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ノスタルジーガール

作者: ピシコ

大学のサークル活動で提出する予定の作品です。

なんでもいいので、ご感想が頂けたら嬉しいです。

 ノスタルジーガール


                                        



 雲一つない、晴天だった。

 真夏の空は、遥かなる少年時代に見た、あの空を思い出す。 

 蝉の大合唱に彩られたその夏の日は、普段通りの夏のはずだった。




 日記①




 どんな事だって始めるのが一番難しいもので、人に勧められた小説や漫画をいざ見ようと思うと、途端に面倒になってしまう。

 逆に終わるのはあっけないものなのだ。テレビ番組だって、好きな漫画だって、人の命だって、終わるのは一瞬だ。

 私は今、日記をつけているわけだが、どうも書き出しが上手く書けないでいた。理由は分かっている。なにせ生まれて初めて日記を付けようとしているのだから。

 妻に先立たれ、娘も来年は高校生になり、私も38歳になる。

 社員たちには40近くになってから、日記をつけ始めたなんて、こんな女々しい事を明かす事は出来ないな。

 いや、出世欲にまみれたあいつらは、「いやいや社長、いい趣味じゃないですか。僕は良いと思いますよ」 なんて、思ってもないことを口にするんだろう。ド田舎観光センターの職員なら、田舎らしくのんびりとしていればいいのに……。

 ああ、私はそんなことを考えている場合ではない。私は日記をつけなくてはならないのだ。書き連ねればならないことがあるのだ。

 私は強くペンを握った。そして思い浮かべた。

 今日の出来事を……。




 8月5日①



 


 暑かった。

 気温は30度を超えていただろうか。東北に住んでいる人からしてみれば、十分猛暑日である。

 社長室に入った時、モワッとした熱気を感じたので、急いで窓を全開にした。もちろん外の空気の方が涼しいに決まっている。観光センターの側を流れる力強いあの滝と、湖に通じる激流の川がそうさせているのだ。

