72話 蒔いた種は芽吹く
八岐大蛇の顔が、色の別れた瞳がシュウを射貫き、変化をもたらす。
それは魔力の行使。即ち魔法の発動。
圧倒的な一撃が、再びシュウを襲おうとしているのだ。
だが、逃げるわけにはいかない。シュウの後ろにはいつか守りたいと願った少女と、面倒なやつらが控えているのだから。
だから、逃げられないように弱い心を出さないように。しっかりと手を前に出す。
そこから神秘の光が漏れ出す。その光は徐々に形となり、盾を象っていく。
そして同時に。魔法が炸裂する。
世界を壊す絶対の魔法が放たれ、シュウが生成したなけなしの盾に激突するのだった。
圧倒的な一撃が盾とぶつかり、音を奏で暴風が発生する中、ガイウスはただ騎士達を束ねるように立っていた。
その一歩引いた位置には五人将の二人である老将ヴィルヘルムと、妖艶な顔つきを見せるマーリンが控えている。
だが、彼らの顔にも疲労に色が垣間見えており、戦局は圧倒的に不利だった。
誰もが諦めている頃だろう。誰がどう見たって詰んでいるこの状況を何とかしようとは到底思えないだろう。
それを感じ取ったのか、ガイウスは向き直る。
「まさかとは思うが……諦めている者はいるのか」
誰も答えられない。五人将の二人もまた黙って聞き入る。
「五人将が三人がかりでかかって、それでも倒せない敵だ。だが、それだけで諦めてしまえるのか?」
それだけ、とガイウスは言っているがそれだけでも立派な理由だ。五人将とは本来騎士に与えられる最高級の位であり、尚且つ誰もが目指し挫折する称号だ。
つまりは憧れ。最高戦力である彼らが敵わないと言うのになぜ自分たちが対抗できようか。
「──お前達はここへ何をしに来た?」
藍色の髪の青年の問いかけが、彼らの耳に届く。
「私達の使命はなんだ。やるべきことは、ここで諦めて生き恥を晒す事か」
思い出されるのは王都の時。『大罪』が暴れている時に何も出来ないと言い訳して、諦めた時の事。
「──違うはずだろう。私達は守るために来たんだ」
彼らに託されたのは希望のはずなのだ、ガイウスは全員に説く。
「──私は、今まで甘えてきたのかもしれない。『大英雄』という、あまりにも巨大な沼につかり、勝手に託してきたのかもしれない」
分かりやすい希望に縋りつき、本来の役割を放棄し、束の間の休息に甘んじた。全ての責任を『大英雄』ただ一人に背負わせ、縋ってきた。
「だが、もう『大英雄』はいないのだ。だからこそ、私達がしなければいけないことは明白ではないか」
今でこそ言えることだが、ガイウスは後悔しているのだ。『大英雄』に任せっきりになってしまったことを。
「ここでも同じように諦めるのか。ヘラヘラと笑い、しょうがないと言い訳するのだろうか」
ガイウスの声に自然と熱が入る。俯いていた者は顔を上げ、自らを恥じるように拳を握る。
「あの少年を見ろ。誰よりも弱いはずなのに、それでも志はこの場の誰よりも高い」
今もなお踏ん張っている少年を見て、誰もが上を向く。負けていられないと心が叫ぶのだ。
「私達は与えられた責務を果たす。もはや一人の希望に縋っている場合ではない。──私達が希望となるのだ」
全ての支えであった希望は、しかしもう倒れた。だからこそ、間違っているのだと気づけたのだ。
『大英雄』がいない今、希望を守るために動けるのは誰なのかと。
一人ではない。この場にいる全員で、国に忠誠を捧げた騎士達でそれを成し遂げなければならない。
「さあ、誇り高き騎士達よ。剣を取れ、顔を上げろ。──今こそ、私達が希望を守る時だ」
全員が吠える。剣を取り、配列し雄たけびを上げた。
──ダンテが伝えたかったことはきっとみんなに伝わった。
彼が命を投げ出し、守りたかったものの意味を彼らは正しく理解した。
きっとダンテもまた悟ったのだ。『大罪』との戦い、そして古来より続く人と魔族の戦争。その終止符を打つには一人では出来ないと。
だから、託した。
──彼が撒いていった種は、今芽吹いた。
無駄ではなかったのだ。
そしてその光景を後ろから見ていた二人は。
「あの子が、まさか自ら目立つような位置に立つとはねえ……」
「これもまた老いた者の特権でしょう。若い者の成長を嬉しく思えるのは」
幼少期の頃から彼を知っている二人は、ガイウスの振る舞いに驚いたものだ。
昔から目立つことが好きでなかったガイウスだが、恐らくは五人将に任命された時も本心はあまりいい気持ちではなかっただろうと二人は思っていた。
だが、そんな殻を破りようやく五人将としての実感を持ち始めたのだ。
