55話 敗北の味
「な──」
ダンテと大罪の最高峰の戦い。その中で告げられた真実はあまりにも残酷だった。
シュウには分からないがこの世界の人間は魔族及び魔獣に対して忌避や恨み、それらの感情を持っている。
だからこそ、魔獣や魔族は排除する対象だし和解などありえない。どちらかが滅びるまで戦争は続くと評した者も中にはいたそうだ。
それほどまでに人間は魔族を憎んでいるのだ。
そんな彼らの希望たる『大英雄』、その正体が人間達が忌むべき魔族の血を引いていると知ったら、どう思うだろうか。
希望なんてものを根こそぎ奪われえてきた彼らに与えられた唯一の光明。それが希望を奪っていった者の側だなんて知ってしまったら。
果たして、どう思うのだろうか。
少なくとも、以前持っていた感情など湧くはずもなくて──。
「じゃあ、なんだ。俺達は今まで、魔族によって守られてきたのか?」
シモンの沈んだ声がシュウ達のいる広場に落ちた。
だけど、その質問めいた言葉に誰も答えられない。
シルヴィアだって、動揺を隠せないでいる。
誰もがそうだ。皆が皆心に動揺を与えられ、迷いに雑念に駆られている。
今人類のために戦っているダンテは、果たして本物なのかを。
『信じる義理はないな。だが、お前らだって見たはずだろう。あいつが使った力。あれが魔法ごときで証明できるものか』
ダンテが使った力。恐らくは映像の中でいきなり攻撃が止まったのと決して無関係ではないはずだ。
いや、『大罪』はわざと使わせたのだ。
『大英雄』としての尊厳を貶めるために、自分達を裏切ったダンテに制裁を与えるために。
その決定的な証拠を。
『そうだな。信じたくはないだろう。──だが、現実を見ろ。あの男は何もかもを裏切って人間側についたやつだ。──また裏切らない保証がどこにある?』
それは啓示か、それとも神託か。
だが、この光景を見ている者達の心に深く突き刺さる。
「師匠……」
シルヴィアの呟きが、なぜか鮮明にシュウの耳に届いて──。
そうして、場面は再び彼らとの戦いに移る。
「てめえ……余計なことを……」
アルカイドの攻撃手段を一瞬で切り払い、ユピテルの方へ走っていく。
「なんだ、ダンテ。そんなに怖い顔をして」
「余計なことをすんな! 俺が昔どうだったかなんざ関係ねえだろう! 大事なのは今この一瞬だ! 俺はてめえらを倒すだけだろうが!」
「その確証がどこにある、と言っているんだがな……だが、もういい。安心しろ。今すぐお前の恋人の所に送ってやる」
一瞬、ダンテの動きが止まった。
まるで嵐の前の静けさの様に、怒りはなりを潜め──刹那、爆発する。
「くそったれ、ぶち殺してやる」
本気の声があった。
「ああ、それでいい。──本気で来いよ」
低い声で応じた。
最強と『大罪』。世界を、時代を代表する最悪の者達が、再度激突するのだった。
「うらああああ!!!」
最初に動くのはやはりミザールだった。
先ほども見せた炎を拳に纏い、ダンテへ殴りかかり──ダンテは焼き切れる音を無視しながら素手で掴み、後方から迫ってきていたメラクへ投げ飛ばす。
「本当に、凄いわ」
うっとりするような声がダンテのすぐ近くで囁かれて、反射的に振り向き、犠牲を耳だけに留めた。
「だけど、そろそろ死んでほしいわね……」
「ああ。さっさと死んでほしいところだな」
メグレスの呟きに、ユピテルが応じて──剣がうなりを上げた。
圧倒的な剣戟、しかしその中でダンテはユピテルとメグレスの攻撃をいなし続ける。
『英雄』としての力を少しずつ失い、それでもなお絶対的な強者を前に一歩も引かない。
「ああ、流石だよ。──だから、まあ、死んでくれ。そうして私達の礎になってくれ」
「が──、しまっ」
耳から血を流す手負いのダンテに追い打ちをかけるように、アルカイドの攻撃が腹を抉った。
その契機を見逃さず、ユピテルの正確無比の一撃がダンテの腹を貫通した。
「が、──?」
焦点が合わなかった。
目の前に対峙するユピテル、その剣の腹にはダンテの血が流れ出ていて──。
「はは、笑えねえ……」
「さて、お望みの嬲り殺しだ」
ダンテの腹に剣を突き刺したまま、ユピテルはゆっくりと手を上げて──。
「安心しろ。まだ殺しやしねえから」
そんな言葉と共に、明確な殺意がダンテの体という体を突き刺し、叩き潰し、斬りつけ、壊し、内臓も何もかもを木っ端みじんに砕いていく。
いくら魔族だとはいえ、基本的な体の構造は人間に似ている。
これほどの破壊を一身に受ければ、もはや生きていることすら厳しい。
そうして、煙が晴れたころ。見えてきたのは、ダンテの無残な姿だった。
体の至る所から血を流し、泥に塗れ、うつ伏せになって少しとも動かない。
これが、『大英雄』の結末だ。
全身を賭してまで、人間族を守ってきた『大英雄』の末路。