 もちろん部屋には冷房があるが、僕はエアコンの風を浴びると気分が悪くなる体質なので、どんなに暑くてもエアコンはつけない。

 娘の真由美は、夏場になるとすぐにクーラーを付けるので、僕としてはやめてほしいのだが、娘は、

 「今時クーラーを使わないと生きていけないよ!」

 と、頑固なので、娘と一緒にいるときは渋々クーラーの風を受けている。

 娘は本当に頑固者で、自分の言い分を絶対に曲げようとしない。

 良い事ではあるが、もう少し柔和な子に育って欲しいものだ。

 僕は、自分の椅子にふんぞり返った。

 窓からは滝のゴウゴウと言う音と、それに負けないくらいに合唱するセミの声が聞こえた。

 風が吹かないから、吊るしてる風鈴はその音を響かせないでいた。

 じとっとした汗が、額に流れてくいくのを感じる。

 とにかく暑かった。夏だった。

 とめどなく溢れてくる暑いという感情に抵抗するため、それ以外の事を考えることにした。

 いつもと同じことだ。

 いつものように、妄想の世界へ飛び込むのだ。

 優しいあの世界に。

 ゆっくりと目を閉じる。

 そうすれば、あの日過ごしたあの時が、頭の中に思い浮かんでくる。

 そして、あの頃を頭の中で再体験するのだ。

 全てがキラキラ輝いていたあの時代に帰ることはできないのは分かっている。

 だからせめて、妄想だけでもいいから、あの時に……。

 そんな僕の妄想を邪魔するように、ドアをノックする音がした。

 「……入れ」

 入ってきたのは、頑固者の娘だった。

 娘はジーパンにTシャツと、ラフな格好をしていた。肩にかかるぐらいの茶色がかった髪を、髪飾りで一括りにしてポニーテールにしている。

 「ねぇ、お父さん。今日買い物に行ってくるから、お昼先に一人で食べていいかな」

 「分かった。気をつけて行ってきなさい」

 「はーい。あ、今日のお昼は、下のレストランで食べてもいい?」

 「今日は客も少ないだろうから、レストランを使ってもいいぞ」

 「あ、ほんと? ラッキー。今日はカツ丼ね」

 真由美は指をパチンと綺麗に鳴らした。

 「じゃ、お仕事頑張ってね」

 真由美はそう言うと、口笛を吹きながら社長室から出て行った。

 職場兼自宅でもあるこの建物内で、社長室にズケズケと入ってくるのは、娘ぐらいだ。そして、自分のお昼の都合を話に来るのも。

 真由美もそろそろ料理を覚えてもいいだろうに……。

 とは思うものの、幼くして母親を亡くしたあの子に、そんな事を言うのは酷か。

 幸い、従業員達とも真由美は仲良くしているし、寂しくはないだろうが。

 うちの従業員は、「お嬢様と、社長はとっても仲良しですよね」 と、ニコニコしながら言っているが、自分では判断しにくいものだ。

 僕自身は、娘を愛しているつもりだが……。

 いや、僕は娘に……。

 再びノックの音がした。

 「なんだ真由美。カツ丼が売り切れてたか」

 「失礼します」

 入ってきたのは窓口担当の女性だった。口元がすこしにやけている。

 「ンンッ、ゴホンッ。どうした? 今日は取り立てて用事はなかったと思うが」

 「社長に会いたいという方がいらっしゃってまして」

 「誰だ?」

 「フジノフミという、ご老人です」

 「……」

 寝耳に水とはこのことか。

 「どうなされたのですか? 随分と驚かれているようですが」

 「本当に藤野文美だと言ったんだな」

 「え、ええ」

 「そうか、では、こちらへ通してくれたまえ」

 「社長のお知り合いなのですか?」

 「まぁ、そんなところだ」

 数分して、一人の老婦人が部屋に入ってきた。

 シワが増え、髪に白髪が広がっているが、老婦人は、あのおばさんに間違いなかった。

 「お久しぶりです。おばさん」

 「ごめんねぇ、急に押しかけちゃって。仕事は大丈夫かい?」

 「今は帰省ラッシュの前だから暇なんです」

 「そりゃよかった。いやぁ、それにしても、ちゃんとお父さんのお仕事引き継いで偉いんだねぇ。大変だったろうに」

 「あはは、おかげさまでなんとかやれてます」

 「本当に立派になって……」

 おばさんの視線は我が子を見つめるようなものだった。

 「最後に会ったのは、10年前かい? 確か葉月の葬式には来られなかったから、その前だものね」

 「ええ……そうですね」

 「……あの子が死んでから、もう10年も経ったんだねぇ。私はすぐ昨日のように思えるよ」

 「本当ですね……」

 「実はね、今日はあんたに会いたいって言う人がいるんだよ」

 「会いたい? 僕にですか?」

 「そうだよ。ほら、入っておいで、深夏」

 おばさんがそうドアに言い放つと、ドアがキィーッと静かに開く。

 そこには、白いワンピースを着た一人の少女が立っていた。 

 少女の髪は、その白いワンピースと反発する真っ黒な髪で、真由美と同じようにその黒髪をポニーテールにしていた。

 「君は……」

 真由美が幼い頃、僕は真由美に、「ポニーテールにしてごらん」と言っことがある。

 それは、僕がポニーテールフェチだからというわけではなく、  

 「……葉月」 

 葉月がいつもその髪型にしていたからだった。

 「……」

 時間が止まった気がした。

 窓からは滝の音とセミの声。

 そして、チリーン、チリーン、と、涼しげな風とともに風鈴の音が響いた。

 そうだ、僕が妄想の住人になったのは、10年前、葉月が死んだと聞かされたあの時からだった。

 その時から僕は毎日のように過去に浸ったままだ。

 しかしこの瞬間、僕はまるで、夢から覚めたようなそんな気分になった。

 いや、正確には、夢が現実に起きているような、そんな感覚。

 目の前に死んだはずの人間がいる。

 しかも、あの頃の姿で。

 葉月は言った。

 「初めまして。小野寺深夏です」




日記②

 



 文章というのは、一度書き出すことに成功すれば、勢いに乗ったボートのようにスイスイと前へかき出すことが出来るものなのだと、私は実感している。

 物事には勢いが大切だと、葉月はよく言っていた。

 葉月は子供の頃から行動力のある女性だった。誰よりも率先して、どんなことにも首を突っ込んでいった。

 自分の興味があることなら尚更だ。

 しかし、深夏は、葉月と瓜二つの顔をしているが、彼女が纏う雰囲気は、大人しい少女がもつそれに近かった。

 私の娘の方が深夏よりも明るく、活発的だ。

 娘の真由美は、誰に似て明るくなったのだろうか。

 その答えはとっくに分かっている。

 私が真由美に求めていたのだ。

 彼女のような雰囲気を求めて……。




 8月5日②



 

