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64話 世界に愛された者

 気づけば、シルヴィアは真っ白な空間にいた。


 何の色彩も、装飾もなく、方角や重力すら曖昧になる世界で、シルヴィアは一人で立っていた。


 無論、五感だけは健在であり立っているという感覚はあるのだが。


 そして、シルヴィアが見つめる先に居たのは──。


「貴女は、誰……?」


 シルヴィアの従者である黒髪の少年を思わせるような黒髪を腰まで伸ばした一人の少女。


 かつて世界に嫌われし者(シュウ)が接触した誰かが目の前に立っていた。


「──私は何者でもいい。誰であろうと、構わない。私は私に任された役目を果たすこと」


「ここは……?」


「世界の中心。世界の全てを記録している場所であり、いずれ貴女が来るかもしれない場所」


 意味が分からない。目の前の少女は一体何を伝えようとしているのか。


 そもそも、世界の中心なんて場所は聞いたこともない。もしかすれば魔族領にあるのかもしれないが、生憎シルヴィアは自らの部屋にこもっていたのだ。とすれば、外にいることはおかしい。


「ここは……世界、なの?」


「──」


 何となくそんな気がした、だから言ってみたのだが目の前の少女は目を細めて何も言わない。


 だが、シルヴィアはここを知っている。来たこともないのに、それでもここを知っているのはなぜか。


「未だ全てを知っていないというのに、既に記憶は覚醒しつつある。つまりは貴女に与えられた役目を果たす時が近い」


「与えられた役目──?」


 聞き慣れない単語に首をかしげるシルヴィアだったが、目の前の黒という印象を万人に与える少女は頷く。


「この世の生きる者には、皆等しく与えられた役割がある。それを果たす事こそが、生きることの意味」


「私や、ミル。シュウにも──?」


「この世に生まれたのなら。だけど、シュウという人間にはそれはない。彼はその規格から外れている」


 万人は全て等しいとしながらも、しかしシュウだけは違うと目の前の少女は言った。


「どういうこと?」


「彼は人の輪を超えていて、彼は役割に縛られない人の理を超えた別の生き物。だからこそ、彼は世界の寵愛を受けられず、同じくして世界の寵愛を受けられなかった者に利用されるしかない」


「──そう」


 平常時の彼女ならば、助けなきゃと思ったのかもしれない。だが、今のシルヴィアにはそんなことを考える余裕などなかった。


 彼女は『英雄』にはなれない。何もかもを助け、皆から希望とされる『英雄』足りえない。


 だって、分かってしまったのだ。この先に進めば、いつか自分は違う者になると。ダンテすら変えようのなかった事実に、ダンテに及びもしなかったシルヴィアが抗えるわけがない。


 ダンテはそれを受け入れたかもしれない。だけど、シルヴィアには受け入れられない。


 生きたいから。自分のままで過ごしたいから。そんな浅ましい考えの人間が、『英雄』になどなれるはずもなくて。


 誰も彼女の悩む姿を知らない。シュウだって、彼が信じているのは、仕えたいと思うのはきっとこんな弱いシルヴィアではない。


 彼が思っているシルヴィアは、強くて聖人で完璧な人間なのだ。だけど理想のシルヴィアと現実のシルヴィアはあまりにも違いすぎる。だから、せめて──。


「意外だね」


 だけど、そこで目の前の少女はかすかに人間性をにじませてそう呟いた。


「もっと、動揺とか怒るとか、何かあると思ったけど。貴女はもう違う。今までと、道はずれてきている」


「私は『英雄』じゃない。『英雄』にはきっと一生なれない」


 誰かを心配して、命をすり減らすことは辛い。だから、少女は気づいた。今までの決意も、何もかもを見ない振りにして、『英雄』になることを諦めた。


「いつかの時代の話を、聞いてくれる?」


 唐突に、黒髪の少女はそんな風に切り出した。


「とあるところに、『英雄』になろうと足掻いた少女がいた」


「──」


「その少女は、『英雄』になろうとして色々なものを失った」


 最善を選び、少数を切り捨て大多数を救う。それを繰り返し、心がすり減り戦う意味を見失った。


「だけど、それでも少女は『英雄』になろうと頑張った。何もかもを助けようと必死になって。理想を追い求めようとして、だけど追い求めようとすればするたびに、少女が求めていた全てを救い出す結末からは離れていった」


