62話 悪魔の契約
『どうにも僕には世界に干渉する権利は与えられてないんだよね、だから世界がどうなっているのか、精霊達は何をしてるのかとか、そもそも争いはどうなったかとか、気になることがたくさんあり過ぎたんだよ。他の奴らに聞こうとしても、世界ってやつが寵愛を与えてどうしても邪魔してくる。そんな中で君という存在を見つけられたのは僥倖だった。なにせ、君は僕と同じだ。嫌われている。寵愛をただ一人受け取らず、あんな世界に居るなんてもはや自殺行為でしかない。世界に敵意を抱いている者はたくさんいるんだ。利用してくれと言っているようなものではないか。ああ、世界は何を考えている。あいつらも何か考えがあったてのことだろうが、それじゃあまりにも可哀そうだ』
「──」
『ああ、悪かったね。僕ばっかり喋ってさ。人と喋るなんて何千年ぶりだから柄にもなく興奮してしまったんだ』
ヤギのような顔を歪ませ──恐らく笑っているのだろうが、あまりにも下手くそすぎる──シュウに再び尋ねた。
『なあ、世界はどうなっている? 人間が滅んだか、それとも魔族が滅んだか。ああ、他にもクロノスが介入するっていう選択肢もあるなあ』
「クロノス──?」
クロノス。あまり馴染みがない人には分からないかもしれないが、ギリシャ神話に出てくる神だ。ゼウスの父にしてゼウスに殺された神。その死が引き金となって巨人との戦争が始まったことで有名だ。
だが、そんなシュウ達の世界の神の名が、どうしてここで出てくるのか。
『──。ああ、気にする必要はない。どうやら、それを知らないようだからね。それよりもどうなんだい? 僕の知識では3000年前から止まっているんだ』
「戦争は終わってないよ。魔族と人間は今もなお争い続けてる」
『そうか。まだ終わってはいなかったか……。では、『大罪』はどうだい? 生きているか、それとも途絶えているか』
「『大罪』は……少なくとも今は生きてるよ」
『大罪』。全ての元凶と言ってもいい。人間をここまで追い詰め、ダンテを殺した張本人だ。知れず、拳を握りしめる力が強くなる。
しかし、グランという精霊はそれには気づかず、むしろ何かを考えている。
『そうか……ならば、あの『魔女』は生きているのか? ──確証がないな。あまりこの状況で無闇に突っ込むのも得策ではない、か』
「何を言っているんだ、グラン」
『ああ、気にしないでくれ。こっちの事情なんだ。それより……ああ、君はあまり知っていることが少なそうだな。裁判者には出会ったのかい?』
「裁判者──? ああ、なんか新出の単語が多いなあ……」
何か新しい単語が出るのはいいのだがとにかく知らない事ばかりだ。『クロノス』、『裁判者』、『魔女』などなど。まだまだ出てきそうだ。
『ふうむ……そこも知らないか。まあ、本来の筋道で言えばここで知っていることの方が異常であるんだけどね』
「本来の、ってどういうことだ?」
『ああ、気にしないでくれ。僕としてもここから先をバラすつもりはないからね。それでは対立してしまって、面倒なことになりかねない』
「じゃあ、聞きたいことがある。──お前は3000年前の事を知っているのか?」
一番聞きたいことだった。今の魔族との関係は3000年前にまで遡らなくてはならない。一体、何があって彼らは対立し今なお続く泥沼の戦争になったのか、それが分かればもしかしたら、対立はなくなるかもしれない。
『──残念だけど、僕にはそれを話す権利を与えられていない』
「権利──って、どういうことだ?」
『簡単だ。精霊を縛るにはまず簡単な方法ある。それは何か。──契約だよ。精霊は基本契約を破ることが出来ない。もし破ってしまえばその時点で精霊は消滅する。文字通り、この世界からね』
精霊にも色々とあるようだ。だが、契約──行ってしまえば、約束と変わりないものだが本当にそんなもので精霊をこの世から消滅させることなんて出来るのだろうか。
『例え、人の手で作られた人工的な精霊であろうと、突如自我を持った精霊でも本質は変わらない。『精霊』である以上、結局は契約に縛られる。──それは望む、望まないではない。強制的な力なんだ』
「契約者が死んだ後でもその契約は続くのか?」
『いや、契約者が死んでしまえばその時点で効力を失う。だけどまあ時々いるんだ。効力がなくなろうと自分の意志で契約を守ろうとしているのがね。だけど、例外もあるんだ。例えば、契約者が死んだとしてもなお効力を発揮するものだってある』
「お前は、それなのか?」
『そういうパターンだね。面倒なことに、前任の契約者との契約内容に3000年前の出来事、いやそれ以前の事を語ることを許されてはいない。面倒だよね、死してなお精霊を縛り続けるなんてさ』
どこか憤慨して見えるのはシュウの見間違いか。だが、その顔は言葉とは裏腹に嗤っている。
『ああ、話が脱線したね。どうしても3000年前の事を聞きたいのなら、時の精霊か、もしくは『賢者』辺りにでも聞けばいい。君になら話してくれると思うよ』
「『賢者』か、あんまりいい思い出がないんだよな……」