 「この子に、昔のことを色々話してやってくれないか? この子、都会育ちのくせに、田舎に興味津々なんだよ。私は、あんたのところで買い物していくからさ」

 文美さんは、そう言うと、社長室から出て行ってしまった。

 僕は、深夏……葉月の娘に顔を向ける。

 深夏は少し気まずそうにしていた。

 「そ、それじゃあ深夏、ちゃんでいいかな?」

 「は、はい」

 「じゃあ深夏ちゃん、そこのソファーに腰掛けてよ」

 「ありがとうございます」

 僕は、部屋に備えてある小さな冷蔵庫から、ペットボトルのお茶を二つ取り出す。夏場になると、何かしらの飲み物を常備しているのだ。

 「どうぞ」

 「あ、ありがとうございます。いただきます」

 「今、高校生だっけ?」

 「はい。高校一年生です」

 「そうか、うちの娘も来年には高校生になるが、君の方が、うちの娘よりもはるかに大人に見えるよ」

 「いえ、そんなこと……」

 深夏は謙遜するように言った。

 「東京に比べると、こっちは涼しいかい?」

 「そうですね……とっても涼しいです。窓が開いてるから、クーラー付けてないんですよね?」

 「ここは外の環境的にもとりわけ涼しいからね。冷房は必要ないんだよ。それに僕はクーラーのような冷房の風があんまり好きじゃないんだ。東京に出たら大変だろうなぁ」

 僕がそう言うと、深夏は、少し驚いた表情になって、

 「……お母さんも、同じこと言ってました。クーラーの風は嫌いだって」

 「……そうかい」

 知らなかったな。葉月も僕と一緒だったのか。

 「私、えっと、あの」

 「僕のことはおじさんでいいよ」

 「はい。私がおばあちゃんに頼んでここに連れてきてもらったのには、おじさんに聞きたい事があったからなんです」

 「……どんなことを聞きたいんだい?」

 「お母さんのことです」

 「おばさん……君にとってはおばあちゃんか。おばあちゃんには、お母さんの事聞かなかったのかい?」

 「おばあちゃんは、あんまりお母さんのことを話してくれないんです。ちょっとしたことは話してくれるけど、あんまり深くまで教えてくれませんでした」

 「それはきっと……」

 昔を思い出すと悲しくなるからだろうな。

 「おばあちゃんは10年前、両親が一緒に死んで、たった一人の私を育ててくれました。都会に一人で出てきて……。きっと、いや絶対大変でした。だから私、あんまりおばあちゃんに嫌な思いさせたくなくて、そういう話はしないでいたんです」

 「……」

 「でも、お母さんが生きてた頃、お母さんは私にいろんなことを話してくれました。都会とは全然違う自分の故郷のことを。昔のことを。それにおじさんのことも。小さい頃の記憶ですが、私はまだ覚えているんです。私、お母さんがこの場所でどんなことをして過ごしていたのか、もっと知りたいんです」

 彼女の目は真剣だった。

 「……なるほどね」

 「駄目……でしょうか?」

 「僕の話すことが、本当に君が知りたいことなのかは分からないけど、それでよければ話すよ」

 「本当ですか? ありがとうございますっ。覚えていることだけでいいので、よろしくお願いします」

 深夏はそう言うと、懐かしい笑顔を僕に向けた。

 僕は、奇妙な感覚に陥った。

 思い出を共有しているはずの人間に、思い出を教えようとしているのだ。

 いや、違う。彼女は葉月ではないのだ。

 さっきまでの雰囲気だって、葉月と違い大人しいものだったじゃないか。

 そうだ、彼女は深夏。

 葉月の娘。

 そう、分かっているのに。

 彼女が葉月だと思うと、興奮が止まらない。




 ノスタルジーガール




 僕が初めて葉月、君のお母さんに出会ったのは、僕が小学校三年生の時だった。

 僕は、親父の仕事の関係で、当時から転勤を繰り返していたんだが、それまで首都圏内を出たことはなかったんだ。

 それがいきなり東北に引っ越すことになって、しかも、これから先はもう引越しはしないって言われてさ。僕はびっくりしたよ。

 何にびっくりしたって、こっちの暮らしぶりについてさ。まず第一に、ご近所さんがいないんだ。家の周りは畑と田んぼばっかりで、コンクリートの道じゃないし、街灯も全然ない。引っ越した先には、ビルもなければコンビニもない。ファミリーレストランもなければ、デパートもない。