 まるで、誰かの事のように感じられる。身近な誰かの事の様に。


「そして、少女はある時一人の少年と対峙した。少数を救おうと足掻いた結果、破滅を招いた少年を、少女は殺した」


「──」


「そうして、矛盾に気づいて、少女は罪の意識に悩まされてやがて破滅した」


 破滅とは、何のことだろうか。少女が死んでしまったという意味なのか、それとも世界というものが破滅したのか。


「『英雄』になろうとすることは、きっととても厳しい事。だけど、貴女には貴女を大事に思ってくれる味方がいるはず」


 決して一人ではないのだと、目の前の少女は語る。


「だから、忘れないで。貴女を助けたいと思う誰かの事を忘れないで、貴女の最初の願いを思い出して」


「──」


「きっとその先に、貴女が果たすべき役割がやってくる」


「私は……」


 答えが出せない。まだシルヴィアが戦う理由を見つけられていない。


 探すしかないのか、途方もない世界を渡り歩いて。自らがしたいこと、やりたいこと、戦場へと赴く理由を。


「いずれ、選択の時は必ずやってくる。その時に忘れないで、世界に愛されし者(シルヴィア)。貴女の戦う理由を」



















 世界に愛された者(シルヴィア)がここから去り、残された黒髪の少女はただ悲しそうに彼女が去っていった場所を見つめていた。


「それでも、貴女が立ち上がったとしても、世界は残酷な答えを出すでしょう」


 世界を存続させるために、もう二度と失敗しないために。


 そのためだけに、シルヴィアという人間は生み出された。


 本来の役割を捻じ曲げてでも、世界の存続のために犠牲になるしかない。


 そのために、少女は生まれた。圧倒的な才を持って、この世界に顕現した。


「世界に嫌われた者の抹殺。それが世界が出した最適の答えであり、全ての悲願」


 惜しくも生きられなかった者の願いは、彼女に託されてしまった。


 例え願っていなくても、役割を全うしなければならない。


 そして、世界に嫌われた者も自らが辿る運命はいつだって同じなのだ。


 だから、殺すしかない。願いを一身に受け、しかし違えることは許されない。


「どうか、自分の選択を。どうか、自分を信じて」


 役割を果たすこと以外にこの世界で生きる意味があるのなら。少女は喜んで死を選ぶ。


 最善を選び、その歯車に押しつぶされてきた全てを救い出す方法があるのなら、少女は知己を巻き込んで屍となろう。


「悲しき運命に、決着を」


 それだけを呟いて、少女は上を仰ぐ。


彼女をこの場に縛り付ける誰かが、場に下りてくる。


『覚悟はあるな。消去(リセット)される自らの運命を知り、それでもなお世界に干渉する代償を支払う覚悟はあるのだな』


「私は、貴方のように何もかもを統治しようとは思わない。その世界に生きる者達の運命は、そこに生きる者達が決めること」


『やはり、お前は抗うか。だが、それでいい。お前という抑止がなければ世界は僕のものとなってしまう。僕が目指すのは絶対的な支配ではない。それぞれが役割を持った素晴らしき世界なのだから』


「貴方とはきっと分かり合えない」


『それでいい。僕は世界を支配するわけではない』


「必ず、貴方の支配を終わらせてみせる。そのためならば、私は死ぬことも厭わない」


『だからこそ、僕の規格を外れた者を利用しようと言うのか。だが、それは不可能だ。あの者ではここには辿り着けない』


「それでも……私は、祈り続ける。私の願いのために」


 そうして、少女は消去(リセット)された。

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