思い出すのは前のミノタウロス襲撃の時だ。あの時、完全に『賢者』とは別離したような感じになってしまったので気まずい。
それに、今のところ『賢者』を信じることは出来ない。
人を信じるにはそれなりの時間を要する必要がある。とはいえ、何日過ごそうが正直『賢者』を信じることなんてありそうにないが。
『私怨は捨てた方がいい。彼女も彼女で、悲惨な運命を辿っているからね。まあ、僕はあまり肩入れしない派だけど』
「あいつが……?」
正直そんな風には見えないものだが、シュウを同類としている所からでも大分追い詰められているのかもしれない。
『さて、今日君をここに呼んだのは理由があったからだ』
「理由……?」
蜘蛛のような細い手を広げ、シュウをここに呼んだ本当の理由を明かす。
『僕と契約してほしい』
「俺と?」
『ああ、そうだ。僕と同類である君と契約することで、君はもう一人じゃなくなる。他にも教えられる範囲ならば、情報を提供しよう。どうだろうか、悪い提案ではないと思うが』
「──それをすることで、お前にメリットがあるのか。契約ってのは、お前からすれば利用するものだろう?」
核心を突かれたのか、すうっとヤギのような顔から笑顔が消える。まるで品定めでもするかのように目を細めて──。
『中々の洞察力だね。だけどまあ、ぶっちゃけ、当たってはいる。だが、それについてはこう変えさせてもらおう。──僕にとってメリットがなければ契約を結ぶなんて言わない。まずそれが大前提だろう?』
「──」
『確かに精霊の中にはメリットがなくなって、契約する者に惚れ込み契約するやつらもいる。だけど、僕からすればそいつらは愚か者だね。せっかくの契約なんだ。利用できるものは利用しないとね』
「それで、俺に何を求めるんだ?」
『簡単なことだよ。君に求めるのは、僕にとあることをさせてほしい。その時に邪魔しないことが僕の契約内容だ』
「とあること──?」
『悪いが、詮索もなしだ。それも契約に付け加えておこう。これが僕から君に求める対価だよ』
「──」
ダメだ。こいつは『賢者』以上にまずい気がする。だが、それでも──。
「情報、それってなんでもなのか?」
『僕の教えられる範囲。そして契約に縛られない範囲ならば情報は提供しよう。とはいえ、ここ最近の事には疎くてね。前の事だったら教えよう』
今は情報が欲しい。八岐大蛇や三大魔獣。もしかすれば『大罪』の詳しい権能まで──。
何もかもが丸裸になる可能性がある。正直、目の前の奴ほど胡散臭い精霊はいないだろうとさえ、シュウは思っている。
だが、これが悪魔の契約だったとしても手を取るしかない。シュウはこの手を取るしかないのだ、それしか選択肢は残されていない。
目の前の精霊は、例え目を瞑ってもシュウを瞬殺できるほどの力を持っている。
この場で機嫌を損ねれば、もはや命はない。
「──分かった。だけど、一つだけ聞かせてほしい」
『何を?』
「グラン、お前と契約して、その契約を破棄する方法ってあるのか?」
もしも騙された時、契約を破棄するという保険があった方がいい。だが、それすらも目の前の精霊には見透かされているだろう。
『簡単だよ、どちらかが死ぬか。もしくは契約の条件を達成する。あとは……そう、契約を更新することだ』
「契約の更新──?」
『そう。契約を交わした精霊を超える上位精霊と契約を結べば勝手に契約は破棄されるよ』
目の前の精霊がどれだけ高位の精霊かどうかは分からないが、これは朗報だ。だが──。
(でも、これって精霊にとってはまずい情報なはず……てことは、何か落とし穴があるのか……?)
『さあ、どうする? 君にとっては悪い情報ではないとは思うけど』
「──分かった。契約する」
例え、あの精霊の罠だろうと。手を掴むしかない。
『いい答えだ』
グランはそれだけ言って、子憎たらしい程の顔で笑ったのだった。
世界に嫌われし者、破滅を象徴する者がこの空間から去り、グランは溜息をついた。
『ふう、まずは第一関門突破、か。はあ、中々の洞察力だよ。ササキシュウ。君は案外僕の天敵なのかもしれない』
グランは3000年前も一人の少年と契約した。その時もまた、同じように手玉には取れなかった。
『全く、それでいて君は不思議な縁を持つ。もしかすれば僕と同等の精霊と会えるのかもしれないね』
こう見えて、グランは最上級の精霊だ。グランよりも上の存在などいやしない。
『だが、まあ。──精々利用させてもらうさ。君も、また僕を利用し君の望む世界へと昇華させればいい』
そして、彼が目指す目標もまたシュウに執着している。
とはいえ、それも第一目標でしかないのだが。
『ああ、お前の愛しい彼が僕と組んだなんて知れたら、一体どれだけ取り乱した姿が見れるんだろうね?』
まるで悪魔の様に顔を歪ませ──。
3000年前の契約者の事を思い出す。『魔女』に直接的にではないにせよ、間接的に殺した女狐に死という鉄槌を与えるために。
『さあ、来いよ、『偽りの魔女』。仕えるべきもののために、一人の運命を壊した君という人物を殺そうじゃないか』