 僕はまるで昔にタイムスリップしたようだった。

 そして僕は新しい学校でいろんなカルチャーショックを受けるんだけど、まぁ、それは置いといて。

 新しいクラスになって、一番最初に話しかけてきた生徒がいた。

 それが、葉月だった。

 葉月は僕に、

 「ねぇねぇ、あなた自己紹介の時に、東京から来たって言ってたけど、本当なの?」

 って、興奮した様子で僕に訪ねてきたよ。

 僕が肯定すると葉月はさらにテンションを上げて、

 「ねぇ! 私、藤野葉月って言うの。私、大人になったら東京に行きたいの! 東京のことを教えてよ!」

 僕はいきなり話しかけられたことにびっくりしたんだけど、話しかけてくれたそのことが、僕はとても嬉しくて、僕は葉月に色んなことを話した。

 東京では当たり前のことを話すだけで、葉月はとても嬉しそうにしていた。


 (私はこの時既に、葉月に好意を持っていたのだと思う)


 葉月は、クラスでも外で遊ぶときでも皆の中心にいた。

 僕は今まで学校の友達と仲良くしたことはあんまりなかったんだけど、この学校では、葉月のおかげで、簡単にクラスに馴染むことができたんだ。

 楽しい日々だったよ。本当にね。

 葉月は木登りが得意で、しょっちゅう木の上に登って、遠くを眺めてた。

 そしてその度に、

 「東京に行きたい! こんな田舎から早く出ていきたい!」

 と、大声でよく言っていた。

 僕も、田舎での暮らしに慣れていく中で、やっぱり不便に感じることが多かったから、葉月の言うとおりだと思っていた。

 あと、葉月はよく僕に、

 「東京に住んでた君が羨ましいよ」

 とも言っていたな。とにかく葉月は、東京へ強いあこがれを持っていた。

 でも葉月は毎日のように虫取りをしたり、神社で相撲をとったりして遊んでいたよ。

 東京の子供はそんなことしないのにね。

 ああ、そういえば、葉月は中学校の修学旅行をとても楽しみにしていたんだ。修学旅行先は京都だったんだけど、

 「はやく飛行機に乗りたいのよ!」

 って、修学旅行の話になるたびに言っていたよ。

 でも葉月のやつ、修学旅行の直前に高熱を出して、結局行けなかったんだよ。

 一番楽しみにしてた奴が\行けなくなったもんだから、クラスの皆で、葉月にたくさんのお土産を買うことになったんだけど、お土産をもらった葉月はちょっと不貞腐れた顔をしていたよ。

 でも、すぐにいつもの調子に戻って、

 「飛行機の乗り心地はどうだった?」 

 「映画が見れるって本当?」

 とか聞いていたよ。

 それで、葉月とは一緒の高校に行く事になってね、高校生にもなると、小学校の時みたいに、大声では言わなくなったけど、それでも葉月の口癖は変わらなかったよ。


 (私は深夏に、葉月と同じ高校に行くのは、僕が葉月と一緒にいたかったからだということは言わなかった)


 葉月は高校の修学旅行も凄く楽しみにしていた。いや、中学の時よりもはるかに楽しみにしていたな。

 何故なら、高校の旅行先は東京だったからね。

 葉月は修学旅行の一週間前から、マスクをして、手洗いうがいを1分以上かけてやってたよ。

 僕はあの時初めて葉月がマスクをつけているところを見たなぁ。

 まぁ、その甲斐あってか、今度は無事に修学旅行には行けたんだ。

 東京についてからの葉月のはしゃぎっぷりは、よく覚えているよ。

 葉月は使い捨てカメラを5個も用意して、

 「ここ! テレビで見たわ! あ、これも見たことある!」

 とか言って、片っ端からカメラを構えてた。

 まぁ、久々の東京だった僕も、結構はしゃいでいたんだけどね。

 でも、葉月は興奮しすぎていたせいか、修学旅行中は全然寝てなくて、帰る頃には、目の下に大きなクマを作っていたよ。

 あの時一番楽しんでいたのは、きっと葉月だったんだろうなぁ。

 それで、高校を卒業するころになって、僕はこっちの大学に進学することになったんだけど、葉月は上京して就職を希望していた。

 あの頃、葉月はいつもおばさんと喧嘩してた。おばさんは葉月の上京に反対だったんだ。

 葉月のお父さんは、僕が引っ越してくる前には既に亡くなっていたから、おばさんは葉月が心配だったんだろうね。たった一人の家族だからさ。

 でもまぁ、なんとか葉月はおばさんを説得して、上京することになったんだ。

 え、僕かい? 僕は……葉月の意見を優先したかったから、彼女を応援する事にしたよ。


 (上京するかしないか悩んでた葉月は、ある時私に相談してきた。

 私は、両親が大きくした事業を引き継ぐことを決めていたので、本当は葉月には上京せずにここに残って欲しかった。

 今にして思えば、私が葉月と共に上京すれば良かったのにとも思う。

 それを言うなら、私に涙ながら相談してきた葉月に自分の意思を尊重したほうが良いなんて、心にもないことを言ったのが良くなかったのだ。

 私は、葉月とずっと一緒にいたかったのだから)

