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12話 『憤怒』

 生まれてから自由はなかった。


 勿論、普通の生活なんてものは出来なかった。


 彼には使命があった。一族の悲願が、小さな背中にのしかかっていた。


 それを不満と思ったことはなかった。それを苦しいなどと思ったことはなかった。それを当たり前だと思っていた。


 毎日朝起きては一族の実力者との稽古をして、その後は一族について魔族についての勉強。


 休みなど何一つ与えられず、むしろそんなものはいらなかった。


 思えば、いつからだろうか。自分に、怒りが付き纏ったのは。


 『憤怒』としての感情を有し始めたのは。


 物心ついてからだろうか、否。休みなど与えられなかった一族を、恨んだのだろうか、否。


 思い返せば、その先にあったのは──。



















 それは激戦──いいや、災害と呼んでも過言ではない。


 『憤怒』の手が動くたびに、炎の柱がついてきてシルヴィアを焼き尽くさんと迫る。


 だが、シルヴィアはアレスの拳を避け、後より追尾してくる炎の柱を剣で叩き斬る。


 一進一退の攻防。


 互いに致命傷すら与えられず、互いに疲労の兆しは見えない。


 もう一つ付け加えるとすれば、視界が悪い。


 忘れているようだが、砂嵐がちょうど直撃しているのだ。ミルなどはその中でも相手の動きを探れる技能を身に着けているので、あまり支障がない。


 シルヴィアには経験がない。


 かつてダンテと世界を旅して回ったときでさえ、このようなコンデションでの戦闘はなかった。


 正直に言えば勝手が分からない。


 この砂嵐の中、目に砂が入りそうになりながらも必死に目を凝らし、ギリギリで攻撃を躱しているに変わりない。


 アレスが攻撃してくるならば、まだ視える。しかし追撃の火の柱までは読み切れない。


 ゆえに兆候が見えたら、全力で剣を振るしかないのだ。


 そんな戦闘方法しか思いつかない。


「──っ」


「ハハハハハ!! どうした、『英雄』? あれほどの啖呵を切っておいて、あまり手応えがないが!?」


 迫る嘲笑と唸る拳。圧倒的な攻勢にさらされながらも、集中力を絶やさずに回避のみに専念していく。


 彼女が待つのは理想の状態だ。つまり砂嵐が収まるまで待つ。


「──く……っ」


 途切れることのない攻勢。あまりの速度に剣が弾き飛ばされそうになり、態勢がほんの僅か崩れ去る。


 そして、それを見逃すはずがない。


「──そこだぁ!!」


「──あ、ぅ……がっ……」


 乾坤一擲。そうと呼ぶに相応しい一撃がシルヴィアの腹にのめり込む。


 感じたことのない痛みが、シルヴィアの脳を刺激し一瞬の停滞を促してしまう。


 だが、それで終わりなわけがない。その後に追撃してくるのは火の柱。


 一回でも当たれば即死は免れない。だから、沸き起こる吐き気を無理に抑え、火の柱を剣を振るうことでなんとか排除。


 そのまま後ろへと転がりながら退避する。


「はあ……はあ……」


 アレスの一撃が叩き込まれた場所──腹をさすりながら、なんとか痛みを軽減しようとするのだが、不可能だろう。なにせ、若干燃えている。


 アレスの拳は常に火を纏っている。あんなのに当たってしまえば、ただでは済まない。


 それはシルヴィアが証明してしまっているわけだが。


「つ……取りあえず、早く行かないと……」


 このままシルヴィアが逃げていれば、ミルが追われるだけだ。このままシルヴィアが抑えていなければ、いずれ守らなければならない存在を失うだけだ。


「ほう、中々の一撃をくれてやったはずだが……常人であれば悶え苦しむはずなのだがな。お前はどうやら強いらしい」


「私は退かない。貴方を倒すまで」


「──ああ、訂正しよう。お前は強い。だが、俺のように恐怖を感じていないわけではない。正しく恐怖を感じたうえで、戦っているわけか。だからこそ、お前は、『傲慢』にも立ち向かったわけか」


 恐怖を感じない人間はいない。


 その点で言えば、シルヴィアは誰よりも臆病だ。


 戦うことに恐怖を感じなかった戦いは数えきれないし、色々と怖いものがある。シルヴィアは普通の少女でしかない。そんな少女は、しかし覚悟は持っている。


 守りたい存在がいるからこそ、彼女は戦えるのだ。


それはきっと他の誰もが持っているもので、しかし目の前の『憤怒』にはないもの。彼が一生かかっても理解することの出来ないものだ。


 彼には怒りしかなかった。ゆえにそこに至る感情は全て色褪せて見えた。


 彼女には怒りだけしかなかったわけではなかった。ゆえにそこに至る感情は素晴らしいものだった。


 将来を期待された者同士である一点は似ている。だが、見ているものが違った。


「俺とは見ていた世界が違っていたわけか。だが、敬意を払いはすれど、怒るには値しない。怒りを飲み下し、現実を受け入れているお前を、俺は認めない」


「──現実を受け入れる……」


「そうだ。俺は別に、誰のために戦っているというわけではない。英雄なんぞを目指しているわけでも、魔族を救いたいわけでもない。俺はただ許せないだけだ」


 現実という理不尽を受け入れている誰もが、アレスにとっては許せないのだと、そう言っている。


「別に理不尽が許せないわけではない。結局この世界はそんなものだ。人一人が足掻こうと世界など変えられんよ。だが、それを抗いもせず普通だと諦めながら受け入れているのが許せん」


