6 黒い惨劇
重い瞼を持ち上げると、白い頭蓋骨と目が合った。
「うわっ……」
ソールはとっさに起き上がって、後退する。
すぐに、頭を鈍い痛みが襲う。
「確か、誰かに殴られて」
頭をおさえながら周囲を見渡しても、誰もいない。
棒か何かで頭を殴ってきた誰かは、ソールを殺す気はなかったらしい。
木々から差し込んでいた光は橙色になっていて、夕方になっていることを自然に気づかせた。
一体、誰が何のためにこんなことをしたのだろう。
ソールを泥棒だと思ったのだろうか。
いや、それなら気絶させて放っておくようなことはしない。
犯人らしき人物が発した、「させない」という言葉だけが耳に残っている。
何をさせない為に、ソールを気絶させたのか。
もしノワールが実在するとしたら、カボチャを作ろうとするソールの邪魔をした、と辻褄が合う。
だが殺人鬼ノワールがソールを生かしておくだろうか。
犯人はノワールではないかもしれない。
そう考えてみても、ノワール以外の可能性が思いつかない。
たった一冊のノートを読んだだけなのに、ノワールの幽霊という現実味のない話が、ソールの頭を埋め尽くしていた。
とりあえず、村に戻ってこのノートについて話を聞いた方がよさそうだ。
ソールは少しふらつきながらノートを取り、壁に手をつき、嫌な音を立てる扉を開けた。
先程は何とも思わなかった森の景色が、妙な緊張感を醸し出している。
生ぬるい風が吹き抜けて、木の枝と葉が音を立てた。
この時間なら子どもたちがご馳走に喜んで、歌ったり踊ったりしている頃だろうか。
しかし変だ。
騒がしいはずの村が、祭がない時のように静かだ。
嫌な予感だけが脳裏を過ぎる。
ソールのように、誰かが殴られて祭どころではなくなったのだろうか。
近づくにつれて、鉄の臭いが漂ってくる。
どうして鉄の臭いがするのだろう。
ノートを持つ手が汗でまみれている。
ソールは無意識に早足になって村へ急いだ。
家の壁が見えてくる。
そしてその次に見えたのは、広場に積み重なった――首のない死体だった。
「……!」
あまりの惨劇に言葉を失ったソールは、思わず後退した。
一瞬、何が何だか分からなかった。
土が見えなくなる程、血溜まりが地面を侵食している。
どの死体も、首が離れた位置に転がっている。
先程の骸骨と同じだ。
皆は、ノワールに殺されたのだ。
そうとしか思えなかった。
見つかったら殺される。
ソールは近くの家の壁に隠れ、誰もいないか確かめる。
冷や汗と動悸が止まらない。
息苦しさすら覚えた。
目を背けてから動悸が収まるまでに、かなりの時間を費やした。
見なくても、あの映像が頭から離れない。
「誰も、いないのか? 俺が気絶してる間に、みんな、殺されたのか……?」
声が震えた。
このままここにいても殺されるだけだ。
せめて家族が生きていれば、というわずかな望みをかける。
唾を呑み込んで、もう一度死体の山を見る。
「父さんと母さん、アンジュもいない……もしかして生きてるのか?」
上に視線を移したソールは目を見開いた。
広場の向こう側に一人、黒いフードの少年が歩いている。
間違いなく、ネロだ。
「ネロ!」
ソールは隠れていた家から飛び出し、ネロに駆け寄る。
ネロは少し驚いた様子で振り向いた。
もう頼れる人間がいなかった。
「生きてたんだな!」
「……うん」
ネロは落ち込んでいる。
これだけの光景を見て、冷静でいられる方が不自然だ。
「みんなが僕を嫌ったから、僕も腹を立てて逃げて……その間に、みんな殺されちゃった。逃げなきゃよかった……」
ネロは今にも泣きだしそうな声で言った。
「じゃあ、俺の家族も……」
「殺された人は、みんなここに集められてるんだ。僕はアンジュを見てないから、生きてるはずだよ。ソールの両親は」
「家に行こう、みんな隠れてるかもしれねえ」
ソールはネロの言葉を遮って、家に向かって走り出した。
「そのノート、読んだの?」
とネロがたずねてきた。
「ああ。その後誰かに殴られて、戻ってきたらこれだった。やっぱり、あのノワールの話って本物なのか?」
「あの話は本物だよ。……僕はノワールを止めるためにここにいるんだ」
ネロは落ち着いた声色で答えた。
「じゃあおまえが助けてくれるのか!?」
「うん。もし、またノワールが現れた時は、僕が止めるよ」
家の周辺は、血溜まりの数が少なかった。
つまり、惨事のほとんどが広場で行われていたということだ。
扉を開けてすぐに見えたのは、壁に飛び散った血飛沫だった。
この家で誰かが殺されたという事実だけが虚しく胃を締めつける。
台所に一人、エプロンをした人間が倒れている。
そのエプロンは、母が今朝着けていたものと同じ模様だった。
「ソールのお母さん……」
ネロの声が、予感を確かな事実として突きつけてきた。
ソールは逃げるように廊下を走り、父の部屋に駆け込もうとして再び目を背けた。
すぐに踵を返す。
ベッドの下に広がる血だまりを信じたくなかった。
「父さん、母さん……」
目と喉の奥から何かがこみ上げてくる。
ソールは壁に手をつけようとして、やめた。
壁に誰の何なのかも分からない肉片がこびりついていた。
「……っ!」
膝をついて崩れ落ちる。
突然、身体中を氷の糸で縛られたかのような悪寒が襲ってきた。
父を蝕んでいた持病が、自分にも発症した。
それが意味するものが分からない。
恐怖と絶望に絆された脳の中が真っ白になって、思考を停止しようとしていた。




