第六章 ユーマ・シフォン ⑥
View:神阪 蓮
Time:二年前
「蓮ち〜ゃんっ、れ〜ん〜ちゃ〜んっ!!」
とんとんとん、というノックと妙に間延びした声に起こされて、目を開ける。まず視界に入るのは柾目に走る年輪が見える天井にカーテンからこぼれ出た朝の光。ぼーっと、それを眺めていると、「れ〜ん〜ちゃ〜んっ」と第二波が押し寄せて来る。小学生が友達の家の前で「あ〜そ〜ぼ〜」と呼んで来るようなイントネーションであるため、すぐに起きようという気にはならず、心地よい微睡みをゆっくりと味わう。小学生を十年ほど前に卒業している為か、その呼び掛けに心踊るものは何もない。
そもそも、小学生の頃には携帯電話も十二分に普及しており、こんなアナログな呼び掛けは経験していない。
「んー、起きない」
部屋の外でうんうん、と唸る女の声。年齢=知り合ってからの年月である彼女のことは声を聞くだけで分かる。おそらく、厄介事が出てきて、俺を起こそうとしているのだろう。業務用の買い物か、それとも『町』での問題か。翔ではなく、俺の方に来るあたり建築関係ではない。つまり、『町』での人間関係渦巻く揉め事である可能性が高い。もしくは業務用の買い物か。
「み、みぃ姉ぇ……、どうしたの?」
おずおず、と尻込みしているのが見て取れそうなほどの声が部屋の外から聞こえて来る。かちゃり、という音とともに聞こえた事から、その声は彼女の呼び声に釣られて部屋から出て行ったのだろう。
「あっ、ごめんね、起こしちゃった?」
「う、ううん」
最近少し元気が出てきたドイツ産美少年、アルジールが首を振っているのが想像できる。まだ気を遣っているようで、みずきの問いを即時に否定した。そして、「どうしたの?」と続ける。
「ん〜、『町』の方でちょっとね」
『町』の問題ということで、彼女もアルジールに言うのを躊躇って、言葉を濁す。無理もない、少年にとって『町』の中は強すぎるトラウマを抱えているのだから。
それでも少年は「何かあったの?」と続ける。少年は自身が『町』に強いトラウマを持っているにも関わらず、『町』に対しての罪悪感からか、問題があればすぐに『町』に出ようとする。その為に、自分が危ない目に遭うこともしばしばだ。
「な、何があった、というか……」
「うん」
その少年のまっすぐさにみずきは困ったように言葉を泳がせる。間違いなく視線も泳いでいることだろう。さながら、言葉と視線のシンクロナイズドスイミングといったところだろうか。
「あははは……」
「?」
彼女は笑って誤魔化しながら、再びドアをノックする。「お願いだから、出てきてよ」という言葉が聞こえてきそうだ。その音に「はいはい」と返事をしてベッドから起き上がる。『この世界』においての着替えは、非常に簡素化されており、スマートフォンの『持ち物』アイコンから服を選び、フリックするだけだ。一瞬にして着替えを終えて、ドアを開くと、想像していた光景がそっくりそのまま、そこにあった。
「れ、蓮ちゃん、おはよう!」
「あ、蓮兄ぃ……」
気不味さから、思わず声が大きくなった症状のみずきには「あよ」と欠伸まじりの声を処方し、落ち着くように促し、上目遣いで見つめてくるアルジールには、その柔らかい頭を撫でてやる。すると、双方とも妙に緊張していた力が抜けたような表情になった。
「んで?何かあった?」
「あ、そうそう——」
みずきの話を聞きながら、俺たちは階段をゆっくりと下りていった。
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昼前、俺とみずき、アルジールは『レンガの町:レンド』の敷地から少し離れた場所に向かっていた。ちなみに薫は『現実世界』では大学生であるため、通学中だ。この『町』のどこにいても聞こえてくる波の音が少し小さくなる木々と濃淡色彩様々な緑が生い茂る山の中。小さく狭い獣道を切り拓いて路盤を整形し、斜路の少ない土地を開墾していくつかの畑を作っている。当初は『町』の誰からも賛同は得られなかった。『町』の敷地外といえば、『モンスター』に襲われる危険性の高い場所である。畑があれば、食料が増えることが分かっていても、危険なことはしたくない、というのは当然の感情だろう。