「全く……そろそろ私達も若いのに任せるべきですかねえ……」
「同感ですな。老い先短い者が若者の道を邪魔するのは好ましくない」
そんな風な感想を呟き、後に続くのだった。
途方もない爆風がシュウの肌を容赦なく叩き、爪が剥がれ、皮膚が焦げていく。
シュウが抑えきれなかった魔法の奔流が横から漏れ、森林を破壊していく光景を見て一層踏ん張ろうと足に力を入れる。
だが、足は既に限界に達しているのかガクガクと震えており、踏ん張ることすら危うい状況だ。
いつ倒れてもおかしくない中で、シュウは一つの事を考えていた。
──どうして、こんな風に命を懸けるような戦いに参加したのだろう、と。
そもそも、シュウは数か月前まで普通の人間だった。思いもしなかっただろう、数か月後の自分がこんな窮地に立たされているなど。
平凡──ある意味ではそれ以下だったシュウが、なぜか異世界に転移し、有象無象に塗れて生きていくはずだった人生は劇的に変わった。
それがどうしても信じられない。
何もかもが平凡で、普通な彼がどうして──。
守りたい、そう願ったではないか。
平凡であろうとそれでも守ると決めたではないか。
それが原動力なのだ。今日まで突っ走ってきた意味なのだ。
例え、誰になんと言われようとそれだけは曲げられない。
──だから、戦え。命の限り尽くせ。
そして、その時が来た。
最初の時と同じように体が熱い。体の各所に用意されている血液が滾り、沸騰するのが分かる。
自然、盾に込める魔力の量が多くなっていく。そう、幾度となく味わった魔力の増加現象だ。
だが、今回はいつも以上の効果を発揮している。
まるで、一人だけの願いでなく全てが凝縮したような──。
「う、ぉぉぉぉおおおおおおおおお!!!」
手に力を籠め、踏ん張る力を振り絞る。
──まだだ、まだ足りない。
燃やし尽くせ、全てを出し切れ。
シュウが活躍できるのはここまでなのだ。あとはシルヴィアが終わらせてくれる。
だから、全力を出せ。今までにない力で──。
そっと、肩に手が添えられたことに遅れて気づいた。
一つは少年が守りたいと願った少女の手で、もう一つは結局名前すら思い出せない銀髪の少女の手。
優しさが籠った手が両肩に添えられる。
「──一人じゃないよ、私もいるから」
『そうです。みんな、大切に思ってるんですよ』
認めたくない真実なんて幾らでもあった。信じたその先に落胆を喰らったことだって数えきれない。
皆が皆、シュウを見て溜息をこぼしていく。
だから、いつしか信じることを止めた。信じるなんて言う馬鹿らしいことをやってしまったから、シュウの人生は狂い始めたのだと納得させた。
嫌いだった。嫌で嫌でどうしようもなかった。
だけど、今この一瞬だけは──。
昔馬鹿らしいと鼻で笑った信頼という二文字を、今だけは信じてみよう。
結局自分すら信じられない愚か者であるけれど、それでもそうしたい何かが叫んで止まらないから──。
想いを叫べ。願いを祈れ。──それこそが、彼に許された、たった一つのトリガー。
「──『オラリオン』」
全く知らない単語──否、まるで呪文のような印象をもたらしたそれは、シュウの全身という全身を沸騰させる。
体が燃えたような熱を実感しつつ、しかし体に流れ込んでくる力だけは異常だった。
空間を超越し、流れ込む魔力を糧とし盾を強化していく。
さながらいたちごっこだ。
こちらの防御力を上げれば、負けじと魔法の威力を強めてくる。終わりのない競争に、しかし八岐大蛇にも限界は見えてくる。
耳を劈く咆哮、後ろから聞こえる叫び声、周りに響く倒壊する音。だがそれら全てを置き去りにして誰も到達することの出来ない無の空間へと辿り着く。
いや、それは違った。隣にはシュウが助けたいと思う少女がいる。だから、これ以上格好悪いところなんて見せられないから──。
「ま、けるかあああああ!!!」
そして、決着は訪れた。
終わらない戦いに、疲れを見せたのは八岐大蛇だ。あれだけの勢いがあったはずの魔法の噴射は魔力を使いすぎたのか弱まっている。
とはいえ、勝ったとしても転ぶのがシュウだ。その証拠に八岐大蛇の勢いに吹き飛ばされ、後ろへ転げまわっていく。
無様な英雄の姿だが、今は誰も無様な姿を見る者はいない。
そして、息を荒げる八岐大蛇の下には──。
「それじゃ、終わらせるね」
八岐大蛇にとって終焉をもたらす桃色の髪の少女が近寄ってきていて。
八岐大蛇戦はついに佳境へと到達していく。




