52話 ダンテの合図
「終わった、のか……」
八咫烏との死闘を終え、重力から解放されたシュウはシルヴィアの手に掴まりながら立ち上がった。
「うん、終わった、はずだよ。それに……来るのが遅れてごめんね」
「いや、大丈夫。最終的に来てくれたしな」
どこかシュンとするシルヴィアにシュウは問題ないと言って、もう一度八咫烏の亡骸を見つめた。
『空飛ぶ災厄』八咫烏。三大魔獣の一匹。世界を苦しめてきた最大の魔獣はようやくここに討たれた。
その亡骸を見て、シュウには達成感や感慨など何一つ湧かなかった。
シュウがもしこの世界に生まれていたのならば、感慨があったかもしれない。
だが、この世界の人間ではないシュウには何が悪で何が悪いのか、それすら分からない。
だって、かの存在は誰かを殺したわけではないのだ。少なくとも、シュウの前では誰も殺していない。
だけど、少し遅かったら。何かが少しでも狂っていれば、シュウは怒りを込めて八咫烏に挑んだだろう。
結局、この世など運不運だ。
「八咫烏……お前、なんで俺を狙ってたんだよ……」
それが分からなかった。魔獣に好かれてるとは思わないものの、それでも八咫烏は確実にシュウを狙っていた。
そこに殺意があるかどうか、シュウには判断が出来なかったが。
「お前……俺を、探して、たのか」
憶測でしかない。ただそんな気がしただけだ。
「シュウ?」
「──いや、なんでもない。それより、ダンテさんの方はどうなってるかな?」
八咫烏を見つめているシュウが気にかかったのか、シルヴィアが話しかけてきたものの今考えている内容を悟られたくなかったので、急に方向転換する。
「師匠の方は……大丈夫、だと思うけど」
「そこは信じるしかないよな……」
今、シュウ達はダンテの居場所を知らない。
彼が今どこで戦っているのか、そもそも無事なのか。それすら分からない。
シルヴィアの胸中は心配するものでいっぱいだろう。
いくら最強だからとはいえ、父親なのだ。心配しない方がおかしい。
「シュウ。そちらは無事だろうか」
「ガイウス。お前こそ怪我とか大丈夫なのか」
「ああ、とりあえずといったところか。あとは大罪を残すのみになるわけだが……」
期を見て脇腹に包帯を巻いた藍色の青年──ガイウスが話しかけてくる。
「大罪、か。正直どれだけ脅威か分からないんだけど……でも、『傲慢』だけを見ればシルヴィアすら遊ばれる始末だった」
脳裏に思い出されるはシルヴィアとユピテルの剣の舞踏。
圧倒的な強者であるはずの彼女ですら、全く及ばなかった。
やはり、『大英雄』たるダンテでなければどうしようもない。
「結局はダンテさん頼りか……こればっかりはどうしようもないな」
「とはいえ、まだ出来ることが残っていると思いたいところではあるが……」
「分かってるって。お前のその怪我じゃ……たぶん、無理だろうな」
彼の脇から滲む血。そして、裂けた服から垣間見える青色に変色した傷の痕。
これほどの怪我を押してまで、なお王国のために走り回っていた。
賞賛に値するものの、大罪を相手にするとなれば最早持たないだろう。
そのことを、ガイウスも分かっている。
王のために剣を捧げ、民を守るために奔走してきた騎士だからこそ、悔しい思いもあるだろう。
許せない気持ちだってあるはずだ。
「一つ気がかりなのは……なぜ『大罪』たちが私達を襲ってこなかったかということだ」
「『大罪』が……?」
「ああ。彼らの目的を、私は未だ知らないのだが……それでもダンテ様も見当たらないということは、どこかで交戦中なのだろうか」
「ああ、そういうこと……。少なくとも、ダンテさんと『大罪』達はぶつかってる。『大罪』の方は特別にダンテさんに恨みがあるようだしな」
ユピテルからの証言の下に推測したものだ。