 

 そして、五年後ぐらいかな、たまたま仕事で東京に出張で行く事になってね、そのことを、おばさんに話したら、

 「もし時間が空いたらでいいから、葉月のやつに、持って行ってやってくれ。きっと葉月も、お前さんが会いに行けば嬉しがるよ。あと、たまには戻ってくるように言っといてくれ」

 みたいな事を言われて、大量の野菜を持たされたんだ。

 

 (私があの時おばさんと話をしたのは、こういう展開になることを予想したからだ)


 その日の東京は暑かった。まるで今日みたいにね。

 仕事はすぐ済んで、葉月とは前もって決めていた時間には余裕で間に合う時間だった。

 僕は嫁さんへの土産を買って、葉月との待ち合わせ場所へと言った。

 そこには、まだ赤ん坊の君を抱いた葉月がいた。

 

 (葉月は髪の毛がとても伸びていた。高校までは肩にかかるぐらいのセミロングだったのに、腰近くまで伸びていた。とても大人びて見えた)


 僕はアパートに通された。

 とても綺麗なアパートだったよ。

 僕もすっかり田舎の人間になってたせいか、その家にあった最新の電化製品を見て、ちょっと興奮したんだ。そんな僕を見て葉月は、

 「昔と入れ替わっちゃったね」

 って言った。

 葉月は色んなことを話してくれた。

 それはかつて、僕が葉月に話したように、東京と田舎の違いを口を早くして葉月は話してくれた。

 「子供がね、夜遅くまで出歩いているの。もう10時過ぎてるのに、制服着た子が街のど真ん中で歩いているの。信じられないでしょ? 私たちのころは、6時には家に帰ってたのにね。まぁ、あっちは街灯もないし、当たり前か。ねぇ、そっちはこの五年間でなんか変わった? でっかいショッピングセンターとかオープンした?」

 全然変わってないよ。って言ったら、葉月は、

 「それもそうよね。だって、私が18年あそこで生きてきて、全然変わり映えしないんだもの」

 葉月はそう笑ったけど、でも、と付け加えて、

 「昔の姿のままの景色が残ってるっていうのも、悪くないと思うんだ」

 葉月らしくないセリフだったな。

 「私、今の生活に満足してるけど、あの田舎で過ごした日々も結構気に入ってたんだよね」

 懐かしむように葉月は言ってたよ。



 (私はその後、その日の出来事は話さなかった。突然泣き出した深夏に優しく授乳する葉月の姿に、私は思わず見蕩れてしまい、その晩に、宿泊先のホテルで二度も自慰に耽ったことなど、深夏はおろか、誰にも話せることではない)


 

 僕が最後に葉月を見たのは、この時。

 五年後、葉月は事故で亡くなる。

 



  日記③




 私は、自分の妻を愛していた、と思う。

 妻が死んだとき、私は確かに悲しかった。

 ただ、葉月が死んだ時のそれとは違っていた。

 それが一体何なのかは分からない。

 ただ、私は死んだ妻に、幸せだったかと聞くのは怖いのだ。

 妻は優しかったから、幸せだったと言うだろうが、本当はどうだったのだろう。

 それは永遠に分かることがない疑問なのだ。

 何故なら、私には妻だけを愛していたという確証がないのだ。

 長きに渡る優しい妄想は、その妄想が正しかったのか否か。本当に起こったことなのか、書き換えた妄想なのか。すでに私には分からなくなっていた。

 ああ、妻よ。私は君が死んで以来、一度もほかの女を抱いたことはないが、その理由が、君だけを愛していたからではないということを、どうか許してくれ。



 