誰もが映像を見て、ただ唖然としていた。
「師匠……師匠!!」
無言という静寂が世界を包む中、ただ一人顔を青くして声を出しているのがシルヴィアだ。
他には誰も声を出せない。いや、決めかねているのだ。
果たして、残念がるべきか、それとも絶望へ落とされるべきか。
今まで共に戦ってきた仲間たちでさえ、そうなのだ。
一般人はどれほどか。
もしかしたら、ダンテが負けろなどと言っている者もいたかもしれない。
──いや、いたはずだ。
だって人間はどこまでも浅ましくて利己的で、恨みと言った感情を先に持ってくる生き物なのだから。
そんな事を考えたからか、先ほどから手は握られたままだ。
──だから、誰も信用なんてしたくない。
勝手に期待して、期待を裏切れば勝手に失望して、見限って、罵声を浴びせてくる。
それを、ダンテが知っていないはずがない。
ならば、なぜ彼は戦ったのだ。どうして、命まで懸けた。
「お前ら……いい加減にしろよ……」
気づけば、シュウは俯きながらそう言っていた。
「お前らに、ダンテさんがいつ何をしたってんだよ……」
彼に、何の非があろうか。確かにダンテは昔『大罪』だったかもしれない。
「あの人が、魔族だからなのか? 今まさに死に瀕している誰かの事を見て、何の行動も起こさないのは、お前らが忌み嫌う魔族だからなのかよ!!」
人種間で争いが起きるのはしょうがないことだ。
だって、人間は根本から理解しあうことが不可能なのだから。
だから、行動で示しているではないか、十分に示してきたではないか。
彼が一体どれだけの苦痛の時間を味わってきたのか、高みから見物して文句ばかり言うやつらに分かってたまるものか。
「でも、今は違うって言ってただろ! それでも信用できないのかよ、お前らは! 大事なのは今だって、今この瞬間だろうが!」
今、シュウは何に怒っているのだろう。
決まっている。不甲斐ない自分と、王都の連中にだ。
「今この瞬間、どう思ってて、どんな行動を取るかが重要なんだろ! 今、あの人は何をしてる? 魔族と仲良くやってるかよ、いやそんな風には見えない。──戦ってるんだろ、俺達のために」
俯いていた広場の全員が、顔を上げる。
そして、今一度倒れ伏す『大英雄』を、目に刻み込む。
「自分を賭してまで俺達を守ってくれてるのに、その仕草はねえだろ! 希望を繋ごうとしてくれてるのに、俺達を信じてくれてるのに、俺達は人一人信じられねえのかよ!!」
自然と、何か熱いものがシュウの内側からこみ上げてくる。
それはきっと、温かいもので──。
「誰一人応援しなくて、誰もが見切りつけようが、構わねえ。俺は孤独でも、あの人を応援し続ける。──それが、俺から返せるものだ」
隣にいるシルヴィアもまた、シュウと同じ気持ちだ。
既にここの時点で、一人でないことが分かっているのはどれだけ救われるか。
「応援もせずに、勝手に見切りつけて高みの見物決め込むんだったら、さっさとどっか行け。──恩を仇で返す連中には、もう会いたくもねえから」
誰も何も言えない。当然だ。所詮、シュウ一人が何か言ったところで、魔族への忌避が薄れるはずがないのだから。
だけど、そんな中から──。
「頑張って」
全員が、注目する。
そこにいたのは、まだ小さい子供で──。
「負けないで、ダンテ──!」「悪者なんてやっつけちまえ──!」「せ、正義は必ず勝つんだ──!」
最初の一人に感化されたのか、周りにいた子供たちが一斉に声を張り上げる。
きっと、届かないだろう。
ここから貧民街までかなりの距離があるのだから。
でも、そんなものは関係ない。
聞こえるかどうかではない。届けるのだ。
心の底からの応援を、励ましを。
そして、周りにいた大人達までも──。
「勝ってください、ダンテ様!」「『大英雄』様! どうか、負けないで──」「くそったれども、声張り上げろ──!」
その光景に若干ながら微笑みかけて──シルヴィアの手が肩に置かれたのが分かった。
「──ありがとう、シュウ。皆を説得してくれて」
「いや、俺じゃないよ。みんながただそうしたいって思ってた。だけど、誰もが言い出せなかった。それを言ったら何かが壊れてしまうんじゃないかって」
だから、シュウが崩した。壊した。
「じゃあ、俺達も声を出すとしますか」
「うん」
いずれ、声援は伝染する。ここに流れ着いた者達が、声を出すことで他の場所にいる彼らもまた声を張り上げる。
みんなで戦うのだ。
そして、そんな声援が届いたのか否か──。
「ん? まだやる気か」
血みどろのダンテは立ち上がった。
その顔はどこか笑っていて──。
「はは、だから人間は面白れぇ。どこまでも馬鹿で、だけど繋がる力を持っているお前達を守りたいって思えたんだ」




