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68話 現れるのは憂鬱な青年

「ごめん、シュウ。目測謝っちゃった!」


「──え、あ?」


 暗転する意識は浮上し、ようやく視界に入ったのは魔法を放った時のレイだ。その体には泥も血も付いておらず、魔法士達も一人たりとも減っていない。


 だが、シュウは見たのだ。彼女達が無残に殺されたのを。血がばら撒かれ、森林がなぎ倒されたはずなのに、しかしそんな光景はどこにも見当たらない。


 起きていることが何一つ理解出来ない中で、シュウはようやくその『魔女』を視界に入れた。先ほどのやり取りをそのまま繰り返すのか、それによって夢なのかが決まるのだから。


 だけど、『魔女』はただ微笑んで、小さな声でシュウの耳に囁く。


「いかがだったでしょうか。私も少しばかり怒っていたようで……まあ、一度やってしまえば溜飲は下がりまして、あなたの望まないことを私は出来るだけしたくないのです」


「お前……が、戻したのか?」


「ええ。この『偽りの魔女』が。全身全霊を持ってあなたの望みを叶えました」


 目の前の少女のしたいことが分からない。一度彼女達を殺しておいて、なぜこんなことをするのか。いや、それ以前にこの状況は少女が作り出したことになる。


 『大罪』。そんな単語が脳裏によぎる。時を戻したのか、それともまた別の力を使ったのか、詳しいことは何一つ知らないが、それでも分かることがある。


 『大罪』の部類だ。こんな無茶苦茶なことが出来るやつなどもはや彼ら以外にはありえない。そして、彼女は自らを『偽りの魔女』と評した。


 七つの『大罪』には、今語られている七つの罪以外に吸収された『大罪』がある。『虚飾』と『憂鬱』。それらは『傲慢』と『怠惰』に統合された。


 彼女はそれかもしれない。『虚飾』を受け継ぎし『大罪』の一人。もう一つ気になるのは、シュウ自身の口からジャンヌと言ったことである。


 この少女と会ったことは一度もないし、愛を説かれるようなこともした覚えはない。それに──ジャンヌとは、きっとシュウの世界でのジャンヌ・ダルクの事であるはずだ。


 彼女もまた神の声を聞き、フランスを導き、後に『魔女』と呼ばれ処刑された世界の悲しき被害者である。


「お前は、ジャンヌなのか?」


「はい、その通りです。私はジャンヌ。『偽りの魔女』です」


「お前が、あの時の……?」


「思い出してくださったのですか!?」


 かすかに見える記憶は、しかし確実に掴むことは出来ない。まるで雲でも掴もうとしているかのようにするりと抜けていく。何かが思い出すことを拒否しているのだ。


「シュウ! 離れたまえ!!」


 思考にふけるシュウに、怒号のような声が届く。急いで振り返って見ればそこには藍色の髪の青年が県に氷を宿し、今にも攻撃を始めようとしている。


 だけど、なぜかそれは心がどうしても許せなくて──。


「ガイウス……みんな、やめてくれ! こいつは──」


「いいんです。こういうことは慣れていますから」


 制止しようとするシュウの声をジャンヌは遮り、前へと立ち塞がる。


「ええ、私は『偽りの魔女』。きっと私は今度も世界の敵になるのでしょう。ですが、それで構わない」


 その言葉には悲しい気持ちが含まれていて、だがそれを払拭するように前を向く。


「私の名はジャンヌ。愛しき人の道を邪魔する者は何人たりとも生かしてはおけません。死を覆すのなら、これが一番いいのですから」


 そう宣言して、異様な緊張感が場に蔓延し──。


「ああ、これだから面倒なんだ。自分を『魔女』とか言っているようなクソ野郎の相手をするのは。でもまあ、ちょうどいい」


 空から舞い降りる影があった。それは空色の髪をぼさぼさにした陰鬱そうな印象を与える青年だった。その手には、誰かの血がこびりついた剣を持って彼らとの戦いに介入してくる。