 8月5日③


 「とまぁ、こんな感じかな。僕が話せることは」 

 「おじさんは、お母さんのこと……いえ、ありがとうございました。お母さんのことたくさん知れて良かったです」

 「それはよかったよ」

 「おーい、深夏、お仕事中なんだから、あんまり時間を取らせたらダメだよ」

 ドアの向こうから、おばさんの声が響いた。

 「あ、すいませんでした、お仕事中なんですよね。ごめんなさい」

 「いいんだよ別に、今は暇だからね」

 「おーい、深夏。聴いてるかい」

 ドアを開けておばさんが社長室に入ってきた。

 「う、うん。おばあちゃんごめんね。もう終わったの」

 「そうかい。なら、下のお店を見てきなよ。深夏の好きそうなもの結構置いてあったから」

 「はい。じゃあおじさん。お話ありがとうございました」

 深夏は深く頭を下げた後、社長室を出て行った。

 ドアが閉まってから、おばさんはポツっと、

 「……よく似ているだろう」

 と言った。

 「ええ……本当にそっくりですね」

 「深夏を見ていると、まるで昔に戻ったような気分になるんだよねぇ。葉月がいるような気分にさ。まぁ、深夏は葉月よりもおとなしい子だけどね」

 「優しそうな子じゃないですか。おしとやかで」

 「でもしっかりした子だよ。あの子は。なにせ高校に入ってから一人暮らしを始めたんだ。これ以上私に迷惑をかけたくないからって」

 「良い子なんですね」

 「真由美ちゃんはどうだい 最後に会ったのは幼稚園ぐらいの時だから、もう私のことは覚えてないだろうけど」

 「真由美は、ちょっと落ち着きのない子ですよ。まぁ、明るいのはいいことなんですが」

 「ハッハッハ。元気が一番だよ」

 「深夏ちゃんを少しは見習って欲しいんですけどね」

 「深夏はもうちょっとハキハキしないとダメだ。葉月のようにね」

 「……」

 「深夏のやつは中身こそ全然違うくせして、どんどん葉月に似ていくんだよ。全く、こっちの身にもなれってねぇ」

 おばさんの目は潤んでる

 「でも、深夏は葉月じゃないんだ。それを実感するたびに悲しくなるよ」

 「おばさん……」

 「今でも考えるんだよ。もしあの時、葉月の上京をやめさせていれば、葉月はまだ生きていて……」

 「おばさん」

 それ以上は言わないでくれ。

 「あぁ、そうだねぇ、もう10年なんだ。もう……」

 おばさんの頬には涙がつたっていた。

 「10年……ねぇ、本当に10年たったのかい? 本当に? 本当に葉月は死んだのかい?」

 「……葉月は」

 死んだ。もういない。

 おばさんはその事を認めたくないんだ。

 その気持ちはよくわかる。だって僕も同じだから。

 僕もおばさんと同じ後悔の念をずぅっと引きずっている。

 おばさんの後悔は葉月の上京を許してしまったこと。

 そして僕の後悔は……。




 「昔と入れ替わっちゃったね」




 関係ないはずなんだ。僕が葉月に出会おうと出会わまいと、葉月はきっとどんな人にも左右されずに己の道を選んだだろう。

 でも、でも、もし、そう、たとえば、

 この僕が、東京から来なければ。

 この僕が、葉月と出会って、東京のことを話さなければ。

 この僕が、葉月と同じ高校を選んでいなれけば。

 この僕が、葉月に気持ちを伝えていれば。

 葉月はきっと今も生きていたのではないか。

 そう考えだすと震えが止まらない。

 怖くなって、布団にこもりたくなって、誰かの肌にふれていたくなる。

 だから僕は妄想に逃げ込んだ。

 優しいあの時間にずっと浸っていたい。キラキラ輝いていたあの黄金の時代に。

 葉月と過ごした楽しい時間。

 ああ、目を閉じれば浮かんでくる。

 あの日あの時。

 そこには葉月が、葉月がいるんだ。

 そうだ。なぁ葉月。一緒に木登りをしよう。いつものように。

 よーいどん、で一緒に登り始めても、僕は木登りが苦手だから、葉月の方がすぐに上を登っていく。そして、意気地なしの僕は、木の半分までしか登れない。僕はいつも葉月を下から眺めていた。

 でもそれでよかった。

 木のてっぺん近くまで登り、そこから遥か彼方を見つめる君の眼差しが僕は好きだった。

 葉月、僕はこんな妄想を数え切れないほど繰り返してきた。

 君はそんな僕の事どう思うのだろう。 

 教えてくれないか葉月。

 僕の中の葉月。

 僕の中の葉月ならきっと、僕に優しい言葉をかけてくれる。 

 「初めまして。小野寺深夏です」

 どうした葉月? お前の名前はそんな名前じゃないだろ。

 「……お母さんも、同じこと言ってました。クーラーの風は嫌いだって」

 お母さん? 