しかし、そんな事を気にせずに俺たちは開墾、畑作りを始めた。理由はアルジールの存在と、少年から聞く『ナインクロス』の話だ。毎日『モンスター』に襲われ、死傷者が多い中、決死の覚悟を持った人たちがモンスターを退治し、最低限の安全を築く為に必死に『壁』を作ったという。また、雪山の麓という作物に恵まれない土地であっても、苦労に苦労を重ね、何とか食料を手にしている。もちろん、『賊』の強盗や強奪から得るものもあるのは事実だが、それでも、『ナインクロス』に住む人たちは生きる為に命を賭けている。
そして、アルジールの父親である『死神』の言葉。もし、本当に『ナインクロス』から物資支援の要請が来ていたとしたら、俺たちは、『この町』はどうしたのだろうか。
そんなことを考えて、悩んだ。そして、みずき、薫、おっさんと相談し、たどり着いたこと。その一歩が『畑作り』だった。畑作りを進めていくと、次第に『町』の人たちも手伝ってくれるようになり、今では『レンド』の裏の山に二十程度の畑が存在する。また、幸運なことに農業の経験者や、農業に興味のある人たちがいたため、畑作りは順調に進んだ。
「うわぁー」
「これは……」
そして、今度の問題というのが、
「ひどいな、こりゃ」
畑のモンスター対策である。俺たちの目の前には、掘り起こされていたり、引き千切られている作物の残骸が、畑全体に広がっている。
「モンスター避けの薬作ってなかったか?」
『この世界』には多様なモンスターが存在する。鳥や犬、熊、蛇など『現実世界』にも存在する動物に似ている獣型のモンスターや、異形な姿形をしている妖怪型のモンスター、ドラゴンなどの竜型モンスターなど、様々である。そして、それぞれのモンスターにも対抗策は存在する。『スキル:錬金術』で作成できる薬を燃やして匂いを出したり、強い光を浴びせたり、それでもやってくるモンスターには、罠を仕掛けたり、退治したりと試行錯誤を繰り返している。
「うん、燃えてるね」
畑が荒らされているのにうな垂れていたみずきは、すぐに空を見上げて、上がっている煙を見つめる。どうやらモンスター避けの薬は使っているようだ。
「罠も、利いてるみたいだよ」
近くにある有刺鉄線の壁に血がついているのをアルジールが確認する。その他にも、踏むと電流の流れるものや、音が出るものなどを多数仕掛けている。
「んー、じゃあ空からとか?」
「空?」
揃って畑の上空を見る。有刺鉄線で囲いをしてあるものの、屋根は無く、翼を持つモンスターにとっては入りたい放題の餌場となっていた。
「あぁ……、そうかもね……」
「確かに、鳥とかなら好き勝手に採って行きそうだね」
陸路から来るモンスターに警戒するあまりに、空の防護が疎かになっていた為と思った俺たちはすぐに行動に移す。余っていた有刺鉄線を畑の上空に張り巡らせる。さらに近くを走っている電圧線を繋ぎ、弱電流を流す。倒す為の罠ではない為、痛みさえ与えることができればモンスターも諦めるだろう。
さらに、モンスターの中には血液に毒素を持つものもいるため、作物の上にモンスターの血が降り注ぐことは避けたいところだ。
「なんか、重要機密を隠してる施設みたいだね」
「ただの畑なんだけどねぇ」
あまりの重厚な防護に思わず溢れる言葉。電流が流れる有刺鉄線なんて必要なのだろうか。
「何植えてんだっけ?ここ」
「んー、芋」
みずきの言葉に脱力する。あきらかに重要機密を隠していそうな芋農園。勘違いした『賊』が侵入して、掘り返してみたがただの芋しかありませんでした、なんてコントのようだ。電流の流れる有刺鉄線の向こうにある芋。さぞかし、美味いことだろう。
「こんだけすりゃいいだろ」
「他の畑にもする?」
「そうだな、『町』のみんなにも手伝ってもらってパァーッとやるか」
その後、開墾している畑に有刺鉄線を張り巡らせていった。主に、芋、大根、人参の畑に。
「ポテトとか、おでんとか、シチューにしてもいいよね」
「そうだな」




