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4 朱色の水たまり

「お菓子をくれないと追いかけまわすぞー」


 それから、迫力のない声で子どもからお菓子を奪うネロを見つけるのは容易だった。

あの仮装は本当によく目立つ。

ソールには布の下から伸びる足が見えるが、子どもたちには見えないのだろう。

皆が怯えて、本物のゴーストが出たと叫んでいる。


 ソールが見えていないのか、ネロは広場の噴水を背に座り込んで籠を置く。

子どもから奪ったお菓子で籠があふれている。


「おい」


 ソールは奪ったばかりのお菓子を開封しているネロの正面に立った。


「あ、ソール。どこ行ってたの? 探したよ」

「探したのはこっちだ。なにが『お菓子をくれないと追いかけまわすぞー』だ」


 ネロはゴーストの仮装のまま手作りクッキーを口に入れる。

手も布で覆われているので食べにくそうだ。


「みんなのお母さんは料理上手なんだね。美味しいよ。ソールも食べる?」

「それ奪ったやつだろ。返してこい」

「どうして返さないといけないの?」


 ネロは首を傾げる。

自分は間違ったことはしていないと思っているらしい。


「人のものを奪ったら駄目だって教えてもらわなかったか?」

「何で奪ったら駄目なの?」


 ソールは黙ってネロの籠を取る。

ゴーストの目である黒い穴がソールを見据えた。


「僕のお菓子を独り占めなんてひどいなぁ。食べたいならそう言ってくれればあげるのに」

「おまえがやったことは独り占めじゃねえのか? 自分が嫌だって思うことは他の人にしていいのかよ」

「よく分からないよ。何で僕が嫌な事をしたらいけないの? 何かあるの?」


 何があるのか、と言われると父が怒る。

それだけだ。

そんなことを言ってもネロは納得しないだろう。


「この村に住む以上はルールを守れって、言われなかったか?」

「ルールなんて聞いたことないよ」


 このまま話すのが面倒になってきたソールは、ネロの布を思い切り引っ張った。

だがネロが布を握って激しく抵抗するので、ゴーストの顔が若干伸びただけで止まった。

ネロはどうしても布を脱ぎたくないようだ。


「じゃあ教えてやるよ。人のものを奪うな。それが命であっても物であっても、だ。もし守れないなら追放。それがこの村のルールだ」

「お菓子を取っただけで追い出されるの?」

「おまえのせいで子どもが怖がってる。謝って返すのなら追い出さねえけどな」


 ネロは俯いた。

追い出すという言葉が効いたらしい。

父がお菓子を奪っただけの者を追放するわけがない、と内心確信しているのだが。


「……わかったよ。これは返すよ」


 なんとか和解という形で終わらせることができた。

そのことに、ソールはただ安心した。


「でも、わからないよ。僕だって、最初はみんなと同じように家を回ってた。でも、どの家も僕にはお菓子をくれなかったんだ」

「足のないゴーストが来たら誰だって驚くだろ」

「何言ってるの? 僕にも足はあるよ」


 ネロは自分の足元を指さす。

確かに布が足の形で盛り上がっている。


「みんな、おまえのことを足がないって言ってたぞ。おまえだって気づいてるだろ。自分が見えない存在だって」

「見えない存在ってどういうこと? ソールには僕が見えるんでしょ?」

「俺も分からねえんだよ。何でおまえが見えるのか」


 どうすれば納得するだろうか。

ソールにネロが見えているという確かな根拠が、彼を納得させてくれない。

別の理由を突きつけた方がよさそうだ。


「とりあえず、お菓子をくれなかったからって奪っていいわけじゃねえだろ。おまえみたいなでかい奴が来たら、誰だってお菓子をあげる対象じゃねえって思うさ。仮装祭の主役は子どもであって、俺たちじゃねえんだよ」