 「お母さんが生きてた頃、お母さんは私にいろんなことを話してくれました」

 お母さんって誰だ? おばさんのことか? おばさんならまだ生きてるじゃないか。僕の目の前で、泣いてる。

 「本当ですか? ありがとうございますっ。覚えていることだけでいいので、よろしくお願いします」

 ほら、こんなにも葉月と笑顔がそっくり……そっくり?

 



 日記④


 私とおばさんは、その場で泣き続けた。

 数分か、もしかしたら十分以上はそうしていたのだろうか。

 10年前の死を受け入れられない二人の大人は、傍から見て、どう映るだろうか。

 いや、私にとって葉月の死は10年前であり、昨日でもあるのだ。

 葉月が死んでから、私の中で葉月は、私が出会った頃から、葉月が死ぬまでを繰り返していたのだから。

 



 8月5日④




 「……ごめんね、急に押しかけて、その上泣いてしまうなんて」

 「いえ、気にしないでください。僕も……泣いてしまいましたし」 

 「でも、久々に泣いて、スッキリしたわ。それに」

 おばさんは部屋の時計をちらっと見る。

 「そろそろお昼だし、そろそろお暇するよ」

 「ああ、よろしければ、下のレストランでお昼をどうですか? ご馳走しますよ」

 「あら、うれしい。なら、お言葉に甘えようかね」

 僕とおばさんは、階段を下りて、レストランに向かおうとすると、後ろからドタドタと駆け足で近づいてくる音がした。

 「おとーさーん!」

 真由美が大声を出したので、

 「こら、大声を出すんじゃない。お客様がいるんだから」

 「ご、ごめん、ちょっと話したいことが……って、あれ? いない」

 真由美はそう言うとキョロキョロ辺りを見回した。

 「あれ? 深夏は?」

 真由美はそう言った。

 「ま、真由美ちゃん、お店を走っちゃ……それに速いよぅ」

 後方から小走りで、深夏が近づいてきた。

 「深夏遅いよー。あ、お父さん紹介するね。この子、東京から来た深夏っていうの。苗字はなんだっけ?」

 「……小野寺だろ」

 「あ、なんで知ってるのお父さん?」

 「それはだな……」

 僕のセリフを遮るように、真由美はイキイキとした顔で、

 「そんなことより聞いてよお父さん。深夏とは、さっきレストランであったんだけど、こんなところに若い子が一人なんて珍しいなぁって思って、話しかけたら、東京から来たって言うじゃない! 私びっくりしてさ! 深夏のスマホには、スカイツリーの写真とかあってさ! それだけじゃなくて東京のことも色々聞いたよ。テレビに出てるお店に実際行けるとか超すごいよね! んでんで、深夏は何故か田舎のことが知りたいって言うから、変わった子だなぁって思いながら、いろいろ教えてあげたの」