彼らはダンテを目の敵にしている。そして、ダンテが戦争の末期になるまで名を表さなかった理由。
それらを鑑みて、導き出される推論は一つしかない。
だが、それはあまりにも信じがたいことで──。
「そうか……ということは、あの男が言っていたことは本当だと……」
ガイウスも何らかの結論に至ったようで、納得したように顎を引く。
「ガイウスさん。ケガとか大丈夫なんですか?」
「レイか。ああ。私の方は問題ないが……君の方こそ、大丈夫か? 八咫烏戦でかなりの魔法を使ったと聞いているが」
「私ですか? いえ、その全然平気なんですけど……」
ガイウスの体調を心配したレイが会話に加わってくる。
彼女も彼女で擦り傷などのちょっとした外傷は見受けられるものの、魔力の使い過ぎによる体調不良は起こしていないようだ。
周りを見てみれば、五人将のマーリンに呼ばれたシルヴィアはそちらに行って話しているようだ。
恐らくはこの後の行動をどうするのかを話しているのだ。
なにはともあれ、窮地は脱した。
そう、あとは『大罪』達を倒すだけで──。
「なんだ、あの煙……」
貧民街の奥地。そこで、青空に向けて煙が放たれていた。
何らかの攻撃か、もしくは合図か──。
そうして、シュウにもようやく理解できた。
ダンテとの契約。その対価。
彼が合図を放った場合にシュウが持っている魔法道具を起動させ、もう片方の映像を拾わなければならない。
「あれはなんだ……? シュウ」
「煙……合図的な何かじゃ……シュウ? 何してるの?」
煙の意味を測りかねていた二人は、煙を見たシュウの行動に疑問を持つ。
当然だ。あの煙の意味を知っているのは、シュウしかいないのだから。
もしかしたら、あの煙を緊急の何かだと思う者もいるのかもしれない。
だが、その実態は違うのだから。
あれは不特定多数の人物に向けたものではない。シュウという個人に向けて放たれたのものなのだ。
急いで懐からダンテより渡された魔法道具を取り出し、ペア機となっているもう片方の魔法道具の映像を拾い上げる。
魔法道具とは元来、魔力を込めることで中に刻まれている魔法陣を起動させ、正常に動かすものだ。
魔力の消費量は魔法道具によって決められており、シュウが手に持っている魔法道具の場合はそこまで多くはなかったようだ。
片方の映像を拾い上げ、繋ぐのは各地に置かれている魔法道具。
もう何日も前に行われた王城での出来事を流すためにだけに使用された魔法道具に一時的に繋ぐ。
シュウ達もまた、近くにあった映像機から映し出された映像に目を奪われ──。
「な──」
絶句する。
映像から飛び込んできたのは、破壊されつくした貧民街の様子だった。
貧民街の悲しい景観は全てぶち壊され、街並みは見る影もなくなっている。
これが、王都の片隅だと誰が信じられただろうか。
煌びやかで美しいはずの王都の闇である貧民街は、更地に変えられつつあった。
そして、ようやく人の影が映った。
いや、それを人と呼ぶのはおかしな話か。
鱗を体に纏っている火蜥蜴族、人間のような見た目で、だけど悪魔の角を生やした水精霊、額に深紅の赤色の宝石をはめている宝石族、浅黒い肌に尻尾を見せつける人の面影を残した悪夢族、流麗な黒髪を惜しげもなく晒し、長い耳を見せている黒妖精族、全身をローブで覆った死霊使、そしてそれらを束ねるように立つ不死者。
紛れもない『大罪』達。そこに見た事のない黒髪の少女が加わっているが、そんなことはどうだっていい。
目を疑うのは、そこではないのだ。
そして、ようやく映し出されるのは最後のキャスト。
全身を鮮血で濡らした『大英雄』だった。
「し、しょう……?」
シルヴィアの呆然とした呟きが場を支配して、王都最後の戦いは映し出されるのだった。




