。もしかしたら、この世界でシュウに優しいのは彼女だけかもしれない。
確かにこと戦いに関してはシルヴィアだけで問題ないだろう。だが、もしかしたら予想もしない事態が起きるかもしれない。だから、出来る限りの準備はしてきたつもりだ。
背中のバッグについてはその準備品といったところだ。一応役に立つかも、といろいろ商い通りで買ってきた。ただ、予想以上に金額が多くなってしまったので──まあ、そもそもお金を持っていないわけだが──シルヴィアに払ってもらった。
このお金に関しては後日、返すということになっている。
「ただ、これがどこまで通用するかにかかっているんだがなあ」
背中のバッグをさすり、祈るような声でシュウは言う。
シルヴィアは苦笑して、そうだね、と言った。
そんな風に、とても戦いの前とは思えないほどやわらかな空気の中、最上階へと進んでいった。
最上階に着いたとき、これまでの空気とは異質の何かが流れているのを感じ取っていた。
わずか数十メートル先に、ローブを着た男が立っていた。
男はシュウ達に背を向けて立っているため顔は伺えないが、今朝のような恐怖は感じ取れない。
「ああ、よくここが分かったな。英雄よ、やはりお前の洞察力はいい」
何の前触れもなく、唐突に、喋り始める。
その声を聞く限りでは、あの底冷えするような恐ろしさはまったく伝わってこない。それどころか
その声には敵意というものが何一つ感じられない。
男は困ったように手をあげ、しかし、一切こちらを向くことなく言った。
「ところで、その子供は誰だ? 俺としてはお前との一騎打ちを楽しみにしていたのだが」
「そう? でも、私はそこまで一騎打ちしたい気分じゃないから」
シルヴィアはそう返すも、まだ剣に手をかけていない。対する男もこちらを向く素振りは見せない。
「そろそろ、始めない? 私としては一刻も早く今回の事件を終わらせたいの」
シルヴィアもこの何の意味も見いだせない時間に痺れを切らしたのか、そう提案する。
「まあ、焦るなよ。準備は出来たのか? 俺は待ってやっているんだぜ。俺は正々堂々と戦いたいんだ」
飄々とした態度でそんなことを言ってくる。シルヴィアはそれに取り乱すことなく応じた。
「ええ、準備は大丈夫。だから、始めましょう?」
「ちょっと、待ってくれ」
二人の勝負が始まる寸前、シュウは思わず制止の声を投げかけていた。
「なんだ?」
「お前に、聞きたいことがある」
この男が、貧民街での事件を起こした張本人であることは明白だ。
「どうして、どうして無関係なやつらを殺した?」
それが、一番聞きたいことであった。
そもそも、『英雄』との戦いに民間人の犠牲は必要ない。
だが、男はそれをした。
例え、そこにどんな意味があってもだ。
それを聞いた男は、一瞬時を忘れたかのように止まった。
そして、堪えきれないと言わんばかりに吹き出す。
「何がおかしい!」
「いやいや、何もおかしくはねえさ。ああ、普通なら、そう言うだろうな。──いいぜ、答えてやるよ」
「──」
「人間には、元々与えられた役割ってもんがある。そうだ、どんな人間にも宿るはずなんだ。それをこなすために必死になる。だが、見たかよ。あいつらの顔を。生きる意味なんて、何一つねえ、そう俺は感じた。与えられた役割を放棄して、ぬるま湯に浸ってる。──はは、それ、生きてるって言えんのかよ。俺は嫌だね。だから、まあ、俺からの餞別っていうのか? 役割を与えてやったんだよ。意味もなく生きてるだけの日々に終わりをもたらせてやったんだ」
つまりは、彼らに死という役割を与えた。
「だって、そうだろ? どうせやることもねえんだ。だったら、『英雄』シルヴィアの糧になるっていう栄誉ある役割を遂げられたんだ。──今頃、喜んでるんじゃねえか?」
悪意のない笑み。この男は嘘を言っていない。
だからこそ、怒りがこみ上げてくる。
そんなことのために、何人も死んだのだ。
感じたことのない怒りが、頭を支配していく。
「もう、いい。お前と話したって、胸糞悪いだけだ」
怒りを前面に押し出して、シュウは会話を切る。
おそらく、敵の手段は目で見た誰かを呪える、だ。どこを見れば呪いにかかるのかは分からないが、極端な話、相手に姿を見られなければいい。
敵がこちらを向く寸前、シュウは敵の前に滑り込んでいた。その傍らには長年の相棒、スマートフォンを持って、だ。
敵がシルヴィアを見据えようと、目を開いたその瞬間にスマートフォンをかざす。もちろん、懐中電灯のモードをオンしている。
男は目を守るように手をかぶせるが、時すでに遅し。光は敵の網膜に直撃し、一時的に視界を奪うことに成功する。
シルヴィアはそれを見届け、前へ飛ぶ。
よろけた敵に掌打を食らわせ、いったん退避。これについてはどれくらいで視界が回復するかの検証を行い、一撃食らわせるのが限度だというのが根拠になっている。剣を使わない理由に関しては、間に合わないということだ。
シュウも敵から離れ、フードをかぶる。見た目は完全に死神にしか見えないが。
どこを見られたら呪いをかけられるか分からない以上、身を隠すのが普通なのだろうが、あいにくここにはほとんど遮蔽物はないのでそれができない。だから、敵の条件が顔全体を見ることだと勝手に解釈してフードをかぶっている。
ちなみにシルヴィアに関しては、シュウが背負っていたバッグから傘のようなものを取り出し──傘はシュウが知恵を出し、腕利きの職人に作ってもらった──、身を隠す。
これにより、シルヴィアの体は完全に遮断されるので呪われずに済むということだ。一応、フードのようなものはしてもらっているが。
「ああ、いいな。今の。そんな防ぎ方があったとは。そして、『英雄』に関しては完全防備か。くくっ、まさに俺に対して準備は万端ってことか。準備が足りてなかったのはむしろ、俺のほうか」
男はようやく立ち上がり、今の作戦を褒め、自分に覚悟が足りていなかったと反省する。
そして、
「少々、お前らを見くびっていたようだ。だから、本気でやるよ」
あの時の背中を這うような恐怖がその場を支配していった。