「じゃあ、お望み通り死なせてやるよ。ジャンヌ。貴様の愛した誰かの前で、無様に死にざまを晒せ」


 その目に怒りを秘めて、青年はジャンヌへと剣を向ける。そして剣を向けられたジャンヌは溜息をついて。


「全く面倒ですね……ああ、愛しき人。どうかここから離れてくださいませ。あのストーカー野郎は何もかもを無視して私を殺しに来ますゆえ。私とて周りを気にしながら戦うのは不可能なのです」


 シュウを庇える位置に立ち、囁くようにそう呟いたジャンヌは目の前の青年と相対する。


「さあ、早くお行きになってなってください。あなたのお仲間を連れて。八岐大蛇はこの先におります」


「──なんで、俺を……?」


 どうしてここまでこの少女はシュウに執着するのだろうか。彼女が思っているほどシュウという人物は崇高ではないのに。きっと彼女が求めるササキシュウとはかけ離れているのに。


「それはいずれ話しましょう。ですからどうか生きて──」


「話はそこまでだ。早くどけ。これは僕と『魔女』の戦いだ」


 それだけだった。もはや二人はこちらなど意に介さない。もしあの戦いに介入などしてみれば塵にされるだけだ。これ以上関わらないほうがいい。


「みんな。こっちだ! 早く八岐大蛇のとこに行こう!!」


 それに目的を間違えるわけにはいかない。ここまではるばるやってきたのは八岐大蛇を倒すためだけだ。『大罪』と同等の力を持つ敵と戦ったところで無駄に戦力を消費するだけなのだから。


 そうして、シュウ達がいなくなった後で。『虚飾』と『憂鬱』は殺し合いながらその中で確かに言葉を交わす。


「一応聞いておくが……なぜ、あの時裏切った。誰に嘘を吹き込まれた。それとも、あれが本性なのか? 誰にも愛を示さず、上っ面の感情だけで全てを騙す。それが貴様の生き方なのか?」


「私はきっと間違えたのでしょう。取り返しのつかない間違いを犯したのでしょう。これは永劫に許されることのないものなのでしょう」


 許されるはずのない罪を抱えて、それでも少女は前に進むのだ。


 そうすることだけが、唯一彼女の罪を償う方法なのだから。


「もう、いい。喋るだけ無駄だと悟った。ああ、憂鬱だ。僕はあと何回貴様を殺せばいいんだ」


「何度でも私は生き返りますよ。それが私の呪いなのですから」


「なら、僕は何度でも殺そう。貴様が地獄へと堕ちるその時まで」


 確かな決意とともに、森林で勃発する戦いは更に激化していく。


 そして、また。


『グガアアアア!!』


「こいつが八岐大蛇……!」


 その奥でそんな声があった。


 戦いは激化し、全てが命を懸ける最悪の戦いへと発展していく。


『ま、これもまた一興だね』


 どこかの世界で呟く精霊がいた。ヤギのような顔で精霊らしくない格好だが、その顔は凄惨に歪んでいた。


『さあ、死になよ。『偽りの魔女』。その屍を晒せ。それでも駄目なら、呪いが尽きるまで死ぬといい。僕が目指すその先には君は要らないんだよ』


『そうだな、グランよ』


 割り込む声があった。そこにいたのは人間のような背格好をしただけど人間には収まりきらない魔力を内包した何者かがいた。


『どうして僕だけの世界に居る。邪魔者風情が、また性懲りもなく僕の邪魔をしに来たのか』


『ああ、そうだ。お前を野放しになど出来ない。放っておけばいずれ世界を生きる者にとって最大の障害となるだろう』


 かつて世界を最悪の大戦へと導き、滅ぼすその手前まで持っていった精霊。その死を見届けることこそが何者かの使命だ。


『いい加減にしてくれないか。世界の言いなりのくせに、鬱陶しいんだ』


『お前こそ、あの少年を使って世界を滅ぼす気だろう。それはさせない』


『それが世界の正しいあり方だ。誰かの意志で統一しようなどおこがましい……』


『私とお前は相容れない。そして、戦うしかないのだ』


 譲れない者同士がぶつかり、世界を巡る戦いは過激になっていくのだった。

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