 真由美はとても早口でまくし立てた。

 「真由美ちゃん、私のこと、変わった子だと思ってたの……?」

 「だって、こんな田舎、面白いところ全然ないんだもん。東京の方が絶対楽しいって!」

 「そんなことないと思うけどなぁ」

 「それでお父さん、今日は買い物やめて、深夏を観光案内してくるわ。だから、ちょっとお駄賃ちょーだい♥」

 真由美はニカっと笑って左手を差し出した。

 「真由美ちゃん、随分とおしゃべりになったんだねぇ」

 おばさんは、ニコニコしてそう言った。

 「おばあちゃん……だれ?」

 「私は、深夏のおばあちゃんだよ。真由美ちゃんとはちっちゃい頃あったことがあるんだけど、覚えてないよねぇ」

 「え? そうなの? じゃあ私と深夏も小さい頃に、会ったことあるのかな」

 「うーん、深夏はこっちに来るのが今日が初めてだからねぇ」

 「ふーん。そうなんだ。なんか深夏とは、初めて会った気がしないのよね。すごい親近感が沸くというか。ねぇ? ほら髪型も同じだし」

 真由美はそう言って深夏を見る。

 「うん。不思議だけど。私もそんな気持ちだよ。なんでだろう?」

 深夏はそう言うと、ハッとして、

 「きっと、私のお母さんと、真由美のお父さんが仲良しだったからよ」

 「あ、そうなの? お父さんと、深夏の……って聞いてる? お父さんさっきから黙ったまんまだけど」

 「……ああ。聞いてるよ。聞いてる」

 僕は、自分の妄想が終わりに近づいていることを実感していた。

 「お父さん……泣いてるの?」

 僕は、僕の妄想が涙に溶けて流れてくように感じた。

 キラキラ輝いていて、あったかくて、楽しくて……。

 かつてそこには、僕がいて、葉月がいた。

 誰にだってある、青春の思い出。

 そう、思い出なのだ。優しすぎる思い出。

 僕は、ずっと思い出に甘えていた。

 僕は、なんで自分が涙を流しているのか理解していた。

 葉月はもういない。

 その事実を受け入れようとしていることに、深い悲しみを感じているのだ。

 今までは現実で会えなくても、妄想で会えれば十分だった。

 長きに渡る妄想は、現実とほぼ同化しており、心を惑わせるのに十分足りえた。

 しかし、深夏が。

 葉月の娘である深夏が。

 葉月の死を受け入れている深夏が現れた。

 そして、葉月の娘である深夏は

 「これは……嬉し涙だよ。娘に良い友達が出来て嬉しいんだ」

 「は、はぁ? ちょっと何言ってんの? お父さんにとやかく言われなくても、私たちはとっくに友達なんだから。ね、深夏」

 「うん。真由美ちゃんはもう友達、だね」

 僕の娘である真由美と友達になった。

 「あ、やばい! もうすぐバスが来ちゃう! 深夏、走るよ!」

 「え、ま、また? 次のバスを待てば……」

 「次のバスは4時間後なの!」

 真由美は深夏の手を引いて、走っていった。

 二人のポニーテールが左右に揺れる。

 二人の顔はとても素敵な笑顔だった。キラキラと輝いていた。

 僕とおばさんは、その二つの輝きをじっと見つめていた。

 「今の二人、懐かしいねぇ」

 おばさんは笑いながら、涙を流しながら、

 「小さい頃の、あんたと葉月みたいだ」

 と言った。




 日記⑤



 深夏が私の前に現れた時から、既に私の妄想は、崩壊しつつあった。

 私は葉月の死を認めたくないあまり、現実には死んでいる葉月を無かったことにして、葉月を完全な妄想の住人に仕立て上げていた。

 妄想にのみ葉月が存在することで、現実と妄想をある意味、区別できていた。

 葉月は現実にはいない。葉月は妄想にのみ存在する。

 葉月と過ごした記憶、葉月と過ごしたあの日々は、すべて妄想。

 そう妄想することで、葉月の死をなかったことにしていた。

 つまり、葉月と瓜二つな深夏が自分の目の前に現れたとき、それは、妄想が現実になるということに等しかった。

 私は妄想が現実になることを恐れていた。それは、葉月の死を認めるということだからだ。

 今にして思えば、私は、どこか気が狂ってると思う。

 葉月は、青春時代を共にしただけの、初恋の人というだけなのに。

 本当に死んだ妻に申し訳ないと思う。

 許してくれとは言わない。君を若くして死なせた私を。

 葉月の死は受け入れられずに、君の死は受け入れた私を許してくれなんて思わない。

 ただ、その代わりというのもあれだが、私は真由美を君の分まで愛すると誓うよ。こんな当たり前のこと、贖罪にもならないかもしれないけど。

 ああ、真由美よ。君の父親はなんて情けない男だと、君は知っているのだろうか。

 安心してくれとは言わないが、私は君と深夏のおかげで、やっと現実に戻れそうだ。

 君は、これからどんな思い出を作っていくのだろうか。

 それが、キラキラ輝く、黄金の思い出になることを私は願っている。

 まぁ、私が心配しなくても、クタクタで帰ってきて、すぐに幸せそうな顔で寝てしまった君を見れば、心配は無用かな。

 明日ゆっくりと、今日二人でどんなことを話したのか教えてくれ。 

あとがき

 

 僕は幼い頃の思い出を断片的に夢に見ます。

 そうやって夢が積み重なって、ふとした拍子に、昔を懐かしく思います。

 ただ今の僕には、その思い出が、本当にあった思い出だったのか、自分ではさっぱりわからないのです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 主人公の妄想感傷に浸っていた情景が目に浮かぶようでした。 現実の世界に降りてきたことが、彼にとって救いになるといいと思います。 しあわせだった夢から覚める、現実を受け入れることが救いであれ…
[良い点] 妄想に取りつかれている主人公の虚しさが、容易に想像つく程印象的です。『彼女が葉月だと思うと、興奮が止まらない。』と書いている主人公が一夜にして覚めるとは思えないので、その後が気になる作りと…
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