 子どもは大きくなると自然に仮装は卒業という形を迎える。

大きな子供がお菓子を貰いに仮装するのは今まで一度もなかったことだ。

とっさに考えた理由だったが、ネロは俯いた。


「……そうと知っていたのに、どうして教えてくれなかったの?」

「昨日はおまえが参加したいって言ったから俺は手伝った。それだけだ」


 ソールは腕を組んで考え込む。

腑に落ちないことがある。

ソールが見てきた限り、この村の母親たちはわりと優しい人が多い。

ネロを敬遠したくなる気持ちは分かるが、追いかけられるくらいなら、得体の知れない存在にお菓子を渡す母親がいてもおかしくない。


「そっかぁ。僕、仮装するの初めてだったんだけどな。そのルールっていうのは気に入らないけど、これは返してくるよ」


 ネロはがっかりした様子で重い腰を上げた。

完全に納得はしていないようだが、返す気になったらしい。


「そういえば、何でおまえの声がみんなに聞こえたんだ? 昨日は聞こえなかった」

「あっ! さっきのへんてこゴースト!」


ソールの声は子どもの声にかき消された。

後ろを見ると、五人の子どもがネロを指さしていた。

これはお菓子を返す良い機会だ。


「おれたちのお菓子を返せよ!」


 五人の後ろにも何人もの子どもが走ってくるのが見える。

その中にはアンジュの姿もあった。


「そうだそうだ! 返せ!」


 集団で一人を追い詰める、嫌な雰囲気になってきた。

ネロはルールを分かっていない。

下手に刺激すると、和解できる気がしない。

ソールはネロを庇うように五人の子どもの前に立った。


「どいてよソール! あいつをこらしめるんだ!」

「ちょっと待て。ネロはちゃんと返すって言ってる」

「うそだ! あのゴーストはうそしか言わないもん!」

「嘘しか言わないって……?」


 考える暇もなく、一人の子どもが石を投げた。


「痛っ……」


 仮装で石が見えなかったのか、ネロの頭に軽く命中した。


「おいやめろ!」

「無理だよ。だってパパと違ってソールは怖くないもん」


 アンジュにまでそう言われ、ソールは立ちすくんだ。

このまま何もしないのは決して良い方向に転ばない。


「やめろって言ってんだろ! 聞こえねえのか!」


 ソールは石を投げる子どもの腕を掴んだが、他の子どもまで石を投げ始めた。

とてもソール一人で止められる人数ではない。

他の大人に協力を要請しよう、と振り返ったソールは目を見開いた。


「村長が倒れたんだから、ソールも大変ね」


 少し離れた場所で、母親たちが蔑んだ眼差しで傍観していた。


「同情はいいから止めてくれよ! あんたらの子どもだろ!」

「あなたは知らないかもしれないけど、あのゴーストは勝手に家に入ってきて、お菓子を盗んだのよ。得体の知れない泥棒にはそれ相応の罰が必要だわ」


 ネロが盗んだのだと主張する母親と、集団で囲んで石を投げる子どもと、ネロ。

誰が悪いのだろう。

程度が違うとはいえ全員悪い、としか思えない。


「そんなこと言われたらさ、余計返したくなくなったよ……」


 落胆したネロの声が聞こえた。

正面に向き直って、再びその光景を見たソールは目を疑った。


 彼のかぶる布の一部が朱色に染まっていく。

朱色は次第に侵食し、白い布の半分を覆い尽くした。

彼の足元に朱色の斑点がいくつもできていた。

それが徐々に広がり、巨大な水たまりになった。


「なんだ、これ……?」


 血に見えるが、それにしては多すぎる。

この異様な水たまりは、他の人間には見えないのだろうか。

子どもと親に驚いている様子はない。


「気に入らないな。いつだってこうするよね。僕は、みんなと仲良くなりたかったんだよ」


 ネロは籠を持って誰もいない方角へ走り去った。

いつだって、とは一体どういうことだろう。

ネロは過去にも虐げられたのだろうか。


「かえれ!」


 追い打ちをかけるように、アンジュが言った。

ソールは寂しげな後姿と、地面に染み込むように消えていく朱色の水たまりを、呆然と見ていることしかできなかった。


 それから少しすると、子どもたちの興奮は収まり、いつも通りになった。

母親たちも、何事もなかったかのように談笑している。


「あら、みんな集まってくれたのね。早速始めましょう」


 母が紙芝居を持って歩いてきた。

先程の光景は見ていないようだ。

広場に子どもが集結したのは、紙芝居があったからなのか。

それともネロがいたからなのか。


「ソール、ノワールのセリフを読んでくれない?」

「……」

「聞いてる?」

「……ああ」


 ソールは先程ネロがいた場所に立ち、足元を見下ろす。

朱色の水たまりがあった場所は、元通りになっていた。


『ボクはノワール・ビビット。いたずらをするのが大好きなんだ』


 残酷な心を秘めた子どもたちに、ソールはいたずらっ子ノワールのセリフを低い声で読んで聞かせた。


『今までいたずらしたことは反省してるから、許して!』


 ゴーストに追いかけられるノワールの絵を見ていると、ネロのことが頭から離れなかった。

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