第六章 ユーマ・シフォン ④
「蓮ちゃん、大丈夫?」
砂浜で大の字になって空を見上げていると、柔らかな声が頭上から降って来た。くすくす、と笑いながら、さくさく、と砂浜を踏みしめる音と共に、視界の中に顔を放り込んできたのは、二十年以上の付き合いになる幼馴染。未だ整わない呼吸に苦戦しながら、「負けたぁーっ!」と吠える。今までも何十、何百と繰り返してきた薫との『勝負』だが、ここまで綺麗に負けたのは久しぶりだ。
「負けちゃったねぇ」
「あいつ、いっつも『外』で訓練してるもんなぁ」
普段から『町』の『外』に出て、畑や、新たな土地の開墾を様々な『生物』から守っている。『生物』が苦手とする薬を撒いたり、銃声などで威嚇したり、時にはやり合う事もある。
「頼りになるねぇ」
にこにこと微笑みながら、みずきは俺の隣に座る。海を臨み、水平線を見つめる。巨大な怪鳥が空を滑るように飛び、水面では『何か』が顔を出して、こちらを見ている。
いつまでも、『町』が安全な場所だとは限らない。今までもバグなのか分からないが、何度か『生物』が『町』に侵入したことがあった。特に大きな被害は出ていないが、『町』の中だからと言って、妄信するのはよくない。その上で、薫のような人間がいることは本当に頼りになる。
「あいつの場合は、俺に勝つためだろうけどな」
「それはそれで頼もしいよ」
「ね?」と首を傾げるみずき。その仕草に、俺はなぜか安心した。
「そうだな──ぃしょっと」
砂浜から跳び起きて、服に着いた砂を払う。薫との『稽古』を引き摺るつもりはないが、負けたままでは終われない。俺ももっと立ち回りを考えよう、と決意すると、短剣を模造した竹刀を携帯にしまう。
「さて、どうすっかな」
そのまま携帯の画面を眺める。時刻は十一時を少し過ぎた辺り。昼寝をしようにも、さっきまで激しい運動をしていた為、眠気などない。
昼飯食ったら眠くなっかなぁ、などと呑気なことを考えていたら、「おとーさん」と足元から呼びかけられる。振り返ると、みずきの膝の上に座る、あすかが俺を見上げていた。
「そらのとこ行く」
「お」
そらさんの検査はいつも時間がかかる。朝一に出掛けて、昼頃に帰ってくる。と、なれば、そろそろいい時間ということだ。
「お迎えに行くか?」
「いくー」
少し嬉しそうに言うと、あすかはみずきの膝から下りると、俺の足元にまで寄ってきて片手を俺に向ける。その手をすぐに握ってやると、あすかは、にこり、と微笑んで『町』の方へと俺を引っ張る。
「みぃも行くか?」
「うん、そしよかなぁ」
少し遅れて彼女は立ち上がると、ゆっくりとした歩調で俺の後ろをついてくる。いつもならば、ゆっっっっくりとしたリズムで置いてけぼりとなる彼女だが、今はあすかの小さな歩幅に合わせているため、丁度いい距離感を保てた。
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気持ちのいい天気の下をみずきとあすかと三人で歩く。賑わう商店街を抜けると、見える白い家。小ぢんまりとしたその家は、避難区域にある療養施設。病院と呼ぶにはあまりにも小さいが、『スキル』を駆使して治療にあたる医者の腕は確かだ。そこへ足を向けると、ちょうどいいタイミングでそのドアが開いた。
「異常がなくてよかった」
「そだね、最近はすごく調子よかったから」
そんな会話をしながら、秋風姉妹は白い家から出てきた。
「そらさん」
「あ~っ」
車椅子に座るそらさんは嬉しそうに笑うと、こちらを指差して、長く伸びた髪を揺らしながら、つばさに押されてやってきた。
「お迎えに来てくれたんだぁ」
「あすかが行きたいって言ったんで」
「わぁ~、あーちゃ~ん、ありがとーっ!元気出たぁ~」
そらさんはあすかを抱き寄せた。それに逆らうことなく、むしろ自ら進んであすかはいつもの場所、車椅子に座るそらさんの膝の上に座り込んだ。そらさんもそれを苦に思わず、あすかを抱きしめ、頭を撫でる。
「体調いいみたいだな?」
「まぁな……、医者からも大丈夫だと言ってもらってるんだが、また倒れられると困るからな……」
溜め息を吐きながら、きゃいきゃいと賑わう車椅子を見つめるつばさに話しかける。笑顔でみずきやあすかと話すそらさんからは、不調の様子は伺えない。しかし、やはり実の姉妹だ。苦しくても何も言わない姉を心配している。
「やっぱり治らないのか?」
「そうだな……、姉さんの病気は停滞か進行しかない、今の所はな……」
つばさは儚い物を見つめる目で、そらさんを見つめる。このまま治ってほしいと誰よりも願っている事だろう。しかし、誰よりも現実を知っているつばさにとっては、その希望は諸刃の剣と一緒なのだ。それでも、つばさは哀しい顔をしない。
そらさんが笑うから。
「ん?あれは……」
そんなことをつらつらと考えていると、向こうの角から巨大な花束を担いでスーツに身を包んだ男が現れた。両手いっぱいに抱えられた花束は赤、おそらくバラだろう。そして、その男はおそらくバカだろう。
「そらさん、検査、無事に終わったみたいですね。おめでとうございます」
「あ、ありがと直くん。でも、定期検査だし」
「いえいえ、ほんの気持ちですよ、どうぞ」
そう言うとバカは、そらさんの車椅子をバラで埋め尽くした。
「そらさん……、バラの花言葉を知っていますか?」
バカは片膝をつくと、そらさんの手をとった。そのバカの行動に困惑するそらさんの背後から、彼女の妹が行動を開始する。
「直人……ちょっと来い」
「なぁ~に?つばさちゃ~──っ!」どんっ!
地獄を覗き見ればあんな顔になるのだろうか、つばさの鉄拳を鳩尾に受けたバカはそんな顔をした。そして、ひどく低いトーンでバカに耳打ちした。
「姉さんに手を出したら殺す」
まるでキャノン砲のような破壊力だった。
瀕死の相手に何もそこまで……。
冷や汗が背中を伝うのを感じずにはいられなかった。
「つばさ?直くんイジメちゃだめだよ」
「大丈夫、あいつはアレで喜んでいる」
「そ、そうなんだ……」
たしかに、あいつにそんな性癖があったとしても不思議ではない。むしろ、そうでなければ薫に『あんな』仕打ちを受けて尚、口説こうとは思わないだろう。
みんなの話題が直人から逸れて、再びわいわいと歩き出した頃、地面に『愛』という文字が刻まれていたことに俺だけが気付いた。
直人……、お前って奴は……。
バカすぎて涙が出るぜ……。
玉砕した彼をその場に放置し、俺たちはいつものログハウスへと向かった。