「──」


「お前にもあるはずだ。その瞬間が。俺が怒るに値するのは、そんな愚図どもではない。骨のある奴ら……世界に対して、憤怒した者のみだ」


「怒りは恨みしか生まないと知っていても?」


「ああ。それでいい。俺は何もかも恨み続ける」


「怒りは悲しみしか生まないと知っていても?」


「ああ。それでいい。それこそが俺の求める世界だ」


「──」


「俺は全てを恨み続ける、怒り続ける。人間に、世界に対して。終わらぬ殺意と、怒りを抱こう。そうして、俺はその先へ進み続ける」


 かつて、一人の少年がいた。運命というものを信じ、愚直なまでに精進し続けた少年がいた。だが、全てに裏切られた。


 だからこそ、アレスはこの道を曲げない。


「きっと、私と貴方は分かり合えない」


 かつて、一人の少女がいた。誰かを救いたいと信じ、最後まで諦めなかった愚か者がいた。だが、それは出来なかった。


 守りたい存在を守れず、自らは堕落した。


 だからこそ、少女にも曲げられない道がある。


 運命に裏切られ、彼らが選んだ道は正反対だった。


 少女が抱いたのは優しさだった。男性が抱いたのは憤怒だった。


「分かり合えぬ者同士、結局結末は決まっている」


 互いに、構える。


「おおおおおおおおおお!!!」


「──っ」


 空気を斬り裂く音共に、拳がシルヴィアへと迫り──。


 咆哮と共にアレスの動きを察知したシルヴィアは、体を精一杯に捻り拳を回避──そのまま火を斬り伏せる。


 一歩も譲らない戦い。


 そして、ここに来て初めて。


 シルヴィアは気づいた。


(え……? なに、これは……)


 アレスが今までにない笑みを浮かべていて──。


(速い……! さっきまでと、比べ物にならないくらい……!)


 『憤怒』の権能──その一部、所有者が怒りを感じれば感じるほど身体能力が上がる。


 その身体能力の向上に──限度はない。体の各所が外れようとも、加速は止まらない。


 徐々にシルヴィアの剣技が間に合わなくなり、火傷が増えていく。


 このままでは、ジリ貧だ。いずれ体力が消耗し、決定打を放たれる。


 だが、策がないわけではない。


 再確認するようだが、シルヴィアが苦戦しているのは経験だ。例え相手の姿が見えぬ砂嵐の中でも、アレスは平然と攻撃できているが、シルヴィアは全盛より幾分か劣っている。


 それが、この戦いでは致命傷になっている。


 それに加え、相手は目に見えるほどの能力向上だ。


 だからこそ、ここから逆転するには──。


「──来た……」


「砂嵐が……?」


 止んだ。


 これはナルシアとレイ率いる王国魔法士達の魔法──天候を操る魔法のおかげだ。


 シルヴィアはずっとこの瞬間だけを待っていた。


 とはいえ、天候操作が長く続くわけではない。多大な魔力を消費して、ようやく一分の天候を変えるぐらいの、実用性のない魔法だ。


「──っ、ああああああ!!」


「ぐ……速度が上がった……だと」


 紛れもないシルヴィアの本気。人間では辿り着くことの出来ない絶対なる領域。


 更なる速度の上昇──遂にはアレスのそれと並んだ。


 同等の速度で撃ち合う二人。タイムリミットはもう三十秒も残されていない。


 その間にケリを付けなければ、もう勝ち目はない。


(もっと、速く……)


 アレスの拳がシルヴィアの頬を掠め、その後に続く火の柱がシルヴィアの服の一部をかすめ取っていく。


 同時に放たれたシルヴィアの斬撃が、アレスの鱗を剥がしていく。


 間違いなく同等だ。


 これでは決着がつかない。


 ──速く、誰よりも、速く。


 ──誰もが追いつけない程、速く。


 ──今、この瞬間に、力を。


 体が熱い。魔力の流れがこれ以上にないくらいに上昇する。


 そしてこの感覚を、シルヴィアは知っていた。


 ──『オラリオン』。王都での戦いで偶発的に発動させた異能。


「空が……暗く……!?」


 夜空。かつての少女が願った想い。その再現。


 絶対に辿り着かない場所に手を届かせようと足掻いた末に、この願いは昇華された。


 星の輝きが、暗闇に包まれた夜空を照らしていく。


 ドンッ、と力強く一歩を踏みしめる。


 アレスの拳を避け、後から続く炎がシルヴィアの『オラリオン』──流星を司る力によって相殺される。


 驚きに染まる蜥蜴の顔。しかしシルヴィアは──。


 そして、決着の時が迫り──剣が、アレスを凪いだのだった。

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